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ついに、Diekema医師ではラチが開かなくなったと判断したのでしょうか。

この度のAJOBのDiekema&Fost論文に「こんなの成長抑制じゃない、不妊手術だ」と
批判のコメンタリーを書いたJohn Lantos医師とのディベイトに
Diekema医師ではなく、師匠のFost医師の方が出てきました。

(John Lantos医師は元シカゴ大学の小児科医・生命倫理学者。
現在はUniversity of Missouri Kansas City School of Medicine所属)

といっても、 the Center of Practical Bioethics という機関の企画で
それぞれにインタビューした音声をつなぎ合わせたもののようですが、これは必聴です。

Lantos医師は、こうしたケースを倫理委で検討することについて、
以下の3つの問題点を指摘し、

・透明性がない
・然るべきプロセスがない
・説明責任がない

倫理委で何があったか誰にも分からない」と。

裁判所の検討が絶対に必要

この療法で利益を得る子どもがいるというのはありうるかもしれないが、
その子どもを密室で選別するなんて、そんなことはあり得ない」とも。



これを言ってくれる人を、3年間ずっと待っていました。

よくぞ…… ついに……。やっと……。

思わず、目を閉じ、
モニターから聞こえてくるLantos医師の声に向かって、
しっかり手を合わせてしまいました。


          -------

インタビューの冒頭、インタビュアーが
「Diekema医師とFost医師はAshleyのケースに関わりました」と解説しているのですが、
2007年の論争当時、Fost医師の立場はそういうところでしたっけ?

彼は、中立の立場の生命倫理学者として
CNNのLarry King Live や Scientific American のメール討論に出て
いかにも中立の専門家然とした口調で擁護していたのではなかったでしょうか?

当ブログでは、
Fost医師こそ、Ashley父と一緒になってウラで筋書きを描いている張本人と見てきましたが、
やはり、図星だったようです。
2010.01.29 / Top↑
Should our loved ones be able to help us end our lives?
私たちの自殺に愛する人が手を貸してくれるのは許されるべきでしょうか。

――こんな、あきれるほど不注意で大雑把な問いを立てているのはGuardian。

Guardian Daily: Assisted suicide and the law
The Guardian, January 29, 2010


Guardianがここで「我々の専門家パネル」と呼んでいるのは
最初の部分だけ聞いてみたところでは(イギリス英語は聞いても全然分からないので)
どうも、これまでの映像資料から音声を抜いて集めただけで、
実際にこの人たちを集めて議論させたものではないようなのですが、

そのポドキャストのページのサブタイトルにあげられた「専門家パネル」のテーマが、
上記の、改めて考えると実に恐ろしい問いなのです。

「手を貸す」って……最初にDebby Purdyさんが言い始めた時は
まだしも「付き添ってDignitasへ連れて行ってくれる」ことを意味していたはずなのですが、
今では「致死量のモルヒネやヘロインで殺す」ことと、みんなガッサリと一まとめ。

(31日追記:実際に討論が行われていました。詳細はこちらに)

この問いに象徴される、ある重大な事実を、
今の英国で冷静に分かっている人が少なくないことを私は心から祈りたいのですが、

英国で現在進行している「自殺幇助合法化」議論は
これまで、まだどこの国も合法化していない種類の「自殺幇助」です。

今の段階でオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、
米国のオレゴン、ワシントン、モンタナの3州で合法化されているのは
一定の要件を満たした人が所定の手続きを経た場合の、医師による自殺幇助です。

ここのところの英国での、かまびすしい議論では、
医師の自殺幇助は、むしろ単なる手段の提供に過ぎず、その中心はむしろ、
この問いに象徴されているように「愛する人」つまり近親者による自殺幇助

私は去年9月のDPPのガイドライン暫定案が出た時から
その飛躍の重大性があまり言われないことがずっと気になっているのですが、
(自殺幇助の”方法”についても、たいそう無頓着なガイドラインだったし)

このまま英国が、
私にはまるで集団ヒステリーとしか思えないような今の“世論”に流されて
(個人的にはGilderdale事件の陪審員はこの空気に流されたんじゃないかと……)
近親者の自殺幇助をなし崩しに事実上合法化してしまうとしたら、

世界で初めて、近親者による「合法的自殺幇助」へと
道が開かれることを意味するんじゃないかと思うのだけど……。


ちなみに、この「専門家パネル」に発言を引っ張ってこられているのは
Debby Purdy, Baroness Finlay, Evan Harris MP, Baroness Warnock の4人。

Evan Harris という議員さんはFinley議員と同じく反対派らしいのですが
当ブログは把握していません。

残り3人について、それぞれの関連エントリーを以下に。

Debby Purdy (夫の付き添いでDignitasに行って自殺したいMS患者)


Baroness Finlay (Baroness は女性議員の称号と思われます)
(良い死に方に関する超党派の議員グループの会長)


Baroness Warnock(議員であり、著名な哲学者でも)

2010.01.29 / Top↑
Gilderdale事件の実質無罪放免について報道が続いています。

インターネットに流れてくる情報を拾っていると、英国社会は
「美しい母の慈悲殺愛!」「自殺幇助合法化を!」という声で沸き返り、
まるで「よくぞ殺した!」とKay Gilderdaleを称賛するかのようです。

そんな中で、ME患者のAnn Farmerさんという方の目立たない投稿に
私は却って目を引かれました。

8年間 ME(慢性疲労症候群)を患ってきた者として、故Lynn Gilderdaleさんが自殺したいと感じていたのは分かります。あれほどの重症だったことを思えば、なおさらです。MEという病気は理解されていません。研究も患者団体が資金を出しているものしか行われていません。MEでは体力が低下し、疲労感に襲われます。それでも患者は支援を求めて闘うことを余儀なくされているのです。この国だけでも何千人もの患者がいるというのに、そんな病気があることそのものを疑う人もいます。

障害のある人を身内が殺して刑罰を受けなかったという、この事件は、我々の社会のダブル・スタンダードの、さらなる1例です。つまり、患者自身の苦痛よりも、病人のケアをしている人のほうに同情が集まる。

もしも身障のない人が死にたいと言って、身内がその人を殺したという犯罪だったとしたら、それは間違いなく殺人となったはずです。自分で身を守るすべを持たない弱者をケアしている人たちに向かって、この事件は誤ったメッセージを送ります。「介護者が助けてほしいといっても、その願いは無視されますよ、でもね、もしも、どうにもできなくなって自殺を手伝うのだったら、同情をもって迎えてあげますよ」とね。



この人が指摘しているのは、実際には3つのダブル・スタンダードだと思う。

①患者の苦しみには理解がないのに、
殺す介護者の苦しみにだけは理解を示すダブル・スタンダード。

②同じように自殺希望があったとしても、
障害のない人を殺したら「許すべからざる殺人」で、
障害がある人を殺すのは「美しい愛の行為」というダブル・スタンダード。

③介護している間の介護者の苦難には温かい手を差し伸べることをしないのに
思い余って殺してしまったとたんに温かく同情を寄せるダブル・スタンダード。


私も障害児・者と介護者を巡る社会のダブル・スタンダードには
ずっと疑問を感じ続けています。

一昨年、福岡で発達障害のある子どもをお母さんが殺した事件の時に
やはり「ダブル・スタンダード」という言葉を使ってエントリーにしたことがありました。





          ―――――――

上記リンクで書いたように、
障害児・者や介護の問題を語る時に美意識を持ち込むのはやめてほしい……と
私はずううううううっと思ってきたのですが、

Ashley事件からこちら、英語圏の動きを追いかけていると、
「愛と献身」がやたらと大安売りされて、

そういう、本来は見当違いなはずの美意識を煙幕に、
再び家庭・家族に介護が押し籠められていっているような気がする。

ただし、今度は、
そのために、ホルモンで背を縮めたり、チップを埋め込んだり
介護される人の体を都合よく変えるのも勝手だし、
ありとあらゆるセンサーを使って、バイタルから
冷蔵庫のドアの開閉に至る行動の逐一まで、遠くにいる家族が把握するのも自由だし、
モニターを使って、離れた所でもヴァーチャルで食事を共にすることもできる。

あ、もちろん、ロボット介護も、いずれはお好みのままで、
ご本人様を“ロボット自動介護ベッド”に寝かせてもらったら、
後は放っておいてもらって全然OK。

定時の体位交換も、排せつも、胃ろう管理も、投薬も、
設定さえしてもらえれば、リハビリだって、ちゃんとやっちゃう優れもので、
誰もがハッピーな"快適老老介護”を実現します

――そんな、“科学とテクノ”でバージョン・アップされた“家族介護”。

なんてったって家族は「愛と献身」の代名詞だし。やっぱ「家族愛」っしょ。
「愛憎」とか「近親憎悪」なんて言葉は、この際、無視しておいてね。
それが「本人の最善の利益」なんだから。

本当は、お金のある人しか、この“新バージョン・家族介護”には手が届かないのだけど、
それも、まぁ、あまり大きな声では言わないように。

あ、もちろん、「尊厳を無視した介護はイヤだ」と時代遅れなことを言われる
頑固で意固地な偏屈はいつの時代にもおられますから、そういう方は
どうぞ、勝手に、ご家族が徒手空拳でご奮闘ください。ただし、
選んだのはアンタたち家族なんだから公的支援はありませんよ。

で、 “科学とテクノ”を駆使できるほどお金がなかったり、
そういうのを駆使しても家族だけでは介護できない状況だったり、
まぁ、その他もろもろの事情で「もう、イヤだ」ということなら、

そうね――。
ご本人様に「死の自己決定権」を行使していただくか、

もしくは、これも、あまり大きな声では言えませんが、
適当なところで殺していただけば、一応、無罪放免ということで……。

だって、心に「愛と献身」と「慈悲」をもってやる「美しい行為」なんですもの――。


私たちが向かっていこうとしているのは
結局は、そういう世の中なの――?
2010.01.29 / Top↑
Google vs 中国のインターネット検閲問題でビル・ゲイツ氏がGoogleを批判。「その国で商売したいなら、その国の法律に従うのが筋」。ちゃんと読んでいませんが。
http://www.guardian.co.uk/technology/2010/jan/25/bill-gates-web-censorship-china

大統領補佐官のEmanuel氏が憤った際に“fucking retard ”と口走り、一昨年の映画Tropical Thunderの知的障害者差別問題からの R用語撲滅運動の先頭に立つスペシャル・オリンピックのチェアマンから「一緒に撲滅運動をやりましょう」と誘われたそうな。:この映画、レンタルショップに行くたびに迷っては、まだ手に取れない。
http://www.patriciaebauer.com/2010/01/27/shriver-to-emanuel-27340/

MMRワクチンと自閉症の関連性をLancetに報告して、ワクチン恐怖を招いたWakefield医師の裁判。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8483865.stm

医師がさっさと終末期医療の話題を持ち出して患者と話し合えば、医療費はもっと削減できるのに、というLA Timesの記事。
http://www.latimes.com/features/health/la-he-closer25-2010jan25,0,5766082.story

放射線治療のリスクは過小に言われている。患者保護のために手を打つ必要がある、とNYTの社説。
http://www.nytimes.com/2010/01/27/opinion/27wed3.html?th&emc=th

サプリメント文化の行き過ぎ。:私の知っている米国人は、「お昼ごはん、食べた?」と聞くと、いろんな種類のサプリがあれこれ詰め合わせてあるB5判くらいのサイズのピル・ボックスをバッグから取り出して見せる。毎日、お昼ごはんはサプリだけなんだそうな。確かに、私よりはるかにエネルギッシュでナイス・ボディだけど。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/01/26/AR2010012603040.html

オメガ3が心臓病防止に効果があるとなると、ありとあらゆるものに添加される。:なんで、こう何でも過剰なんだろう。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/01/26/AR2010012603048.html

ボツリヌス菌による緊張緩和治療が脳性まひに有効、ただし副作用リスクも、と、米国神経学会。:この治療、何年も前にやっていた医師も、同意したうえで受けていた患者も知っている。医師は自分が経過観察したい時だけやってきて様子を聞いていくけど、患者の方から痛みや不安を訴えた時にはまともに対応してくれない、結局、論文を書きたいためのモルモットに過ぎないんだ……と、その患者が言っていた。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/177057.php

英国でまったくお金を使わずに生活しているMark Boyleさんが話題になっている。下の方はビデオ。:私には英国英語はさっぱり、ちんぷんかんぷんで。
http://www.guardian.co.uk/environment/green-living-blog/2009/oct/28/live-without-money
http://www.guardian.co.uk/environment/video/2010/jan/25/mark-boyle-no-money-man

もうずいぶん前から進行中の、フランスのイスラム女性のベール論争。公共サービスを受ける際には部分的禁止の方向?
http://www.guardian.co.uk/world/2010/jan/25/france-report-veil-burka-ban
2010.01.28 / Top↑
Illionois大学法学部のジャーナルの1月号
Mary Kollという人が“Ashley療法”に関する研究ノートを書いており、
上記リンクから全文が読めます。

タイトルは 
Growth Interrupted: Nontherapeutic Growth Attenuation, Parental Medical Decision Making, and the Profoundly Developmentally Disabled Child's Right to Bodily Integrity

(追記:Mary Koll氏は、「J.D.候補者」と書かれています。
法学の博士論文提出資格認定者のことではないか、と教えていただきました。
全体に、ちょっと論理よりも結論への気持ちが上回っているかなぁ……と感じてはいたのですが、
なるほど大学院生さんだったのですね)

おおむねQuellette論文と同じような論理で、
「重症障害児への非治療医療介入には裁判所の判断が必要。
裁判所も、めったなことでは認めるべきではない」と
Quellette論文よりも、厳しい結論に至っています。

世界中の重症児の親の間から「うちの子にも」という声が上がっていること、
担当医らが「裁判所の介入は不要」と主張したり
対象要件を広げようとしていることなどを憂慮している点は
Quellette論文が書かれた2008年以降の事件の展開を反映していると思われます。

合衆国憲法修正第14条や、いくつかの判例を根拠に
身体の統合性を侵されないことは法で保障された権利であると述べ、

一部哲学者からの反論はあるにせよ、
だいたいにおいて米国の法はこの権利を重症発達障害者にも認めている、と分析。
(根拠がイマイチ十分に提示されていない感じもなきにしもあらず)

子どもの医療決定を巡る親の決定権について分析した後で、
その例外については以下の3点が要件になっている、とまとめます。

①非治療的な医療介入である
②親と子どもとの利益の衝突がありうる
③子どもの基本的人権を大きく侵害する恐れがある

成長抑制療法はこれらのすべてを満たすので、
裁判所が介入し「最善の利益」原則で検討するべきである、と主張。

著者がここで「最善の利益」原則を支持する理由は

①親の決定権が「親は子どもの最善の利益によって行動する」という前提によるもので、
 その決定権に代わって裁判所が介入するなら、同じ原則で。

②子どもの臓器提供と不妊手術での判断で「最善の利益」が通常用いられている。



Quellette論文とKollノートに共通の事実誤認として、
シアトルこども病院がWPASと合意した内容を守っていると思い込んでいる点が挙げられます。

07年5月に合意はしましたが、病院はその合意を守っておらず、
未だに成長抑制についてはセーフガードの方針を作っていません

子宮摘出のセーフガードはできていますが、
成長抑制のセーフガードは病院幹部が起草したものの、最終的にサインされないままになっています。

(昨日、この記事を書くために上記リンクを読み返して気づいたのですが
病院幹部がセーフガード案を起草したのは08年4月。

一方、例の成長抑制WGが第一回の会合を持ったとされるのも08年4月です。
ハワイの小児科学会でDiekema、Fost両医師がパネルを行ったのは08年5月。
学会パネルは、かなり前に申し込まれていたもののはず。

ほぉ……なんとも興味深い話です……)



イリノイ州と言えば、08年に K.E.J.ケースがありました。




【その他、障害者の医療における代理決定原則に関するエントリー】


2010.01.28 / Top↑