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12月5日のシアトル地域のQ13FOXテレビ。

Now, four years later, a Seattle based group studying the ethics surrounding "Ashley's procedure" has decided it is "morally permissible" and has written a report on the subject. (中略)
Curt Decker of the National Disability Rights Network spoke out then. "The majority of the disability community is clear. That this kind of procedure is not acceptable at this time in our country's history.
But times have changed and so have opinions. The Seattle-based group of doctors, ethicists and parents including Sandy looked at and studied the case determining growth-stunting procedures should be "morally permissible" under certain circumstances.

(“Ashley療法”論争をざっと誤情報だらけで解説したのち)
4年経ち、このほど“Ashley療法”を巡る倫理問題を研究してきたシアトル拠点のグループが成長抑制は“道徳的に許容できる”として、その問題について報告書を書いた。

(Sandy Walkerと娘、子ども病院のWilfond医師を取材したビデオをはさんで)
4年前の当時、NDRNのCurt Decker氏は「障害者コミュニティの大多数の意見ははっきりしている。我が国の歴史において、現在このような医療は許容できない」と語った。

しかし時代は変わり意見も変わった。医師、倫理学者、そしてSandyのような親によるシアトル拠点のグループはアシュリー症例を検討・研究し、成長抑制療法は一定の状況下で“道徳的に許容される”べきであると決定した。



Growth Stunting Procedure For Disabled Children Is “Morally Permissible”
A look at parents rights and their children’s care
Q13FOX.com, December 5, 2010


なお、Sandy Walkerさんはビデオの中で、
もの言えぬ子どものアドボケイトとしての親の決定権を強調しています。

もちろん、あのWGは決して記事が匂わせているような中立な専門家の集まりでもなければ
あの論文も「決定」でもありませんし、

障害者コミュニティの意見が「時代によって変わった」わけでもありませんが、

この放送ビデオを見ると、
いよいよ、本格的な「成長抑制キャンペーン」の幕が切って落とされたぞ……という感じ――。

問題は、レジスタンスの側に
4年前と同じ憤りや興味を持続している人が余り残っていないこと。

ほんと、みんな、いなくなっちゃった……。



その他、ここ数日で目に付いた関連記事を以下に。

Ethics group says stunting disabled kids’ growth is “morally permissible”
MYNorthwest.com, December 2, 1010


Disabled children: Is it Ethical to Restrict???
Barash’s Bioethics Blog, December 6, 2010
2010.12.08 / Top↑
Hastings Center Reportの11―12月号に掲載された
シアトルこども病院成長抑制ワーキンググループの論文を手に入れてくださった方があり、
読むことができました。

論文の内容はまた改めてとりまとめますが、
WGのメンバーに関して極めて不可解なことが起こっているので、
まずは、それについて。


08年12月に発表されたWGのメンバーは、以下の20人でした。
http://www.seattlechildrens.org/research/initiatives/bioethics/working-group/

今回、Wilfond医師を主著者として
ワーキング・グループの「妥協点」を著したとされる論文でも
「20人のメンバーからなるWG」と書かれているのですが、

実際に論文に掲載されたメンバーの一覧表には19人の名前しかありません。

いったい誰の名前が消えたのか――?

09年1月に発表されたWGのメンバー・リストから名前が消えたのは、
非常に興味深いことに、WPASのCarlson弁護士――。

(もう一人、Carolyn Newcomという人の名前がなくなっていますが
代わりに Carolyn Korfiatis という人が、職名は違っても
同じくTrueman Katz生命倫理センター職員として入っているので、
これは同一人物の姓が変わったものと思われます。)


「成長抑制は一定の条件を満たす重症児に限定すれば
裁判所の命令なしに実施しても良い」とするWGの“妥協点”は
成長抑制は裁判所の命令なしにやらないとの子ども病院とWPASとの合意に反しており、

したがってWPASの報告書を書いたCarlson弁護士はWGのメンバーである以上、
そこの矛盾を説明する義務がある、と私は去年のシンポの際に
以下のエントリーで書きました。

「裁判所の命令なしに成長抑制しない」との約束はここにある(2009/1/31)

しかし、上記リンクにあるように
Carlson氏の名前が含まれたメンバーリストが発表されたのは08年12月。
その段階ではWGの作業はすでに終了しています。

もしも作業の最中ずっとメンバーに名前を連ねながら
作業が終了した後、論文が発表されるまでに脱落しなければならないと
Carlson弁護士が考えるに至る事情があったのだとしたら
一体それはどういう事情だったのか。

Carlson氏はその経緯についても
説明する責任があるのではないか、と思う。


もともとWAPSの調査報告書には本来、報告すべきことが書かれておらず、
WPASは病院側の真実の隠ぺいに結果的に加担したことになった、と私は考えています。

WPASが当時、それが今後のセーフガードを担保するための取引として
有効だと考えたのだろうことは想像ができないわけでもありませんが、
これまでの経緯から、その配慮は明らかに裏目に出たのだから、

それならWPAS、Carlson氏には
説明すべきことが山のようにあるはずだ、と思う。


ちなみに、この「妥協点」については、
Eva Kittayは、「同意していないしサインもしていない」と言っていたし、
Adrienne Asheは「内容に同意したという意味のサインではない」と
醜い言い訳をしていました。


【WPASは子ども病院と取引したのではないかとの疑惑に関するエントリー】
WPASの調査報告書 要注意点(2007/6/5)
WPASの調査報告書に関する疑問(2007/6/6)
WPASと病院のやり取りを巡る疑問(2007/12/7)
子ども病院はWPASとの合意を覆していた?(2009/3/18)
シアトルこども病院は、5年の合意期限が切れるのを待っている?(2010/11/8)
2010.12.06 / Top↑
2007年にAshley療法論争が英国に飛び火したKatie Thorpe事件については
当ブログでも詳しく追いかけましたが(詳細は「英国Katieのケース」の書庫に)

当時、英国では9歳の重症児Oliviaの母親Kim Walkerさんも
リバプールのAlder Hey 子ども病院に子宮摘出の要望を出していたとのこと。

以下の記事によると、
病院のスポークスパーソンが
その子宮摘出を行う予定はない、
そうした手術は子どもの福祉をあらゆる方面から検討し
すべての選択肢を試みた後でなければ行わない、と語っているので、

要望は却下されたものと思われます。

Give my child a hysterectomy
ECHO, October 9, 2007


これまで全く知らなかった、この事件について分かったのは、

今回のHCRの成長抑制論文を機に、
07年10月当時、Katie Thorpe事件と合わせて批判したエントリーを再掲してくれた
英国の障害当事者の方のブログから。↓

Never Neverland
BENEFIT SCROUNGING SCUM, December 1, 2010


冒頭、
Ashley事件とKatie事件を分かったのは司法の関与だったとの分析が印象的。

私も昨日のエントリーを書きながら
Wilfond医師が「我々の論文をどう扱うかは病院や団体次第」とか
「医療職に向けプラクティカルな指針を作りたかった」などと述べているのを読み、
策を弄してテキトーな表向きの理屈さえ取り繕えば、あとは「やったもん勝ち」になってしまう
米国の医療の恐ろしさを、つくづく感じたところだった。

だからこそ、これまで障害者に対して医療が行って来た非道に照らして、
法によるセーフガードは必要なのだと改めて考えるのだけれど、

また、逆に言えば、それだからこそ、
あらたな“科学とテクノによる簡単解決”文化の勢いに後押しされて
法の束縛から自由になろうとしているFostら一部の生命倫理学者らは
Ashley事件と成長抑制の一般化を、医療を司法から独立させる一里塚と捉えているのでは?

もちろんAshleyケースでの真実の隠ぺいや父親の意図への追随の必要は彼らにあるのだとしても、
ここまできたら、それとは別に、Fostら自身の目的もそこには潜んでいるがゆえに、
実際は大病院の医師らが熱を入れて提唱するほど大した“医療”とも思えない
“成長抑制”の一般化にこれほどまでに熱心なのかも?

では、重症児への成長抑制一般化は、
これまでの法の束縛から医療現場を開放し、「QOLの維持向上」を錦の御旗に
“科学とテクノの簡単解決”文化で障害児・者に手を加えて行くべく
「重症障害児・者は別」というところに、まず線引きをするための、
米国生命倫理の最初の突破口なのか――?

でも、その線は、いったん引かれてしまったら、動く。動き続ける。ゼッタイに――。




当ブログがA事件の筋書きを書いた人物ではないかと目しているNorman Fostの
「医療に司法の介入は無用」との持論については、以下のエントリーなどに。

生命倫理カンファレンス(Fost講演 2)(2007/8/25)
Fostのゴーマン全開 13日午前のパネル(2007/9/12)
「Kevorkianだってすんなり起訴されなかったんだから医師は安全。障害新生児に“無益な治療”はするな」と説くFost(2010/8/5)


もしかしたら、重症児の成長抑制で地ならしをして、
Fostの”本丸”は、障害のある新生児の「無益な治療」論一般化なのか――?
2010.12.03 / Top↑
シアトルこども病院が組織した成長抑制ワーキンググループが
結局意見の一致を見ることができなかったために、結論ではなく、
あくまでも、「ほとんどのメンバー」の“妥協点”として、強引にとりまとめた(とされる)
論文が、Hastings Center Reportの11-12月号に掲載されたのは
もう一か月近く前のことになりますが、

なぜか昨日11月30日になって、一斉にあちこちのメディアが取り上げています。

といっても、現段階で私の目についた限りでは、サイトの数だけはあるものの、
実際には以下のように、ネットの科学系サイトが同じ文章をコピペ掲載しているだけ。

Recommendations issued on controversial ‘Ashley’ procedure for disabled children
Science News, November 30, 2010

The Hastings Center Release: Recommendations Issued on Controversial “Ashley” Procedure for Disabled Children
BioSpace, November 30, 2010

一般では、Seattle Post-Intelligencerが独自記事を書いている。
これも、なぜか11月30日の記事。

Stunting disabled children’s growth is ‘morally permissible,’ group says

The Seattle Post-Intelligencer, November 30, 2010


まず、上記の記事から
WGの論文の内容その他について書かれている要点をメモしておくと、

・コンセンサスに至ることができなかったWGが
「大半のメンバー」の意見が到達した「妥協点」と称しているのは、
成長抑制は対象者を限定して十分なセーフガードを設けて行えば
「道徳的に許容できる」「倫理的に許容できる決定」とする立場。

・「大半のメンバー」が成長抑制が倫理的に許容されると考える対象者は
全介助で、IQが25以下で、その他の永続的で重度の障害を重複している子ども。

しかし、重症知的障害児ではIQは単純に測定不能だと思うし、
Kittayさんも著書の中で娘のサーシャさんについて「IQは測定不能」と書いている。
論文はまだ読めないでいるのですが、そこら辺がどう書かれているのだろう。

これ、事実上、重症知的障害があって測定不能なら、みんな25以下と判断されるということなのでは?

・米国では対象となる子どもが毎年4000人生まれている。

・医師は親に対して成長抑制の予想される利益とリスクについて、
また子どもを家族の活動に含めるための他の選択肢について
情報を提供しなければならない。また、
重症発達障害のある子どもが成長するとはどういうことかについて
神話や想像だけで済ませないよう、他の重症児の親と話をする機会を
親は与えられなければならない。

しかし、利益もリスクも、全く不明なのが本当のところなのに、
一体どういう“情報”を提供できるというのだろう?

・子ども病院のWilfond医師がSeattle Post-Inteligencerの取材を受けて
「論文はこれらの問題を明確にしようとの試みから生まれたもの。
それぞれの病院や他のグループがこの論文をどう扱うかは、病院やグループ次第。
我々の論文が、小児科生命倫理についてだけでなく、重症障害児についても
議論が起こることに貢献できれば、と思っている。
シアトルこども病院の症例についての論文ではないし、
同病院の見解を代表するものでもない。
ただWGとしては、医療職に向けて何らかのプラクティカルな指針を作りたかったのだ」

「問題を明確にして議論の端緒を創りたかっただけ」と言いつつ
「医療職への指針を作りたかった」と言うのは、ぜんぜん筋が通らない。
どう考えたって「前者のフリをしつつ、事実上、後者をやってしまいたかった」がホンネ。



これは、昨年1月にWGの存在が明らかになった時から
私は言い続けていることだけど、

そもそも未だ十分に正当化されていない症例を抱える病院が
身内をごっそり投入して手前勝手に組織したWGに中立性があるわけはないし、
障害当事者ばかりでなく医師らや倫理学者・法学者らからも痛烈な批判を受けて
いまだ十分にディフェンスを終えていないはずのDiekemaやWilfondに
なんだって「審判」として振る舞う資格があるというのか。


それにしても、
なぜ、今頃になって、しかも一斉に……? これが第一の不思議――。

次に、これまで怪現象を起こしてきたような科学とテクノ系列のサイトが
こぞって(同じ日に同じ文面で)とりあげていることの不思議――。

さらに、そのうちのひとつ(上のリンクの2つ目BioSpace)では
WGの論文がHCRに掲載されたというよりも
Hastings Centerが「成長抑制は妥当」との“勧告”を出したと読める
紛らわしいタイトルをつけていることの不思議――。

まぁ、頭に浮かんでくるのは、やはり
あの怪奇現象を起こし続けてきたお方の意思が
この30日一斉の動きの背景にも働いているのだろうなぁ、ということ。

いずれの記事でも、
親が介護をたやすくしたかったとか、
エストロゲンの出血防止のための子宮摘出だったとか、
遺伝性の乳房の病気の予防だったとか、
Ashleyケースについて書かれた部分は、
これまでDiekemaら主治医側の正当化で使われてきたマヤカシ路線の
大ウソがここでも繰り返されている。

さらに、Ashleyケースですさまじい非難の嵐が巻き起こったのは
「主に障害者の権利団体の間で」だったと、どちらの記事も強調している。

へぇ、じゃぁ、CaplanやLantosやQuelletteって、
生命倫理学者でも法学者でもなくて障害者の権利運動の活動家だったのね。
2010.12.01 / Top↑
ClaireさんがHCRの成長抑制特集から
来日したばかりのEva Kittay氏の論文を取り上げている。

あまりコメントせず、引用中心のエントリーになっているのもありがたい。

The Best for Last
No More Ashley X’s: Say NO to Growth Attenuation, November 20, 2010


まずClaireさんも、前にBill Peaceが引用していたのと同じ箇所を引く。

My daughter Sesha is now a woman of forty. She, too, does not toilet herself, speak, turn herself in bed, or manage daily tasks of living, and she has no measurable IQ. Like Ashley, Sesha is so loving and easy to love that her impossible-to-articulate sweetness and emotional openness make it tempting to call her an “angel.” Still, we refrain. To love Sesha as she is, we must accept that, unlike an angel, she has a body that grows and ages.



Kittay氏にも重症障害のある娘さんがいること、
その娘Seshaさんを、天使に例えたり子ども扱いではなく、
成長し老いていく体ごと、ありのままに受け入れようとしていることを提示する。

I respectfully disagree. I do not believe that growth attenuation is ethically or medically appropriate, even when limited to children with profound developmental and intellectual impairments.
The compromise position rests on the assumption that the constraint will avoid many of its possible abuses. The problem is that the limitation is itself already an abuse. If growth attenuation should not be done on children without these impairments, then it should not be done on any children. To do otherwise amounts to discrimination.



成長抑制WGは、
濫用防止のために、制限さえ設けて重症障害児に限定すれば
成長抑制は倫理的に妥当であるとの妥協点に達したというが、自分は、反対である。

なんとなれば、障害のない子どもにやるべきでないことを
障害がある子どもだからやってもいいとする限定そのものが差別だからである、と。

ここまでは、先日Bill Peace氏のブログ記事を通じて、
Kittayさんに成長抑制WGのことを聞いた!で紹介した箇所。
Claire さんが新たに引用してくれているのは、

It is easy enough to grant the point that medical interventions aim at particular ills and thus “discriminate” by targeting the population who can benefit from the treatment. But consider some procedures that disabled children often face: gastrostomy tubes for feeding, spinal fusions for scoliosis, and tendon releases for spasticity. All may also be carried out on children not otherwise disabled, or they address a specific medical disorder, not a class of persons per se. Some, like gastrostomy tubes, may be more frequently administered to those with impaired cognitive function, but only because the impairment is often coupled with difficulty swallowing and ingesting food. Severe cognitive disability is not an indicator for these or for any other procedure. But the majority of the working group believe that profound cognitive disability is a necessary and sufficient justification for growth attenuation.

医療介入とは特定の疾患に対応するものであり、それゆえに本来的にその介入から利益を得る患者を差別化して対象とするものだとの反論はありうるかもしれないが、多くの障害児が受ける医療介入の中で、例えば経管栄養を考えてみると、重症知的障害がある子どもが対象となることが多い。

咀嚼や嚥下に問題がある子どもが対象の介入であり、重症知的障害が咀嚼や嚥下の問題の指標となるわけではないはずだ。しかし、成長抑制WGは、重症認知障害を成長抑制に必要十分条件としている。

(全文翻訳ではなく、概要)



私としては、この反論に対しては、
成長抑制は“社会的問題の解決策としての医療技術の応用”に過ぎず、
健康上の問題によって介入が必要となっているという意味での“医療介入”ではないのだから
治療はもともと対象者を差別化して応用するものだという反論は成り立たないのではないか、と思うけど、

一方、胃ろうについては、Kittayさんと同じ問題を、以下のエントリーで指摘している。

ヘンだよ、Ashleyの胃ろう(2008/12/20)
食事解除の時間短縮策としてのみ語られる胃ろう(Wilfond論文)(2008/4/27)
師長の大国(2008/12/24)

Kittayさんの結論は、

The real supposition underlying the restriction is that severely cognitively disabled people will never know the difference―even though we cannot be sure this is true. And with that supposition, what else might we be able to do to this population? The long and gruesome history of abuses done to people with severe cognitive disabilities includes a litany of similar claims―that they won’t know the difference if a part of their brain is lobotomized, if they are deprived of clothing, if they are showered communally by being hosed down. Yet we have learned that once we stop supposing that they don’t know the difference anyway, we learn how often they understood the treatment as mistreatment.
The Pandora’s Box of horrors is opened still again when severe cognitive disability is the lone and sole indicator for a certain treatment. The shame of it is made that much worse when some turn out to be cognizant of their mistreatment. The risk that these demons will reemerge is too great for the procedure to be acceptable.

実際には、重症知的障害児への限定の背景にあるのは、重症認知障害児なら、どっちみち(身長が自然に伸びようが抑制されようが)違いなど分からない、と、それ自体疑わしい推測である。

しかし、その推測が正当化の論拠として成り立つなら、重症認知障害者には成長抑制以外にも、正当化されてしまうことは多い。長く陰鬱な歴史を見ても、彼らにはどっちみち違いなどわからないと、ロボトミーが行われ、衣類を着せず、人前でホースで水をかけることでシャワーの代わりにされてきた。それらの歴史から我々は、どうせ違いなど分からないという前提を捨てて、ひどい扱いを受けたことは分かるのだと学んだのである。

認知障害が特定の治療の唯一の指標とされる恐怖のパンドラの箱が、ここに再び開けられてしまった。ひどい扱いを受けたと分かっている子もいると後でわかれば、いっそう恥ずべきこととなる。そんなおぞましいことが繰り返されるリスクを考えれば、成長抑制を受け入れることは出来ない。

(こちらは、ほぼ全文翻訳に近いもの)



【Kittay氏関連エントリー】
Eva Kittayの成長抑制論文(2010/11/7)
2010.11.23 / Top↑