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高齢者医療難民 - 介護療養病床をなぜ潰すのか」(吉岡充・村上正泰著 PHP新書)
を読んで、ずっと疑問に思っていたことが部分的に氷解したので
個人的なメモを兼ねて、ほとんど独り言として。

介護療養病床の廃止の問題についてずっと疑問に思っていたことというのは、
障害者施設解体宣言などの動きについて疑問に思っていることと同じく、

どちらもタテマエは
社会的入院や施設収容型福祉を解消して
地域で暮らせる人は地域で暮らしてもらえるように
それがノーマライゼーションのあるべき姿だから……ということにはなっているけれど、

同じ数の高齢者または障害者が本当に地域で暮らせるような受け皿を
果たして、ちゃんと整備するつもりがあるのか、ということ。

例えば100床の入所施設を解体したとして、
もともと在宅で暮らせない事情があるから施設に入っている100人の受け皿となるだけ
グループホームをいくつも新たに作るとしたら、
それ、本当は、既にある施設を維持する以上に
お金がかかるんじゃないのかと思うわけで、

ゼニだけで考えれば、
社会的入院を解消しノーマライゼーションを実現させるよりも
大型入所施設のほうが、はるかに効率的なはずなのに、
その理想を実現させることを名目に使いつつ、同時に
高齢者介護・医療や障害者福祉の予算削減が狙われているというのは、
いったいどうすれば整合性が取れるんだろう、ということ。

高齢者にしても重症障害児・者にしても
今後、決して減少するわけではないのだから、
いま既にある施設を維持したとしても
サービスを必要とする対象者は増加するはずのところに、
既存の施設を先になくしてしまおうというのだから
地域に整備するべきサービスの総量はさらに飛躍的に多くなるはずで、
話がものすごく矛盾している。

それならば、こんなのは、やっぱり、
ただのご都合主義のダブルスタンダードに過ぎないのでは? ということ。

で、この本で初めて知ったことというのは
介護療養病床から転換型老人健康保健施設に換わったときに
高齢者一人当たりにかかる医療費の差が8万円だということ。

(この規制緩和による転換型老健制度というのが、そも、
病院を追い出される高齢者のためを考えた受け皿作りというよりも
医療機関の生き残り支援の色合いが濃いような気がするのだけど)

ともあれ介護療養病床を新型老健に転換することで
1人当たり8万円の医療費が浮く、という計算なのだそうです。

ところが、新型老健の医師の配置は常勤1人(プラスα?)なので、
週末や夜間の医療はどうしても手薄になる。
そのため健康状態が悪化した高齢者を老健でみるには限界があり、
ある段階からは外の病院に入院させざるを得なくなる。

急性期病院側は出来高払いだから、経営優先で濃厚医療を行いたければ
相手は高齢者、せっせと異常を探せば検査も治療もいくらでもできる。

結局は8万円の差額分は、そこで元に戻ってしまうのでは、という話。

しかも病院の経営のための濃厚医療とは、患者にとっては
以前あったような“スパゲティ状態”の過剰医療が戻ってくる懸念でもあって
高齢者はむしろ苦しみながら死んでいくことになるのではないのか。

包括払いの介護療養病床でアグレッシブな医療をしない
介護や看護主体の安楽ケアによる看取りのほうが、
結局は安上がりで、患者さんにも幸せだったんじゃないか、と。

このあたりを読んで、
いや、でも、今、時代はスパゲティ状態に戻るというより、
延命治療拒否であり中止の方向に向かっていますよね……?と怪訝に思ったときに、

ああ、なるほど……と、合点して、
介護療養病床廃止で本当に狙われていることというのが
やっと分かったような気がした。

要介護状態になった高齢者は
これまでのように医療と介護の両方で手厚くケアをする必要はなく、
どうせ高齢者なのだから施設でも在宅でも医療は薄くていい。

手薄な医療体制でボロボロになってから急性期の病院に送ってください。
すぐにターミナルになるように。

あ、もちろん、延命治療拒否の意思表示は、
国民の皆さん、ちゃんとしておきましょうね。

……と繋がるからこそ、なるほど
確かに医療費は削減できる……ということ?


ということは、重症の障害児・者についても、
いろいろな美名の下に同じシステムが作られていくということなのか……。


私は逆に、なんで既存の入所施設を残して有効利用しないんだろうと
ずっと不思議だった。

むしろ、そうした施設がこれまで集積してきたノウハウを生かし
地域サービスの拠点として機能を拡大していく方が
総体としては費用削減に結びつくんじゃないんだろうか。

例えば
GHやデイにOT、PT、STがもっと関わった方が
細かくケアできて重症化を防げるのに……と、いつも思うのだけど
独自にそれぞれの事業所で雇うのは運営上無理なので、

大型入所施設にそろっている専門職をむしろ増やして、その分
地域のグループホームなどの小規模施設にも巡回協力してもらうとか、
在宅への訪問医療・看護体制の拠点を担えれば
小規模な事業所にも多様な専門職が関わることができる。

地域の小規模事業所のスタッフへの教育・研修機能だって
専門職が豊富で経験の蓄積がある入所施設なら担いやすいし、

後期高齢者医療制度での地域における医療と介護の橋渡しだって
その地域で長いこと介護療養病床をやってきた病院が拠点になれれば
それが一番理にかなっているような気がする。

高齢者のターミナルケアのノウハウを一番持っているのだって
そういうところだと思うのだけどなぁ。

(もちろん薬漬け・抑制だらけの悪徳老人病院ではなく、
私の大好きな有吉先生とか、この本の著者の吉岡先生のように
まじめに管はずしやオムツはずし、ユニットケアに取り組んできたところと、
そこまで行かずとも普通レベルのケアをしてきたところを前提として)

入所施設のデイやレスパイト機能を拡張して、
今みたいな日数で区切ったレスパイトだけでなく、柔軟な時間利用や、
いざという時「いつでも数時間ならOK」という緊急対応を可能にするとか。

夜間だけ週に1回か2回でも預かってもらえて
介護者(親)が熟睡できる日が作れれば在宅でがんばれるケースは多いと思うし、

「もう、殺してしまいそうだ!」と介護者(親)が切羽詰った時に
要介護者(子ども)を半日だけ「捨てに行ける」場所がある、とか。

今でも志のある小規模事業所では、そういう柔軟な支援も行われているようだけど、
どうしてもスタッフの回転がぎりぎりという小規模なところでは苦しいし
総量での利用調整機能を拠点が担うことでサービスそのものが生きるとも思う。

そういう諸々のサービスが現実にあってこそ
「相談」窓口も本当の意味で機能できるわけだし。


理想的には、高齢者であれ障害者であれ
地域に小規模多機能のような小型施設がそろっていることが望ましいとは思うけれど、
すぐには整備できるわけじゃないし(経営的に無理だから増えるわけないという話もあったような)

そういうところが多様な病気や障害に対するノウハウを蓄積するには
どうしても時間がかかるのだから、

ノーマライゼーションの実現とコスト抑制の両方を
ある程度のところで折り合いをつけて本当に実現させていくつもりがあるのなら
高齢者施設であれ障害児・者施設であれ、既存の施設を有効利用する方が
長い目で見れば効率的だと思うのだけどなぁ。

違うかなぁ……。

いや、だからノーマライゼーションなんて本当はどうでもよくて、
ホンネはコスト削減だけ、やっかいな高齢者・重症障害者切り捨ての口実なんだから、
本当に地域で介護と医療をじっくり受けたりされたら、みんなが長生きして困るじゃないか、というんなら、
それは、まぁ、そうなんでしょうけど。
2009.06.17 / Top↑
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