米国の事例に関連した検索をしていたら
厚労省の終末期医療のあり方に関する懇談会資料がひっかかってきて、
軽い気持ちで覗いてみて、ものすごくびっくりした。
厚労省の終末期医療のあり方に関する懇談会資料がひっかかってきて、
軽い気持ちで覗いてみて、ものすごくびっくりした。
植物状態の人から栄養と水分の供給を停止して餓死させるというのは
日本でも行われていた──。
日本でも行われていた──。
この資料が挙げている92年の脳外科71施設では
11%強の施設で栄養と水分の供給停止を経験している。
11%強の施設で栄養と水分の供給停止を経験している。
米国を始め、一部の国々のラディカルな医療倫理によって
起こっていることだとばかり思っていたので、
既に日本でも行われていたのだと知ると、
ちょっと呆然となるくらいのショックを受けた。
起こっていることだとばかり思っていたので、
既に日本でも行われていたのだと知ると、
ちょっと呆然となるくらいのショックを受けた。
そして、ものすごく素朴な疑問が浮かぶのだけど、
人工呼吸器をはずして窒息死させたら殺人行為になるのに
栄養と水分の供給を停止して餓死させるのは殺人にならないのは、どうして──?
人工呼吸器をはずして窒息死させたら殺人行為になるのに
栄養と水分の供給を停止して餓死させるのは殺人にならないのは、どうして──?
前にも書いた疑問も芋づる式によみがえってきた。
もっとも、この資料では「米国における延命治療中止裁判」として
75年の Karen Ann Quinlan事件と
90年の Terri Schiavo事件の2件しか挙げられていないけれど、
でも米国における延命治療の現状となれば、
当ブログで読んできたニュースの感触では
きっと中止・差し控えがもう慣行化していて
病院側と家族とがよほど対立しなければ裁判にもならないし
表に出てくることもないのだろうな……と。
当ブログで読んできたニュースの感触では
きっと中止・差し控えがもう慣行化していて
病院側と家族とがよほど対立しなければ裁判にもならないし
表に出てくることもないのだろうな……と。
それよりも、今の米国での最先端議論の焦点は、おそらく、
そんなあたりにシフトしてしまっているんじゃないかと思われることこそ
本当はものすごく怖いのに……と思う。
本当はものすごく怖いのに……と思う。
米国での議論を参照して
日本の終末期医療の問題を議論するのなら、
もっと広く英米の医療で起こっていることを見据えた上で考えてもらいたいと思う。
日本の終末期医療の問題を議論するのなら、
もっと広く英米の医療で起こっていることを見据えた上で考えてもらいたいと思う。
植物状態の人や終末期の高齢者への治療の差し控えや中止を法整備した後に
今度は議論がどこへ向かって行くのか、
今度は議論がどこへ向かって行くのか、
終末期医療の議論が、自殺幇助合法化にまで飛躍している――。
自殺幇助合法化の議論が行われれば行われるだけ「死の自己決定権」という概念が広まっていく――。
「抗がん剤はダメだけど自殺幇助ならOK」という話まで飛び出す――。
終末期でなくても障害者の医療は差し控えられる――。
自殺幇助合法化の議論が行われれば行われるだけ「死の自己決定権」という概念が広まっていく――。
「抗がん剤はダメだけど自殺幇助ならOK」という話まで飛び出す――。
終末期でなくても障害者の医療は差し控えられる――。
今の英米で起こっている諸々を参照すると、日本国民の多くは
終末期医療を考えるのに、もう少し慎重になろうと思うのではないだろうか。
終末期医療を考えるのに、もう少し慎重になろうと思うのではないだろうか。
2009.05.20 / Top↑
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