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これは笑えます。

ドイツ映画「ヒトラー最後の12日間」の一場面に勝手な字幕をかぶせたもの。

11月16日に重症児の父親から成長抑制批判と「親を指針とした医療職によるアセスメント」で紹介した
Segev君の父親Erikさんが YouTubeからブログに引っ張ってきている ↓

Hitler reacts to the Hastings report on growth attenuation.wmv
I am a broken man/You don’t break me, December 10, 2010


地図を指差して、非常に緊張した面持ちの部下が
「ここに安楽死ホスピスを作りました。
一応、念のために成長抑制センターのすぐそばです。
批判的なブロガ―たちが騒いでいましたが、誰もそんなブログは読まないので、
現在はこのあたりまで前線を下げています」と戦況を説明すると、

ヒトラーがムッと不機嫌になり、
「で、障害児を殺すのか、成長抑制するのか、一体どっちなんだ?」

それに対して、部下が非常に言いにくそうに
「それが……HCRに成長抑制を倫理的だとする判断が掲載されました」と報告。

それを聞いたヒトラーが怒りを爆発させる、というシーンになっています。

内容の一部や順番に誤りがあったり抜けていたりもするかもしれませんが、
概ね、こんな感じ ↓

(なお、文中の「グローニンゲン・プロトコル」とは
2005年にオランダで発表された障害新生児安楽死のガイドラインのこと)

障害児は社会のお荷物だから殺すんじゃなかったのか。
それを、成長抑制の倫理性が認められただとぉ?

重症障害児にはアプリオリに意識があると思うヤツは今すぐこの部屋を出て行ってくれ。

(ぞろぞろと多くの人が出て行く。重苦しい沈黙の後でヒットラーはブチ切れて)

そもそもグローニンゲン・プロトコルとは何事だ!
障害児殺しを考えたのは、この俺だぞ。
どうして「アドルフ・プロトコル」と呼ばない!
グローニンゲンなんて、誰も発音できんだろーが!

すぐにピーター・シンガーに電話をしろ!

ったく、オリジナル考案者の顔を立てることもしないなんて!

いいか。無条件の愛なんてものは、ないんだ。
誰が生きて誰が死ぬべきかを決められるのは医療機関だけなんだよ。

だいたいお前らが、成長抑制をやってもいいと口約束さえしてくれれば
生まれてすぐに殺すことから目をそらせると言うから乗っただけなんだぞ。
それが、どうして、こんなことになるんだ!

部下が「倫理委員会が殺す話を霞ませてしまっているもので……」

じゃぁ、成長抑制なら野蛮じゃないから禁止しなくてもいいというのか!
そんなことを言うなら、いっそIQ25以上の障害児も含めたらどうなんだ!

シアトル・グループが「他の決定と同じ、利益とリスクの比較考量」だとぉ?
「重症障害児について親が決めたことに反対する人が出るのは他の医療でも同じ」だとぉ?
(カギ括弧内は成長抑制WGの論文からの引用)

そんな「妥協点」なんて、うじゃらうじゃらしたことを抜かしておったら
まともな人間は頭が混乱するだろーが!

障害児がいたら社会が困るというのが、そいつらには分からんのか!
障害児本人だって死にたいに決まっているじゃないか。

(さんざん喚き散らした後で、しばし黙ってうずくまったヒットラーは
やがて顔を上げると、静かな、敗北感に満ちた口調で)

もしかしたら、あのエセ倫理学者・ブロガ―たちこそが
皆がトチ狂っている混乱の中で正気を保っているのか……。

そう、これは、生命の……勝利だ。

たぶん我々は、命をありのままに受け入れるべきなのだ……。
命はいろいろなのだから……。



いや~、おっかしかったぁ!

特に「すぐにピーター・シンガーに電話しろ!」には、ぶははっと吹いてしまった。


Norman Fostらがここまで執拗に成長抑制の一般化にこだわるのは他に狙いがあるのではないか、
それは障害のある新生児への「無益な治療」論の一般化ではないのか、
つまり重症児の安楽死に向けた地ならしとして成長抑制による線引きと
司法からの切り離しが画策されているのではないか、と、ここしばらく考えていたのですが、

笑いながら、改めて、そのことを考えました。
2010.12.15 / Top↑
ここしばらく、新たに始まったことが懸念される成長抑制キャンペーンに関連して
ネットであれこれ検索することが多くなって、おかげで
別件でも面白いものを見つけたりしているのだけれど、
(例えばTruog「心臓死後臓器提供の倫理問題」講演映像は8日の補遺に)

なんと本家筋のAshley事件に関する担当医講演のビデオを発見した。
しかもDiekema医師だけでなく、故Gunther医師が同事件を解説しているのだから、
これは超レアものの“お宝”映像――。

Diekemaのぬるぬる・つるつるした能弁はもう散々見たし聴いたし
文字報道でコメントを読んでも声が聞こえてくるほどなのだけど、
Ashleyの内分泌医だったGunther医師の発言は07年1月当初に
ぱらぱらと文字報道に出てきていただけだったので、
あの論争から4年も経った昨日、この映像で初めて拝顔した。

Attenuating Growth in Children with Profound Developmental Disability
9.28.06

Commentator: Jeffrey Botkin MD, MPH, University of Utah
Seattle Children’s Case Presenters:
Doug Diekema MD, MPH, Bioethics;
Dan Gunther MD, Endocrinology


シアトル子ども病院が定期にやっている
Grand Rounds という研修プログラムの一環で行われたプレゼン。

すごく不可解なのは、日付が06年9月28日となっていること。
それでは当初のJAMAの論文発表より前に行われたことになってしまうから
そんなことは、あり得ない。

ざっと聴いてみたところ
“物議”や「メディアの注目」「ラリー・キング・ライブ」が言及されていることや
コメンテーターのBotkinが「ここ2カ月の親のブログの訪問数」と発言していることから
「ラリー・キング・ライブ」がA事件を特集した1月12日以降、2月末までのことと思われます。

だいたいの流れとしては、
まず冒頭にWilfondが出てきて、ちょっとしゃべり、流れを説明する。
その後、Diekemaが出てきて、ちょっとしゃべり、Guntherに交代。
Guntherが10分ほどAshleyケースについて簡単に解説。
その後、コメンテーターのBotkinが出てきて、延々としゃべり、
最後に会場との質疑応答。

正直、私は普通の速度でペラペラしゃべられるとお手上げになってしまうし
質疑の途中でWilfondが話を無理やり一般論に捻じ曲げたところで力尽きたので、
そこまでで部分的に聴き取れたところだけからだけど、
いくつか興味深い点を以下に。

①まず、冒頭で出てきたWilfondが、
「これからプレゼンを行うAshley事件については、
retrospectively(起きたことを事後に振り返って)に扱うのではなく
あくまでも本件が提起する倫理問題を考えるという扱い方をする」のだと
会場の皆さんに向けて念を押している。

(Ashleyケースに関しては病院内に批判があったことは明らかになっている。
もしかしたら、そういう人たちに向けた牽制だったのかもしれない)

さらに、Botkinまでがコメントの中で
「Ashleyケースそのものはretrospectivelyには検討しない。
あの症例ではすべてが問題なく行われたのだから、
我々が検討すべきは、あくまでもこの症例が提起する問題」と
わざわざ断っている。

あの論争のさなかに、Aケースではすべてがまっとうにおこなわれたと
簡単に言ってのけることには、どう考えても作為がある。

子ども病院は07年5月に行われた成長抑制シンポでも
Ashleyの個別ケースはここでは問題にしないのだと何度も牽制し
パネリストらから「そうはいかない」と反論されていたことを思い出す。

ちなみにBotkinは、「前年のGunther&Diekema論文では
すばらしい倫理分析が行われている」とも語った。

後に、医学論文らしからぬ不透明さ(opaqueness)をLantosからズバリと指摘される、
あの論理性というものが全く欠落した論文を、あの論争時に褒めたのは
これでNorman Fost(Scientific Americanのメール討論で)に続いて2人目。

なおBotkinは、去年、米国小児科学会倫理委員会が出した
水分と栄養の差し控えまたは中止ガイドラインの共著者でも。
(主著者はDiekema)

②Diekemaは「本症例が提起する多様な多くの問題」を語った際に、
一番最初に pesonhood を挙げた。

一度ならず繰り返してもいるので、
A事件でのパーソン論の役割の大きさを認識していたし、
もしくは認識させたかったのだろう、と思われる。

09年1月の成長抑制WGの“妥協点”を解説するシンポでDiekemaは
自分たちはPeter Singerのようなパーソン論の立場には立たないと明言しているけれど、

それは、あの時あの場ではそういう方が有利だとの判断で
07年当初には彼は“Ashley療法”論争のキモがパーソン論であることを認識していたし、
こういう形でさりげなく問いかけてもいた、つまり少なくとも医療の世界では
Ashley事件でのパーソン論に一定の賛同が得られると考えていたのでは……?

③Guntherはエストロゲンによる成長抑制のリスクとして、以下の3点を挙げた。

・血栓症
成人女性が避妊ピルを飲むと、飲まない人に比べて
リスクは2~3倍になると言われている。
子どもでは身体が若い分、それほどでもないはず。
ただし重症児は寝たきりなので、高くなるとも言える。

・(子宮からの)大量出血

・乳房の急激な、苦痛を伴う可能性のある発達

ということは、
今現在、子宮摘出とも乳房摘出とも切り離して提唱されている
エストロゲンの成長抑制療法は、いつ何時、
副作用の予防手段としてそれら2つの手術と繋がり、
Ashley父が望む通りの“Ashley療法”3点セットになっても不思議ではない?

④Guntherは症例解説の中で医学用語でもないbreast bud(乳房芽)を用いたが
Botkinの方は平気でmastectomy(乳房摘出)を繰り返し、
DiekemaとGuntherのミスリードの努力を台無しにしていた。

⑤Botkinは、コメントの冒頭で
Ashley事件には情緒的な反応をする人が多いと述べ、
しかし倫理学者はその情緒的な反応が起こる理由を掘り下げて考えることが仕事なのだから
そうした反応は倫理問題を考える際には重要なのだと語りつつ、

話が進むと、
「我々の本能的な嫌悪感」にはちゃんと耳を傾けなければならないとの
有名なLeon Kassの主張を取り上げて、しかし、あれはクローン人間についての話で、
成長抑制に当てはまらない、と線引きをした。

さらにPolitically incorrect enterpriseという表現を用いて、
批判している人たちは政治的な正しさを問題にしているだけだとの
間接的な批判を匂わせた。

最終的にBotkinがまとめた問題点は

・間接的な利益または将来の利益のために子どもの体に手を加えることは正当化されるか?
・在宅ケアのメリットが過大に評価されていないか?
・社会の都合や望みに応じて人の体に手を加える行為は、社会の構成員への脅威となるか?

⑥あまり意味のない、ただの印象だけど、
Guntherは、ちょっと屈折のありそうな人物ではあった。

「今日は倫理学者でもある医師が多いので、区別するために白衣を着てきた」とか、
マイクがやたら雑音を拾い始めて不調になると「ボクがやってるわけじゃないですよ」とか
「これはやっぱりボクのせい?」とか。

映像を見ながら、この人が数ヵ月後に自宅の車の中で自殺したのだと考えると
なんともいえない気分だった。
2010.12.10 / Top↑
シアトルこども病院のWilfond医師を主著者に、
成長抑制ワーキング・グループが書いたことになっているHCRの論文
Navigating Growth Attenuation in Children with Profound Disabilities
Children’s Interests, Family Decision-Making, and Community Concerns
について、前にこちらのエントリーでざっと要点だけ拾っていますが、

今回、せっかく論文全文を読んだ以上はまとめなければ……とは思いつつ、
ぜーんっぜん、そういう気分にならない……。

というのは、読むまでもなく、想像通りの展開で、
相も変らぬ大ウソ八百と詭弁の羅列。

全体に繰り返されているのは
グループの中で出た懸念・批判の声を1つ1つ挙げ、
それに理解を示すフリをしつつ提示した後に、
However,(しかしながら……)と逆の立場に転じて論駁し、
結局は前者の懸念をねじ伏せる、または却下する……というパターン。

全文、ひたすら、その繰り返し。

もちろん、全体としての正当化の論理は、
これまでDiekemaやFostらが展開してきたものと全く同一。
(その内容は、文末にリンクした2つの論文に関するエントリーに)

例えば、

グループの中には、身体の統合性を侵すから成長抑制はダメだという人もいた。
However, しかしながら、身体の統合性そのものが、
この治療は自然か否かと問うに等しい曖昧な概念でしかない。

セーフガードは重要だとWGは考えたし、
やはり法定代理人(guardian ad litem)や裁判官の判断が必要だという声もあった。
However, しかしながら、裁判所は当該家族とは関わりがないので判断できないし、
これまでの生命維持の差し控えを巡る判断でも偏っていた(ここはFostのホンネがちらり)、
それよりも多様な立場の人がいる倫理委員会の方が適任。

……などなど。

ね、いちいち、まとめなくても、あとは簡単に想像がつきますよね?

ど~こが「反対する立場への理解を深めてミドル・グラウンドを模索」なんだか。

WG内の成長抑制反対の立場なるものには「一応耳は傾けたフリはするけど採用せず却下」が
最初から既定路線だったくせに。


ただ、冒頭、06年のGunther&Diekema論文について書かれた部分に
どうにも腹にすえかねる大ウソが並んでいるので
そこのところの3つのウソだけ、とりあえず指摘しておきたい。

① 06年のあの論文が
「成長抑制の倫理的なジャスティフィケーションを提示した」そうな。

これはウソです。
そんなものは提示されていません。

「重症児が背が低くなることから受ける害を想像できるだろうか」と
利益vs害の誠実な比較考量の必要すら切って捨て、
歴史が求める慎重も「過去に虐待があったからといって
利益のありそうな新しい療法を模索してはならない理由にはならない」と
切って捨てただけでした。

② 「論文著者らは、アシュリーの最終成人身長が予測される5フィート4インチではなく
だいたい4フィート6インチに抑制されるだろうと予測した」というのも、
郵便ポストだって山の紅葉だって恥じ入るわい! くらいに真っ赤っかな大ウソ。

John LantosがAJOBのコメンタリーで指摘しているように、
「2006年論文以降、身長を抑制する目的を謳いながら
肝心のAshleyの身長についてパーセンタイルが挙げているだけで
実際の身長、骨年齢のデータが挙げられていない、
最終身長がいくらになると見込んでいたのかの予測データも出てこない」のが真実。

③ さらに、07年に立ち上げられた親のブログが
「障害者の権利と家族支援の団体から強い批判を浴びた」。

この点は11月30日からネットを含むメディアで始まったと思われる
成長抑制キャンペーンでも繰り返されているウソですが、

批判は障害者運動の側からだけでなく、
医師や生命倫理学者、法学者、宗教関係者からの批判も多数出ました。

障害当事者らがこの事件の政治的利用をもくろんでいるだけだというのは
Ashley父やDiekemaらが当初から盛んに描いて世間に提示してきた
偽りの構図に過ぎません。

しかし、ここで再燃する“論争”では、
またぞろ世の中の人たちは、そういう誘導にひっかかるのだろうなぁ……。

やっぱりメディアを動員する権力を持っている人には誰も抵抗できない――?


【Pediatrics誌のDiekema&Fost論文(2009)に関するエントリー】
Diekema とFostが成長抑制療法で新たな論文(2009/6/6)
成長抑制WGの作業のウラで論文が書かれていたことの怪(2009/6/6)
成長抑制論文にWhat Sorts ブログが反応(2009/6/7)
私がDr.Fostをマスターマインドではないかと考える訳(2009/6/13)
Diekema&Fostの成長抑制論文を読んでみた(2009/6/14)
Diekema&Fost論文の「重症の認知障害」が実は身体障害であることの怪(2009/6/15)
病院の公式合意を一医師が論文で否定できることの怪(2009/6/15)

【AJOBのDiekema&Fost論文(2010)に関するエントリー】
Diekema医師が今更のようにAshley論文書いて批判に反駁(2009/10/1)
Diekema&Fost論文を読む 1:倫理委に関する新事実(2009/11/1)
Diekema&Fost論文を読む 2:ホルモン療法の期間を修正(2009/11/1)
Diekema&Fost論文を読む 3:政治的判断を否定(2009/11/1)
Diekema&Fost論文を読む 4:窮鼠の反撃? 証明責任の転嫁(2009/11/2)

(エントリーは、コメンタリー募集のため9年4月に公開された論文を元に書いています)
2010.12.08 / Top↑
6日のエントリーで指摘したように、
シアトルこども病院成長抑制ワーキング・グループからは、WPASの弁護士Carlson氏が抜けているので、
その他メンバーは19人ということになります。

この19人の内訳を、以前からずっと取りまとめておきたいと思いつつ果たせていなかったので
ここできちんと書いておきたいと思います。

まず、19人のうち10人は、シアトルこども病院またはワシントン大学の職員です。
(Jane Bogleは論文ではシアトルの人だとしか書いてありませんが、
08年1月の病院サイトの情報によると、子ども病院の元職員)

その他のうち、一人がWisconsin大学のNorman Fostで、
もう一人、去年の成長抑制論文の主著者だったAllen医師は
Fostと同じくWisconsin大学でFostと同じくホルモン療法の専門家。
つまり、どう考えてもFostの子分。

また06年に小児科学会誌にGunther&Diekema論文が掲載された折に、
批判的な論説を書いた編集委員のBrosco医師が入っていますが、
彼は07年の成長抑制シンポで基調講演に招かれて以来、
驚くことにシアトルこども病院のセミナーやその他イベントの講師に何度も招かれて
いつのまにやら、すっかり同病院のオトモダチ。
権力者が反対者を懐柔する典型的な手段に
すっかりやられてしまった人という風情があります。

次にParensは、
Hastings Centerの上級研究者ということになっているから
いかにも中立の立場の人のように見えますが、なに、彼は
09年1-2月号のHastings Center Reportで
Ashley療法を擁護する論文を書いています。
WGに招かれたのが、この論文を投稿する前なのか後なのかは知りませんが、
いずれ無関係のはずもないでしょう。つまり最初から賛成の立場。

そして、重症児の親2人の内の1人は
当然のこととして賛成の立場のWalkerさん。

ここまでカウントすると、既に19人の内の15人は
身内か、あらかじめ身内側に取り込まれた人物、それから
最初から賛同スタンスの人だったことになります。

残りは4人ですが、
そのうちの一人、哲学者のHilde Lindermanは
もともと、育てる負担を背負う母親に障害児中絶の決定権があると主張している
親の決定権論者なので、

そうなると実質的には、最初から16対3。

論文が言う「グループのほとんどが“妥協”に合意した」は
議論をするまでもなく成り立ってしまうメンバーが
あらかじめセットアップされたWGだったわけです。

結局、
障害当事者で障害学の学者Ash, 重症児の親で哲学者のKittay, 
Walkerさんの相方として重症児の親のSwensonさんの3人と、
ついでに身内の側から障害当事者のMiller(10月に死去)も含めて、
「障害当事者や家族など、反対の立場の声にも十分に耳を傾けたのだ」という
アリバイ作りのために利用されたのではないでしょうか。

もっとも、Adrienne AshはAJOBのDiekema&Fost論文に
コメンタリーで反撃を試みているし(ついでに注で、署名したことへの言い訳も)、

Washington大学職員でありながら、そのために気を使いつつではあるけれど、
哲学者のSara GoeringもAJOBのコメンタリーで
社会モデルに対する理解が足りないと、やんわり牽制してもいますが。

しかし、このように中立性などカケラもないWGが
11月30日以降、あちこちのメディアの記事では
さも中立な専門家が議論した場であるかのように書かれ、
ワケのわからない「妥協点」なるものの内容が
あたかも中立な専門家が出した「決定」や「ガイドライン」であるかのように
喧伝されて行きつつあるのです。

やっぱりメディアを動員できる権力を持っている人たちには誰も勝てない――?


【追記】
このメンバーの中で、特に気になる人物として
WA大学の法学と医療倫理学の教授 Rebecca Dresserがいます。

彼女は以下のエントリーで紹介した論文で何度も引用・言及されていますが、

憲法が保障する“基本的権利”をパーソン論で否定する“Ashley療法”論文(2009/10/8)
憲法が保障する“基本的権利”をパーソン論で否定する“Ashley療法”論文(後半)(2009/10/8)

重症障害児は我々とは別の世界に住んでいるのだとして、
重症障害児には通常の最善の利益の考え方とは別の
「改定最善の利益」基準を設けるべきだと主張している人物です。
2010.12.08 / Top↑
Norman FostがHastings Center Reportに書いた
Offence to Third Parties?

感情論だと非難しているようで気になっていたのですが、読んでみると、
やはり当初の推測の通りタイトルの意味は「第三者が気に入らないからやめろだとぉ?」だったようです。

論旨はだいたい、こんな感じ。

ワーキング・グループが「妥協点」に達したことは良いとするが、
自分に言わせれば、その妥協点すら第三者の言うことを尊重しすぎている。

個々の家族が医師と相談して成長抑制が良かろうと言っているのに、
直接関係のない第三者がそこに自分たちの利益や選考を加味しろと主張するなんて論外。

Ashleyのような重症児に成長抑制が行われたからといって
彼ら第三者に感染の害が及ぶわけでもなければ
重症児以外の障害者が殺されるわけでも危害が及ぶわけでもない。
それで彼らの税金や保険料が上がるわけですらない。

そもそも例のWPASとかいうグループがAshley療法に腹を立てて(offended)
裁判所の命令なしにやらせないと病院に圧力をかけた(pressuring)のからして
感情的な反応に過ぎない。



で、最後に、

If those who object to growth attenuation in patients like Ashley claim that their rationale is not simply their own moral distress but a belief that a medical intervention (or withholding of medical intervention in the case of “natural” short stature) is contrary to the child’s interest, then they should work through the long-established system of adjudicating questions of abuse or neglect of children – namely, by making a report to the county or state child protection service.

もしAshleyのような子どもの成長抑制に反対する者たちが、その反対を自分たちの勝手な道徳上の不快によるものではなく、成長抑制という介入(または “自然に”背が低い場合に介入を差し控えること)が子どもの利益に反するとの信念によるのだというのであれば、子どもの虐待とネグレクトの問題を提起する制度はもう長く確立しているのだから、虐待のケースとして郡か州の児童保護局に通報すればよかろう。



と書いた後で、
虐待と認められないなら、医療に第三者の口出しは無用と結論。


しかし、このFostの論理が成長抑制で通ってしまったら
医療は「親の決定権」を盾に、やりたい放題が可能になりますね。

やはり、こちらのエントリーで書いたように、
Fostの狙う本丸は、重症障害児への「無益な治療」論の一般化なのか――?
2010.12.08 / Top↑