2007年にAshley療法に関する調査報告書を書いたWPASは
その後、DRW(Disability Rights Washington)と名前を変えていますが、
最近、障害者の保護と権利擁護(P&A)全国組織NDRNと一緒になって
A療法、強制不妊、治療の一方的な差し控えと中止を糾弾する報告書を出したことは、
これまでにいくつかのエントリーで紹介してきました。
(詳細は文末にリンク)
そのDRWのサイトで、
現在、アシュリー療法に関するインターネット投票が行われています。
問いは、
Do you believe there should be more safeguards to prevent medical discrimination such as in the “Ashley Treatment”?
“アシュリー療法”に見られるような医療差別を防ぐために
今以上のセーフガードが必要だと思いますか?
7月29日21時現在の結果は、以下の通り。
Yes 95.45% (84票)
No 4.55% (4票)
No Opinion 0% (0票)
私は84票目を入れました。
投票は、以下のサイトの左欄中ほど、CURRENT POLLから ↓
http://disabilityrightsgalaxy.com/
【NDRN報告書関連エントリー】
障害者人権擁護ネットから報告書「“A療法”・強制不妊・生命維持停止は人権侵害(2012/6/20)
障害者の人権を侵害する医療への痛烈な批判: NDRNの報告書「まえがき」(2012/6/22)
障害者への医療の切り捨て実態 7例(米)(2012/6/26)
NDRN報告書:概要(2012/7/7)
NDRN報告書:WI州の障害者への医療切り捨て実態 2例(2012/7/9)
NDRN報告書: A療法について 1(2012/7/13)
NDRN報告書: A療法について 2(2012/7/13)
NDRN報告書:カルメンの強制不妊ケース(2012/7/14)
その後、DRW(Disability Rights Washington)と名前を変えていますが、
最近、障害者の保護と権利擁護(P&A)全国組織NDRNと一緒になって
A療法、強制不妊、治療の一方的な差し控えと中止を糾弾する報告書を出したことは、
これまでにいくつかのエントリーで紹介してきました。
(詳細は文末にリンク)
そのDRWのサイトで、
現在、アシュリー療法に関するインターネット投票が行われています。
問いは、
Do you believe there should be more safeguards to prevent medical discrimination such as in the “Ashley Treatment”?
“アシュリー療法”に見られるような医療差別を防ぐために
今以上のセーフガードが必要だと思いますか?
7月29日21時現在の結果は、以下の通り。
Yes 95.45% (84票)
No 4.55% (4票)
No Opinion 0% (0票)
私は84票目を入れました。
投票は、以下のサイトの左欄中ほど、CURRENT POLLから ↓
http://disabilityrightsgalaxy.com/
【NDRN報告書関連エントリー】
障害者人権擁護ネットから報告書「“A療法”・強制不妊・生命維持停止は人権侵害(2012/6/20)
障害者の人権を侵害する医療への痛烈な批判: NDRNの報告書「まえがき」(2012/6/22)
障害者への医療の切り捨て実態 7例(米)(2012/6/26)
NDRN報告書:概要(2012/7/7)
NDRN報告書:WI州の障害者への医療切り捨て実態 2例(2012/7/9)
NDRN報告書: A療法について 1(2012/7/13)
NDRN報告書: A療法について 2(2012/7/13)
NDRN報告書:カルメンの強制不妊ケース(2012/7/14)
2012.08.02 / Top↑
アシュリー事件に関して2007年当初から一貫して「アシュリーは私だ」と言い
重症障害者だけの問題ではない、障害者みんなの問題だと
批判を続けている障害当事者のWilliam Peaceが
辱そうを感染させて長い間寝たきりとなって
自宅で訪問看護や介護を受けていたことは去年、
彼自身のブログで読んで知っていたのですが、
一昨年その治療で入院した際に
ま夜中にやってきた医師から治療を放棄して死ぬよう、教唆を受けていたとは……。
Peaceはその場で「治療はしてほしいし自分は生きたい」と強く答えたものの、
その時の恐怖も、その後の恐怖もあまりに大きくて、これまで誰にも
その経験について語ることができなかったと言います。
今回、Hastings Center Reportに発表したエッセイで
その詳細を明かし、これは自分だけに起こった例外事例ではなく、
障害者はずっと病院を敵意に満ちた危険な場所だと感じてきたし、
障害者を正常からの逸脱としか見なさない医師らは
障害のある患者のいうことには耳を傾けないというのも
障害者がみんな感じてきた不安でもある。
自分に「治療を拒否するなら苦しまずに死なせてあげる」とほのめかした医師を含め、
こうした医療職の障害者への無理解・無神経な扱いは、
医療が障害者の生を価値なきものとみなし、
障害のある生を生きるよりは死の方がマシだとの
価値意識が根深いことの証である、
障害学はこの点で多くの仕事を成してきたのだから、
医療の専門職が本当に頭が良いなら障害者の発言から学ぼうとするはずなのに、と
エッセイを結んでいます。
冒頭、小説のような筆致で生々しく描かれる医師の教唆場面の概要とは
長い入院の挙句、感染した傷の状態が悪化し、そこへMRSAの感染まで重なって、高熱を出し、意識も朦朧として、おう吐し続けていたPeaceは、それでも17歳で半身まひになって以来ずっと医療と付き合ってきた者として、今の状態は悪いにせよ命がどうこうという事態ではないことは分かっていたという。
夜中の2時、これまで見たことのない医師が看護師を伴って入ってきた。
看護師に薬を取りに行かせて2人きりになると、その医師はまず、自分の病状の深刻さを分かっているか、と聞いた。分かっていると答えると、
これから半年、もしかしたら1年以上もあなたは寝たきりになる、もしかしたら傷がこのまま治らない可能性も高い。そうなったら、あなたは二度と車いすには乗れないし、仕事もできない、生涯に渡って全介助の生活になる。医療費もかさんで、あなたは破産しますよ。治癒する前に保険は切れるし、このタイプの傷ができた人はたいていナーシング・ホーム行きになります。
強力な抗生剤を使っているので、臓器がやられる可能性があり、腎臓とか肝臓はいつ機能不全になっても不思議はない。傷が解放性だし、深くて元の感染が酷いから、そこへMRSA感染となると命が危ういし、マヒのある人がこういう事態になると多くは死にます。
そう語った後で、医師は抗生剤の投与はあなたの意志によるものであり、あなたの意志のみによるものです、あなたには薬の投与をやめる権利があります。命を救うための抗生剤をやめる権利もあります。もしも現在の治療の続行を望まないなら、苦痛を取り除いてあげます、と言った。
ここでPeaceは次のように書いている。
Although not explicitly stated, the message was loud and clear. I can help you die peacefully. Clearly death was preferable to nursing home care, unemployment, bankruptcy, and a life-time in bed.
はっきりと言葉にしなくとも、メッセージは明らかだった。穏やかに死なせてあげますよ。だって、ナーシング・ホームに入って、失業し破産して、一生寝たきりになるくらいなら、死んだ方がマシでしょう、と。
Comfort Care as Denial of Personhood
William Peace
The Hastings Center Report 42, no.4 (2012):14-17, DIE 10.1002/hast.38
ちなみに、このエッセイ、タイトルは「人格の否定としての緩和ケア」。
Bill Peaceのエッセイの趣旨は、
現在少しずつエントリーにしているNDRNの報告書の趣旨とも
また1年がかりで読んだアリシア・ウ―レットの「生命倫理と障害」の主張とも同じ。
ちなみに、Bill Peaceが障害者に対する医療の偏見を象徴する事例として挙げているのは
Larry MacAfee事件、David Rivlin事件、Dan Crews事件と Christine Symanski事件。
このうちLarry MacAfee事件は
ウ―レットの「生命倫理と障害」第6章でとりあげられており、
当ブログでも以下のエントリーでとりまとめています ↓
(そこで類似事件としてRivlin事件が触れられています)
Oulette「生命倫理と障害」第6章:Larry MacAfeeのケース(2012/3/31)
またSymanskiさんについては
今年2月17日の補遺でThaddeus Popeの記事を拾っていました↓
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/64761787.html
【その他関連エントリー】
医療職の無知が障害者を殺す?(2008/4/23)
「医療における障害への偏見が死につながった」オンブズマンが改善を勧告(2009/3/31)
オンブズマン報告書を読んでみた:知的障害者に対する医療ネグレクト
Markのケース:知的障害者への偏見による医療過失
Martinのケース:知的障害者への偏見による医療過失
―――――――――
ちょっと偶然が重なったので、余計に気になることとして、
Peaceに治療拒否を教唆した医師は hospitalist と説明されています。
実は hospitalist については先月、
米国の介護者支援の文脈で知ったばかりでした。
導入は90年代だったようですが、
最近になって急速に普及してきた総合医のことで、
医療が高度に専門分化し多職種の関与で複雑化する中、
入院患者の入院中の医療をコーディネートし、
退院までをトータルにサポートするというのがコンセプトのようなのですが、
私が出会ったのは家族介護者に向かって
医療職との望ましい協働のために、というアドバイスのページで、
最近の病院はとにかく早期退院だから、介護者はそれを十分に念頭において
医療職と適切なコミュニケーションを図ることが重要だと強調する
その内容から受けた印象では上記のコンセプトは建前に過ぎず、
医療資源の効率的な使用と病院の利益のために
特に重症患者の早期退院に向けて尽力する職種、という感じも。
そのページはこちら ↓
What Is a Hospitalist? A Guide for Family Caregivers
Next Step in Care
Family Caregiver & Health Care Professionals Working Together
これについてまた改めて取りまとめたいと思っていますが、
日本でもホスピタリスト導入に向けた動きがあるようです。
Peaceのエッセイから推測するに
早期退院に向けて尽力する、だけではないみたい……?
重症障害者だけの問題ではない、障害者みんなの問題だと
批判を続けている障害当事者のWilliam Peaceが
辱そうを感染させて長い間寝たきりとなって
自宅で訪問看護や介護を受けていたことは去年、
彼自身のブログで読んで知っていたのですが、
一昨年その治療で入院した際に
ま夜中にやってきた医師から治療を放棄して死ぬよう、教唆を受けていたとは……。
Peaceはその場で「治療はしてほしいし自分は生きたい」と強く答えたものの、
その時の恐怖も、その後の恐怖もあまりに大きくて、これまで誰にも
その経験について語ることができなかったと言います。
今回、Hastings Center Reportに発表したエッセイで
その詳細を明かし、これは自分だけに起こった例外事例ではなく、
障害者はずっと病院を敵意に満ちた危険な場所だと感じてきたし、
障害者を正常からの逸脱としか見なさない医師らは
障害のある患者のいうことには耳を傾けないというのも
障害者がみんな感じてきた不安でもある。
自分に「治療を拒否するなら苦しまずに死なせてあげる」とほのめかした医師を含め、
こうした医療職の障害者への無理解・無神経な扱いは、
医療が障害者の生を価値なきものとみなし、
障害のある生を生きるよりは死の方がマシだとの
価値意識が根深いことの証である、
障害学はこの点で多くの仕事を成してきたのだから、
医療の専門職が本当に頭が良いなら障害者の発言から学ぼうとするはずなのに、と
エッセイを結んでいます。
冒頭、小説のような筆致で生々しく描かれる医師の教唆場面の概要とは
長い入院の挙句、感染した傷の状態が悪化し、そこへMRSAの感染まで重なって、高熱を出し、意識も朦朧として、おう吐し続けていたPeaceは、それでも17歳で半身まひになって以来ずっと医療と付き合ってきた者として、今の状態は悪いにせよ命がどうこうという事態ではないことは分かっていたという。
夜中の2時、これまで見たことのない医師が看護師を伴って入ってきた。
看護師に薬を取りに行かせて2人きりになると、その医師はまず、自分の病状の深刻さを分かっているか、と聞いた。分かっていると答えると、
これから半年、もしかしたら1年以上もあなたは寝たきりになる、もしかしたら傷がこのまま治らない可能性も高い。そうなったら、あなたは二度と車いすには乗れないし、仕事もできない、生涯に渡って全介助の生活になる。医療費もかさんで、あなたは破産しますよ。治癒する前に保険は切れるし、このタイプの傷ができた人はたいていナーシング・ホーム行きになります。
強力な抗生剤を使っているので、臓器がやられる可能性があり、腎臓とか肝臓はいつ機能不全になっても不思議はない。傷が解放性だし、深くて元の感染が酷いから、そこへMRSA感染となると命が危ういし、マヒのある人がこういう事態になると多くは死にます。
そう語った後で、医師は抗生剤の投与はあなたの意志によるものであり、あなたの意志のみによるものです、あなたには薬の投与をやめる権利があります。命を救うための抗生剤をやめる権利もあります。もしも現在の治療の続行を望まないなら、苦痛を取り除いてあげます、と言った。
ここでPeaceは次のように書いている。
Although not explicitly stated, the message was loud and clear. I can help you die peacefully. Clearly death was preferable to nursing home care, unemployment, bankruptcy, and a life-time in bed.
はっきりと言葉にしなくとも、メッセージは明らかだった。穏やかに死なせてあげますよ。だって、ナーシング・ホームに入って、失業し破産して、一生寝たきりになるくらいなら、死んだ方がマシでしょう、と。
Comfort Care as Denial of Personhood
William Peace
The Hastings Center Report 42, no.4 (2012):14-17, DIE 10.1002/hast.38
ちなみに、このエッセイ、タイトルは「人格の否定としての緩和ケア」。
Bill Peaceのエッセイの趣旨は、
現在少しずつエントリーにしているNDRNの報告書の趣旨とも
また1年がかりで読んだアリシア・ウ―レットの「生命倫理と障害」の主張とも同じ。
ちなみに、Bill Peaceが障害者に対する医療の偏見を象徴する事例として挙げているのは
Larry MacAfee事件、David Rivlin事件、Dan Crews事件と Christine Symanski事件。
このうちLarry MacAfee事件は
ウ―レットの「生命倫理と障害」第6章でとりあげられており、
当ブログでも以下のエントリーでとりまとめています ↓
(そこで類似事件としてRivlin事件が触れられています)
Oulette「生命倫理と障害」第6章:Larry MacAfeeのケース(2012/3/31)
またSymanskiさんについては
今年2月17日の補遺でThaddeus Popeの記事を拾っていました↓
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/64761787.html
【その他関連エントリー】
医療職の無知が障害者を殺す?(2008/4/23)
「医療における障害への偏見が死につながった」オンブズマンが改善を勧告(2009/3/31)
オンブズマン報告書を読んでみた:知的障害者に対する医療ネグレクト
Markのケース:知的障害者への偏見による医療過失
Martinのケース:知的障害者への偏見による医療過失
―――――――――
ちょっと偶然が重なったので、余計に気になることとして、
Peaceに治療拒否を教唆した医師は hospitalist と説明されています。
実は hospitalist については先月、
米国の介護者支援の文脈で知ったばかりでした。
導入は90年代だったようですが、
最近になって急速に普及してきた総合医のことで、
医療が高度に専門分化し多職種の関与で複雑化する中、
入院患者の入院中の医療をコーディネートし、
退院までをトータルにサポートするというのがコンセプトのようなのですが、
私が出会ったのは家族介護者に向かって
医療職との望ましい協働のために、というアドバイスのページで、
最近の病院はとにかく早期退院だから、介護者はそれを十分に念頭において
医療職と適切なコミュニケーションを図ることが重要だと強調する
その内容から受けた印象では上記のコンセプトは建前に過ぎず、
医療資源の効率的な使用と病院の利益のために
特に重症患者の早期退院に向けて尽力する職種、という感じも。
そのページはこちら ↓
What Is a Hospitalist? A Guide for Family Caregivers
Next Step in Care
Family Caregiver & Health Care Professionals Working Together
これについてまた改めて取りまとめたいと思っていますが、
日本でもホスピタリスト導入に向けた動きがあるようです。
Peaceのエッセイから推測するに
早期退院に向けて尽力する、だけではないみたい……?
2012.07.20 / Top↑
NDRN報告書のP. 21より、
知的障害者への強制不妊を人権擁護団体の介入が阻止したケースの概要を。
2008年の事件。
2008年に母親が産婦人科医を訪れ、
知的障害のある娘カルメン(22)は生理が重く、生理痛もひどく
頻繁に尿路感染を起こす、自分でケアできない不衛生が原因で
腎臓に感染が起きて、既に片方の腎臓は摘出しているし、
腎臓でかかっている娘の主治医は
今度尿路感染を起こしたら命の危険があると言っている、との理由で不妊手術を希望。
産婦人科医はカルメンを診察する前から、
部分的な子宮摘出手術に同意した。
The North Dakota Protection & Advocacy Project(ND P&A)が
カルメンの母親と産婦人科医と話したが、
カルメンの人権について納得してもらうことはできなかった。
そこでND P&Aは代理人裁判所へこの問題を持ち込み、
審理では自らがカルメンの代理人となった。
ND P&Aが証人として呼んだのは
カルメンの介護サービスを提供している事業所の看護師で、
カルメンのケアの記録からは
生理は重くはないし、異常なほどの生理痛もないし、尿路感染もなく、
プロの介護を受けて生理のケアが不衛生になることもないし、
腎臓の専門医から不妊手術を進められている事実もない、
本人は産婦人科医の診察を恐れており、
不妊手術は嫌だと言っている、と証言。
裁判所は手術を禁じた。
これを読んで、私が思い浮かべるのはやはり
2010年3月のオーストラリアのAngela事件。
(詳細は文末にリンク)
一見すると、
生理が異常なほど重くて、貧血やけいれん発作を引き起こしていて
それが命にかかわるほどになっていると読めるのですが、
よくよく読むと、
けいれん発作も貧血も現在は収まっていて
書かれているような「健康問題」も「命の危険」もどこにも存在しない。
でも、それが存在するかのように
マヤカシと隠ぺいのトリックを駆使して書かれている。
何がそう「読める」んであり「書かれている」のか、というと、
他ならぬ判事による判決文だから、びっくりで、
それが何よりもこの事件の最大のミステリー。
だからAngela事件は
上記のカルメンのケースとはまったく次元の違うタチの話ではあるのだけれど、
そこに共通しているのは、
知的障害者や重症児・者の強制不妊手術を受け入れやすい文化が
医療を中心に、社会の中にまずあって、
その文化は強制不妊が人権侵害だとの意識自体が低いために、
「健康問題」とか「本人のため」という正当化を持ちだされると
個別の事実関係に即して丁寧にそれを検討するプロセスをすっ飛ばして
簡単に説得されてしまう人たちがいる、という点。
これはアシュリー事件での
生理が始まってもいない段階から「生理痛を予防する」とか
「万が一レイプされた時の妊娠予防」などという正当化論に
簡単に説得されてしまう人が少なくなかったことにも通じていく。
もう一つ、頭に浮かぶ英国の事件がこちら ↓
英国で知的障害女性に強制不妊手術か、保護裁判所が今日にも判決(2011/2/15)
ちなみに世界医師会からは去年、以下のような見解が出ています ↓
世界医師会が「強制不妊は医療の誤用、医療倫理違反、人権侵害」(2011/9/12)
【Angela事件関連エントリー】
豪で11歳重症児の子宮摘出、裁判所が認める(2010/3/10)
Angela事件(豪):事実関係の整理(2010/3/10)
Angela事件の判決文を読む 1(2010/3/11)
Angela事件の判決文を読む 2(2010/3/11)
重症児の子宮摘出承認でダウン症協会前会長・上院議員が検察に行動を求める(豪)(2010/3/13)
Angela事件の判決文は、Ashley論文(06)と同じ戦略で書かれている 1(2010/3/17)
Angela事件の判決文は、Ashley論文(06)と同じ戦略で書かれている 2(2010/3/17)
知的障害者への強制不妊を人権擁護団体の介入が阻止したケースの概要を。
2008年の事件。
2008年に母親が産婦人科医を訪れ、
知的障害のある娘カルメン(22)は生理が重く、生理痛もひどく
頻繁に尿路感染を起こす、自分でケアできない不衛生が原因で
腎臓に感染が起きて、既に片方の腎臓は摘出しているし、
腎臓でかかっている娘の主治医は
今度尿路感染を起こしたら命の危険があると言っている、との理由で不妊手術を希望。
産婦人科医はカルメンを診察する前から、
部分的な子宮摘出手術に同意した。
The North Dakota Protection & Advocacy Project(ND P&A)が
カルメンの母親と産婦人科医と話したが、
カルメンの人権について納得してもらうことはできなかった。
そこでND P&Aは代理人裁判所へこの問題を持ち込み、
審理では自らがカルメンの代理人となった。
ND P&Aが証人として呼んだのは
カルメンの介護サービスを提供している事業所の看護師で、
カルメンのケアの記録からは
生理は重くはないし、異常なほどの生理痛もないし、尿路感染もなく、
プロの介護を受けて生理のケアが不衛生になることもないし、
腎臓の専門医から不妊手術を進められている事実もない、
本人は産婦人科医の診察を恐れており、
不妊手術は嫌だと言っている、と証言。
裁判所は手術を禁じた。
これを読んで、私が思い浮かべるのはやはり
2010年3月のオーストラリアのAngela事件。
(詳細は文末にリンク)
一見すると、
生理が異常なほど重くて、貧血やけいれん発作を引き起こしていて
それが命にかかわるほどになっていると読めるのですが、
よくよく読むと、
けいれん発作も貧血も現在は収まっていて
書かれているような「健康問題」も「命の危険」もどこにも存在しない。
でも、それが存在するかのように
マヤカシと隠ぺいのトリックを駆使して書かれている。
何がそう「読める」んであり「書かれている」のか、というと、
他ならぬ判事による判決文だから、びっくりで、
それが何よりもこの事件の最大のミステリー。
だからAngela事件は
上記のカルメンのケースとはまったく次元の違うタチの話ではあるのだけれど、
そこに共通しているのは、
知的障害者や重症児・者の強制不妊手術を受け入れやすい文化が
医療を中心に、社会の中にまずあって、
その文化は強制不妊が人権侵害だとの意識自体が低いために、
「健康問題」とか「本人のため」という正当化を持ちだされると
個別の事実関係に即して丁寧にそれを検討するプロセスをすっ飛ばして
簡単に説得されてしまう人たちがいる、という点。
これはアシュリー事件での
生理が始まってもいない段階から「生理痛を予防する」とか
「万が一レイプされた時の妊娠予防」などという正当化論に
簡単に説得されてしまう人が少なくなかったことにも通じていく。
もう一つ、頭に浮かぶ英国の事件がこちら ↓
英国で知的障害女性に強制不妊手術か、保護裁判所が今日にも判決(2011/2/15)
ちなみに世界医師会からは去年、以下のような見解が出ています ↓
世界医師会が「強制不妊は医療の誤用、医療倫理違反、人権侵害」(2011/9/12)
【Angela事件関連エントリー】
豪で11歳重症児の子宮摘出、裁判所が認める(2010/3/10)
Angela事件(豪):事実関係の整理(2010/3/10)
Angela事件の判決文を読む 1(2010/3/11)
Angela事件の判決文を読む 2(2010/3/11)
重症児の子宮摘出承認でダウン症協会前会長・上院議員が検察に行動を求める(豪)(2010/3/13)
Angela事件の判決文は、Ashley論文(06)と同じ戦略で書かれている 1(2010/3/17)
Angela事件の判決文は、Ashley論文(06)と同じ戦略で書かれている 2(2010/3/17)
2012.07.20 / Top↑
その後、報告書中盤で書かれているのは
① 障害当事者らによる専門家委員会について
② これら無用な医療介入による人権侵害に関する考察
①NDRNとDRWとは、この報告書のために
2012年春に5つのそれぞれ別の専門家委員会を開催している。
開催地は4つの委員会がシアトルとワシントンDCで、
一つは会議電話によるもの。
だいたいの会議は2時間半で行った。
メンバーの障害像は
コミュニケーションに障害のある人や重症障害者を含め、多様。
議論されたのは、A療法のほか、より広く、
障害のある人への医療、医療職や医療の意志決定と障害者など。
ここでのA事件についての批判は
おおむねこれまでに出てきたものと同じですが、
いくつか特に目を引かれた点を挙げておくと、
・車いすやその他の自助具があれば障害者も社会に貢献する生活が送れることを
両親も学ぶべき。
・将来的にアシュリーが自分にはどうして乳房がないのか悩んだ時に
親は何と説明するのか。
(このあたり、アシュリーの障害像について発言者自身が十分な理解に至らないまま
自分の障害を基準に考えていると感じられる点がちょっと気になるところ)
・テクノロジーが進めば、アシュリーだって意志疎通ができたり動けるようになったり
子どもを産み育てることだって可能になるかもしれない。
(報告書を通じて、
支援テクノロジーへの過剰な期待が感じられる点も、ちょっと気になりました)
・医師は日頃から障害のある患者のいうことに耳を傾けようとしない。
・医師はこちらの理解力の程度を勝手に決め付ける。
・医師は障害者を実験に使う。
・医師は自分では障害者のことを分かっていると考えているが
実際には障害者が生活するナマの姿を見たこともない。
・医学教育の中に、障害について学ぶ内容が必要。
②無用な医療介入による人権侵害に関する考察
ここでも概ね07年のWPASの分析と同じく、
米国の憲法、リハビリテーション法やADAなどの連邦法、州法などの制限によれば
これらの介入は違法であるとし、
それにも関わらず、医療機関や倫理委、審査委員会、裁判所までが
最善の利益論で認めてしまっている実態を非難するとともに、
差別撤廃に向けた、これらの法の精神を尊重する重要性を説き、
連邦法が定めているのはあくまでも最小限の保護だとして、
州法や市の条例によって障害者への保護強化のために法的措置を訴えている。
ただ、具体的に求めているのが
意志決定プロセスに障害者による代理と敵対的審理を義務付けるセーフガードの保障なのか
A療法、強制不妊や一方的な治療の差し控えと中止への直接的な法規制なのかについては、ちょっと曖昧。
私には前者のように読めるのですが、それならその主張は
07年段階の「裁判所の命令なしには違法。これは乳房芽切除でも成長抑制でも同じ」という立場とは
どのように整合するのか
(もっとも07年の報告書にも
「実際に裁判所の判断を仰いだとしたら却下されたかどうかは分からない」とも書かれていました)
それとも本来は違法であるはずのA療法が
まともな手続きなしに一般化されている現実を後追いせざるを得ないために
こういう書き方になっているということなのか?
全体の構成を含め、どうも、あちこちで、
イマイチ論理的にすっきり判然とせぬ報告書ではあります。
【NDRN報告書関連エントリー】
障害者人権擁護ネットから報告書「“A療法”・強制不妊・生命維持停止は人権侵害(2012/6/20)
障害者の人権を侵害する医療への痛烈な批判: NDRNの報告書「まえがき」(2012/6/22)
障害者への医療の切り捨て実態 7例(米)(2012/6/26)
DNRN報告書:概要(2012/7/7)
DNRN報告書:WI州の障害者への医療切り捨て実態 2例(2012/7/9)
① 障害当事者らによる専門家委員会について
② これら無用な医療介入による人権侵害に関する考察
①NDRNとDRWとは、この報告書のために
2012年春に5つのそれぞれ別の専門家委員会を開催している。
開催地は4つの委員会がシアトルとワシントンDCで、
一つは会議電話によるもの。
だいたいの会議は2時間半で行った。
メンバーの障害像は
コミュニケーションに障害のある人や重症障害者を含め、多様。
議論されたのは、A療法のほか、より広く、
障害のある人への医療、医療職や医療の意志決定と障害者など。
ここでのA事件についての批判は
おおむねこれまでに出てきたものと同じですが、
いくつか特に目を引かれた点を挙げておくと、
・車いすやその他の自助具があれば障害者も社会に貢献する生活が送れることを
両親も学ぶべき。
・将来的にアシュリーが自分にはどうして乳房がないのか悩んだ時に
親は何と説明するのか。
(このあたり、アシュリーの障害像について発言者自身が十分な理解に至らないまま
自分の障害を基準に考えていると感じられる点がちょっと気になるところ)
・テクノロジーが進めば、アシュリーだって意志疎通ができたり動けるようになったり
子どもを産み育てることだって可能になるかもしれない。
(報告書を通じて、
支援テクノロジーへの過剰な期待が感じられる点も、ちょっと気になりました)
・医師は日頃から障害のある患者のいうことに耳を傾けようとしない。
・医師はこちらの理解力の程度を勝手に決め付ける。
・医師は障害者を実験に使う。
・医師は自分では障害者のことを分かっていると考えているが
実際には障害者が生活するナマの姿を見たこともない。
・医学教育の中に、障害について学ぶ内容が必要。
②無用な医療介入による人権侵害に関する考察
ここでも概ね07年のWPASの分析と同じく、
米国の憲法、リハビリテーション法やADAなどの連邦法、州法などの制限によれば
これらの介入は違法であるとし、
それにも関わらず、医療機関や倫理委、審査委員会、裁判所までが
最善の利益論で認めてしまっている実態を非難するとともに、
差別撤廃に向けた、これらの法の精神を尊重する重要性を説き、
連邦法が定めているのはあくまでも最小限の保護だとして、
州法や市の条例によって障害者への保護強化のために法的措置を訴えている。
ただ、具体的に求めているのが
意志決定プロセスに障害者による代理と敵対的審理を義務付けるセーフガードの保障なのか
A療法、強制不妊や一方的な治療の差し控えと中止への直接的な法規制なのかについては、ちょっと曖昧。
私には前者のように読めるのですが、それならその主張は
07年段階の「裁判所の命令なしには違法。これは乳房芽切除でも成長抑制でも同じ」という立場とは
どのように整合するのか
(もっとも07年の報告書にも
「実際に裁判所の判断を仰いだとしたら却下されたかどうかは分からない」とも書かれていました)
それとも本来は違法であるはずのA療法が
まともな手続きなしに一般化されている現実を後追いせざるを得ないために
こういう書き方になっているということなのか?
全体の構成を含め、どうも、あちこちで、
イマイチ論理的にすっきり判然とせぬ報告書ではあります。
【NDRN報告書関連エントリー】
障害者人権擁護ネットから報告書「“A療法”・強制不妊・生命維持停止は人権侵害(2012/6/20)
障害者の人権を侵害する医療への痛烈な批判: NDRNの報告書「まえがき」(2012/6/22)
障害者への医療の切り捨て実態 7例(米)(2012/6/26)
DNRN報告書:概要(2012/7/7)
DNRN報告書:WI州の障害者への医療切り捨て実態 2例(2012/7/9)
2012.07.20 / Top↑
NDRNの報告書の“アシュリー療法”に関する個所から。
アシュリー事件のケース・スタディとして
06年のGunther&Diekema論文から今年3月に出てきたTom とEricaのケースまでの流れに沿って、
両親と担当医らの正当化論、それからシアトルこども病院が立ちあげた成長抑制WGの結論などを概観し、
07年のWPASの調査報告書とだいたい同じ批判が示されています。
特に目を引くのは、正当化論をいくつか引用した後の以下の下り。
これらの文章には、自分たちの考え方がアシュリーの市民権に反するのではないかとちょっとでも考えてみる意識が完全に欠落している。
(p.20)
それからTom やEricaのケースに見られるように
その後も“アシュリー療法”が続けられていることについて、
アシュリー療法がその後も行われているのは、障害者コミュニティの人々を価値のおとった存在とみなす医学モデルの偏った姿勢の証である。
(p.23)
また、今年3月にGuardian に寄せられたコメントを引いて、
「社会における能力主義」が指摘されている。
その引用の最後の一文は、
A療法が倫理的に許容されるのは、障害のある人は人間ではないと本気で考える枠組みにおいてのみである。
(p.26)
報告書は、その後、2007年以降の論争で出てきた
様々な障害者団体からの批判の論点を挙げ、さらに
無益な治療の一方的な差し控えや停止の実例を報告した後に、
「障害のある人々の視点(2012)」という項目に至り、
その冒頭で以下のように書いている。
今日に至るまで刊行された文献の多くは、重症障害のある子どもに代わって意思決定を行うのは親と介護者が最もふさわしいと説いてきたが、NDRNとDRWとしては、医療の意志決定に関しては障害者の立場を代理するのは障害のある人々の方がふさわしいと考える。
(p.33)
この後で、シアトルこども病院が07年にWPASとの間で
倫理委のメンバーに障害者を加えると合意したことに触れ、
その後、実際に障害者をメンバーに加えた、と書いている。
“アシュリー療法”その他の医学的には無用の医療介入のセーフガードとして
特に親や代理人、介護者の希望と当人の権利との間に相克がある場合には
障害の種類や重症度を問わず、本人の意見が反映されるデュー・プロセスが必要だと主張し、
障害者といえど考えは様々なので
倫理委に障害者を加えるだけでは十分ではないという指摘もあるが、
……一人ひとりの障害者がそれぞれ違うとはいえ、デュー・プロセスによる保護によって市民権と人権を守られる権利は誰にも等しい。
ここら辺りで個人的にちょっと引っかかるのは
「障害のある人の代理決定を行うのは親や介護者よりも
障害者の方がふさわしいのだ」とまで言ってしまうのは、どうなのか、という点。
その後の部分を読むと、実際に主張しているのはそこまでのことではなく、
自分で意志表示をし自分の権利を主張できない人の場合に
親や介護者が本人の権利を侵害する可能性があるなら特に、
本人だけの利益の代弁者による敵対的審理をデュー・プロセスとして補償し、
その役割に障害者を当てよ、という主張に過ぎないように思えるのだけれど、
冒頭で書かれていることとの間にギャップがあるので、紛らわしい。
私は後半の部分の主張には賛成だけど、
冒頭のように「医療について決めるのは親よりも障害者の方がふさわしい」とまで言われると
一律に言えることではないと、抵抗がある。
アシュリー事件のケース・スタディとして
06年のGunther&Diekema論文から今年3月に出てきたTom とEricaのケースまでの流れに沿って、
両親と担当医らの正当化論、それからシアトルこども病院が立ちあげた成長抑制WGの結論などを概観し、
07年のWPASの調査報告書とだいたい同じ批判が示されています。
特に目を引くのは、正当化論をいくつか引用した後の以下の下り。
これらの文章には、自分たちの考え方がアシュリーの市民権に反するのではないかとちょっとでも考えてみる意識が完全に欠落している。
(p.20)
それからTom やEricaのケースに見られるように
その後も“アシュリー療法”が続けられていることについて、
アシュリー療法がその後も行われているのは、障害者コミュニティの人々を価値のおとった存在とみなす医学モデルの偏った姿勢の証である。
(p.23)
また、今年3月にGuardian に寄せられたコメントを引いて、
「社会における能力主義」が指摘されている。
その引用の最後の一文は、
A療法が倫理的に許容されるのは、障害のある人は人間ではないと本気で考える枠組みにおいてのみである。
(p.26)
報告書は、その後、2007年以降の論争で出てきた
様々な障害者団体からの批判の論点を挙げ、さらに
無益な治療の一方的な差し控えや停止の実例を報告した後に、
「障害のある人々の視点(2012)」という項目に至り、
その冒頭で以下のように書いている。
今日に至るまで刊行された文献の多くは、重症障害のある子どもに代わって意思決定を行うのは親と介護者が最もふさわしいと説いてきたが、NDRNとDRWとしては、医療の意志決定に関しては障害者の立場を代理するのは障害のある人々の方がふさわしいと考える。
(p.33)
この後で、シアトルこども病院が07年にWPASとの間で
倫理委のメンバーに障害者を加えると合意したことに触れ、
その後、実際に障害者をメンバーに加えた、と書いている。
“アシュリー療法”その他の医学的には無用の医療介入のセーフガードとして
特に親や代理人、介護者の希望と当人の権利との間に相克がある場合には
障害の種類や重症度を問わず、本人の意見が反映されるデュー・プロセスが必要だと主張し、
障害者といえど考えは様々なので
倫理委に障害者を加えるだけでは十分ではないという指摘もあるが、
……一人ひとりの障害者がそれぞれ違うとはいえ、デュー・プロセスによる保護によって市民権と人権を守られる権利は誰にも等しい。
ここら辺りで個人的にちょっと引っかかるのは
「障害のある人の代理決定を行うのは親や介護者よりも
障害者の方がふさわしいのだ」とまで言ってしまうのは、どうなのか、という点。
その後の部分を読むと、実際に主張しているのはそこまでのことではなく、
自分で意志表示をし自分の権利を主張できない人の場合に
親や介護者が本人の権利を侵害する可能性があるなら特に、
本人だけの利益の代弁者による敵対的審理をデュー・プロセスとして補償し、
その役割に障害者を当てよ、という主張に過ぎないように思えるのだけれど、
冒頭で書かれていることとの間にギャップがあるので、紛らわしい。
私は後半の部分の主張には賛成だけど、
冒頭のように「医療について決めるのは親よりも障害者の方がふさわしい」とまで言われると
一律に言えることではないと、抵抗がある。
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