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英国で影響力の大きな医療施策関連のチャリティKing’s Fundから
1月27日、終末期ケアの改善に関する報告書
Delivering better care at end of life: The next stepsが刊行されました。

報告書は10の提言をしているとのこと。

以下のMedical News Todayの記事によると、例えば

・終末期には「9時から5時」ではなく「1週間7日、1日24時間」のケアを保障すること。すべての患者が、支援を求めてから1時間以内にニーズに応えられる人へのアクセスを得られること。

・専門職に向けて、死について患者や介護者と話をするための研修を行い、専門職が自信を持って患者支援に当たれるよう、特にコミュニケーションの改善に向けた努力を行うこと。

・ケアの質とアウトカムについて監督すること。行政は、ただ安価なサービスを求めるのではなく、地元のサービス提供者と協働して質が高く革新的で柔軟な終末期ケアの在り方にフォーカスすること。

・エビデンスに基づいたケアを確立すること。自信を持って改革を行うには、コスト効率の全国規模のエビデンスと、新たなケア・モデルの評価が必要。

これだけを読むと、
コストカットの方向にずいぶんと傾斜した報告書のようにも読めるのですが、

報告書として主張しているところは、
「個々の患者や家族のニーズに応えつつ、
なおかつコスト効率のよいケアを構築せよ」ということのようで、

ここがミソだと思うのだけど、そのためには、
「今はコストカットすべき時ではない。
むしろ質を高め、コストを削減するために
賢明な投資をするべき時である」と。



出版された報告書(10ポンド)の購入ページはこちら


ちなみに英国保健省は2008年7月16日に
「終末期ケア戦略」を出していて、そのページはこちら

そのexecutive summary はこちら

上記サマリーをざっと読んでみたので、
目に付いた事実関係を一応記録しておくと、

英国政府は終末期ケア戦略のために予算を増額しており、
2009/2010 年の総額は8800万ポンド。
2010/2011 年の総額は1億9800万ポンド。

現在、年間の英国内の死者は約50万人で、
そのうちの3分の2が75歳以上の高齢者。

58%がNHSの病院での死で、
18%が自宅での死。
17%がケアホーム、
4%がホスピス。
その他が3%。
2010.02.01 / Top↑
なんでメディアはいつも、こんなふうにミスリーディングなタイトルを打つのか
私は腹立たしくてならないのですが、

記事タイトルは「世論調査『慈悲殺を支持』」。

でも、ですね。ちゃんと読んでみると、
BBCのドキュメンタリー番組でGilderdale事件を特集し、
その中で約1000人に調査を行ったところ、
ターミナルな状態の人の自殺幇助が友人・親族には認められるべきだと
いう意見の人が73%だったのだけれども、

Gilderdaleさんの娘Lynnさんのように
ターミナルではない病気の人への自殺幇助についても
友人・親族に認められるべきだと答えた人は48%。



もちろん48%はショッキングな高率です。
しかし、48%で、どうして「世論は支持」とタイトルを打てるのか。

また、調査では自殺幇助について聞いておいて、
どうして「慈悲殺を支持」とタイトルを打てるのか。

それに、いちいち確認するエネルギーも時間もないけど、
こういう「調査」で実際の質問を調べてみたら、
ものすごく大雑把で誘導的なものが多いのも事実。

ちなみにPAは、同じBBCの調査を取り上げた記事に
「自殺幇助に世論二分」と正確なタイトルを打っています。


【2月1日追記】
Daily Telegraph紙も世論調査を行っていて、こちらは
「5人に4人が近親者の自殺幇助は訴追するな、と」だそうです。


               ----

英国での報道を追いかけていると、
メディアが合法化に向けて世論誘導を行っているとしか思えなくて、
本当にハラハラ、イライラしてしまうのですが、

これと同じことは去年の脳死・臓器移植法改正議論の際に
日本でも行われていました。

今回の小沢氏の問題でも、妙な情報操作がやたらと目につきます。
(なんで小沢氏の後援会だけが「資金管理団体」なのか私はずっとわからなくて……)

だいたい、
「科学とテクノ」や「弱者切り捨て医療推進」にとって都合が悪い海外ニュースが
日本ではとんと報道されないこと自体、てんで、おかしい。

Ashley事件に見られるように、英米のニュース・メディアはもはや
権力の番犬として機能することができないで、しっぽを丸め、口を閉ざしている。
地方行政や障害者の人権擁護団体までが、本来の機能を放棄して
権力の側に取り込まれ、平然と「パートナー」をやっている。

第2のシリコンバレーと言われる米国Washington州シアトルで起こっていることは
世界中で起こっていることに当然つながっているのだから、
日本でも同じような事態が進行していないわけがない。
ただ、日本では私たちに見えにくくされているだけで。

メディア・リテラシーという言葉をどこかで見ましたが、
ニュースの行間や背景をちゃんと読み説くための読解力というものが
必要になってきている時代のような気がします。

そして、「ないニュース」は
「そのニュースがないこと」そのものが見えにくくなるのだからこそ、
「なぜ、そのニュースはないのか」ということの意味を
日本にいる我々は、もっと考えなければならないのでは……? と思う。




2010.02.01 / Top↑
Guardian の日曜版 Observer誌が
これまで自殺幇助合法化に関して積極的に発言してきた以下の5人を
ラウンドテーブルに招いて討論を行っています。

Baroness Mary Warnock(哲学者)
Baroness Ilora Finlay(緩和ケア専門の教授)
Evan Harris(自由民主党議員)
David Morris(障害者自立運動アドボケイト Independent Living Alternative会長)
Debbie Purdy(死の自己決定権を主張し法改正を求めるMS患者)

(Warnock, Finlay, Purdyの3人については、こちらに関連エントリーのリスト)

司会は Observer誌の政治部編集長 Anushka Asthana

非常に読みごたえがあるし、
英国の自殺幇助合法化議論の論点がだいたい尽くされている観もあるので
この問題に興味をお持ちの方には、お勧めの議論かも。

A matter of life, death and assisted dying
The Guardian, January 31, 2010


個人的には、一番強く印象に残ったのは
同じ障害当事者でも、Purdyさんがものを言う時に、例によって
自分自身のこと、自分と同じように考える障害者のことしか念頭においてないのに対して、
David Morrisさんが、合法化されることの影響を、もっと広く捉えていること。
そして、その影響のリスクを非常に具体的に指摘したこと。

David Morris: I really share very much of what Debbie feels around choice and control as a disabled person. But [when it comes to legislating] what I don't want to see is this being placed in a context where some of our lives are of less value, in the eyes of the law and in the eyes of society, than others. And there's a whole depth of debate which we need to have, which is both ethical, but is also very practical.
Before we legislate for death we should be ensuring that we all, as disabled people, have access to these supports to be able to live effectively. Say last year, for various reasons, I was feeling suicidal but it was nothing to do with my impairment. I could have gone to Dignitas and nobody would have said anything about me being assisted to die, because I'm judged as somebody with an impairment which can be confused with somebody who is terminally ill. And we really need to establish that point.

障害のある人の選択とコントロールについてはDebbieさんと同じ気持ちだけど、合法化されて、法律においても社会においても、我々障害者の命が他の人よりも価値のないものとみなされるようになるのは困る。そういうのは倫理の問題というだけでなくて現実問題なんだから、そういうところまで、ちゃんと議論する必要がある。

死を合法化する前に、障害者みんながちゃんと生きるための支援を受けられるように保障するべきだ。例えば私は去年、いろんな理由で自殺してしまい気分になったことがありました。それは自分の障害とは関係のない気持ちだったのですが、でも私がその時にDignitasへ行っていたとしたら、そこで幇助を受けて死んでも誰も反対しなかったわけですよね。私には障害があるから、ターミナルな人と同じように思われてね。そこのところをはっきりさせておかなければいけない。

それから、
駄々っ子みたいな論理で攻撃的にたたみかけるPurdyさんに対して Finlayさんが
私が言っているのは個々人のことではありません。
社会に変化が起こるんじゃないかと言っているのです」。

そして、以下のようにも。

Debbie, I'm not. I would never claim that palliative care has a magic wand and can make things magically better; it can't. People are suffering. Suffering seems to be part of the human existence, but what I'm saying is if we take away the duty of care within our society and if we take away the protection of the law from those who are vulnerable, we have to look at what the unintended consequences of that are.

緩和ケアが万能だなんて言っていません。万能じゃない。みんな苦しんでいます。苦しむことは人の存在の一部のようにすら思えますが、私が言っているのは、そういう人をケアする義務を社会から外し、自分で身を守ることのできにくい弱者から法による保護を奪って、そんなことをしたら、どんな思いがけない結果が起きるか、考えなければならないということなのです。


その他に個人的に印象に残ったのは、

・DPPのガイドラインは解釈次第というところがあり、解釈が訴追よりも優先されかねない。現在でも、既に有罪とされても罰されないことがトレンドになりつつある。(Finlay)

・障害者とターミナルな人を混同してはならない。自殺幇助合法化はあくまでもターミナルな人が対象。障害とは関係ない。その意味で、この数週間にあった2つの裁判は、厳密には当てはまらない。でも、Gilderdale事件では陪審員が殺人未遂では無罪と判断したわけで、この、陪審員が決めたということには意味があると思う。陪審員は民意だから。(Warnock)

(障害者は対象じゃないと言いながら、
でも結局、ターミナルではない障害者でも、それが民意であればいいと言っている)

・医学的にターミナルだという診断はつくのだから、明確にそういう人に絞ったうえで合法化するべきだ、というHarrisさんに対して、Finlayさんは「ターミナルはそう単純に診断できるもんじゃない。それに医師の説明のし方一つで患者は希望を持つ方向にも、苦しむことを恐れて早まった自殺を選ぶ方向にも誘導されてしまうが、自分は緩和ケアをやってきて、一時は死にたいと望んだ患者が生きていてよかったと感じるようになるケースを沢山見てきた。合法化されると、そういう医療サイドの丁寧な努力に代わって、医療上の判断の中にDavidが懸念しているような道徳的な判断が忍び込むようになる。そうでなくても医療費削減の必要が言われているのだから誘導が起こるに決まっているが、丁寧な緩和ケアにはお金がかかるのだ(そちらをきちんと議論すべきだ?)」と。

・Morrisさんが「この動きは過去の優生思想が出てきたころの時代背景と同じだ」と指摘したのに対して、Harrisさんが「優生は国がやったこと。これは個人の決定権の問題だから話が別」と。これはAshley療法について、Joni Tada と Norman Fost の間で交わされた(Larry King Live 2007年1月12日)のとまったく同じ議論。

・「人は様々な理由で自殺するんです。死にたいと思う気持ちの中には、家族に迷惑をかけたくないという愛他的な理由も部分的に含まれているかもしれない。でも、それは尊敬すべき動機だと私は思う」と、いかにもWarnock。(なにしろ、認知症患者には「死ぬ義務」があると言ってのける人だから。)

・Warnock が「今だって病院死では医師が自分の道徳によって、または人手不足から、患者は医療職の都合で死なされているじゃないか」と指摘して、Harrisが「それは消極的安楽死だからともかくとして、治る見込みがなければ無益だとして死なせているのは現実だ」と言い、Finlayを「それは老年医に対する重大な告発だから、そんなことを言うなら実証しろ」と怒らせた。

(事実はあると思う。でも「どうせ今でも医師が死なせているのだから、死にたいという患者も死なせたっていい」という理屈はないだろう……と前から思う。事実があるからといって、それが正しいのでなければ、その事実の方を変えるための議論をしなければならないと思うのだけど。しかし、こういう「どうせ」論理は、またSingerやFostがよく使っている手でもあるから要注意。「どうせ今でもダウン症児は中絶されているのだから、生まれてきた子に障害があったら治療せずに死なせてもいいということだ」とか「どうせ中絶の決断は親なんだから、生まれた後も障害児については親の決定権でいい」とか。)
2010.01.31 / Top↑
Michelle Crighton判事は
2月19日までIsaiah君の生命維持治療の続行を認めました。

その間に両親はIsaiah君を他の医師にみせて、
彼の今後についてセカンドオピニオンを聞く。

また弁護士らは事件の背景を調査することに。



なかなかニュースに行きあたらないので、
どうなったのか気になっていました。

よかった。



2010.01.30 / Top↑
去年、米国Kansas州Whichitaで妊娠後期の中絶をやっていたTiller医師を銃で撃って殺したScott Roederが、裁判で子どもたちを守るためにやるべきことだと思ってやった、中絶を中止するために周到に準備してやった、と動機の正当性を主張。:殺人が裁かれるのではなく、中絶が裁かれる裁判に? でも、この捻じれ方、なんだか英国のGilderdale事件に対する「よくぞ殺した」みたいな受け止め方にも重なってしまうんだよね。今の私には。
http://www.nytimes.com/2010/01/29/us/29roeder.html?th&emc=th

インドの新聞のInglis事件報道記事。
http://beta.thehindu.com/opinion/op-ed/article96478.ece

自閉症ワクチン犯人説を流した医師は子どもに説明を怠って非倫理的な方法で研究を行った serious professional misconductについて医療コミッションが有罪と判断、どうやら医師資格をはく奪される可能性も。:この記事だけ読むと、ワクチン犯人説を流したことの罰を、別の罪で償わされているんじゃないのかな、という感じがしないでもない裁き方なんだけど……。
http://timesonline-emails.co.uk/go.asp?/bTNL001/mHDQGI2F/qZM8PI2F/uM9ZZ6/xO9WSJ2F

「ライ麦畑」のサリンジャー氏、死去。享年91歳。:何回か読んだなぁ。高校生の時、あの小説でphonyという言葉を覚えた。
http://timesonline-emails.co.uk/go.asp?/bTNL001/mHDQGI2F/qIW8GI2F/uM9ZZ6/xO9WSJ2F

英国第2のビッグ・ファーマ、アストラゼネカ社が世界中の支社で8000人のリストラ。中国にアウトソーシングする方針に切り替えるため。英国内では1500人。
http://business.timesonline.co.uk/tol/business/industry_sectors/health/article7007193.ece?&EMC-Bltn=HDQGI2F
2010.01.29 / Top↑