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Compassion & Choice については当ブログでも何度も取り上げてきましたが、
前のエントリーで紹介したSeattle Timesの記事が
このC&CのWA支部をどのように紹介しているかというと、

A Washington nonprofit that advocates for quality end-of-life care and expanded choices
良質な終末期ケアと多様な選択肢を求めるアドボケイトであるWA州のNPO

しかし、実際にはC&C(もとはHemlock Society)は
WA州の尊厳死法を認めるかどうかの住民投票に向けて
州外から莫大な資金を持ち込んで尊厳死法実現に積極的に運動した中心的存在。

C&Cのサイトはこちら

米国では2月に
同じく死の自己決定権のアドボケイトthe Final Exit Network(FEN)から
違法な自殺幇助で幹部から4人もの逮捕者が出ており、

C&C側がFENとは違うのだというスタンスを強調して見せていたり
メディアの扱いもFENとC&Cの間に一線を画するところがありますが、

3月27日のLA Timesに医療弁護士 Stanton J. Price という人が
Different assisted-suicide groups, one goal と題した論説を書いて
この2者を質の違う団体と捉えるLA Timesの姿勢に疑問を呈しています。

FENとC&Cのいう「耐えがたい苦痛」とは、ターミナルな状態を超えて
本人にとって、または他者から見て主観的に「苦痛が耐え難い」ものまで拡大解釈しており、
ヘリウムで自殺させる、バルビツール系毒物を使うという手段の違いはあっても
両者とも目指しているゴールは同じである。

LA Timesが 
「FENが提供している、このような倫理的に問題のある‘支援’を
社会が容認することは決してないだろう」と書いたのは、

C&Cも本質的に同じであることを理解していない点だけではなく、

2年前にCalifornia州議会に尊厳死法案が提出された時にJoe Dunn上院議員が
「最後にはお金の力によって自殺幇助の条件が決定付けられるリスク」を指摘して
法案に反対した懸念に照らしても
ナイーブ過ぎる、と批判。

次のように書いています。
………Given our current economic climate, the lack of adequate healthcare for many and the stigma placed on those with chronic disease or disability, I do not share the faith in society or in our politicians such laws require. This dubious fight waged by the Final Exit Network and Compassion and Choice equates to dangerous public policy and places far too many vulnerable people in harm’s way.


現在の経済状況と、多くの人がまともな医療を受けられていない現状や慢性病や障害のある人に課せられたスティグマを考えると、このような法律が必要とする社会や政治家への信頼を、私は彼らのようには持つことができない。FENとC&Cが進めている怪しげな運動は、危険な公共施策に他ならず、あまりにも多くの弱者を危険にさらすものである。


前のエントリーで紹介したC&Cが医師に自殺幇助を呼びかける書簡でも
移植医療の関係者が署名していることが目を引きます。

また、その前の複数のエントリーで紹介したカナダのKaylee事件(文末に関連リンク)では
脳死状態でもなければ、植物状態でもターミナルですらない、
開眼して明らかに意識がある生後1ヵ月半の乳児から
心臓移植のドナーにするという目的で人工呼吸器が取り外されました。

どうせ重症の障害児だから、
そして、おそらくは、たまたま同じ病院に
心臓移植を必要とする生後1ヶ月の乳児がいたから、という理由で──。

「どうせ長くは生きないし、生きたとしても重症の障害を負うのだったら、
他人の命を救って死ぬ方が娘にとっては尊厳のある死だと思った」と
父親は語っています。

脳死でなくてもターミナルでなくても植物状態でなくても
重い障害がある人はどうせ命の質が低いのだから、
そんな苦痛に満ちた「生きるに値しない生」を生きるよりも
臓器を提供し誰かの命を救うために死ぬ方が
本人の尊厳を尊重することになる──。

そういう考えで娘を死なせて心臓を提供すると決めた彼を
メディアは賞賛したのです。

この医療弁護士の懸念は
Kaylee事件でリアルな現実として起こっているではないか、と思う。


そういえば、2年以上前のAshley事件の際に、
かつてSchiavoさんからの栄養と水分供給停止に抗って戦ったJodi Tada氏が警告していました。

忘れないでいてほしいのだけど、社会というのは、
健康な臓器の摘出で社会的コストが削減できるとなったら、やるんですよ。
機会さえあれば、社会はいつだって障害者を犠牲にして大衆の方に向かうのだから


          ――――――――

C&Cが最近出した終末期医療の7原則を見ると、
彼らが主張する「死の自己決定権」とは「自己決定がすべて」であることがよく分かります。


2009.04.16 / Top↑
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