2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
ナーシング・ホームで暮らす人の権利は
1987年のNursing Home Reform Lawという連邦法で保障されたもの。

特に個人の尊厳と選択そして自己決定が強調されている。

上記の法に基づいて、ナーシング・ホームだけでなく
アシスティッド・リビングやケア・ホームなど多様な介護施設を対象に
州法や条例を通じて入所者の権利を定めている州もある。

基本理念は、
施設で暮らしている人に施設入所せずに地域で暮らしている人と同じ権利を保障すべく、
入所施設は高いQOLを維持するケアを行わなければならない、というもの。

1987年のNursing Home Reform Lawで保護されている
ナーシング・ホームで暮らす人の権利は、以下。

以下について十分な説明を受ける権利
・利用可能なサービスとそれぞれの値段
・施設の規則や既定。施設で暮らす人の権利を記した文書も含む
・州のオンブズマンと監督機関の住所と電話番号
・州の監査報告とホームの是正計画
・部屋や同室者の変更は前もって
・感覚障害がある人の援助
・点字や外国語を含め、理解可能な言語により説明を受ける権利

不服を申し立てる権利
・報復の不安なくスタッフその他への苦情を申し立て、施設から解決に向け迅速な努力をしてもらう権利
・オンブズマン制度を利用して不服を申し立てる権利
・州の監督機関や認可の権限を持った機関に不服を申し立てる権利

ケアに参加する権利
・十分で適切なケアを受ける権利
・健康状態の変化をすべて説明してもらう権利
・自分のアセスメント、介護・治療・退所の計画に参画する権利
・薬や治療を拒否する権利
・薬物によるまたは物理的な拘束を拒否する権利
・自分のカルテをチェックする権利
・メディケイドまたはメディケア給付のサービスを無料で受ける権利

プライバシーと守秘の権利
・自分が選んだ人と自由に制約のないコミュニケーションを行う。また、その内容が漏らされない権利
・医療と介護を受けるに当たってプライバシーが守られる権利
・健康情報も金銭的な状況を含め個人的な事情も守秘される権利

転所・退所に関わる権利
・転所または退所しない限り介護施設に留まる権利
・転所・退所が必要または適切とされるのは以下の場合
(a)それが入所者の福祉のためになる場合
(b)入所者の健康状態が改善してこれ以上の入所が必要でなくなった場合
(c)他の入所はまたはスタッフの健康と安全を守るために必要な場合
(d)通知したにも関わらず入所者が求めた施設利用や物品、サービスへの費用を払わない場合
・30日前までに理由、実行日、転所・退所先、異議申し立ての権利、さらに州の介護オンブズマンの住所・電話番号を含めて通知される権利
・ナーシング・ホーム側による十分な準備で安全に転所・退所できる権利

尊厳、敬意、自由への権利
・配慮、敬意と尊厳を持って扱われる権利
・心身への虐待、体罰、強制的な隔離、薬物または物理的な拘束を受けることがない権利
・自分で決める権利
・持ち物が守られる権利

以下の人々の訪問を受ける権利
・主治医、州の監督機関やオンブズマン制度から派遣される人
・近親者、友人、その他、入所者が選んだ人
・医療、福祉、法律その他のサービス機関
・入所者には訪問者を拒む権利がある

自分で選択する権利
・何を着て自由な時間をどう過ごすかなど自分のことを自分で決める権利
・ニーズや好みに常識的な形で応えてもらう(reasonable accommodation)権利
・医師を選ぶ権利
・ホーム内外のコミュニティの活動に参加する権利
・入所者会議を組織し参加する権利
・自分の金銭については自分で管理する権利



Residents’ Rights
The National Consumer Voice for Quality Long-Term Care
2011.10.31 / Top↑
10月は米国では「介護施設で暮らす人の権利月間」。
去年までは「介護施設で暮らす人の権利週間」だったのが今年から「月間」になった。

6月にも「介護保険情報」の連載で
ケアホームの劣悪な介護実態を潜入調査で暴いた英国の消費者団体の報告書について
書いたことがあるのだけど、

介護サービス利用者を「消費者」と捉える視点が
くっきりしているのかもしれない。

米国のこの「施設で暮らす人の権利月間(週間)」も
The National Consumer Voice for Quality Long-Term Care
という良質な介護を求める消費者団体が作ったもの。

資料では2005年に初めて行われている。

施設で暮らす人の権利月間(週間)では、
連邦法で保護されている「ナーシング・ホームで暮らす人の権利」を
アシスティッド・リビング施設など多様な施設にも広げて啓発活動が行われ、

各州とも施設で暮らす人の尊厳、選択、自己決定を再確認すると同時に
連邦法で義務付けられたオンズブマン制度の周知徹底を図る努力を行う。

また地域ごとに啓発イベントや
施設で暮らす人たちとオンブズマン、また地域との交流行事などが行われる。

今年のテーマはWelcome Home: Creating Connections Between Residents and the Community.

介護施設に入所している人も地域のコミュニティの一員、
施設で暮らす人たちと地域のつながりを作ろう、と。

主な取り組みとしては、
全国の介護施設で入所者によるオープン・ハウス開催を呼び掛けるほか、

・入所者の声の募集。
 予め以下の4つの質問が提示されて
6月11日の締め切りまでに全国の介護施設で暮らす人からの回答が寄せられている。

1. 地域での子どもの頃のお気に入りの思い出はなんですか?
2. 子どもの頃に好きだった地域のイベントは何でしたか?
3. 地域の一員であることは、あなたにとって?
4. 地域の人があなたの住む施設を訪問することは
あなたにとってどういう意味で大切ですか?

寄せられた声はこちらで読めます。

・介護オンブズマン制度の強化
オンブズマンに月間の参加を呼び掛け、
施設で暮らす人やスタッフとの関係作りを働き掛ける。

・研修や資料提供
施設で暮らす人とスタッフの信頼関係づくり
地域住民と施設との関係作り

ちなみに去年の「施設で暮らす人の権利週間」のテーマは
Defining Dining: It’s About Me (食事:食べるのは私。選ぶのも決めるのも私)

食事について選ぶことができるのは施設で暮らす人の権利であることを確認し、
食を通じて、選択と自己決定の権利や、入所者の声に耳を傾けることの大切さを
訴えていこうとするものだった。


なお、これとは別に5月には「ナーシング・ホーム週間」がある。
以下の記事によると、こちらは1967年に
the American Health Care Associationが作ったもの ↓
http://www.emmetsburgnews.com/page/content.detail/id/508820/Celebrate-National-Nursing-Home-Week.html?nav=5001


連邦法で保護された「ナーシング・ホームで暮らす人の権利」については
次のエントリーで全訳してみました。
2011.10.31 / Top↑
米国の退職者協会AARPの「介護の成績表」情報に行った際に
たまたまAARPサイトで目についた介護者支援サイトが面白そうだったので、
とりあえず10月4日の補遺で拾っておきましたが、

その中の一つが「家族介護の9つの秘訣」というスライド・ショー。
副題は「同じ経験をしてきた介護経験者からのアドバイス」

9 Secrets of Caregiving
AARP, September 12, 2011


その9つとは、

① Keep Your Own Medical Records
医療記録は自前で作りましょう。

介護が必要な人はいくつもの医療機関にかかりがちですが、
それぞれの医療機関が連携したり情報共有するわけではないので
いつ誰に会い何を話して何を決めたか、
自分が介護している人の医療については
自分で記録しておきましょう。

② Take Time for Yourself.
自分の時間を持ちましょう。

介護者にはレスパイトが不可欠。
レスパイト・サービスを探しましょう。
わずか半日でもいいから、
可能な時には介護を離れて自分の時間を。

私の好きな“身勝手な豚”さんは Break, or you break.
「ブレイクして休むか、それともあなたがブレイクして壊れるか」と言っています。

③ Focus on One Person.
一度にあの人のこともこの人のことも考えないで。

子どもを育てながらの配偶者や老親の介護だったり、
複数の人を同時に介護していたり、状況はいろいろ。
でも、その時その時に、あなたを最も必要としている人に集中しましょう。
もちろん、あなた自身にも時間を割いて。
そういう切り替えが、介護を続ける力となります。

④ Accept Today; Don’t Wish for Yesterday
「昔はこうだったのに」と考えるより今のその人に目を向けましょう。

元はこういう人だったのに、と
その人が元気だったころの姿を惜しんでばかりいると
今のその人が見えなくなります。

それよりも苦しくはないかな、ハッピーかな、と
今のその人に目を向けると、目の輝きに気づいたり、
今のその人との関係に喜びを見つけることができます。

⑤ Don’t be a Martyr; Ask for Help.
悲劇のヒロインにならないで。助けを求めましょう。

介護されている人も介護している人も
世の中には五万といるのだから、
友達や近所の人や専門機関にも堂々と助けを求めて、
決して悲壮な覚悟で介護を抱え込まないで。

⑥ Talk about the Tough Topics.
難しい問題から逃げず話してみましょう。

人の弱みにつけこんでカネをだまし取るような輩が
世の中には沢山います。何かおかしいなと感じても、
お金の話題は出しにくいものですが、逃げずに
思い切って、話してみましょう。

⑦ Get the Legal Stuff Done.
法律や金銭の問題を専門家に相談しましょう。

法的な代理人になるなど、
法律と金銭の問題について専門家に相談して、
知識を身につけ、対処しておきましょう。

⑧ Take Care of Your Own Health.
自分の健康管理もしっかり。

介護者にも持病があったりします。
介護負担に追われてなおざりにしておくのではなく、
運動をしたり食事にも気をつけて、
自分自身の健康管理もしっかりしましょう。

⑨ Don’t Succumb to Chaos.
とんでもないことが起きてもパニックしないで。

とんでもない事態が発生した時、最も大事なことは落ち着くこと。
落ち着くことで、どんな状況下でも強く、柔軟に、思いやりをもって対処することが出来ます。



AARPの「州ごとの介護の成績表」については
「介護保険情報」11月号の連載で書きました。

また、これまでに同誌の連載で介護者支援関連で書いたものは
去年、介護者支援シリーズ1~6にとりまとめました ↓

英国の介護者支援
英国の介護者週間
英国のNHS検証草案と新・全国介護者戦略
米国 家族介護者月間
障害のある子どもを殺す母たち
NHSの介護者支援サイト Carers Direct


なお、介護者に向けたメッセージやアドバイスとしては ↓

「介護者の権利章典」訳を改定しました(2008/12/12/)
今日から豪介護者週間……because I care(2008/10/19)
You are only human: 介護者だって生身の人間なのだから(2008/10/30)
介護者も自分を大切にしましょう(2008/10/31)
自分の気持ちを理解して受け入れる(介護者のために)(2008/10/31)
自己主張をしましょう(介護者のために)(2008/11/1)
「介護者の10の心得」by the Princess Royal Trust for Carers(2011/5/12)
2011.10.21 / Top↑
英国の介護者週間については何度かエントリーで取り上げていますが、
7月にも以下のエントリーで今年のケアラーズ・ウィークについて紹介しました。

ケアラーの本当の顔:英国ケアラーズ・ウィーク2011(2011/7/5)

その、ちょっと不思議な今年のテーマ「ケアラーの本当の顔」について
「“身勝手な豚”の介護ガイド」という本の著者で
ハンチントン病の妻を介護しているHugh Mariiot氏が
ケアラーズ・ウィーク2011のサイトに書いた文章を
「介護保険情報」誌8月号で仮訳してみました。

その全文を以下に。

ケアラーたちの本当の顔

え、ケアラーたちの本当の顔? それがケアラーズ・ウィークのテーマなの……って?
 
うん。まぁ、聞かない方がいいかもね。知らない方がいいと思うよ。ケアラーの本当の顔がどういうものか、ちょっとでも知ったらビビっちゃうから。とはいっても、きっと分かんないとは思うけどね。だってケアラーって、目に見えないんだもの。

あ、ボクが言ってるのは、給料をもらっている介護者のことじゃないんだ。制服を着て働いているような人たちなら、ちゃんと目に見えるからね。ボクが言っているのは、自分でも思いがけない時に、気が付いたら、いつのまにかケアラーになっちゃってた……っていう人たちのこと。 

ボクたちケアラーは制服なんか着ないし、休憩時間もオフの日もない。選択の自由も研修も給料もない。見た目は他のみんなと全く同じさ。実際、ボクたちはみんなと同じ人間なんだけどね。だから、誰も気づかない。ボクたちがもう前とは別の存在になってしまったってことに。

もう1つヘンなのは、ボクたち自身にも自分が見えないってこと。どういうことかというとね。誰かのケアをするのは、なにしろずっと全力投球だから、そういうのを長く続けていると、いつのまにか自分がどういう人間なのか、前はどういう人として生きていたかってことを忘れ始めるんだよ。自分がこの先どういう生き方をしたいかという夢だって、もちろん頭から消えてしまう。そんなふうに自分自身を見失っていくってわけ。

透明な存在――。それがボクたち。まぁ、それでいいのかもね。だってボクたちの本当の顔をみんなが見ることができたら、頭の中で何を考えているかまでバレてしまう。そんなのは知って愉快なものじゃない。

本当のことを言うと、人によって早い遅いの違いはあるけど、ケアラーをやっていると、たいていの人はどこかでプッツンくるんだよ。みんな、外には見せないけどね。外から見れば、介護に疲れているとか、まったりしているとか、もう諦めきってるみたいに見えるかもしれない。ま、概してボクたちって、愛する人を介護する心優しい人っていうイメージだよね。だから全然だいじょうぶ、てな感じに見えたりもして。で、ある日突然、プツンといっちゃう。そうなると、もうダメ。でも、そういう時でも、たぶんボクたちは家の中でこっそりプツンいってて、そんな自分を外に見せたりはしない。

だから外の世界の人には分からないみたいだけど、ボクたちは最初からケアラーだったわけじゃないんだよ。ボクたちだって外の世界の人と全く同じ人間で、生まれつき介護に向いているからケアラーをやっているというわけじゃない。他に選択肢がないから、やっていくしかないだけで。

ここんところがケアラーの弱みだよね。やるしかないことだから、ボクたちはそれなりに立派にこなしていく。だから、ほら、ケアしている相手を殺しちゃうケアラーなんて、滅多にいない。辛いのは、ボクたちがあれもこれも黙々とこなしながら、そんな生活に満足しているように見えてしまうこと。もちろん、そういう人もいるよ。でも、そうじゃない人だって沢山いる。

だからケアラーズ・ウィークがあって、そのテーマが「ケアラーの本当の顔」ってわけ。

もし君がケアラーだったら、こんなことは言われなくても分かってるだろうけど、もしも君がケアラーじゃなかったら、ちょっと考えてみて。君だって、いつかケアラーになる日がくるかもしれない。その確率は案外に高い。だから、これだけは知っておいて。ケアラーだからって聖人じゃないんだよ。ケアラーは君なんだ。


原文は以下のサイトに。
http://carersweek.org/news-and-media/latest-news/item/56-the-true-face-of-carers-hugh-marriott


【Marriotさんの著書に関するエントリー】
「“身勝手な豚”の介護ガイド」1: セックスもウンコも“殺してやりたい”も(2011/7/22)
「“身勝手な豚”の介護ガイド」2: あなた自身をもう一人の“子豚”に(2011/7/22)
「“身勝手な豚”の介護ガイド」3: “専門家の世界”に心が折れないために(2011/7/22)
「“身勝手な豚”の介護ガイド」3のオマケ: だって、Spitibaraも黙っていられない(2011/7/22)
「“身勝手な豚”の介護ガイド」4: 「階段から突き落としてしまいたい」で止まるために(2011/7/23)
「“身勝手な豚”の介護ガイド」5: ウンコよりキタナイものがある(2011/7/23)
「“身勝手な豚”の介護ガイド」6: セックスを語ると“子豚”への愛が見えてくる“ケアラー哲学”(2011/7/24)
2011.09.08 / Top↑
米国ケンタッキー州在住のPhilip Seatonさんは2007年10月9日
陰茎の包皮切除術という、なんてことない手術を受けるために病院へ行った。

そして麻酔から覚めたら、ペニスそのものがなくなっていた。

医師は、術中にガンが見つかったので、
ペニスを切り取ったのは必要な措置だった、と主張。

しかし service, love and affection の喪失に対して損害賠償を求めて
訴訟を起こしたSeaton夫妻の弁護士は

事態は緊急を要するものではなかったし、
一家にはセカンドオピニオンを受ける機会が与えられるべきだった、と主張。

医師は2008年のプレスリリースで
「彼が癌になったことは気の毒だが、
その病状に適切かつ必要な治療を提供したことで
医師が責められるのは不当であり不合理である」。

面白いのは、包皮切除の手術となると、やっぱり、この人、
Diekema医師がコメントを求められたらしくて、

医師にこうした外科手術を行う権利があるかどうかは「難しい問題だ」。

「本当に命の危機が差し迫っている事態だったら、
医師は行動することができるし、また行動すべきです」

しかし

「患者を起こして、状況を患者と相談する時間があるなら、
一般にはそれが望ましいですね。とくに、ガンみたいな病気が分かって
臓器や四肢の切除が必要だということになる場合には」

Man goes in for circumcision, wakes up without penis: What happened?
Health Pop, August 19, 2011


この事件、すごくいろんな問題をはらんでいて、
考えていると芋づる式にあれこれ頭がいろんな方向に飛んでいくのだけど、

まず頭に浮かんだのは、
こういう場合に、日本だと、
患者は麻酔で眠らせたまま医師から家族に説明があって

「このまま切除するのがいいと思いますが?」
「じゃぁ、お願いします。おとーさんの命には代えられません」

家族は患者本人の自己決定権なんて、あまり考えずに、
むしろ患者と家族は一心同体みたいな感覚で
平気で代理決定してしまいそうな気がするんだけど、違うかな。

で、目が覚めて、患者は医師ではなくて家族を責める――。

患者が意思決定能力を失っているのは麻酔による一時的な状態であり、
患者が侵襲に同意したのも包皮切除術の範囲でしかないのだから、
これは家族が代理決定できることではない、と考えるのが
たぶん理屈で言えば正しいんだろうな、と思う。

もちろん、差し迫って命にかかわる緊急事態とかでは
また話は別なんだろうけど。

そういえば、この人の手術の時、奥さんは病院にいなかったんだろうか。
いたけど奥さんに代理決定権はないと思った医師が説明しなかったのか……。

ここには、患者本人が了承していない医療的侵襲は
患者の知らないガンヘの治療だった場合にも暴行に当たるのかどうかという一般的な問いと、

それが、たまたま別の外科手術の最中だったという状況ではどうか、という問いと、

無断で切除されてしまったのがペニスという
セクシュアリティとかアイデンティティと繋がった臓器だったことの問題と、
いくつか別種の問題が絡まり合っているような気がする。

最後の点では、
ペニスの切除というのは一般的な臓器の摘出というよりも、
むしろDiekema医師が触れている四肢の切断のほうに近いような……。

でもって、そういうことを考えていると、
「重症障害者には子宮なんか、どうせ用がないのだから」という理由で
QOL維持向上のために、または介護者の便宜のために摘出しても構わない……という論理に
いかにセンシティビティが欠けているか……ということを、また考えるし、

そして、もしかしたら、この事件、どこかで
Seatonさんが思いがけない形で突然にペニスを失ったことの意味とか衝撃の大きさに対して、
「ガンになった臓器なら切除するのが当たり前」としか受け止めない外科医の
センシティビティの欠落した対応が、実は裁判にまでなった要因の1つだったとか、

医療過誤の裁判って、一旦裁判になってしまえば
セカンドオピニオンを取りたかったとか、
その権利を侵害されたとか、自己決定権だとか、
論理で正当性を主張する以外になくなるけど、

案外、本当の問題は結果ではなく、
その結果を巡っての対応のプロセスで「誠意のない対応、心ない言動に傷つけられた」という
論理では主張しきれない、患者の痛みや傷つきの問題だったりするんじゃないのかなぁ……とか、

いろんなことが次々に脈絡もなく頭に浮かんでくる事件。
はたして、どういう議論になっていくのか。

裁判は月曜日から。
2011.08.20 / Top↑