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米国の障害者アドボケイト Arcのマサチューセッツ州支部が
知的・発達障害者をきちんと診てくれる医師がいないために
成人しても小児科にかからざるを得ない実態を調査し、
報告書にまとめている。

本来なら内科医にかかるべき疾患のある知的障害者が
内科医が障害者を診たがらないために
障害に関する知識と理解がある子どものころの主治医、
小児科医に引き続いて診てもらっている。

小児科医のほうも自分の患者を見捨てるわけにいかないため
患者が成人した後も診続けざるを得ない。

ざっと検索してみたところではヒットしないのですが、
報告書のタイトルは以下。

Left Out in the Cold: Health Care Experiences of Adults with Intellectual and Developmental Disabilities in Massachusetts

報告書は
医学教育の中に障害者への配慮が盛り込まれることや
障害者の診察には余分にかかる時間や手間に対して
医療保険が支払いを検討することを提言している。

Seeking grown-up care
MD’s unease found to leave many disabled adults with pediatricians
The Boston Globe, February 2, 2009

専門の小児科医(それから重心施設の看護師)でなければ
重症児医療のことは本当に何も分かっていない──。

これは私も、娘の腸ねん転手術時の総合病院での外科入院で痛感した点です。

外科医にも外科病棟の看護スタッフにも
重症児に対する医療知識も経験もなにもなかったために
抗けいれん薬の飲ませ方がデタラメだったり
手術後に、けいれんが続いて重積が危ぶまれる状態になっているというのに
何も対応してもらえなかったり、

その他、いちいちにおいて
本来なら慎重にすべき判断が粗雑に、
本来なら大胆にすべき判断が臆病に
……とすべての対応が逆に回って

娘はそのために、
本来なら受けなくても良いはずの苦痛や不快を与えられ
無用な命の危険に晒されたし、残存機能も大きく損なわれました。

その際、娘の医療について一番よく分かっている施設のドクターとナースは
病院との関係が悪化しかねないほどのギリギリまで
母親の私と一緒になって訴えてくれたのですが、

施設と病院との力関係と縄張り・垣根、
総合病院の中でも外科と小児科との力関係と縄張り・垣根は
事実上、患者の利益を平気で置き去りにしてしまいました。

その体験から振り返ると
確かにArcの主張するように
障害への理解と配慮を広く医学教育に盛り込んでもらうことは必要だけれど、

それぞれの患者の障害特性に応じた医療的判断というものは
様々に専門分化される一方の医師の個人レベルの「配慮」だけで可能になるような
そんな簡単なものではないのでは――?

障害児・者にかかわらず、恐らく高齢者の医療においても
もしかしたら慢性疾患のあるすべての患者のその疾患以外の医療においても

医療は医師のプライドや業績のためにあるものではなく
あくまでも患者のためにあるものだという基本を再認識してもらって、

その共通認識に立ち、
「自分にも知らないことがある。知っている人から教えてもらわねば判断できない」という謙虚さと
「この目の前の患者の目の前の病状に対して何が最善なのか」という視点を共有しつつ

医師らの専門領域ごとの垣根と(ヒエラルキーも)
病院間、病院と施設間の垣根を(ヒエラルキーも)
もう少し解消して、情報共有と協働の体制を考えてもらわないと、

いつかカナダの障害当事者であるジャーナリストHelen Hendersonが書いていたように
医療職の無知が障害者を殺しかねないのでは?

もう1つ、もうちょっと最近の関連エントリーでは
医療の無関心が助かるはずの知的障害者を死なせているという報告もあった。
2009.02.04 / Top↑
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