昨日、癌の子どもの終末期の記事でDiekema医師がコメントしているのを見て、
急進的な生命倫理を説く彼の師匠、Norman Fost医師が同じく終末期医療に関して
いかにも“らしい”コメントをしている記事があったのを思い出したので、以下に。
急進的な生命倫理を説く彼の師匠、Norman Fost医師が同じく終末期医療に関して
いかにも“らしい”コメントをしている記事があったのを思い出したので、以下に。
記事のテーマそのものは、
日本ではFost医師以上に注目されているRobert Truog医師の発言。
日本ではFost医師以上に注目されているRobert Truog医師の発言。
The New England Journal of Medicine の2010年2月号に、
Harvard医科大のRobert Truog医師が
“Is It Always Wrong to Perform Futile CPR?”というタイトルで
個人的なエッセイを書いて、自分がかかわった2歳男児のケースを論じつつ、
Harvard医科大のRobert Truog医師が
“Is It Always Wrong to Perform Futile CPR?”というタイトルで
個人的なエッセイを書いて、自分がかかわった2歳男児のケースを論じつつ、
無益とされる心肺蘇生(CPR)について
それが親の気持ちのケアになるなら、実施に意味がある場合もあるのでは、と
問題提起している。
それが親の気持ちのケアになるなら、実施に意味がある場合もあるのでは、と
問題提起している。
米国では心肺蘇生は行うことがデフォルトとなっており、
やらないためには患者本人または患者の許可を必要とする唯一の医療行為。
やらないためには患者本人または患者の許可を必要とする唯一の医療行為。
しかし、患者への侵襲度が非常に高い行為が、
もはや救命が不可能で、どんな治療も無益だと分かり切っている患者に
行われてしまうことには疑問・批判の声が起きている。
もはや救命が不可能で、どんな治療も無益だと分かり切っている患者に
行われてしまうことには疑問・批判の声が起きている。
Troug医師が取り上げている症例は脳ヘルニアの2歳の男児。
手術を受けたが神経障害が重く、
将来的にも、なんら意味のある神経発達は起こらないと両親には知らされていた。
将来的にも、なんら意味のある神経発達は起こらないと両親には知らされていた。
男児の心臓が止まった時に、Truog医師はこの子はもう死んだと思った。
しかし、手を尽くしてほしいと両親が望んだので、
チームは心肺蘇生術(CPR)を施すことに決めた。
諦めるまで15分。
チームは心肺蘇生術(CPR)を施すことに決めた。
諦めるまで15分。
男児が死んだ後、医療チームは彼に心肺蘇生をしたことに気持ちが重かったが、
両親が感謝していて、お礼を言ってくれたことにTruog医師は驚いたのだという。
両親が感謝していて、お礼を言ってくれたことにTruog医師は驚いたのだという。
インタビューで次のように語っている。
最初は、間違った判断だった、CPRはすべきではなかったと考えました。
しかし、家族が小さな子どもを抱いてお礼を言ってくれた瞬間に、
いや、我々は正しいことをしたのだと驚くべき考えを持ったのです。
エッセイは、まだ仮の結論として提示してみたものです。
しかし、子どもに意識がなかったのだから、
CPRによって子どもを苦しめたとは思えません。
振り返って考えると、善し悪しはともかく、
手を尽くしてもらったと悔いのない気持ちで
家族は病院を後にすることができたのです。
:しかし、家族が小さな子どもを抱いてお礼を言ってくれた瞬間に、
いや、我々は正しいことをしたのだと驚くべき考えを持ったのです。
エッセイは、まだ仮の結論として提示してみたものです。
しかし、子どもに意識がなかったのだから、
CPRによって子どもを苦しめたとは思えません。
振り返って考えると、善し悪しはともかく、
手を尽くしてもらったと悔いのない気持ちで
家族は病院を後にすることができたのです。
それに対して、
Indiana医大の癌専門医で倫理センターのディレクター、Pul R. Heft医師は、
家族の利益のために子どもにCPRを行うのだから
子どもを彼自身の福祉には無関係な目的のための手段としている、と批判。
Indiana医大の癌専門医で倫理センターのディレクター、Pul R. Heft医師は、
家族の利益のために子どもにCPRを行うのだから
子どもを彼自身の福祉には無関係な目的のための手段としている、と批判。
患者はもう死んでいるとしても家族を癒すのだという医師はどこにでもいるが
家族を癒す方法は他にもたくさんある、と。
家族を癒す方法は他にもたくさんある、と。
また、もう一人、ここでコメントしているのが
「無益な治療」論者のFost医師で、
「無益な治療」論者のFost医師で、
効果のないことにNOが言えないとなったら、いったいどこに限度があるというのか。
家族のために蘇生してあげるという考え方は医療の目的を捻じ曲げている。
実に高価な心理療法ということになりますね。
家族の気持ちを楽にするために過酷なCPRをやりましょう、というんだから。
家族のために蘇生してあげるという考え方は医療の目的を捻じ曲げている。
実に高価な心理療法ということになりますね。
家族の気持ちを楽にするために過酷なCPRをやりましょう、というんだから。
記事には、もうひとつ、同じジャーナルに掲載された
同テーマの個人的なエッセイが紹介されており、こちらは、
同テーマの個人的なエッセイが紹介されており、こちらは、
New York -Presbyterian/WeillCornell病院心臓科フェロー
Dr. Lisa Rosenbaumが90歳の祖母が「老衰」と診断された際の体験から、
Dr. Lisa Rosenbaumが90歳の祖母が「老衰」と診断された際の体験から、
老衰で死を待つだけの患者にも、家族が望むなら
手を尽くすことが医療者の職務である、とするもの。
手を尽くすことが医療者の職務である、とするもの。
もちろん医療上の判断は合理的に行うべきだし、
無益な治療が過剰に行われることは制限しなければ医療制度がもたないので
どこかの時点で諦めなければならないものがあるのは分かるが、
無益な治療が過剰に行われることは制限しなければ医療制度がもたないので
どこかの時点で諦めなければならないものがあるのは分かるが、
EBMによる合理的な治療効果のみで医療上の判断をするのでは不十分で、
「その判断をめぐる情についても考慮のうちに入れなければ、
どんなにたくさんのデータを持ってきても何も変えられません」と。
「その判断をめぐる情についても考慮のうちに入れなければ、
どんなにたくさんのデータを持ってきても何も変えられません」と。
この記事で発言している人たちが、依って立つ立場はそれぞれであるにせよ、
CPRをめぐる医療判断が如何にあるべきか、あるべき論や倫理問題を論じている中で、
ひとりFost医師だけは「それじゃぁゼニが青天井だろーが、ゼニが」と
それだけを言っているようにも聞こえる……。
CPRをめぐる医療判断が如何にあるべきか、あるべき論や倫理問題を論じている中で、
ひとりFost医師だけは「それじゃぁゼニが青天井だろーが、ゼニが」と
それだけを言っているようにも聞こえる……。
ちなみに、Robert Truogといえば、
脳死を待たなくても本人の意志さえ表明されていれば
生きている内から臓器を採ってもいいことにしようと主張していることで
私は強烈な印象を受けた倫理学者で、
脳死を待たなくても本人の意志さえ表明されていれば
生きている内から臓器を採ってもいいことにしようと主張していることで
私は強烈な印象を受けた倫理学者で、
その主張については小松美彦氏も「脳死・臓器移植の本当の話」で書いておられますが、
意外なことに、2007年の重症障害乳児の無益な治療訴訟Gongales事件の際には
延命治療中止を決めたテキサスの病院の決定について批判しています。
延命治療中止を決めたテキサスの病院の決定について批判しています。
その際の論点3つは、以下のエントリーにまとめてありますが、
今それを振り返ると、なるほど、このエッセイの主張は
確かにGonzales事件の批判と同じ地平にあるなと了解できる気がします。
今それを振り返ると、なるほど、このエッセイの主張は
確かにGonzales事件の批判と同じ地平にあるなと了解できる気がします。
TruogのGonzales事件批判(2008/7/30)
2010.03.04 / Top↑
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