2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
ここしばらくの間に、複数の方から
タイと日本での障害者への強制的不妊手術関連の情報を教えていただいたので、

前に当ブログで取り上げた
90年代のペルーで「家族計画」の名のもとに行われた強制的不妊手術なども含めて、
まとめてみました。

タイ

Inclusion Internationalのサイトにおける
日本の障害学の研究者、長瀬修氏の報告によると、

もともと女性の不妊手術が家族計画として一般に行われているタイで

知的障害のある女性の場合には、青少年期に
医療職がスタンダードな医療として親に勧めている、とのこと。

知的障害があると性的虐待の被害者になりやすい。
さらに「どうせ子育てもできないから」と親も考えるため。

しかし法的な根拠はない。

むしろタイは国連障害者人権条約に07年3月30日に最初に署名した国の一つであり、
知的障害を理由に行われる不妊手術は条約違反だと長瀬氏は指摘している。

of girls with intellectual disabilities in Thailand
Osamu Nagase,
Inclusion International, last updated January 8, 2008


知的障害のある女性が周囲に支えられて子育てする姿を描いた漫画
「だいすき!!」がタイ語に翻訳されたというニュースは知っていたのだけれど、
なぜタイ語で? という感じは漠然と抱いていた。

その背景に、まさか、こういう事情があったとは……。


日本

日本での実態はこちら
それから、もっと詳しいのはこちら

実際に強制不妊手術を受けさせられた障害当事者の方の体験と、
その方が実態解明と謝罪を求める活動を追ったビデオがあるようです。



ペルー

これらの情報をいただいて私が思い出したのは、前にエントリーにまとめた、
90年代のペルーでの「家族計画」としての強制不妊手術

フジモリ政権下で30万人の先住民女性に行われ、
日本財団からも資金が出ていた、というものです。


重症児の生理の不快回避と介護者負担軽減のための子宮摘出

これらの不妊手術の流れには、不妊目的ではないにせよ、
生理の不快や介護者のケア負担軽減を狙ったAshley事件やAngela事件での
子宮摘出も新たな動きとして加えておく必要があると思う。


⑤さらに、現在進行形の話として、G8において、途上国での母子保健支援で
「家族計画」として避妊と中絶が検討されているらしいこと。

上記の情報をまとめてエントリーに書こうとしていた今朝がた、偶然に拾った記事が以下。


途上国の母子保健施策として避妊や中絶を含めた支援キャンペーンが
G8で議論されることになっているらしい。

それに対するカナダ政府の見解についてのニュースなのだけれど、

カナダ政府の外相らが保守勢力に配慮して
中絶や避妊を含める支援計画への資金提供は論外だと発言したのに対して、
首相が、中絶を含める計画への援助は論外だが、基本的には
避妊も含めてオープンに考える、と修正した、という話。

Glove and Mailの元記事によると、
途上国への母子保健施策に「家族計画」を含めることについては
米国の世論も真っ二つに分かれているという。


ペルーの強制的不妊手術には国連人口基金や世界銀行などが関与して
「家族計画」として行われていた。

G8での動きは今のところ「避妊」と「中絶」なのかもしれないけれど、
それがペルーでの貧困層に対する強制不妊手術のようなことにつながる恐れはないのだろうか……。

途上国での母子保健といえば、
WHO、ユニセフとゲイツ財団の早産・死産撲滅キャンペーンGAPPAも思い起される。

そして、このキャンペーンにはAshley事件の舞台となり
現在もその倫理学者が父親と一緒にAshley療法の一般化に向けて積極的に動いている
シアトルこども病院も加わっている――。
2010.03.23 / Top↑
いずれ、出るだろうとは思っていましたが、

近親者の自殺幇助に関する法の明確化を求めて訴訟を起こし、
今回のDPPのガイドラインが作られるきっかけを作り、
また同時にアグレッシブに発言し続けている英国自殺幇助合法化キャンペーンの“顔”
Debbie Purdyさんが本を出版。


HarperTrue という出版社から4月1日発売。
ペーパーバックで304ページ。

Timesが出版を機に、Purdyさんにインタビューを行って記事にしています。

Purdyさんは、
いざという時に夫婦でスイスに行き、夫が無事に帰ってこれるように
7500ポンドまで使えるVISAカードを2枚用意していて、
ゼッタイに手をつけないことにしている。

去年の最高裁の判決がなかったら、
自分は半年前にDignitasに行って自殺していたと思うが、
あの判決のおかげで法が明確化され、いざという時には夫がそばにいてくれる、
自分が最後に目にするのは夫の顔なのだという安心感があるから、
死にたいとは全く思わない。

いつか、自分の症状が悪化して、このままでは耐え難くなりそうだと思ったら
まだ飛行機に乗れる状態のうちにスイス行きのチケットを予約するつもりだけれど、

今はまだMSの治療法が出てくるのではないかと期待しているし、
もしも新しい治療法が出てきたら真っ先に自分に試してほしいと思っている。

夫が「我々は人生を最大限楽しんでいます」と言うと
Purdyさんも「人生の旨みを味わいつくすのよ」と。



このインタビュー記事で、とても興味深いと思った発言は、

「MSと診断された20歳の時は絶望して、
車いす生活になるなんて、この世の終りだと思ったものだけど、
実際にそうなってみたら、人が思っているほど、ひどいものじゃないのよ。
ただ、低いところからものを見ることになるだけで」

多くの人は、病気になった当初の絶望からPurdyさんのように立ち直って生きていく。

実際にその状態に置かれている人にとって、障害がある生を生きるという現実は
他人が「ああなるくらいなら死んだ方がマシ」と勝手に想像している通りではない。

そのことが、もっと語られなければ、と思う。

多くの人はそうやって当初の絶望を乗り越えて生きていくのだというのに、
そこで「死の自己決定権」が認められてしまったら、
そのプロセスをたどる前に、一時の絶望ゆえに人の手を借りて自殺する人が出る。

事故により四肢マヒになって、
「障害者という2級市民として生きていくくらいなら死んだ方がマシ」といって
Dignitasに行って自殺した23歳のラグビー選手のように

適切な支援とゆっくりと自分を取り戻していく時間があれば、
十分にその絶望から這い出すことができたかもしれない人が、
その可能性にすら目を向けられないままに死んでいくことになる。

そして、社会がもしも20歳のPurdyさんのように
「車いす生活なんてこの世の終わり」
「重い障害を負うなんて死んだ方がマシ」と思い込んでいて
「実際にそうなってみたら人が思うほど悪くはない」ことに思いが及ばないならば、

そういう人を支援することよりも、
死ぬために手を貸してあげることだけが親切だということになってしまう。

その絶望を乗り越えられる可能性もあることを、誰も考えなくなってしまう。

2010.03.22 / Top↑
以下の本を読んだ。

定常型社会
新しい「豊かさ」の構想
広井良典、岩波新書

私なりの、著者に申し訳ないほど、がさつな言葉でいえば、
成長とか前のめりの前進とか能力だけを価値とするガツガツ文化からの脱却が提案され、
持続可能な福祉国家としての定常型社会をどうやって実現していくかが
考察されているのだと思う。

「環境税」とはいかなるものか、なぜ社会保障財源として環境税が妥当なのかについて
全く白紙状態だったので、なるほど~と、とりあえず思った。

(この程度の理解では、すぐに頭から消えてしまったので、
その内容までを説明できなくてスミマセン)

この本の内容については、正直、これ以上のことを書けるほど分かってはいないので、
ここでは、個人的に特に印象的だったこと、考えたことのみ。

広井氏の「これからは定住型社会に切り替えなければ」という主張は
当初、日本の社会保障のあり方という枠組みの中で進められるのだけれど、
今の世の中で、それは日本の中だけでどうにかなる問題ではないわけだから、
100ページめくらいから、この問題を世界に広げて見てみると、という話に移っていく。

で、

 現在、市場は国境を超えて一元化していく一方、社会保障を始めとした社会制度や意思決定は国家を単位として行われているという矛盾が拡大しており、「世界政府なき世界経済が創り出されている」(アーサー・シュレンジャー)という状況にある。……

 地球レベルの社会保障といっても、理念としてはともかく、現実には想像しがたい印象があるかもしれない。が、たとえばEUのレベルにおいては、まず格好の社会保障制度の調整ひいては部分的な制度内容の統一ということが進めれられているおり、……

 社会保障や福祉国家の問題を超国家的(supernational)なレベルで考える時代になっているということであるが、これはヨーロッパに限られたことではない。社会保障制度のあり方は、とりわけ経済のグローバリゼーションの中で、これまでのように一国完結型の問題ではなくなっているのであり、今後こうした傾向はますます強まっていくことになるだろう。……

 つまり、地球という大きなコミュニティ――地球という大きな“福祉国家”と言ってもよい――の中で、そこでの(人が生産する)富ないしパイの「大きさ」に関わるのが(地球)環境問題であり、そこでのパイの「再分配」に関わるのが地球レベルの社会保障ということになる。……
(p.107-109)


ここで書かれている「世界政府なき世界経済」というのは、
すっごく僭越なのだけれども、以下のエントリーで私が書いた世界観と同じじゃないだろうか。


広井氏が社会保障という視点から書いておられることを
科学とテクノの視点から書きなおしてみると、こういうことになるんじゃないだろうか。

私の世界観の方が圧倒的に悲観的だけど、
それは、広井氏がご自身の発言の影響力の大きさを
ちゃんとわきまえて書いておられるからに、たぶん、すぎないのだろうと思う。

そして、私は学者でも著名人でもないから、個人的な考えとして無責任に書いてしまうけど、

世界政府はなくても、また、いつ、誰によって任命手続きが行われたのか不明でも、
この地球国家で、厚生大臣だけは、すでに大いに活躍しておられる、とも思う。

我らが厚生相の「骨太の方針」も持続可能なグローバル“福祉国家”を目指すことだ。

誰も病気にならず、誰も障害を負うことのない世界――。
それに勝る保健施策が、一体どこにある――?

しかも、それを、ビジネスモデル・コスト効率重視で合理的にやろうとしている。
なにしろ、この厚生大臣は通産相兼務だもの。

NBIC各分野のテクノロジーが進めば、経済も活性化して、
社会保障なんて無用の、持続可能な超人類世界がやってくるじゃないか――。

ついでに、この厚生・通産大臣は財閥でもある。
グローバル福祉国家には、今のところ財務相を置くほどの歳入などないけれど、
財閥が大臣を2つも兼務しつつ、大きな財布から気前よくゼニも出してくれるとなれば、
まぁ、その人が財務相のようなものかもしれない。

縦割り行政も縄張り意識もないのだから、もちろん施策のフットワークは、とても軽い。

中国と言う名前の地方自治区域(この単位を国と称する)で、
どうも官僚が役立たずだと判断するや即座に中央厚生官僚を派遣して介入したりする。
もちろん潤沢な予算をつけて送り出すのだから、誰からも
「内政干渉だ」とか「国家の主権は?」なんて抵抗は起こらない。

こんな何もかも兼務の大臣が、財布を持って、フットワーク軽く策を敷いて歩いてくのだから、
いろいろ複雑な国家間の利害だって調整しやすいというものだ。

また、そのガマ口には「愛と善意」と大書してある。
愛とゼニ。最強の組み合わせだ。そんなの、誰も逆らえない――。



             ―――――――

ところで、広井氏のこの本の中には、
今まで聞いたことのなかった、極めつけの「コワイ話」が語られている。

 言い換えれば私たちは、この「高齢化の地球的進行」という点も視野におさめた上で、そろそろ世界全体が向かうべきある種の「収束点」、目指すべきゴールのようなものを考えていくべき時代に入っている。
(p.110)

で、そういう「収束点」のイメージを得るための参考として
著者が紹介しているのがドネラ・H・メドウズ他の「限界を超えて」という報告書。
地球社会の未来のシュミレーションがあるらしい。

それから、国連の長期予測推計で
世界の人口が現在の60億から2100年に112億前後に達して、
それ以降、安定するとされている一方で、現在のパターンだと、
2040年ごろ、世界人口が95億に達した時点で、
環境汚染、食料枯渇等により、破局を迎えるとされる」。

げぇぇっ。
知ってました? この話?

SFじゃなくて、現実の国連の推計ですよ。国連の。
その推計が、「あと30年」と予測している――。

ああ、そこで「死の自己決定権」なのか……。

そして、30年という時間は、もしかしたら、
今でもアフリカの各地にじわじわと広がっている
無政府状態に陥り、文字通りの弱肉強食が横行している地域が
グローバル化したネオリベ世界にさらに広がっていき、
そういう地域が一定の割合まで地球上を覆い尽くすのに要する時間として、
なんだか、とても説得力があるような気がする……。

そういえば、トランスヒューマニストの親玉に
Oxford大学のNick Bostromという人がいて、
この人が2002年に以下の論文を書いている。


実存的リスク:人類滅亡のシナリオと関与する危険ファクター

Hazardsが、うまく訳せませんが、
地球温暖化とか経済危機とか大量殺りくとか
人類を滅亡に導く現象や出来事などのことを言っています。

2007年のAshley療法論争の際にこの論文を知り、
いつか読もうと思っているうちに、もう2010年になってしまいました。

Bostromは世界トランスヒューマニスト協会の生みの親ですから、
科学とテクノによって人類を超人類に生まれ変わらせることによって
絶滅を防ごう、という結論になるのだろうとは思うのですが、
(Bill Gates氏は、TH二ストたちの間でも、もちろんヒーロー)

2040までに、早く読まなくては……。
2010.03.18 / Top↑
近くどこぞで国際会議を開くGAVIが、「ドナー」にその会議に来いよと呼びかけている、というニュースを読んで、「途上国にワクチンを……と活動するゲイツ財団、WHO、UNICEFや世界銀行やシアトルこども病院の面々が、なんで臓器を欲しがるんだろう、もしやしてワクチンの開発研究に?」と、ほんの一瞬だけだけど、考えてしまった。当たり前ながら、ここでは本来の意味の「お金をあげるドナー」。元々はそういう意味の言葉だったんでしたよね。いつのまにか「臓器を提供する」という行為がこんなに日常的なこととして定着していることに驚くと同時に、寄付してもらう立場の方が自分たちの会議にドナーを呼びつけるのかぁ……ということにも驚いた。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/182364.php

インポテンツは心臓病リスクを警告してくれているんだそうな。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8564181.stm

30までに禿げ始める人は将来、前立腺がんになる確率が低いらしい。:「AとBの間には相関があるのでは」と仮説を立てた人がいるから、AだったらBになる確率が云々という調査研究がある。それを考えると、上のインポテンツも含めてこういう研究って、面白いなぁ、と思う。男性科学者の間で、どういう研究がおこなわれているかを調べることで、心理学の研究になりそうな気がする。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8569826.stm

グルコサミン、コンドロイチンって、研究でのエビデンスはたいして良くないらしい。でも、売れている。患者さんたちが「効く」と信じている限り、売れる、ということらしい。:重症障害児・者の親には気になるサプリではあるけど、一番気に食わないのは、こういう話はたいてい、一定の期間、売れまくった後で出てくるということ。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/03/15/AR2010031502115.html
2010.03.17 / Top↑
前のエントリーの続きです)

文章の構成上の工夫に、事実を隠ぺいするマヤカシが仕込まれている

隠ぺいまたは情報操作が試みられているのは主として以下の点。

①けいれん発作は薬でコントロールされており、重い生理によって誘発されることは「可能性」として言及されているだけなのに、あたかも「生理によって頻繁に発作が起こっている」かのように思わせようとしている。

②多量の出血は初潮から間もなく収まっているし、貧血を起こしたのも1度だけであるにもかかわらず、「いつ起こるか分からない生理の大量出血で、既に何度もけいれん発作が起きている」かのように思わせ、「けいれんと貧血を止めるために、子宮摘出が唯一の手段」だと思わせようとしている。

つまり子宮摘出を正当化するほどの「健康上の問題は実は存在しない」という事実が
判決文の全体にはりめぐらされた巧妙な仕掛けによって隠ぺいされているのです。

分かりやすい個所を1点のみ、挙げます。

20. In November 2007, the bleeding appeared to have settled but Angela was anaemic and required iron treatment to bring her back into a range that was described as “normal”. Under a general anaesthetic, a medical procedure was undertaken because of the difficulty of doing anything with Angela because the Rett Syndrome. This an an Implanon procedure which was inserted into Angela but the following month showed no abatement of the problem. Various other treatments including oral contraceptive pills and Depo Provera were also tried but were found to be unsatisfactory.

2007年11月に出血は安定したと思えたが、Angelaは貧血になっており、正常と言ってもいい範囲に戻すためには鉄剤の治療を必要とした。全身麻酔での医療行為が、レット症候群のためにAngelaには何をするのも困難なため、行われた。これは、ImplanonがAngelaの内部に挿入される治療であり、その後の一ヵ月間に問題の軽減は見られなかった。その他、経口避妊薬とDepo Proveraも試みられたが、効果は不十分だった。

ほとんど意味不明の、ものすごく、奇妙な文章です。
This is Implanon……という前後などは、ほとんど小学生の作文並みに聞こえる。
でも、実は、これこそが仕掛けなのです。

まさか判事が書いた判決文に恣意的な誘導が仕掛けられているとは思いませんから、
この判決文を読む人はそれほど論理的に厳密な注意を集中して読むわけではありません。
恐らく無意識に単語やフレーズの流れから、先を予測しつつ読んでいきます。

例えば、ここでは
「貧血になった」→「鉄剤で治療が必要だった」→「全身麻酔の治療が必要だった」
と、流れが繋がっていきます。

すると「全身麻酔が必要だったのは貧血の治療だった」というふうに
たいていの人は頭の中で「貧血」と「全身麻酔の治療」とを繋げてしまう。

いわば、文章のサブリミナルですね。

しかも、検査数値が「正常範囲でなかった」だけのことなのに
“ノーマル”が引用符で強調されることによって、
“ノーマルでないほどひどい貧血”というイメージが想起されて
この子の貧血はただ事ではないぞ」とあらかじめ意識下にインプットされているので、

論理的に考えれば貧血で全身麻酔の治療なんかありえないのだけど、
ほとんど自動的に「貧血は鉄剤で一旦治ったけど、それだけじゃ済まなくて、
全身麻酔で治療するような、とんでもなく異常な貧血がその後も起ったのだ」と
読者の方で勝手に解釈してしまう。勝手に解釈してくれる。

だからこそ、読者のその勝手な誤解を生じさせるべく、
「貧血」について書かれた個所に、すぐ続くのは
「全身麻酔」と「医療処置」という言葉でなければならないし

いかに小学生並みの下手くそで論理展開のおかしい文章になったとしても、
それが何の治療だったかという真実は、後ろにもっていき、見えにくくされなければならない。

なぜなら Implanon は貧血の治療ではなく、「埋め込み型避妊薬」だから、です。

そこの肝心の説明をわざと省いて、
一カ月しても「問題の改善が見られなかった」といえば、
素直に読む人は「ああ、全身麻酔までして治療したのに貧血は治らなかったのだ」と読み
「問題」とは「貧血」なんだと、これまた勝手に思いこんでしまう。思いこんでくれる。

でも、避妊薬で貧血を治療することはあり得ないし、
もともと貧血は収まっていますから、貧血は「問題」ではありえないのです。

ならば、ここで「改善が見られなかった問題」とは本当は何なのか。

その後に続く、経口避妊薬もDepo Proveraも
貧血の治療薬ではありません。

「全身麻酔までしたImplanonで解消しなかった問題」の真相とは
「貧血」でも「けいれん」でもなく「生理があるという事実」それ自体

「全身麻酔で治療をしたけど一カ月しても軽癒しなかった」
「他の避妊薬を使っても満足な効果が得られなかった」とは、
ただ単に「生理を止めることができなかった」ということです。

でも、これは、とてもおかしい。

大量出血は初潮から間もなく落ち着きました。
貧血も一回だけで、治療は終わりました。

それなら、生理に起因する健康上の「問題」は解決されていて、もう「ない」。
つまり、生理を止めなければならない健康上の必要などないにもかかわらず
「生理をなくす」そのこと自体を目的に避妊薬が次々に投与されたのです。

じゃぁ、全身麻酔は何のためだったかというと、
おなかに埋め込み型の避妊薬を挿入するだけなんだから
普通だったら婦人科でちょちょっとできることなのだけど、
知的障害と不随意運動のあるAngelaの場合
「レット症候群のために、この子には何をするにも困難なので」全身麻酔でやりました、と。

経口薬だってあるし、注射もあるのに、それらを後回しにして、
最初に試みられたのが埋め込み型で、そのためだけに、
大きなリスクを伴う全身麻酔をやったという事実が
この親と医師の感覚について、何か重要なことを物語っていると私は思う。

しかも、その際には感染症を起こして術後1ヵ月間、大変なことになった。

そんな娘に、それでも、まだ、大した理由も必要もなく、とにかく生理を止めるために、
子宮摘出の開腹手術をやりたい、と言うのが
admirable で loving な Angelaの親であるわけです。

それらの事実を見えにくくしておいて
「多量出血による貧血」という「問題」を解決する「治療」として
いろいろやってみたけど子宮摘出が残された「唯一の治療」となったのだと、
事実と違う「読み違え」「勘違い」を読者にしてもらうための工夫が
細心の注意とずる賢さで周到に仕込まれているのが、
一見「むちゃくちゃ下手くそな悪文」としかみえない、この一節の真実。


また、もう1つ、ここに巧妙に仕組まれた仕掛けとして指摘しておきたいのは、
これ以前には「Angelaの生理は9歳の時に始まった」と年齢で書かれていたのですが
ここでは「2007年11月に出血が安定した」と時期で書かれていること。

Angelaは2010年の現在「もうすぐ12歳」なのですから
2007年の11月には9歳だったことになります。

9歳で始まって、どばどば漏れて不衛生だし、けいれんを誘発するのではないかと
母親をハラハラさせ、あれこれ検査しても原因不明だった「多量の出血」は
なんと9歳のうちに「安定した」のです。

それでは「多量の出血」が「生理を止めなければならない理由」にはなりにくいから、
その事実に気付かれないように、敢えて始まりは年齢で書き、出血量が安定したのは時期で書く――。

ちょっと考えてみてほしい。

これほど細心の注意を払って
まるで活字サブリミナルのような巧妙な仕掛けをあちこちにはりめぐらせて
事実から読者の目をそらせるための判決文を書く判事って……?


           ――――――――


実は、06年のGunther&Diekema論文にも、これと全く同じ
誰が読んでも「下手くそで論理的にも、ワケがわからない」センテンスがありました。

そして、そこにはもちろん、マヤカシがいっぱい仕込まれていました。
通り一遍ではない興味でこの事件を眺めておられる方、よかったら、比較してみてください。

詳細はこちらのエントリーに。
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/9530359.html
2010.03.17 / Top↑