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Ashley父のブログ更新部分を読んで、
2008年の小児科学会の成長抑制パネルというのがとても気になったので、
ちょっと探してみたところ、

2008年5月3―6日にHawaiiの Honoluluで開かれた米国小児科学会のプログラムのうち、
5月4日分の資料がこちらにありました。

この中から、Ashley父がブログに書いている「パネル」を探すと、
午前のプログラム4195がそれに当たります。

タイトルは、Pillow Baby:重症障害児における成長と思春期抑制

(成長だけでなく、いつのまにやら”思春期も抑制”することになっていたんですね。
 おそらくは美化に対する批判を避けるためでしょう、Pillow Angel も Pillow Baby に置き換え)

その部分を以下に。

May 4, 2008
9:00am–11:00am
4195 The Pillow Baby: Growth and Puberty Attenuation in Children with Profound Developmental
Disability
PAS/LWPES Topic Symposium ~ HCC, Room 316AB

Target Audience: General pediatricians, pediatric endocrinologists, developmental pediatricians and ethicists.

Objectives:
– Understand the ethical, social, and developmental implications of growth and pubertal attenuation therapy in the severely
disabled child
– Integrate potential medical and surgical approaches to growth and pubertal attenuation therapy in the severely disabled child

Chairs: David Allen, University of Wisconsin Children's Hospital, Madison, WI; and Douglas Diekema, Children's Hospitaland Medical Center, Seattle, WA

Growth and puberty attenuation in children with profound developmental disability has recently received national and international media attention since the publication of the Seattle case known as the “Pillow Baby.” Many pediatricians and endocrinologists are now being approached by families of similarly affected children who wish for similar medical/surgical treatments raising various medical, social, and ethical questions.

9:00 Overview
David B. Allen, University of Wisconsin, Madison, WI

9:05 Endocrinological Aspects of Growth Attenuation
Michael S. Kappy, The Children's Hospital, Denver, CO

9:30 Social Concerns About Growth Attenuation
Robert A. Jacobs, Childrens Hospital Los Angeles, Los Angeles, CA

9:55 A Developmental Perspective
Douglas Vanderbilt, Childrens Hospital Los Angeles, Los Angeles, CA

10:20 Ethical Aspects of Growth Attenuation
Norman Fost, University of Wisconsin, Madison, WI

10:45 Discussion
Program developed by the Lawson Wilkins Pediatric Endocrine Society and the Pediatric Academic Societies

思わず笑ってしまうほどのオールキャストで、
司会は、Wisconsin大学のDavid B. Allen医師と、おなじみDiekema医師。

スピーカーの最後は、これまたお馴染み Norman Fost医師で、

ここに、2番目の発言者 Denver子ども病院の Michael S. Kappy医師を加えると、
去年Pediatrics誌に発表された論文Growth Attenuation Theraphy: Principles for Practice
著者4人が勢ぞろいしています。

というか、このパネルの目的や概要からしても、
去年6月の論文が、むしろ、この学会でのパネルをもとに、
パネルで反論した人を排除して書かれたものなのでしょう。

なおAllen医師は
シアトルこども病院が組織した成長抑制ワーキング・グループのメンバーで
所属はFost医師と同じWisconsin大学、専門もFostと同じホルモン療法。
すなわち、このパネルの司会の2人は共にFost医師のお弟子さんというわけです。

なにやら、Fostが成長抑制一般化を意気込んで、
弟子を引き連れ小児科学会に乗り込んだ……という趣きもありますが、

この人たち、成長抑制を一般化しようと、
4月にはワーキング・グループの会合に出るわ、
5月にはハワイくんだりまで出かけてパネルをやるわ、と
駆けずり回っていたのですね。

決して暇とも思えない人たちが、
それほどしてまで是が非でも一般化したいほどの”療法”なんだろうか。
よほどの理由でもなければ、それ自体、たいそう不思議なのですが、
その「よほどの理由」に連想がつながる情報が以下で、

Ashley父がこのパネルに出席していた「ある医師」からもらったメールには
「成長抑制をやってほしいという親からアプローチされたことのある人、
または実際にやったという人に手を挙げてもらったところ(主語はwe)、
前者では部屋にいる医師の半数が、後者で12人程度が手を挙げた」と書かれています。

つまりメールを書いた医師は、聴衆としてパネルに参加した人ではなくて、
壇上で参加した人だということになります。

そうなれば、Allen医師のような小物のはずはないから、
Fost医師か、Diekema医師のどちらかだということになります。

父親のブログに引用されている部分は以下。

"The panel session at the Pediatric Academic Societies Meetings went very well. The audience included about 200 pediatricians, many of them endocrinologists. ... Although many of the panelists raised concerns, most seemed supportive of growth attenuation (the focus of the panel) for some children. The audience seemed very receptive. Perhaps most surprising, was that when we asked for a show of hands, about half of the room said they had been approached by a family seeking growth attenuation, and about a dozen raised their hands when asked if they had offered it to a family. Everybody seemed agreed that it should be studies or that a registry should be created if this moves forward. It should be interesting to see what happens in the endocrine community after that discussion."


Fost医師はもちろん、Diekema医師も
相当に尊大な、人を食ったようなものの言い方をする人物ですが、
このメールの文章では、Ashleyの父親に対する腰の低さが際立っています。

そして、この文章の、まるで「復命書」のような趣――。

FostとDiekema両医師の背後にいるのが自分であることを
Ashley父は自ら暴露してしまいました。


なお、
多くの人がDiekema医師を「シアトルこども病院の代弁者」と捉えていますが、
Diekema・Fost両医師の動きと、病院の意思との間には齟齬が生じていて、
Diekema医師は病院の代弁者ではなく、Ashley父の代弁者・代行者ではないか、との
仮説を立ててみたエントリーが、以下。

2010.01.25 / Top↑
私がAshley事件について初めて知ったのは2007年1月5日のことだったので、
一昨年、去年と、1月5日には、日々のニュースを追いかける手をちょっと止めて、
“Ashley事件”や、その1年を振り返ってみる記事を書いてきました。
(文末にリンク)

しかし2010年は
モンタナ最高裁の自殺幇助合法化という、
なんとも衝撃的なニュースとともに明けたもので、
衝撃のうちにその判決文を読んでみたりしていると
いつのまにやら1月5日は過ぎてしまっていました。

その後も、慈悲殺事件やら無益な治療訴訟、自殺幇助合法化法案など、
黙って見過ごせない重大ニュースが目まぐるしく飛び込んでくるので、
それらを追いかけるのにアップアップしているうちに
いつしか1月も終わりに近づいています。

もちろん、この間には、Ashley事件関連の動きもあり、エントリーも書きました。
こちらも、目まぐるしい動きが続いています。

今こうして振り返っただけでも、ほんの1カ月足らずの間に
これだけの大きな動きが相次いだというのは、
このブログを始めて以来、初めてのこと。
ほとんど信じがたいほどの慌ただしさです。

改めて、障害児・者への包囲網が、あちこちから、
どんどん加速度的に狭まってきている気がします。

そういうことを感じていたさなかだからこそ、
今朝、Ashley父の「一般化宣言」みたいな3周年記念アップデートを知ったことを機に
私もやっぱり、ここで個人的“Ashley事件”3周年を書いてみたくなりました。


「この事件にはウラがある。前例にしてはいけない」と必死で訴えつつ、
誰にも読んでもらえないブログをシコシコ書き続けた1年目――。
私の興味も、ほとんどAshley事件だけに集中していました。

やがて少しずつ読んでくださる方が増え、
私自身も、Ashley事件を通じて、もっと広く
科学とテクノの簡単解決文化や、尊厳死、無益な治療論、
功利主義の切り捨て医療正当化論やゲイツ財団の独善的な慈善資本主義、
それらすべてが絡まりあって再構成されていく世界……など、
さまざまな問題を発見し、それらがすべて繋がっていることを確信していきました。

Diekema医師が父親と一緒になって本気で一般化を狙っている危機感から、
英語ブログを立ち上げて、またも誰にも読んでもらえないブログで1から論証作業シコシコ。
今度は英語とあって、のろのろした進みに加えて、自分のやっていることが恐ろしく、
1つエントリーを書くたびに胃が痛くて泣きそうだった2年目――。

そして、3年目の2009年を振り返ってみたら、
いつのまにか、日本語と英語と2つのブログを通じて、とても多くの方々と知り合い、
情報や資料やご意見や刺激をいただくようになった1年間でした。

Ashley事件に心を痛め、憤り、一般化を阻止しようとしている人が
世界中に沢山いて、それぞれ自分に可能なやり方で批判を続けている。

年明け早々、Diekema&Fostの正当化論文に
ずらりと寄せられたコメンタリーのタイトルをSobsey氏のエントリーで見た時に、
なんだか、私は、じん……ときました。

ああ、これはレジスタンスだったのだな……と思ったのです。

組織があるわけでもなければ、
リーダーがいるわけでも指示系統があるわけでもない。
面としてつながるどころか、線として繋がっているわけでもない。

それぞれが独立した点として世界中のあちこちに散らばっていて、
その点のまま、ネット上や論文で自分なりの抵抗を試みることで、
直線として緻密につながらないまでも、ぼんやりした点線に繋がって、
その点線がレジスタンスの第一線を形成してきた。

それによってDiekema医師らの暴論が正当化として突っ走ることを
ここまで食い止めてきたのだ――。

そんな気がしたのです。

そして、私もまた小さな1つの点として、
その点線の端っこに加えてもらってきたことを
ちょっぴり誇らしく感じました。

この論争の中から純粋に倫理論争だけを取り出せば、
その論争は既に終わっている、と私は考えています。

説得力のある議論を出せなかったAshley父と、そのシンパ(走狗?)のDiekema、Fost両医師らは
論争においては、もう完全に敗北した、と思う。

もちろん、彼らは最初からウソとマヤカシだらけで誠実な議論などしていないし、
権力の側にいるのをいいことに、いろんな人に圧力をかけ、メディアを操り、
オイシイ餌で釣って批判者を自分の陣営に寝返らせ、
自分たちが望む結果を出せれば手段など問わないのでしょう。

彼らはこれからも、なりふり構わず、汚い手段をいっぱい使って
さらに一般化をゴリ押ししていくのだろうことは疑いもありません。

米国の小児科医療においては、既に水門が切られてしまったのかもしれない。

でも、いずれ、きちんと検証がされる時が来たならば、
世界中の点たちが張ったレジスタンスの防衛線は、
守るべきものを立派に守り抜いたはずだと私は確信しています。

それに、Ashley事件でレジスタンスに参加した点たちは、
当ブログが関心を寄せる多くの問題においても、やはり闘い続けています。

例えば、当ブログは数日前からカナダのIsaiah君の無益な治療訴訟について
エントリーをいくつか書いていますが、
私がこの事件を初めて取り上げた翌日に気付くと、
Sobsey氏もこの事件でエントリーを書いていました。

その後、このブログでは紹介しきれていませんが、
Wilson氏も取り上げているなと思ったら、
Bad Crippleさんも22日に書いていました。

私はAshley事件以外のことについてまで英語で書く能力もエネルギーもないので、
Isaiah事件について私が書くものを、この人たちに知ってもらえることはないけれど、
日本語記事を書いたあとで、ああ、やっぱり、この人もこの事件を憂慮している……と知ると、
会ったことも話したこともない人との間に、同じ闘いを闘っている者同士のような
そこはかとない連帯を感じて、励まされるのです。

それは、日本でも同じです。

それぞれに闘っている目の前の問題は具体的には違うけれども、
弱いものを、ただ弱いから付け入ることができるというだけで、
踏みつけ切り捨てていこうとする、強い者の力に対して、
多くの人が点として、それぞれにできるやり方で、抗い、闘い続けている。

そんな人たちが世の中には沢山いることを
私はこの3年間を通して知りました。

私の個人的な“Ashley事件”3周年に一番大きく感じられるのは
そのことを発見した、しみじみした喜びです。

そして、4年目に入った今年、
さっそくAshley父が「もう12人に行われたぞ」と誇らしげに声を張りました。
無益な治療論も自殺幇助合法化議論も、どんどん包囲網が狭まってきそうです。

NH州の自殺幇助合法化法案否決のニュースを受けて
Wesley Smithは書きました。

闘いは続くぞ。みんな――。

私も、日本の田舎の片隅で、
日本のメディアが報道しようとしない諸々の事実を
自分にできる範囲で拾い、伝え、自分なりに考えていくことによって

SmithやWilson、Sobseyといった大きくて立派な点たちが闘い、守ろうとする
防衛線を成す点線の、小さな1つの点でありたい、と思う。



2010.01.25 / Top↑
Ashleyの父親のブログに1月13日付のアップデイトが出ており、
その中で、これまでにAshley療法を我が子に行った12人の親から
報告をうけたことを明らかにしています。

広報上の懸念から公開はしていないが、
そのうちの1つのケースでは病院の倫理委員会が承認した
同療法をやってくれない病院もあるが、やってくれる病院もある、とも。

そのほかの内容としては、

・Ashleyは現在、体重 約29.5キロ、身長134センチ。

・側わん(背骨がS字状にねじれていくこと)がひどい。ホルモン療法後、側湾が進んで、08年8月の計測で56度だった。75度になったら、内臓を保護するために手術を受けなければならないが、幸い、09年10月の計測でも56度でとどまっている。成長抑制療法が側湾予防に効果があるかどうか、注目してみたい。

・“Ashley療法”とくに成長抑制については広く医療界で議論してもらっている。ある医師からは、08年5月にハワイで開かれた小児科学会の成長抑制パネルでは、内分泌医らの反応が良かったとわざわざメールで知らせてもらった。それによると、Ashley療法を我が子にやってほしいという親からアプローチを受けたことがある人に挙手してもらったところ、部屋にいた半数の医師(おもに内分泌医)が、また実際に実施した人に挙手してもらったところ、約12名が手を挙げたとのこと。

・09年のシアトルこども病院Treuman Katz センターの成長抑制シンポで、Diekema医師が報告したところでは、主要な子ども病院2つで倫理委員会が成長抑制療法を検討し、なんら倫理問題はないとの結論に達した、とのこと。

・09年6月の論文 “Growth-Attenuation Therapy: Principles for Practice” では、小児内分泌医2人と、生命倫理学者2人が、成長抑制療法を倫理的に妥当だと結論付けた。

・2010年1月の論文 “Ashley Revisited: A Response to the Critics” では、高名な生命倫理学者2人が同様に結論付けた。




父親が今回のアップデイトで
「ほら専門家からの支持がこんなに」と並べてみせている最後の3点は、相変わらず、
すべて最初から彼の息のかかった医師らが彼の走狗としてやっていることばかりですが、

非常に気になるのは、上記の3点目で、
米国小児科学会が成長抑制でパネル・ディスカッションを開いている。
FostとDiekema両医師は小児科学会の倫理委員会で発言権の大きな医師でもあり、
いずれ小児科学会の承認を取り付けようとするだろうと考えていたのですが、
08年5月の学会で、すでに成長抑制をテーマにパネルが開かれていたのですね。

倫理学や法学など、他の分野の議論がどうあろうと、
医療のことは医療の内部の議論だけで、着々と進めていくつもり?


また、他に、ちょっと気になることとして、
現在のAshleyの体重を先日のSobesy氏のグラフに加えてみると、
パーセンタイルはかなり下がっていると見えるし、
成長抑制をしなかった場合と比べて約5キロ程度の抑制効果があったと言えなくもない。

また、父親が言っている側わん症については、
身長が低いままだと側わんがひどくなることを避けられるという利益は確かにある、と私も思います。
側わんがひどくなると、内臓を圧迫したり、位置が変わってしまったりもするので、
側わんを予防することが内臓の保護につながる、という面も確かにあるでしょう。

でも、その利益をこの議論に加えることで
この人は「それなら、もっと早いうちからホルモンをもっと大量に投与して」てなことまで言い出しかねない。
ここでも、完全に重症児を医療化しようという議論にもっていかれてしまいそうです。


それにしても、ここ2年、Ashleyの写真を出してきませんね。
なぜなんだろう……?



この件についてのClairさんのブログ・エントリーを以下に。


父親のブログに寄せられたコメントの数々では
Ashleyよりもはるかに軽度の子どもたちの「ケアしにくさ」が描かれて、
Ashley療法の正当化に使われている。

それでは重症児にのみ、本人のQOLのためで、介護者の便宜のためじゃないという正当化は
やっぱりウソだったのか、と鋭く突いていますが、

この長いエントリーを読んで、ひたひたと感じるのは、
ただ、ひたすらに深い悲しみ――。
2010.01.25 / Top↑
22日の深夜、うちのミュウと、カナダのIsaiah君とというエントリーで
1週間前に行われた“たっちゃんの成人を祝う会”のことを書いた。

その、たっちゃんが、昨夜、死んだ。

1週間前の“祝う会”の時には、ものすごく元気で、
ずっと満面の笑顔だった……と誰もが言う。

22日の金曜日には、まだ元気だったのに、
昨日の午後、急変して、大学病院に入院し、
あっという間に心停止になって、そのまま亡くなったという。

お通夜に行ったら、
今日の午後ミュウを送って行った時に廊下で見たばかりの
“たっちゃんの成人を祝う会”の写真が、
会場入り口に貼られていた。

みんなが一週間前の笑顔を指差して、「信じられない……」と絶句する。

重症児・者の周りにいる人たちは、みんな、
こういう別れをもう数えきれないほど体験してきたというのに
それでも、まだ、みんなが「信じられない……」と呆然とする。


以下、2009年3月29日のエントリー「葬式」を再掲。
身近な子どもが、また1人亡くなった。

とても重度ではあるけれど元気な子だったのに……と
知らせを聞いて絶句する。

電話で知らせてくれた人と、
いつもこういう時に繰り返す儀式のように

「○○さんちのAちゃんの時には、こうだったよね」
「そういえば△△さんちのB君の時も、こうだったっけ」

いつのまにか数えることをやめてしまった子どもたちの死を1つずつ振り返る。

ずっと身近で見て、よく知っている子もいたし、
顔を知っている程度という子もあった。

時には子どもですらなくて、いい年のオッサンだったりもした。
中学校まで娘のクラスメートだった男性は、
かつて就学猶予を強制された年齢超過者で私よりも年上だった。

でも、どの子もどの人も、亡くなったという知らせを受けると、
私はいつも「私らの子が、また1人死んだ……」という感じがする。

私らの子が、また1人死んだ――。

そういえば、あの子もこの子も、いなくなった。
いつのまにか、私らの子が、もう、こんなにたくさん死んでしまった――。

養護学校の卒業式の後とんと会わなくなった重症児の親たちが葬式で顔を合わせて、
通園時代や養護学校時代の親の同窓会みたいだ。

焼香で人が動く時に見知った顔を見つけて、同時に、
その人の子どもがずっと前に危篤状態になったことを思い出す。
ウチの娘と同じで、幼児期には健康でいる日など数えるほどしかない子だった。
お母さんも「この子はそう長くは生きないだろうから」とよく口にしたし
「そんなことないよ」と言いながら、周りの人たちだって本当は心の中でそう思っていた。

それでも彼女の娘は数年前に成人式を迎えて、今もちゃんと生きている。

そういえば、あの子も、そして、この子も……と指を折ってみれば
ちゃんと生きている子だって沢山いることに驚かされる。

へんな言い方だけれど、仲間内で子どもたちが初めて死に始めた頃は
誰かの子どもが亡くなると、次はどこの子だろう、
もしかしたらウチの子だろうかと、みんな疑心暗鬼に駆られて
内心で子どもたちを重症度や体の弱さで順に並べてみたりしたものだったけど、

この子たちは決して、障害の重い順、弱い順に死んでいくわけじゃない。

とても重度で虚弱で、長くは生きられないだろうと誰もが思っていた子どもが
ある年齢から急に元気になることもあるし、
弱いまま何度も死にそうになったり、医師や親にいよいよだと覚悟させたりしながら
それでもちゃんと生きている子どもたちもいっぱいいる。

そうかと思うと、
それほど重度なわけでもなく、障害があるなりに元気だった子が
ある日突然に体調を崩し、あっという間に逝ってしまったりする。

あの子が死んで、この子がまだ生きていることの不思議を
説明することなど誰にもできない。

人の生き死には、人智を越えたところにある。

今日、葬式で
いっぱい死んでいった子どもたちや、
まだいっぱい、ちゃんと生きている子どもたちの顔を一つ一つ思い浮かべて、
改めて、そのことを思った。

同じように重い障害を持って生まれてきて、
あの子が死んで、この子がまだ生きていることの理由やその不思議を
いったい誰に説明できるというのだろう。

そんな、人智をはるかに超えたところにある命に、質もへったくれもあるものか。

「生きるに値する命」だとか「命の質」だとか「ロングフル」だとか、
そんなのは、みんな人智の小賢しい理屈に過ぎない。

生まれてきて、そこにある命が
生きて、そこにあることは、それだけが、それだけで、是だよ。

障害があろうとなかろうと、
どんなに重い障害があろうと、
生きてはいけない人なんて、どこにもいない。

重い障害を負った私らの子は
次々に死んでいくように見えるけれども、

本当は障害のあるなしとは無関係に
誰がいつ死ぬかなんて、誰にも分からない。

だから、

あの子もこの子も、生きてこの世にある間は
生きてこの世にある命を、誰はばかることなく、ただ生きて、あれ──

それを、せめて大らかに懐に抱ける人の世であれ──と

亡くなった子の遺影を見上げて、心の底から祈った。
2010.01.24 / Top↑
Dignitasなどにおける海外からの“自殺ツーリズム”への憂慮の声が高まっているスイスで、
右派の政治家らが罰金制度を提唱し、今年11月28日に住民投票が行われることに。

提案されているのは、
少なくとも1年間スイスに居住している人以外に対して自殺幇助を行った場合には
30000ポンドの罰金を科す、というもの。

現在、Dignitasが自殺幇助に対して請求している代金は5000ポンド。
罰金がその6倍もの金額に上ることから、
海外からの自殺ツーリズムへの抑止を狙う。

住民投票で過半数の賛成が得られれば、
改めて金額が検討され、議会で法制化される見通し。

ただ、選挙区の住民に反対を呼びかける政治家も多いと思われ、

Dignitasの創設者であるLudwig MineliはTelegraphに対して、
こうした動きはヨーロッパ人権条約に反するなど法的に問題があり、
最終的に実現などしない、と。

なお、去年Dignitasで幇助を受けて自殺した英国人は23人。




2010.01.23 / Top↑