Ashley事件の新展開で急ぎNorman Fostの資料を整理していたら
2005年にLaw & Medicine誌に出たFostの論文のアブストラクトに出くわした。
2005年にLaw & Medicine誌に出たFostの論文のアブストラクトに出くわした。
Norman Fost, Reconsidering the Dead Donor Rule: Is it Important that Organ Donors be Dead?
By Norman Fost
Issues in Law & Medicine, Spring, 2005
By Norman Fost
Issues in Law & Medicine, Spring, 2005
現在の日本の脳死・臓器移植法改正議論に関連しているようにも思えるので、
というか、むしろ、日本の議論では案外、盲点になっているかも……と思われる
恐ろしいことをFostが明確に書いているので、その部分だけを、取り急ぎ、以下に。
恐ろしいことをFostが明確に書いているので、その部分だけを、取り急ぎ、以下に。
…..it has been clear that the concept and ascertainment of “brain death” is medically flawed.
「脳死」という概念とその確認(方法のことか?)は医学的には間違っていることが既に明らかになっている。
「脳死」という概念とその確認(方法のことか?)は医学的には間違っていることが既に明らかになっている。
ただし、Fostのこの論文の趣旨そのものは
臓器提供者は特に“死んでいる”必要はないのではないか、と問うもので
臓器提供者は特に“死んでいる”必要はないのではないか、と問うもので
前にもどこかでそれらしいことを言っていたので、たぶん、ここでも、
死亡提供者ルールを見直し、生きている人から摘出してもいいことにしようという提言、
死亡提供者ルールを見直し、生きている人から摘出してもいいことにしようという提言、
つまり、
どうせ人の死なんて、きっちり定義などできないし、
これまで使われてきた「脳死」概念だって医学的には嘘っぱちなんだから、
この際、本人が前もって同意してさえいれば生きている人からでも臓器提供してもらっていいことにして
死亡提供ルールを見直し、臓器不足を解消しましょうぜい……という話ではないかと思われます。
どうせ人の死なんて、きっちり定義などできないし、
これまで使われてきた「脳死」概念だって医学的には嘘っぱちなんだから、
この際、本人が前もって同意してさえいれば生きている人からでも臓器提供してもらっていいことにして
死亡提供ルールを見直し、臓器不足を解消しましょうぜい……という話ではないかと思われます。
(Fostがここで「生きている人」というのは無脳症児とか植物状態の人)
文末にリンクした関連エントリーには
「心臓死であれ脳死であれ、どうせ、いかようにも操作可能なのだから
そんなら、いっそのこと生きている人から採ったって……」みたいな話もありますが、
「心臓死であれ脳死であれ、どうせ、いかようにも操作可能なのだから
そんなら、いっそのこと生きている人から採ったって……」みたいな話もありますが、
仮に、そこまで突出した主張においてであれ、欧米では、既にFostが明言しているように
脳死概念そのものが誤りだったとして崩れているのだとしたら、
脳死概念そのものが誤りだったとして崩れているのだとしたら、
今の日本の法改正議論は一体どういうことになるのだろう……?
2009.06.08 / Top↑
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