自治体が介護サービスを縮小し、障害者、高齢者に大きな影響が出ている。
Frank Baileyさん(80)は長年72歳の妻Faithさんの介護をしてきた。
Faithさんには心臓病、当女房、喘息、肺疾患、骨粗鬆症などがあり、
自力歩行ができないほか、夜間に呼吸が止まってしまうことがあるために
介護者はロクに眠ることができない。
それで、これまでは夜間の介護者が週に3回派遣されていた。
週末には孫が交代で手伝いに来てくれるので
高齢で自身も関節炎など身体の不調を抱えるFrankさんは
一日おきにぐっすり眠れることだけを救いにして
なんとか厳しい介護を続けてきたのだけれど、
この度の予算削減によって
これからは週2晩しか派遣できないと言い渡されてしまった。
Briminghamでは、要介護者のアセスメントの見直しが行われており、
介護ニーズが「最重要(critical)」でなくて「重要 (substantial)」とされた人は
これまでの介護プラン(ケア・パッケージ)を全面停止される恐れがある。
その数、ざっと4100人。
ただ、微妙なのは、先月Birmingham裁判所が出した暫定的な判断。
4人の障害者の家族が起こした訴訟で、高等裁判所のWalker判事は、
障害者差別(禁止)法のもとで当局には、
たとえそれが他の人よりも優遇することになろうとも、
障害者に社会参加を促し、そのニーズに応える義務がある、との見解を示した。
来週予定されているWalker判事の最終判断までは
アセスメント作業も中断されたままだ。
CarersUK、アルツハイマー病協会、Macmillan Cancer SupportとScopeが共同で行った調査によると、
ニーズに変化がないにも拘らず5人に一人がサービスをカットされており、
半数以上が健康状態の悪化や自立生活の危機を訴えた。
また半数が自己負担分の増加で食費や光熱費も足りない、と答えた。
財政悪化に苦しむ自治体側は
介護サービスをカットされた人をボランティア部門のサービスに繋げていく方針だというが、
実際には自治体はボランティア部門への助成金も相次いでカットしており、
活動が続けられないサポートグループが続出している。
Social care cuts: ‘The people concerned are invixible’
The Guardian, May 10, 2011
この記事で触れられているBirmingamの裁判に関する記事がこちら ↓
Disabled people take anti-cuts protest to the courts
The Guardian, May 10, 2011
今日水曜日、ウエストミンスターで5000人から1万人規模のデモ行進が予定されている。
The Hardest Hitマーチ。予算削減の影響で最もひどい目に会う人たちの行進 ↓
Disabled people to march in London against cuts to benefits and services
それにしても、前から「ひどい、ひどい」と聞く割には
それでもベースラインは日本よりもずっと高いのでは……と思ってはいたけど、
冒頭のBaileyさんたち高齢夫婦のケースを読むと、やっぱりそうだったか……。
Brown政権末期に将来の介護保険制度創設に向けた青写真が描かれていたけど、
あれは結局は選挙に向けた起死回生のパフォーマンスだったみたいだし、
英国には介護保険は今だに存在しない。
日本にはれっきとした介護保険制度が存在する。
「世界に冠たる我が国の介護保険」と胸を張る人が
日本の介護業界には何人もいる。(もちろん現場の人じゃない)
それでも家で家族の介護をしている80歳の高齢介護者の中で
週に3晩とか2晩はおろか1晩だって「介護サービスが入ってくれるから、
その晩だけは熟睡させてもらえます。だからこそ、なんとか介護を続けていられます」
と言える人が、日本の国のどこに……?
英国の障害者や高齢者には申し訳ないけど、
私には、この記事、この発見が何よりもショックだった……。
なお、去年「介護保険情報」11月号に
「貧困とウツ状態にあえぐ英国の介護者たち」という一文を書きました。
この段階で、既に「障害者手当20%カット」が打ち出されており、
この連載で取り上げたチャリティの調査も、それに対して
現状を訴えて異を唱える試みのようでした。
【英国のベースラインについて具体的な情報を含んでいるエントリー】
レスパイト増を断れた重症児の母の嘆きの書き込みがネット世論動かす(英)(2011/1/21)
【米国のベースラインについて具体的な情報を含んでいるエントリー】
Ashleyケース、やはり支援不足とは無関係かも(2008/12/8)
米国IDEAが保障する重症重複障害児の教育、ベースラインはこんなに高い(2010/6/22)
「チョコレートは確かに薬じゃありません。でもソラナックス(抗不安薬)より効きますよ」
2010年の大みそか、ニューヨーク・タイムズの記事で、こんな印象的な言葉と出会った。新年が明けても電子版で「最も読まれた記事」ランキング上位にしばらく留まった、その記事のタイトルは「アルツハイマー病の患者本人の思いのままに、チョコだってあげちゃいます(Giving Alzheimer’s Patients Their Way, Even Chocolate)」。
問題行動が激しく他の施設を断られたり追い出された認知症の高齢者を受け入れ、落ち着きを取り戻すことに成功してきた、アリゾナ州のキリスト教系ナーシング・ホーム、ビーティテューズ・キャンパスは、その優れた認知症ケアで数々の賞を受賞している。研修プログラムには全米から多くの医療関係者が集まってくる。98年開設の認知症ユニットは46床で、認定看護助手(CNA。日本の介護職にあたる)が1:8、看護職が1:22の職員配置。
個別ケアで明るい気分を引き出す
同ホームのケア方針の柱は徹底した個別ケアだ。個別プランは、「私は」と本人視点の一人称で書く。何時に寝ようと何時に起きようと、入浴や食事の時間もまったく自由。そのため、活動プログラムも全職員による24時間体制となっている。集団活動は行わず、あくまでも個別プログラムに沿った1対1対応。時刻とは関わりなく、感覚を刺激する活動と感覚を鎮める活動とのバランスをとって、その人のリズムに合わせる。
食堂は、個々の入所者の栄養管理情報を備え、いつでも個別対応が可能な24時間営業のレストランだ。寝酒もOKだし、夜中の2時に食べたいものを食べたっていい。医師お墨付きの減塩・低脂肪食こそが、実は食欲減退の犯人だったりもする。みんなで一斉に食べる環境では気が散るために、後で空腹から不穏になる人もある。食べたいものがベーコンやチョコだってかまわない。楽しい・嬉しい気持ちになることが問題行動の軽減につながる。
しかし今でこそ同施設のケアの力を高く評価する州当局も、かつてはカルテにチョコレートの記述を見つけて、不適格施設に指定しようとしたことがあったそうだ。
冒頭は、そのエピソードを語った認知症ケア・プログラム担当者の言葉である。彼女のエプロンのポケットには誰もが好きなチョコが常に入っている。入所者それぞれの好物も頭に入っている。不穏になりそうな時、まずは好物をちょっと口に入れてあげる。その風味に、ふっと表情が和らぐ。それは確かに、私たち誰もが知っている、日常のささやかな安らぎだ。
介護アプローチの力を科学的に実証
未だに決定的な治療法が見つからない認知症の高齢者に対する、こうした介護アプローチのポテンシャルが、米国で評価され始めている。これまで、主観的だとか偶発的な結果に過ぎないといわれては軽視されてきた介護アプローチの有効性が、退役軍人省や国立老化研究所など政府機関によって研究され、科学的に検証されようとしている。
例えば、周辺環境の工夫によって気分や行動の変容を図るものとしては、米国医学会誌に08年に発表された実験がある。日中の施設内の照明を明るくすることによって体内時計のリズムがよくなり、入所者のウツ状態や認知機能ばかりか認知以外の機能の低下も改善された。「とりあえず何か一つをと思うなら、まず照明を明るく」と勧める専門家もいる。
ビーティテューズの認知症ユニット(4階)のエレベーターの前には、真黒な四角いマットが敷いてある。認知症が進んだ高齢者の目には穴に見えるようだ。マットの端に沿って歩く人はいても、踏み越えていく人はいない。逆に、乗ってもらいたい時には白いタオルでマットを隠す。エレベーターのドアが開く時は、スタッフがさりげなく正面に立ち、思い切り大きな笑顔で「こんにちは」と声をかける。目の前の人にニコニコ顔で挨拶されると、人の注意はつい笑顔に向かうものらしい。
ドイツではいくつかの施設が、建物正面に本物そっくりなバス停を作って徘徊防止に成功している。長期記憶の残っている高齢者は、施設を出たところに昔から見慣れた緑と黄色のバス停を見つけると、そこでバスを待ち始めるそうだ。頃合いを見てスタッフが「バスが来るまで時間があるから、お茶でも飲んで待ちませんか」と中に誘う。
09年に発表されたアイオワ大学とハーバード大学の研究では、海馬の損傷で記憶障害のある患者に、悲しい気持ちになる映画を見てもらった。6分後には映画を見た記憶は失われたが、映画によって引き起こされた感情そのものは30分後もまだ続いていた。楽しい気持ちになる映画でも結果は同じだった。一見「不穏」と思われる行動の背景には、記憶の消失のために原因となった出来事を説明できないだけで、何かに誘発された気持ちが持続している事情があるのでは、と研究者は推測する。
介護者支援の効力
その人の生活歴から明るい気持ちを引き出すアクティビティを見いだし、在宅ケアの介護者に手ほどきをする作業療法の個別活動プログラム(TAP)も注目されている。TAPでは、認知症患者本人の残存能力、発症前の役割、習慣や興味などのアセスメントに基づいて、本人に明るい気持ちをもたらし家族も導入しやすいアクティビティを見つけ出していく。
介護者との8回のセッションを通じてアセスメントを繰り返しながら、4ヶ月間に渡って展開した実験で、効果が認められたことが、オックスフォード大学の老年学雑誌に報告されている。発症前に釣り好きだった男性は、釣りの用具箱をセッティングする能力が残っていたので、毎日用具箱を渡してやってもらったところ、4カ月後には以前よりも明るく活動的になり、同じ質問の繰り返しや介護者への付きまといなどの問題行動が減少した。本人が変わり問題行動が減ると、介護者にも精神的なゆとりが生まれ、介護に自信ができる。
介護者支援によって施設入所を遅らせることができるとのエビデンスも出始めている。ニューヨーク大学が1987年から2005年まで、認知症の配偶者を介護している約400人を対象に行った実験では、6回の個別カウンセリングを受けてもらい、その後も必要に応じて電話相談を受け付けたグループでは、何もなかったグループよりも、患者の施設入所を1年半遅らせることができた。
また保健省と退役軍人省とが6ヶ月間行った認知症の介護者支援研究では、介護者をランダムに分けたグループの一方には個別カウンセリング(自宅で9回と電話で3回)と、ディスプレイ付き電話による支援グループ活動への参加を5回提供した。もう一方のグループには啓発資料と簡単な電話での聞き取りを2回提供したところ、ウツ状態を訴えた介護者の割合は前者で12.6%、後者で22.7%だった。また前者では患者本人の通院回数も減った。病状に変化はなくとも、介護者が変わると患者本人にも良い影響がもたらされることがわかる。「介護者支援への投資は患者の在宅期間を延ばし、コスト削減につながる」と退役軍人省の関係者は言う。
ビーティテューズでは、新しい患者が入所すると、それまでの施設で出されていた抗精神病薬をやめて、投薬を痛みのケアに焦点化する。拘束せず、時間をかけて経管栄養から経口食に移行。おむつも極力はずしてトイレに誘導する。やってみれば案外にできる人が多いし、このやり方の方が結局はケア・コストも低いという。
発症前に愛用していた香水をつけてあげると落ち着いた女性もいる。また別の女性は、赤ちゃん人形を肌身離さず持ち歩き、若い頃の育児の通りに世話をすることで会話や食べる意欲を取り戻した。母親としての自分に誇りを持っている人だったのだろう。
「その人の持つ力に気付くことが私たちの仕事」と、同ホームのスタッフは語る。どのような人生を過ごしてきたか、一人一人の生活歴をしっかり知ることから個別ケアは始まる。「気づいてもらえるほど、誰かが自分のことを大切に思ってくれている……そう感じられることが大事なんです」。
「誰かが自分のことを大切に思って」というところで、この人が使った動詞はCare――。
この記事を読み、何年も前に取材先で聞いた言葉を思い出した。
「体調を崩し、食べられなくなったからといって、なぜ、すぐに点滴だ、チューブだという話になるのか。なぜ、卵焼きを焼いて食べさせてみようという発想ができないのか」
日本でいち早く拘束やチューブ・オムツ外しに取り組んできた福岡の医療法人笠松会、有吉病院の有吉道泰院長の言葉だ。食を単なるカロリーと栄養の問題に貶めず、チョコや卵焼きが象徴する人として当たり前の生活へ、さらに尊厳ある生を支えるケアへと繋いでいくもの――。それが、食にとどまらず、すべてに通じいく「Careの心」であり、すなわち「Careの力」ではないだろうか。
こうした介護アプローチの底力は、実は日本の介護現場にだって、たくさん蓄積されている。それこそが、世界に冠たる日本の介護保険の、何よりの財産なのではないか――。初春に、そんなことを考えた。
その財産がしっかり生かされるような展望が、介護保険に大きく開ける年でありますように。
「介護保険情報」2011年2月号
連載:世界の介護と医療の情報を読む
旧軍医学校跡を発掘へ 東京・戸山「七三一部隊の拠点」(朝日新聞から)]
アジア・フォーラム東京三多摩 2011/1/6
で、いよいよ、その発掘作業が始まったというニュースが昨日あった ↓
「新宿区戸山の人骨」発掘開始 731部隊との関連指摘も
京都新聞 平成23年2月21日21時35分更新
ウチも朝日新聞をとっているのに
恥ずかしながら、この事件は知らなかった。
自分が知らなかったからというだけで
「大きく報道されなかった」と結論付けるのはどうかと思うけど、
昨日、私がこのニュースを知ったのは、
GuardianのニュースレターのWorld Newsでトップ扱いされていたからで、
日本語メディアからではなかった。
Japan unearths site linked to human experiments
The Guardian, February 21, 2011
1日経って、これ、ものすごく読まれているらしくて、
先ほど20時頃にクライストチャーチの地震のニュースを読んだ際、
ページの右コラムにあるWorld Newsの過去24時間のViewカウント、トップになっていた。
ちなみに、このエントリーを書くための検索で、こんなものがヒットしてきた。
731部隊・・鬼畜たちのその後の職業
731部隊にいた人たちが戦後、どういう職や地位に就いたか、という一覧。
ちょっと息を飲んでしまう感じ。
ミドリ十字の血液製剤問題の時に、そういう話をちらりと聞いた覚えはあるけれど、
まさか、ここまで大挙してズラリと大学、製薬会社や国立衛生研究所へと
みなさんが「ご栄転」の上、その後も日本の医療を担っておられたとは……。
ナチスの医師たちも、そうだったのかしら……。
医師や看護師が密かにネットワークを作り、
新生児を親から盗みだしては売りさばいていたとして、
産科クリニックの元従業員や違法な養子縁組をした親の証言を証拠として提出し、
スペインの病院で過去50年間に姿を消した261人の新生児の親たちが
検事局長に捜査を求める嘆願書を提出。
子どもは死産だったとか生まれてすぐに死んだと
医師、看護師、尼僧、僧侶みんなが母親にウソを付いていたという。
問題が指摘されたマドリッドのクリニックを調べたジャーナリストは
冷蔵庫に入った赤ん坊の遺体1体を発見した。
子どもが死んだ証拠として親に見せるためだったのでは、
との憶測を呼んでいる。
The National Association of Irregular Adoptionsでは、
今のところDNA鑑定で証明されたケースもあり、
ただ盗まれた疑いだけのケースもあるが、
いずれにしろ組織的犯罪だと考えている、と。
被害者となった親の多くは、出産当時、
元気そうに見えたのに生まれてしばらくして死んでしまったと聞かされており
遺体に会うこともなく埋葬も病院が引き受けたという。
医療職として患者に対して高圧的に出ることによって騙しおおせたこと、
狙われたのが特に貧しい患者だったことが共通している。
しかし、葬儀が行われていれば書類が残っているはずだが、
それらの子どもたちは生まれた事実そのものが記録されていない。
その事実こそが、疑わしいケースの多さを予感させる。
確かに我が子の泣き声を聞いた、という母親も多く、
今どこにいるのかを知りたい、あなたを捨てたわけじゃない、盗まれたのだと伝えたい、と。
ただ、話がややこしいのは、
1987年に養子縁組法が改正されるまで、規制が緩やかで、
独身女性が産んだ子どもは秘密裏に養子に出されるケースが多かったこと。
そこにも秘密のネットワークが介在し、最初から養母が生んだように
出生届が改ざんされることも行われていたという。
フランコ時代には
危険な左翼思想を持つ母親からは、生んだ子どもを取り上げることもあった。
秘密の組織はその時代にできたものではないか、
そういう子どもを売って儲かっていたので、フランコ以降も続いたのではないか、と
推測する人もある。
Hundreds of Spanish babies ‘stolen from clinics and sold for adoption’
The Guardian, January 27, 2011
Spain seeks truth on baby-trafficking claims
The Guardian, January 27, 2011
地方自治体の社会サービスにレスパイト・サービスを増やしてほしいと要望していたが、
昨日20日に、これ以上のレスパイトは増やせないとの回答を文書で受け取った。
頭にくると同時にパニックしたVincentさんは、その日のうちに
社会サービスに電話をして、それなら入所施設を探したいと申し込みをした。
そして、インターネット上に
「ウチの娘を施設に入れてちょうだい、と社会サービスに頼みました。
レスパイトの追加はできないというんです。それなら私はやっていけません」と書きこんだ。
これが反響を呼ぶ。
特に、昨年の政権交代が実現した選挙の期間中、
Cameron現首相が選挙活動の一環で彼女の家を訪れて面談し、
障害児を害するような施策はとらないと約束していたことが判明するや、
連立政権の社会福祉削減策への反発も手伝って、ネット上での非難は過熱。
この訪問は、
選挙期間中にオンラインで障害児の親と対話をもったCameron氏が
重症障害のある我が子のオムツ代がどれだけ支給されているかを知らなかったことから、
ウチに来れば教えてあげるのに、とネットにお茶への招待を書きこんだところ、
本当にやってきた、というもの。
その時、自分が首相になったら
1日オムツ4枚の支給制限を外すよう地元のプライマリー・ケア・トラストに手紙を書くと
約束もしたらしい。実際に首相になっても4枚制限は変わっていないけれども。
オムツ代はともかく、Vincentさんは
施設に入れると介護費用は毎週2000から3000ポンドかかるのに対して
在宅でケアすればヘルパーは1時間15ポンドで済むのに、と。
娘のCelynちゃんは全介助で、
経管栄養、歩くことも話すことも座ることもできず、
腕も使えず、排泄も自立していない。移動はリフトを使用。
VincentさんがCelynちゃんの介護について語っていることを以下に抜き出すと、
(Celyneの呼吸モニターの傍で寝ているので、とぎれとぎれにしか眠れない)日々が
7年間も続いて疲れ果て、母親の方がぐったりエネルギー不足になっている。
「(施設に入れるという選択は)母親として私自身にとっても大きな痛手になります。家族のいる家に置いてやりたいです。まさか自分がここまでになるとは思っていませんでした。娘を施設に入れたくないです。そんなことになったら、私は立ち直れないと思います。でも、これ以上の支援がないとなれば、家で娘のニーズに応えるのは難しい」
施設入所の決断は単純ではなく、まだ最終的に結論を出したわけではないが、
もうそれ以外にやりようがない。
Celynのケアは「過酷」。
「誰かが24時間つきっきりにならないといけないんです。
Celynは成長しないんですから」
ネットでの非難を受け、首相の秘書官は
Vincentに手紙を書くこと、自治体に圧力をかけることを約束する一方で、
しかし、これは地方自治体の問題である、と。
また今後、障害児の親のレスパイトには既に8億ポンドの予算を約束しています、とも。
もっとも、この予算は使途の制限を付けずに地方に降りるので
必ずしもレスパイトに回るとは限らないとの指摘も。
Mother who met PM asks to put disabled daughter into care
The Guardian, January 19, 2011
問題は連立政権が進めている社会保障縮小からくる制度的なものだと思われるので、
この人、よく声を上げたなぁ、えらいぞ、勇気があるぞ……とも思うし、
それにネット世論がうまく反応してくれて、こうしてクローズアップされ
首相広報官のところにまで話が上がっていったことには、
同じ親として、しめしめ……という気分がないわけではないけど、
でも、なぁ……と、どうしても今ひとつ全面的にこの話にノリ切れないのは、
① 「これをしてくれないなら、こうしてやる」という、一種の脅しに聞こえること。
② これは個別ケースの問題なのか、という疑問を感じてしまうこと。
以上2つの点で、
「私が死にたい時にスイスに付き添ってもウチの旦那を罪に問わないと
法を明確化して保障してくれないなら、まだ行きたくはないけど、
私は自分だけで行ける早いうちにスイスに行って死んでやる」と
言い続けたDebbie Purdyさんのヤリクチに通じるものを
そこはかとなく感じてしまうから。
あくまでも個別ケースの問題として考えるならば、
仮に英国の法律が明確化されない場合に、スイスに行って死ぬ計画を早めるなら、
それこそ自己決定であり誰の責任でもないだろうに、
「まだ死ななくてもいいし、死ぬ予定もなかった時期に
あたしが早々とスイスに行って死ぬことを決めたら、
それは夫の不起訴を約束しなかったあなたたちの責任だからね」とばかりに
英国政府の責任だと当てつけて、それを駆け引きに使うのは筋違いだろう。
Vincentさんの「レスパイト増やしてくれないだったら、施設に入れます」というのも
通知を受け取った日の内に社会サービスに電話をかけて、そう言い、ネットにもそう書きこんだもので、
決して親として熟考してのこととは思えないし、
そこまでさせる行政をそういう形で責めて動かそうとしているだけのような……。
で、そんなふうに罪悪感によって相手を操作しようとする戦術が入ってくるのは、
私はPurdyさんにしろVincentさんにしろ、個人的な問題と捉えているからなんだろうという気がする。
そして、Vincentさん自身だけでなくネット世論も、首相広報官までもが、
この一件をVincentさん一家の個別の問題としてしか扱っていない、
というところにも違和感がある。
インターネットで騒ぎになっているからといって、
首相の広報官がVincentさんの地元の社会サービスに圧力をかける、などと言いだすのは
まったく筋の通らない、おかしな話だし、
仮に、それで追加のレスパイトが認められたとしたら、
Vincentさんは納得して、ネットで非難している皆さんも「めでたし、めでたし」で
この件は落着するのか。そういう問題なのか。
じゃぁ、Vincentさんと全く同じ境遇に置かれている多くの重症児の親はどうなるの――?
みんな、それぞれにインターネットで窮状を訴え、世論を動かさなければならないの?
それぞれに首相に直接訴えていけ、というの?
最近めっきり少なくなったけど、
日本のメディアが障害児を美談に祭り上げる時にも、いつも同じ疑問を感じてきた。
○○ちゃんがテレビで天使のようだとクローズアップされ、世間の話題になり、
そうするとボランティアをやりたい人たちが、どわっと世間から沸いて出る。
でも、その大半は○○ちゃんのボランティアをやりたい人たちで、
○○ちゃんちの近所に同じような障害のある子どもがいたとしても、
その子になんか興味があるわけじゃないのね。
なんか、そういうズレ方みたいなものが
この一件にも、そこはかとなく漂っているような……。
それから、もう一つ。
この展開、
Vincentさんの家庭の事情とか、現首相との因縁とか、
ネットで書き込みのトーンとか表現とか、
書きこんだネット上のサイトの性格とか、
その日その時のそのサイトの空気とか、
そういう、何か、ちょっとしたことが違っていたら、
案外、誰か一人が
「もう自分で面倒見れないっていうんだったら、勝手に入所させろよ」と言い放ち、
そうすると今とは全く逆の、そっちの方向に周りの反応がわっと振れてしまった可能性だって
今の英国社会の空気にはあるんじゃないのかなぁ……。
なんとなく日本の“タイガー・マスク運動”を連想してしまった……。
――――――
日本の重症児の親たちの多くが十分な支援がないまま
Vincentさんのように「もう自分にはやっていけない」というところに
(もしかしたら、それ以上に)追い詰められていることを
追記しておきたいと思います。
報道を読んでいると、不足ばかりが言われているような印象を受けますが、
専門家ならぬ私には詳細までは分からないものの、たぶん英米の支援のベースラインは
日本よりもかなり高いのではないかと私は常々感じています。
たとえば、07年の英国のKatie Thorp事件の際に
当時15歳のKatieがどれほどの支援を受けていたか、
こちらのエントリーから抜き出してみると、
・知的障害児の学校からの帰りはタクシーを利用。
・週に1度は「ティーンズ・クラブ」に通い、定期的にお出かけにも連れて行ってもらう。
・時々家族のレスパイトのためにKatieを預かってもらう。
英国の福祉については、
「イギリスではなぜ散歩が楽しいのか」という本から(2009/3/9)
英国の介護者支援に思うこと(2008/7/4)
特に英国の介護者支援は法制化されており、
それらについてのエントリーはこちらとかこちらのシリーズにまとめています。
また米国の重症児への支援の実態については
Ashleyケース、やはり支援不足とは無関係かも(2008/12/8)
米国IDEAが保障する重症重複障害児の教育、ベースラインはこんなに高い(2010/6/22)