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自殺幇助の問題を考えるに当たって、
非常に参考になりそうな記事を見つけました。

Oregon州の医療センターと医療大学の共同研究で、
Oregon州で医師による自殺幇助を希望している人の動機は
現在の症状ではなく、むしろ将来の苦痛や
これから先に自律性を失ってしまうことへの心配である、と。

初めて医師による自殺幇助を求める人は
現在の症状に苦しんでいるわけではなく、
また現在の自分のQOLが低いと感じているわけでも
現在生きていることを無意味だとか価値がないと感じているわけでもない。

むしろ
将来経験することを予想すると、
それが自分には耐えられないとしか思えないので、
そのリスクから自分を守ろうとしているのだ、と。

従って、研究の著者らは
患者が自殺幇助を希望してきた場合には
医師はまず患者の「自分ではどうにもできない」という感じをなくす努力をし、
教育して、将来出てくる症状の管理について患者に安心感を持たせることが必要、と。



ターミナルであっても、
痛みさえ十分にとってあげることができたら
患者さんは死にたいとは言わなくなると
ホスピス医が書いていたのを読んだことがあります。

だとしたら、はやり
死にたいと望む人に、まず必要なのは
緩和ケアで体と心が十分にケアされて、
最後まで自分は大切にケアしてもらえると安心できることなのではないでしょうか。

そして、終末期ではない状態で死にたいと望む人にも

病気や障害によって、それまで持っていた機能を失ってしまっても、
それで人間としての価値や尊厳が変わるわけではないし

人の手を借りながら生きていくあなたも、
それまでのあなたと何も変わらない、

堂々と人の手を借りてあなたらしく生きていけばいい……

……というメッセージを送ってあげられる社会であれたら、と思う。



この自殺幇助希望者の先取り不安、
ふっと障害のある子を連れて死んでいく親の先取り不安と重なってしまった……。
2009.03.11 / Top↑
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