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前のエントリーで取り上げたWisconsin大学病院での
障害者に対する肺炎治療差し控えに関連して
同じくNDYのブログが参照を勧めているのが、

Syracuse 大学の障害学関連機関から出された
障害者の延命ケアと治療に関する声明。

あまり吟味せずに仮訳してみたものですが、とりいそぎ以下に。

障害のある人の延命ケアと治療に関する一般原則声明

以下の理由により

・全ての人に基本的人権、市民権、憲法上の権利がある。

・これら基本的人権の中には、延命ケアを受ける権利、および自己決定と自律の権利が含まれている。

・認知、精神、情緒、発達、知的、感覚、身体のいずれかの障害があることを理由に、これらの権利がおろそかにされてはならない。

・自己決定と自律を行使する能力が不足している人の代理として行動する人は、彼らの基本的人権を決しておろそかにしてはならない。またつねに本人の権利と最善の利益によって行動しなければならない。

さらに、以下の理由によって

・障害は人間の自然な状態である。

・歴史において、障害のある人々は偏見と差別を受けてきた。

・障害は人々の基本的人権を剥奪する正当化に使われてきた。

・特に重い障害のある児・者は基本的人権の侵害を受けやすい。その中にはルーティンの治療、栄養分と水分といった延命ケアと治療の剥奪も含まれる。

・障害のある人の中には、状況が変われば自己決定と自律の権利を行使できる人もいる。

・仮に自分が障害を負った場合に何を望むかを、障害のない人があらかじめ予測できるわけではない。

・延命ケアと治療に関して意思決定の能力がある人の、十分な説明を受けた上での決定は尊重されなければならない。

・ 延命ケアと治療について自己決定と自律の権利を行使する能力が十分でない人については、家族、友人、法的に認められた代理人が、本人の命を脅かさない限りにおいて、こうした事柄について十分な説明を受けた上での意思決定を支援することができる。

以下を帰結する:

基本的人権をまっとうし、社会において障害のある人々が歴史的に受けてきた扱いを認識すれば、

・障害のある人々には延命ケアと治療、および自己決定と自律の権利を行使する資格がある。

・死が間違いなく差し迫っており、延命ケアまたは治療が客観的に無益であって、ただ死のプロセスを長引かせるだけである場合を除き、障害のある人が延命ケアまたは治療を拒否したいと望んでいるとの明白で説得力のあるエビデンスなしに、そうしたケアまたは治療が差し控えられたり中止されてはならない。

・生涯に渡って認知障害を負っている人や、延命ケアと治療に関して自己決定を行う能力を一度も持ったことのない人であっても、死が間違いなく差し迫っており、ケアまたは治療が客観的に無益であって、ただ死のプロセスを長引かせるだけである場合以外には、そのようなケアと治療が差し控えられたり中止されてはならない。

・延命ケアと治療を提供すべきかどうかについて疑いがある場合の推論は常に、そうしたケアと治療を提供する方向寄りに行われなければならない。

【注】 原文中の life-sustaining は
必ずしも慢性的な終末期を前提としていないことを考えると
「延命」とすることには抵抗があり、
肺炎の治療差し控えが問題となっていた前のエントリーでは「命に関わる」と訳したのですが、
ここでは何度も出てきて、中には終末期を含む文脈もあるので
迷った末に、とりあえず通常訳されている通りに「延命」としました。

原文は以下に。
(賛同署名も個人・組織別にできます。)



Syracuse 大学のthe Center on Human Policy, Law, and Disability Studiesのサイトはこちら
2009.05.20 / Top↑
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