2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
重症障害を持って生まれた娘を養子に出した母親の語り。(英)

子どもが号泣を続けるのに疲れ果て、苦しみ続ける娘にもどうして良いか分からず、夫婦関係も悪化して、ウツ病になった女性が、夜中にこのまま窒息させて殺してしまおうかと何度も考えたと告白。ソーシャル・サービスに訴えても介護支援は受けられず、もう育てていく自信がないとすがりついたら(勇気がある! えらい!)、ソーシャルワーカーがクリスチャンで養母になってくれるという女性を連れてきたという。夫婦で悩んだあげく、その女性の元に養子に出すことに。その後、親としての責任(親権とは書いてないのが?)を回復し、娘は今もその女性に育てられているものの、娘の洋服や日用品を買ったり受診や幼稚園の参観日などには一緒に行くなど、「母親が2人」状態で暮らしている。娘の養育費は養子制度(foster care)つまり行政から。夫婦仲を修復し、荒んでいたもう一人の子どものケアもしているところ。

これを告白したら、子どもを手放したことに非難ごうごうだったらしい。でも、抱え込んだあげくに殺したり一緒に死ぬより、はるかにいいと思う。在宅での支援が受けられないというのがサイテ―だし、できれば中間の解決策があってほしいけど、反面、「もうダメ、育てられない」とすがっていったら、foster careにつなげられるというのも、すごいと言えばすごい(良し悪しはともかく)。それでも親子関係が柔軟に続けられるのも、いい。それでお母さんが立ち直って、そのうちに引き取れるなら、それもまたいいと思うし。「これでないとダメ」というんじゃなしに、ゆるゆると様子を見ながら、でいいじゃない、と思う。どうにも苦しい、もうダメという時って、本当にある。そういう時の緊急避難的なレスパイトが、いろいろ長短形態とも柔軟にあるのが一番いいのだけど。

この人の体験は、ウチの娘の幼児期とそっくりで、身につまされた。けいれんの治療が始まって、やっと人間の生活らしいものが始まるまで、1年かかった。私の人生で最も苦しかった1年間の一つ。あの最中に「自己決定で死んでもいいよ」と言われたら、「殺してください」と即答していたと思う。あの当時、置いていけるとも思えないから、娘の慈悲殺も望んだだろうな。でも、治療が始まったら、家族みんな気持ちが違って、過剰なくらい前向きになれた。状況も人も気持ちも変る。この英国の一家も、時間と共に変る。子どもの幸せな暮らしを守りつつ、ゆっくり待ってあげられるといいですね。

http://www.dailymail.co.uk/femail/article-1318389/I-nearly-smothered-disabled-daughter.html


英国NHSで処方対象となっていなかったアリセプトなどアルツハイマー病の進行を遅らせる薬が3年間のバトルを経て、やっと認められることになった。:以前、「介護保険情報」の連載で、このバトルを取り上げたことがある。よかった。ケアホームの認知症患者には抗精神病薬の過剰投与が問題になっている一方で、こういうことが起こっていることの不思議をつくづく思う。
http://www.guardian.co.uk/politics/2010/oct/06/alzheimers-drugs-nhs-government?CMP=EMCGT_071010&

高齢期ウツはなぜ医師にみのがされやすいのか。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/203606.php

英国の移民制限は、科学の国際競争力を減退させる、と英国のこれまでのノーベル賞受賞者らが警告。:日本の受賞者の先生方が、公費での研究、労働力は学生だったのだし……などとおっしゃって、特許を取っておられなかったこと、それをまた力むことなく語られることで、あることを静かにきちっと訴えておられる姿に、高い倫理観と人間としての品性を感じました。聞いたか、ヴェンター?
http://www.guardian.co.uk/uk/2010/oct/07/nobel-laureates-immigration-cap?CMP=EMCGT_071010&

米国で高額所得の女性が増えている。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/10/06/AR2010100607229.html?wpisrc=nl_cuzhead


どこかで誰かが触れていたのが気になって井上靖の「化石」を読んだ。昭和40年から41年の約1年間朝日新聞で連載されていた古い作品。告知しないのが常識だった時代に、ひょんなことから自分が癌で余命1年だと知ってしまった壮年男性が、そこから約半年間、自分の死と向き合う心のありようを克明に描こうとする力作。なかなか良かった。

「ほお~」と思ったのは、「100年後には癌は完全制圧されて、世界から癌患者は1人もいなくなっている」と、それが確定した未来像として皆に共有されていること。100年後に開けるタイムカプセルみたいなところに、現在の癌に関する統計資料を入れるエピソードが出てくるのだけど、癌の専門医も世の中一般の人も「100年後には癌患者という存在は消え失せているから、癌から解放された未来の幸福な人たちが、昔の日本人は癌という病気にこんなに苦しんでいたのだと知るよすがに」としゃべりあっている。ざっと60年前には、そんなふうに信じられていたんだなぁ……と思うと、THな人たちが今いろいろ描いているハッピーな未来像と重なって、いろいろ考えるところがあった。THな人たちが癌で余命1年の宣告を受けた場合に、「化石」の主人公のような苦悩の仕方をするだろうか、ということとか。
http://www.asahi-net.or.jp/~dr4i-snn/inoue_yasu-kaseki.html
2010.10.08 / Top↑
じょくそうを防止するインテリジェント・ベッドが2010年医療技術大賞(?)を受賞。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/200372.php

ボトックスの適用外違法マーケティング問題。FDAが認可した薬については、医師の判断で適用外処方は認められているが、製薬会社が適用外の使用方法でマーケティングを行うことは法律で認められていない。急速にボトックスの販売が伸びてきた背景に、小児の脳性マヒ患者への適用外処方が違法にマーケティングされてきたなどの問題を抱えつつ、FDAは最近、腕の筋肉痛などにも適用を認めてきた。現在、さらに片頭痛の治療薬としての認可を検討中。
http://www.nytimes.com/2010/09/09/business/09botox.html?_r=1&th&emc=th

カナダ、ケベック州の自殺幇助議論で、合法化論は医療費節減と病院のベッド数削減などの経済策として政府が検討委員会を立ち上げたのだとする陰謀説が出回り、その火消しに出てきた人がいる。:いや、でも、それはどの国の議論を見ても、もう常識だと思ったんだけど。最近は、臆面もなく「そうすれば医療費も節約できるし」とまで付け加える人が増えてきたし。
http://www.cbc.ca/canada/montreal/story/2010/09/09/quebec-euthanasia-hearing-cancer.html

そのケベックの意見聴取について、Wesley Smith. どうせ議論するなら、それよりも高齢者虐待や医療制度の崩壊、緩和ケアの不備、重病者や障害者の孤立の問題を考える方がよほど重要だろうに、安楽死活動家は議論をそこには広げない、と指摘。それがつまり、上記の陰謀説を裏付けているよね、という路線の話。たぶん。
http://www.firstthings.com/blogs/secondhandsmoke/2010/09/09/assisted-suicide-advocates-dont-like-straying-from-euthanasia-land-script/

カナダ退職者協会会員へのアンケートで、ターミナルな人への自殺幇助合法化に7割が賛成。
http://www.ottawacitizen.com/news/Seniors+group+survey+suggests+broad+support+assisted+suicide/3503260/story.html

ワクチンが如何に命だけでなく、お金も救っているか(節約しているか)というお話。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/200341.php

ドイツで、これまでタブー視されてきた終末期医療を巡る議論が活発化。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/200213.php

【関連エントリー】
Dignitasでの自殺者、ドイツ人は500人以上(2009/9/24)
ドイツ最高裁が本人意思なら延命治療停止は合法との判断(2010/6/25)

米国の一部の高校で、Rochester大学が開発した自殺防止プログラムが試験導入されるらしい。:大人がこれだけ「いつ、どのように死ぬかは本人の自己決定」とがなり立ててているのを、子どもたちだって聞いていると思うのだけど。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/200365.php

英国で時代遅れで明確さを欠く刑法を米国の等級式に改正するよう法コミッションが勧告、議論に。自殺幇助ガイドラインを策定したDPPのStarmer氏も参戦して支持。
http://www.independent.co.uk/news/uk/home-news/top-prosecutor-backs-usstyle-murder-laws-for-britain-2074217.html

米軍からゲイを排除するのは憲法違反と連邦裁判所の判断。
http://guardianmail.co.uk/go.asp?/bGUA005/xPDFGD1/qRVT7D1

Oxford大の研究で、アルツハイマー病の初期にビタミンBのサプリを飲むと進行を遅らせることができる、と。:ビタミンBって、肩こりとか関節痛とかの薬に入っているけど、要するに血行を良くするということ?
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2010/sep/08/vitamin-b-could-delays-alzheimers?CMP=EMCGT_090910&

ジョン・レノン生誕70年を記念して、誕生日のイブに当たる10月8日から3日間追悼コンサート。
http://www.beatlesnews.com/news/john-lennon/201009091914/lennon-70th-birthday-tribute-concert-1-month-away.html
2010.09.12 / Top↑
今年4月の論文。
こういう立場からの批判がもっと出てくるべきだと、ずっと思っていた。

Ashley’s Case: The Ethics of Arresting the Growth of Children with Serious Disability
by Gary L. Stein,
Journal of Social Work in Disability & Rehabilitation,
Volume9, Issue 2&3 April 2010, Page 99-109


アブストラクトは

This article analyzes the justifications and ethics of attenuating the growth of children with serious disability. It considers the case of Ashley, a child with profound developmental and cognitive disabilities whose growth was attenuated through high-dose estrogen treatment and surgery. The goals of Ashley's parents and physicians were to keep her small, thereby making it easier for her parents to care for her at home. Perspectives supporting and opposing growth attenuation are presented. It is suggested that community resources and supports, rather than medical strategies, are necessary to address the social challenges of community living.




結論としては、
子どもを地域でケアしていくには、医療の戦略よりも、地域での資源と支援が必要なのだ、と。

これは、これまでにも繰り返し指摘されてきたことではあるのだけど、

実際に地域で支援に当たっている職種の声が出てこないと、
その必要性そのものが部外者にはなかなか具体的に理解されないのだろうと思う。

障害児教育の分野なんかからも、
もっと重症児の認知とかコミュニケーションなどについて、
医療のなかから見えていることだけじゃないという話が出てくるといいのだけど。

              ―――――――

いつも揚げ足取りしているみたいで気が引けるけど、
大事なことだから、ここでも事実誤認を指摘しておくと、

Ashleyに行われた身長抑制の目的を
親も医師も在宅介護の負担軽減のためだと主張していると
多くの論文著者と同じ誤解を、この著者もしている。

この事実誤認をする人は本当に多いのだけど、
実際にAshley父のブログをちゃんと読んだ人なら起こり得ない間違いなので、
論文を書こうかという人がその程度にしか資料を読んでいないことが、いつも不思議でならない。

担当医らは06年の論文で確かにそんなことを書いた。

メディア報道でも07年当時の論争でも、
勝手にそう思い込んで議論した人は多かった。

でも親は実際はそんなことは言っていないし、
それは目的ではなかったとブログで何度も明確に否定している。

少なくとも04年に要望した時点では、
親の目的はあくまでも本人のQOLの維持向上だった。

ただし、論争の中で、もっと年かさの重症児の親たちから体験談を聞く中で、
確かに在宅介護の時期を引き延ばすというメリットもあることに気付かされたと
ブログに追記されてはいるし、

その方が世間に通りが良いことをすでに彼らも学習したとすれば、
今後、成長抑制療法が一般化されていこうとする際には
親の介護負担の軽減がひいては本人の最善の利益だという論理で
押されていくのだろうとは思うけれど。
2010.08.21 / Top↑
前のエントリーの最後にリンクした森岡正博氏の文章から連想したので。


「家族計画」への道 近代日本の生殖を巡る政治
荻野美穂 岩波書店 2008

を読んでいたら、

映画監督との短い関係で妊娠した子どもを中絶し、
1935年に産婆と一緒に堕胎罪に問われた女優、志賀暁子の裁判の下りで、
彼女に同情的な意見として作家の山本有三の批判が引用されていた。

彼女を誘惑し、彼女を身ごもらせ、彼女を捨てた男は今どうしているか。彼は名誉こそ多少傷つきたれ、ステッキを振って自由に街頭を歩いているではないか。……男に堕胎は出来ない。そして女が妊娠したら、極力相手にしないようにすれば、この犯罪にひっかかる心配はない。まことに今の世の中は男子に住みよく出来ているというものだ。
(P.103)


しかし検事は、

男に捨てられたというのみを以て、堕胎を決意し、これを実行するということは、女性として欠くる所がある
(p.103)



と有罪を主張し、
裁判長も「緊急避難」説を認めず、
懲役二年、執行猶予三年の判決が下された。


なにか、そのまま読み過ごせない感じで、
山本有三の言葉と、検事の言葉を何度か読み返していると、

この前、2人の幼児を1カ月以上も放置して死なせた若いお母さんのことが頭に浮かんだ。

そして、いかに離婚したにせよ、
あの子どもたちには父親だっていたのだ……ということを考えた。

         ――――――

私の問題意識は、すべてのスタートがAshley事件にあるようなものなので、
(それまではロクにものを考えていなかった証拠ですが)
中絶の問題、特に選択的中絶の問題については

2007年、Hastings Centerのブログ Bioethics Forumでの
LindermannとDregerの論争が言ってみれば初めての出会いだった。

ケア負担になう母親に中絶の選択権?(2007/11/9)
「選別的中絶」というより「選別的子育て」(2007/11/11)


この直後には、障害女性のアドボケイト、FRIDAが
プロライフと障害女性問題活動家とは表面的には同じ主張をしているように見えるだけで、
実際には全く異なった立場に立脚して問題を眺めているのだ、ということを主張しつつ、

女性の選択権と、障害のある命の尊重との間で
FRIDA内部にもあるジレンマを見据えようとする文章とも出会った。


それからずっと、「中絶は女性の権利」と言うことと
着床前遺伝子診断や選択的中絶を批判的に捉えることとの間で
どのように折り合いをつけていくのか、ということは、

私の中では、ある意味で
Ashley事件に突きつけられた「親の権利 vs 子どもの権利」の相克と同じであるようで、
また、ある意味では同じでないかもしれない……みたいな悩ましいところを
ずっと、ぐるぐる、行ったり来たりする、ややこしい難問。

でも、
山本有三の言葉と、検事の言葉から
あの若いお母さんを思い出し、次いで、
彼女に放置されて死んだ子どもたちの父親の存在と
そして、事件を受け止める側の意識における、その不在、を考えた時に、

「女性の選択権」 vs 「子どもの命」という対立の構図が、そもそも違うんだ――。

……と、ふいに目の前を拭われたように、明瞭に了解した。

そういう構図で考えるところに頭を持って行かれてしまうことに、まず警戒し、
もうはまっていたら、それに気付き、そこから抜け出さないといけないんだ――。

その対立の構図は、やっぱり、Ashley事件でDiekemaらが仕組んだ
「本人のQOLを守ろうとする親の愛」vs 「政治イデオロギーで邪魔立てする障害者」の
対立の構図とそっくり同じなのではないか、と思う。

そこでは、どちらも同じ問題のすり替えが行われていて、
そのすり替えで覆い隠されようとしているのは同じものなのではないか、

そこで覆い隠されているものとは、つまり、
変えるべきものが社会の中にある、ということ――。
2010.08.15 / Top↑
48歳のキャンベラ在住の男性が
知的障害のある実の娘を妊娠させたとして
近親相姦の罪で起訴された。

娘の生理が2カ月飛んだことから母親が不審に思って
妊娠検査キットで調べ、産婦人科へ連れて行くと妊娠17週だった。

人口中絶が行われ
親族から採取したDNAと胎児のDNAを検証した結果、
女性の父親が胎児の父親であるとの moderately strong scientific support があることから
火曜日に逮捕された。

まずまず強力な科学的根拠……って、なんとも微妙な表現だなぁ。

なお、父親は娘と性行為をしたことはないと否定しているとのこと。

Father accused of incest with disabled daughter
The Canberra Times, August 12, 2010


この女性の障害像が分からないからもどかしいけど、
なんで近親相姦罪だけ、なんだろう。
それでは、まるで合意だったみたいじゃないか。


つい最近、 こちらのNHKのサイト
実の娘を性的に虐待したりレイプまでする男というのは
実際に日本にもゴロゴロいるんだ……と、醜い現実を思い知らされた。

しかも、おのれの娘を性的なオモチャにしたり、レイプまでしておきながら
娘が大人になって、それを指摘すると、こういう父親は必ず否定するものらしく、
あまつさえ娘をウソツキ呼ばわりして恥じない男までいる……という、
人ごとながら、はらわたが煮えくりかえるような事実も、知った。

世界でも、ここ数年、
自分の娘を監禁して何人も子どもを産ませていたという事件が
2件くらい立て続けに起こったような記憶がある。

もともと性的虐待をするようなのは、卑屈でいびつな未成熟男なのだから
たぶん娘の知的障害にだって付け入るに違いないし、

この事件ではDNA鑑定が絶対とはいえないらしいところが微妙だけど、

実はこういう事件だって、報道されなくても、表に出てこなくても、
あるんだ、きっと……と考えると、

すべての男がそうじゃないと頭では分かっているし、
まともな大半の男性には大変申し訳ないことながら、
世の中の男という男を憎んでしまいそうな気分になる。


上記HNKのサイトと出くわして、
男ってのは、ったく……と呪いつつ最後まで読んだ直後に、
今度はどういういきさつだったか、森岡正博氏の
「男性から見た避妊」という文章に出会った。

去年の夏に、臓器移植法改正議論の際、国会ビデオで初めて動いてしゃべっている森岡氏を見た時に、
ストイックな感じが漂って、清潔感のある、なんかお坊さんみたいな人だな、という印象を受けたけど、
その印象の通りの、まっすぐ正面から”観照”するという感じの文章に、すっきり解毒してもらった。
2010.08.13 / Top↑