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「在日」 姜尚中(集英社文庫)


姜氏の文章についてのみ言えば、
冒頭の深い思いをこめて書かれている個所は魅力的だけれど、
定型句的な湿度の高い形容を伴って平板に書き進められていることも多く、
氏の文章そのものを特に「美しい」と感じるわけでもないので、

今回は「美しい」文章ということではなく、

こんなことって、あるのぉぉぉぉ??? とばかりに仰天した
この作品中の「奇遇」について――。


154ページから156ページにかけて、
長男が生まれる際に羊水を飲み、命が危ぶまれた状況が語られている。

「奇遇」とは、
著者がそこで私たち夫婦とまったく同じ体験をし、
私とほとんど同一と呼んでもいいような文章を書いていること。

生存の可能性は50%だと言われ、ショックを受けながら
保育器に入れられた我が子を見守っている場面で
著者は以下のように書いている。

 保育器のわたしたちの「生命」は、たくさんのチューブを付けられ、ところどころに絆創膏のようなものを張り付けられて痛々しかった。それでも時おりあどけなく大あくびをする姿にわたしは一瞬、ユーモラスな感じさえ受けることがあった。
「生きるさ、きっとコイツは生きる」。自らに言い聞かせるように何度も呟くと、わたしたちの「悲劇の主人公」は大あくびをしてそれに応えているようだった。
(p.155)


以下、拙著『新版 海のいる風景―重症心身障害のある子どもの親であるということ』で、

生まれるなり保育器に入れられた娘が命の危機を何度もくぐり抜けていた頃、
NICUの窓のすぐそばに保育器を移動してもらって、
夫婦で覗きこんでいた時のことを書いた部分。

「おーい」
私たちは聞こえるはずのない呼びかけをした。
「ちょっと起きんかなぁ。お父さんとお母さんが来とるんじゃんけどなぁ」
 しばらく待ったが、相変わらず眠り続ける。
「じゃぁ、お父さんとお母さんは帰るぞぉ。また、明日くるぞぉ」
 その時、眠っている海がもぞもぞと体を動かしたと思うと、いきなり大あくびをした。聞こえたはずはないのに、まるでこっちの声に応えたようなタイミングだった。私たちの目の前で歯のない口が大きく開き、海はまるで満腹して眠気を催したバアサンみたいな顔になった。あっけにとられていると、閉じた口をさも満足げにもぐもぐとさせ、それきりまた、ぐっすりと眠り込んでしまった。
「……」
 思わず目を見合わせ、一瞬の後に二人で同時に吹き出した。それは実に、世を憚らぬ大あくびだった。
 この子は生きる……。
 おなかの底から湧きあがる笑い声を口から次々こぼしながら、私たちはそう確信した。
(p. 57-58)


もしかしたら、生まれてすぐに保育器に入れられた子どもの親には、
同じような体験をした人が多いのだろうか。

大あくびって、確かに、
危機に固く緊張していたいのちが、ふわっとほぐれてきたことを告げる
「生きるよ」という、子どもからのメッセージなのかもしれない。

今でも時々、真夜中にごそごそする気配に
「すわ、けいれんか?」と隣の布団から飛び起きて、覗きこみ、警戒しつつ見守っていると、

もぞもぞした挙句に、
眠りこけたまま「ふわぁ~」と呑気なあくびを一つ。

「……むにゃぁ」と、
そのまま何事もなく深い眠りに戻っていくような時、

「ありゃま……」思わず笑ってしまう。

そして、そんな時、
いのちが一つ、そこにくつろいで生きて在る……ということが
ただそれだけで、心の底からしみじみと愛おしい。
2012.12.14 / Top↑
このニュース、
治療の差し控えが認められなかったという点よりも、
植物状態から最少意識状態まで「無益な治療」論の対象は拡大してきているのか、という点で戦慄……。


David Jamesさん(68)は5月に便秘で入院し、肺炎を起こして重症に。

Jamesさんはこれまでに脳卒中を起こして右半身がマヒしており、
何度か心臓マヒも起こして腎機能も障害されている。
医師らの診断は最少意識状態。

病院側は
Jamesさんが悪化した場合には「無益で負担の大きな」治療をする必要はないとの
許可を求めて保護裁判所に提訴。

「無益で負担の大きな治療」とは、
心肺蘇生、腎臓移植、慢性的な低血圧への侵襲的な治療のこと。

それに対して、判事は以下のように述べて病院の訴えを拒否した。

「James氏の状態は多くの点で悲惨ではあるが、
治療が無益だとか負担が大きすぎるとか、回復の見込みがないという主張に
私は説得力を感じない」

「確かに治療の負担は大変大きいが、
それらは生き続けられることの利益との比較考量が必要」

また、
回復とは完全な健康状態に戻ることを意味するのではなく、
Jamesさん自身が価値があると感じるQOLを取り戻すことを意味する、とも付け加えた。

David James - Court Denies Hospital Permission to Stop Life-Sustaining Treatment
Medical Futility Blog, December 11, 2012


具体的に挙げられている心肺蘇生、腎臓移植、慢性的な低血圧への侵襲的な治療のリスクの大きさについては
素人の私でも確かに「そんなの問題にならない」なんて思わないほど大きいと思うのだけど、

この判決で注目される点として、とりあえず以下の4つを考えた。

①医師らの論理が
「最少意識状態の患者には無益だから、負担が大きな治療はしなくてよい」というふうに
無益論によって利益と負担の比較考量の必要を否定していることを、裁判所が突いた。
(「生き続けられること」を判事が利益だと前提していることに注目)

②最少意識状態のJamesさんへの「回復の見込みがない」との無益論の適用に、
「説得力がない」と判断された。

③無益かどうかの判断基準は「完全な健康状態への回復可能性」ではなく「一定のQOLへの回復可能性」。

④また無益性の判断基準は、回復可能なQOLを治療に値すると考えるかどうかについて
患者の主観的な受け止めとされたこと。

特に④の点は、
「無益な治療」論が患者の自己決定権の否定であることを考えると、
たいへん興味深い判決なのでは――?


他にも
当ブログで拾ってきた「無益な訴訟」事件で報道の情報から
「植物状態」というより「最少意識状態」または
意識はあっても意思を表出できにくい重症障害なのでは……という
印象を受けた事件も沢山ありますが、とりあえず
「最少意識状態」とされる患者さんの治療停止が問題になった最近の事件として、

ラスーリ事件
Hassan Rasouliさん、「植物状態」から「最少意識状態」へ診断変わる(2012/4/26)

Margo(仮名)または「女性M」事件
「生きるに値しないから死なせて」家族の訴えを、介護士らの証言で裁判所が却下(2011/10/4)
「介護保険情報」1月号でカナダ、オランダ、英国の“尊厳死”関連、書きました(2012/2/6)

「最少意識状態は植物状態よりマシか? 否。カネかかるだけ」とSavulescuとWilkinson(2012/9/8)


2012.12.14 / Top↑
たまには救いのあるニュースから……

英国のバス会社が路線バスの約70%で、失業者が無料で乗れるようにする計画があるらしい。対象者80万人。:これ、いい話だと思うなぁ……。
http://www.guardian.co.uk/society/2012/dec/10/unemployed-free-bus-travel

路上死したホームレスの男性のために、自身が2日路上生活をして募金を集め、地域の一員を弔う葬式を出した元ホームレスの男性。「彼は路上で死んだ。一つのコミュニティとして、我々はその事実を知り、きちんと受け止めて、それに対して何かをしなければならない」英国。:これも、考えさせられる話だなぁ……。
http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-devon-20628497


以下、いつも通り……

アイルランドのMarie Flemingさん(58)の死の自己決定権訴訟の審理で、国側は憲法で保障されているのは生きる権利であり、死ぬ権利というものはない、と主張。原告側は米国ユタ大学の生命倫理学者Margaret Battinがビデオで証言し、オレゴンで精神障害者がセーフガードから漏れている可能性は認めつつも、米国とオランダの研究では高齢者や貧困層、障害者への濫用は起こっていない、緩和ケアと自殺幇助が共に終末期の選択肢となるべきだ、と。
http://www.irishtimes.com/newspaper/breaking/2012/1211/breaking29.html
http://www.rte.ie/news/2012/1211/marie-fleming-court.html

カナダB.C.州の故Taylorさんを含む複数の訴訟の上訴審でも、3月に8団体から意見陳述の申請。
http://www.vancouversun.com/health/Range+intervener+groups+granted+status+landmark+righttodie/7677495/story.html

英国で、7歳の息子の脳腫瘍摘出手術後の抗がん剤治療をリスクが大きいと拒否した母親Sally Robertsさんが息子を連れて逃げて警察が手配する騒ぎに。見つかった後、術後のスキャンの影がガンだとはっきりしたら受けさせる、と。:当ブログが拾った同様の事件を以下にリンク。
http://www.guardian.co.uk/uk/2012/dec/10/runaway-mother-son-cancer-treatment

Mueller事件(2002) ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/29281298.html
(可能性5%の髄膜炎に腰椎穿刺はリスクが高いと母親が拒否し、親権はく奪)

Riley Rogers事件(2006) ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/29406662.html
(乳児の透析開始を予測した予備的外科措置を母親が時期尚早と拒否し、親権をはく奪)

Cherrix事件(2006) ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/13603796.html
(15歳の少年が抗がん剤治療を拒否し、裁判所が本人意思を尊重した
 mature mainor[成熟した未成年]概念に関連する有名な事件)

Hanna Jones事件(2008) ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/46162267.html
(13歳少女が延命効果ないと心臓移植を拒否)

Hauser事件(2009) ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/52450971.html
(13歳の息子の抗がん剤治療を拒否し母親が息子を連れて逃亡)


ベンゾジアゼピンに肺炎リスク。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/popular-sedatives-may-raise-risk-for-pneumonia-a-study-says/2012/12/10/57c01042-6a25-11e1-acc6-32fefc7ccd67_story.html

【関連エントリー】
「英米でも深刻化する子どもの貧困」ほか書きました(2012/12/6):ベンゾジアゼピンに認知症リスク?
「認知症高齢者への抗精神病薬を巡る動き」を書きました(2012/11/7)


米国の病院で医師の高齢化による適性判断が問題になっている。
http://www.washingtonpost.com/national/health-science/as-doctors-grow-older-hospitals-begin-requiring-them-to-prove-theyre-still-fit/2012/12/10/42bb4d90-2d0e-11e2-a99d-5c4203af7b7a_story.html

日本語。iPS時代、政治化する生命 -尾関章の文理悠々「ここで痛感するのは、日本社会にはこうした新しい生命科学の本質をめぐる議論がほとんど見られないことだ」「自己決定のアメリカ」「秩序の整備をめざす欧州」「問題意識が希薄な日本」:ここに書かれているバイオバンク構想の関連だと思うけど、08年、09年と英国では国民DNAデータベースが着々と完成に向かっていたみたいな……(関連は以下にリンク)。
http://book.asahi.com/reviews/column/2012120500001.html

英国
中学の成績が一生データベースに?(2008/2/13)
国民DNAデータベースめぐり論争再燃(2008/2/24)
NHSの患者データから研究者が治験参加者を一本釣り?(2008/11/18)
「無実の人のDNAサンプル保管は人権侵害」と欧州人権裁判所(2008/12/6)
情報で国民を監視・管理する社会へ(英)(2009/1/11)
100万人以上の子どものDNA情報が国のデータベースに(英)(2009/2/27)
「英国政府のデータベース4分の1は人権侵害」と報告書(2009/3/24)
国民データベース諦めて、代わりに「ネットと電話利用歴みんな残せ」と英国政府(2009/4/28)
DNAサンプル目的で何でも逮捕、既に黒人の4分の3がデータベースに(2009/11/24)

米国
米国でも逮捕時採取のDNAサンプルを保管してデータベースに(2009/4/20)
米国でも犯罪者のDNAサンプル廃棄進まず(2009/6/10)


マイクロソフト社がウインドウズ8の販売やソフトのダウンロードなどによるオンライン上の支払分について、税率の低いルクセンブルクとアイルランドを経由することによって17000万ポンドの収入に対する英国の法人税の支払いを免れている、と非難を浴びている。マイクロソフト側は違法なことはしていない、と。他にもアマゾン、グーグル、スターバックスなどグローバルに展開する大企業に同様の指摘がされており、OECDではこうした多国籍企業が実際に商売している国とは別の国で収入を申告する税金逃れはどんどん巧妙・悪質化している、と。
http://www.telegraph.co.uk/finance/newsbysector/retailandconsumer/9733504/Tax-row-turns-to-Microsoft-over-1.7bn-of-online-revenues.html

米連邦政府環境保護局が、西部1500か所で帯水層の汚染の可能性を知りながらエネルギーと鉱山業者に事業を認め、有毒ミネラルで汚染させた、とProPublica。
http://www.propublica.org/article/poisoning-the-well-how-the-feds-let-industry-pollute-the-nations-undergroun
2012.12.14 / Top↑
9月に上梓した『新版 海のいる風景』を読んでくださったtu*a*さんから、
今日、とても嬉しいコメントをいただきました。

その中で、p.146の「障害はあるよりも、ない方がいいに決まっている」という個所について
違和感を指摘されているので、それについてお返事を書いていたら
簡単には済まなくなったので、エントリーを立てることにしました。

いただいたコメントの当該個所は以下です(スペースの関係で勝手に改行しました)。

でね、すごく素敵な本でひとりでもたくさんの傷ついてる親たち、
そして、その親たちを知らず知らずのうちに傷つけている人たちに読んで欲しい本です。
でもね、違和感もないわけじゃないです。いろんな人が指摘してるかもしれないけど、
「障害はあるよりも、ないほうがいいに決まってる」っていう部分。
それまでのところで、丁寧に海さんの障害とよりそう大切さが書かれているのに、
そこで急に突き放された感じがしました。

そして、tu*a*さんご自身がこの問題ついて書いてこられたものとして、
3つの文章のリンクを教えてくださいました。以下かなり舌足らずですが、
コメント欄に書くつもりで書き始め、長文になってしまったお返事です。

        ――――――

tu*a*さん、風邪だいじょうぶですか。インフルエンザでなければいいですが。
そんな大変な時に追加コメありがとうございます。
おっしゃること、とてもよくわかります。

tu*a*さんのツッコミは、インターネットでよくある「意固地な否定」でも「反発を伴う攻撃」でもなく、
いつも問題意識の共有へのお誘いであり、共に考えるための問いかけなので、本当にありがたく、
これを機に今の段階での私なりの思いや考えをちょっとだけ整理してみました。
貴重な機会を与えてくださって、ありがとうございます。

まず、今回の『新版』では、前後に書き足した以外の本論部分は「てにをは」程度の訂正のみで
10年前のままで出してもらっています。

今も不勉強のままだけど、これを書いた10年前はほんっと~~~に何も知りませんでした。
今の私ならこういう書き方はしないな、という個所は他にもいくつかありますが、
基本的には10年前に書いた部分は10年前に書いたものとして内容には手を加えないことにしたものです。

ご指摘の個所について、一つ言い訳すれば、
10年前にそういう程度の意識だった私には、
障害者を美化して「勇気をくれる普通以上の存在」に祭り上げる世間と、
障害は個性にすぎないと過剰に強調して、それに対抗しようとする人達双方への反発があって、
問題の下りでは、既に前者への反発を書いた後に後者への反発を書こうとしているのだと思います。

だから、私は野崎さんほどいろいろな思索を経ているわけではなくて
何も知らない一母親の感想みたいなものけれど、言わんとすることの方向性としては、
リンクしてくださった、こちらの2つのエントリーは全然ズレていないと思います。
(私のコメントはやっぱズレている気もしますが、私の連想は以下に書く①のところにあったのだろう、と)

http://tu-ta.at.webry.info/200908/article_18.html
http://tu-ta.at.webry.info/200909/article_1.html

「違う。個性じゃない、障害は障害であって、わざわざ個性だと別物に言いなしたり、
違いがあるのにないフリをして見せなくても、障害は障害だと認めたうえで、
障害とともに日々を幸福に生きていくことはできる」ということを言いたかったのだと思います。

それを言うために何の疑問もなく「ない方がいいに決まっている」と書いてしまえるほど、
10年前の私は問題意識が低かったということなんですけど、これを書いた時の私は、
社会から障害児者の存在そのものを否定される可能性になど頭が及んでいなくて、
目の前の世間サマの言動にイチイチ頭にきて鼻息を荒くしていたのでした。

tu*a*さんの最初のリンクの文章(http://www.arsvi.com/2000/0103tm.htm)は、
このブログで出会った頃に教えてもらったものだと思うんですけど、
私にとってはあの時が「障害はないにこしたことはないか」という問いと初めての出会いでした。
(その時のエントリーはここに ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/47385557.html#47424234)

でも、あの頃はまだシンガーとか功利主義者からの攻撃について十分知らなかったから、
実はピンと来ていなかったんです。

あの後で、たしか意識の有無が治療の停止で問題になることを取り上げたエントリーで、
私が重症者の意識の有無は証明できないと書いたのに対して、
「では意識がなかったら死なせてもいいのか」とtu*a*さんが突っ込んでくださって、
それもまた私には、その問いとの初めて出会いでした。

(そのエントリーを見つけたくて、午後中ずっと探していたんですけど、
なにしろ4800くらいあるのを後ろからと前からと見て行ったのに、見つからなくてグヤジ~~~~)

あの時すぐに答えられず、そのままずっと抱えていて、
『アシュリー事件』を書く過程で少しずつ自分なりの答えを見つけていった気がします。
そして、tu*a*さんが投げかけてくださったあの問いと自分なりにそこで見つけた答えとが、
『アシュリー事件』のある個所を書くための土台になってくれました。

そんなふうに私はアシュリー事件との出会いから障害学や障害者運動について知り、
いろんな人と出会うことを通じて、本当の意味でものを考え始めたんだなぁ、と
今日の午後、コメント欄をたどりながら改めて痛感したところです。
tu*a*さんから教わったことは本当に多いです。

そうしてブログを6年やってきて、もちろん今の私は
146ページの文脈で「ない方がいいに決まっている」という単純な断言はしないと思いますが、
正直言うと「障害はないにこしたことはないか」という問いへの自分なりの答えは
今もまだきちんと書けるほどには出せていません。

障害のない人生を送らせてやりたかった、という親として素朴な思いは
尽きることのない悔いのようなものとして、ずっとあります。
娘に障害があること、それによって彼女の人生に制約が生じてしまっていることには、
やはり「悲しいことだ」と受け止めたり、感じる自分がいます。
私にとって障害はいつも娘から「奪って行くもの」だったし、
成人して障害は重度化しており、これからさらに娘から奪われていくものを思うと、
本当に悲しく、やりきれない思いになります。

ただ、だからといって、それは現在の娘を否定する思いではないし、
今の娘を見て不幸だとも思わない。むしろ、うちの娘は
彼女なりに幸せに暮らしているように見える。

介護者支援の必要を訴えようと思えば、
介護負担のことや離職からの傷ばかりを語ってしまうことになるし、
それらはすべて真実だけれど、それは一面の真実であって、それがすべてなわけじゃない。
しんどいことも悲しいこともないわけじゃないけれど、海の母親として自分を不幸だと感じてはいません。
むしろ、私はこの子の母親であることをとても幸せだと感じています。それは父親も同じです。

個々の事柄や状況については苦だとか悲しいことと感じることはあるけど、
だからといって娘や私たち親がそのために人として不幸だとか、
私たちそれぞれの人生が不幸だというふうには感じていないし、
そんなふうにして日々を生きているのは障害のある人とその家族に限らず、
誰にとっても、人が生きるということそのものがそういうことなんでは――? 

敢えて言ってみれば、そんな感じでしょうか。

親として娘の障害に向ける思いはひと色ではなく、
そこには様々に相矛盾する思いがあって、それらの思いが、たとえば
新型出生前遺伝子診断を巡る議論と自分の中でどのように接続していくのか。

そういうところまでは、まだきちんと考え詰められていません。
これもまた前回と同じく、tu*a*さんからもらった宿題として抱えさせてください。

ただ、せっかくなので、今の段階でこの問いについて考えることを3つばかり、以下に。

① 本来、選べないことをあたかも選べるかのように問うことへの疑問。
何のために問うのか、その問いには予め議論の方向性が設定されていることの問題。

例えば以下のエントリーに書いたような疑問です ↓
「健康で5年しか生きられない」のと「重症障害者として15年生きる」のでは、どっちがいい?(2010/8/20)
障害者差別としてボツになった配給医療基準「オレゴン・プラン」が、HIMEによってグローバルに復活することの怪(2011/12/20)

② シンガーやトランスヒューマ二ストの人間観は
人をそれぞれの「能力の総和」として捉えて、しかもバラバラに存在する個体とみなしていて
その個体の能力が高くなればその個体がそれだけ幸福になる、といった数式か記号のような存在だけれど、

本来、人間はもっと関係的な生を生きており、
人と関わり繋がりあって、その関係性の中から生じてくる
「あなたにとってかけがえのない私」「私にとってかけがえのないあなた」であるような
「かけがえのなさ」を生きる存在なのだと考えれば、

そうした問いに前提されている「能力が高い方が優れている」「能力が高ければそれだけ幸福である」
という人間観そのものが間違っているんでは?

③ それからtu*a*さんが結論されているように「『ないにこしたことはない』と強調し過ぎることが
そう思わない人の生き難さを強要するのであれば、それはやめたほうがいい」と同時に、

こうした議論が繰り返されることによって、
他者に対する想像力がさほど高くはない10年前の私のような、
ごく普通に「知らない」「余り考えていない」人が引きずられて「そうだ」と思わされ、
それが「どうせ」の共有に繋がって、昨今の「障害のある生は生きるに値しない」価値意識へ、
さらに「救うに値しない」意識の拡大につながるのだとしたら、
繰り返す前に、立ち止まって、それを問うこと問われることの意味そのものを振り返ってみた方がいい。

ここから先は、また時間をかけてぐるぐるしながら
自分なりにtu*a*さんからもらった宿題と向き合っていきたいと思います。
いつか、ゆっくりお目にかかって、このことについても語り合えたら、すごく嬉しいです。
(とはいえコメント欄でのご提案の場は私にはちょっと荷が重いですが)

本当にありがとうございました。風邪、大事にしてくださいね。

うちの娘も土曜日の夜中にいきなり高い熱を出して、悪寒でガチガチしながら唸り続けて可哀そうでした。
でも日頃は他人の中で立派に暮らしている25歳の彼女に、まだこうして熱を出したら
唸って甘えられる場所になってやれていることが、なんだかしみじみとありがたかったです。
熱はそれきりで、もう元気になったみたい。

tu*a*さんが今ごろ高熱で唸っていませんように。
2012.12.14 / Top↑
オランダの2011年の安楽死についての報告書が出ている。

Regional euthanasia review committees Annual report 2011


報告書そのものはなかなか読み切れないので、
これについてのBioEdgeの以下の記事から。

2011年の安楽死は3695件で
前年よりも18%の増。

地域ごとに置かれた5つの安楽死委員会は
本来なら医師からの報告書を受けて合法に行われたかどうかを判断し、
42日以内にその結果を医師らに通知しなければならない。

しかし安楽死件数の増加に追い付かず委員会が人手不足になっているため、
法律で定められた期限内に検証結果を関係した医師らに交付することができないという
「受け入れがたい」「適法ではない」状況となっている。

もっとも3つの地域では50日で出しているし、
最悪でも175日で出しており、平均では111日。

3695件のうち、委員会が法律の通りに実施されていないと判断して
the Board of Procurators Generalとthe Healthcare Inspectorateに送ったのは4件のみ。
その内容については報告書は触れていない。

また、安楽死を報告しない医師らがいる問題にも
この報告書は触れていない。

今年7月にLancetで米国の医師Bernard Loが指摘したところでは
安楽死を行った医師の20%は報告しておらず、
それらが患者の意思に基づくものか否かは知りようがない。

Report on Dutch euthanasia for 2011 released
BioEdge, December 7, 2012



Lancetで今年7月に行われた関連の議論については
こちらのBioEdgeのエントリーに ↓
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10158
2012.12.14 / Top↑
昨日の補遺と今朝のエントリーで取り上げたベルギーの安楽死の実態報告書に関する
BioEdgeの記事を読んでみました。

Michael Cookによると、
この報告書の中心テーマは安楽死監視評価委員会がまともに機能していない、という点。

10年間に約5500件の安楽死が行われ、
そのうちの一件として警察に通報されたものがないことから、
この調査を行ったEuropean Institute of Bioethics(IEB)では
医師らが互いの過ちを糾弾し合えると期待するのは幻想だ、と。

さらにコントロールとアセスメント委員会の16人と規定されるメンバーの約半数が
ベルギーで力のある死の権利協会のメンバーだといい、
IEBはコントロールが効いていないのも拡大解釈もそれで説明できる、と。

その結果として濫用が起こっており、
その事例としてCookが挙げているのは、


・患者または代理人の書面による安楽死希望の意思表示が必要とされているが、
委員会はしばしばこの義務規定を免除している。

・当初、患者は命を脅かされる病気または不治の病気であることと規定されていたが
昨今では単に重病で衰弱を伴うなら対象とされている。

・苦痛が耐え難く、緩和不能であることとされているはずでありながら、
患者は苦痛緩和のための薬を拒否することができる。
つまり「委員会は、苦痛の耐え難さや緩和不能であることを確認するという
法の中核であるべき役割を果たさないと決めてしまっている」。

・「心理的な苦痛」の境界線が拡大し続けている。

・2002年の法律では医師による自殺幇助は認められていないにもかかわらず、
委員会はこれを無視し、自殺幇助の事件を日常的に見逃している。

・患者が自宅で安楽死する場合には、医師が自分で薬局に行き、
登録している薬剤師から致死薬を受け取って、使用後の余剰分は返却しなければならないが、
実際には家族が薬局へ行き、資格のないスタッフが薬を出し、
余剰分についてはノーチェックになることが多い。


ちなみに報告書英語版の結論部分全文の仮訳はこちらに。

Euthanasia “trivialized” in Belgium: report by bioethics institute
BioEdge, December 9, 2012


安楽死や自殺幇助で処方された薬のトラッキングについては
私もずっと疑問に感じていることの一つ。

例えば、こことかに書いています ↓
WA州で尊厳死法施行に。処方された致死薬のトラッキングは?(2009/3/6)
WA州の尊厳死法、自殺者11人に(2009/9/9)


【ベルギーの「安楽死後臓器提供」関連エントリー】
ベルギーで2年前にロックトインの女性、「安楽死後臓器提供」(2010/5/9)
ベルギーの医師らが「安楽死後臓器提供」を学会発表、既にプロトコルまで(2011/1/26)
ベルギーの「安楽死後臓器提供」、やっぱり「無益な治療」論がチラついている?(2011/2/7)
ベルギーの「安楽死後臓器提供」9例に(2012/10/5)

【その他、ベルギーの安楽死関連エントリー】
ベルギーでは2002年の合法化以来2700人が幇助自殺(2009/4/4)
幇助自殺が急増し全死者数の2%にも(ベルギー)(2009/9/11)
ベルギーにおける安楽死、自殺ほう助の実態調査(2010/5/19)
ベルギーで「知的障害者、子どもと認知症患者にも安楽死を求める権利を」(2012/5/5)
「安楽死後臓器提供」のベルギーで、今度は囚人に安楽死(2012/9/15)
2012.12.14 / Top↑
昨日の補遺で拾った
European Institute of Bioethics のベルギーの安楽死に関する報告書、
読みやすそうなので、その内にはと思うものの、すぐには読めないので、
報告書のニュアンスがわかりやすそうな結論部分のみ、とりあえず全訳してみました。

報告書の英語版全文はこちら
http://www.ieb-eib.org/fr/pdf/dossier-euthanasia-in-belgium-10-years.pdf


Conclusion
結論

It ought, once again, to be pointed out that, far from establishing a right to euthanasia, the law of May 28, 2002 has only partially legalized euthanasia, under stringent conditions, in order to ensure the legal security of those engaged in the process and of providing such medical practices with a legal framework. Legal action will not be brought against medical practitioners for having intentionally killed a patient who had made such a request if the conditions provided for by the law are met.
再び指摘しておくべきこととして、2002年5月28日の法律は安楽死の権利を確立したものではなく、その過程に関わり、そうした医療を提供する者に、法的な枠組みによって法的保護を保障するべく、単に厳格な条件のもとで部分的に安楽死を合法化したにすぎない。

As is the case in all penal laws, this law has to be strictly interpreted lest it be of seeing it stripped of any substance. It is not for the Commission, appointed to control and assess the law, to provide an ever-widening interpretation of its terms, with this going so far as to negate the initial spirit of the text and of doing away with the control of decisive legal criteria.
すべての刑法と同じく、この法律も実態を損なわないためには厳密に解釈されなければならない。同法の監督と評価の目的で任命された委員会は勝手に拡大解釈を提供する立場にはなく、まして、それによって法文の当初の精神を否定したり、決定的な法的基準の監督を放棄する立場にはない。

Ought one not also to reflect on the relevance of upholding a system of control after the event (a posteriori) based on the medical practitioner’s declarations, with this no doubt being a fairly unreliable system for ending clandestine practices?
また、医療職からの報告に基づいて事後的に監督するシステムを続けることの妥当性についても、検討するべきではないだろうか。このシステムは、秘密裏の安楽死をなくすためには明らかに信頼性が乏しい。

But above all, would it not be more appropriate for the legislator to once again take his rightful place? He would, then, have been in a position to hear the recent appeal by the Council of Europe’s parliamentary Assembly in favour of an absolute ban on euthanasia. In all events, one may hope that the legislator would intervene to redefine the criteria enabling euthanasia to be carried out within the confines of the law.
しかし何よりもまず、立法者が今一度、立法者としての立場に立ちかえるべきではなかろうか。そうすれば、先ごろの欧州評議会議員会議による安楽死の全面禁止アピールにも耳を傾けることになろう。なによりも、立法者は安楽死が法の定める範囲内で実行されるべく介入し基準の再定義を行うことが望ましかろう。

A truly pluralistic debate would help to stem the growing trivialization of euthanasia in Europe where, let us not forget, Belgium, the Netherlands and Luxembourg are the exception.
真に多元的な議論が行われれば、ヨーロッパで広がる安楽死のtrivialization(一般化? 日常化? 大したことではないとする動き)にブレーキをかけられるだろう。ヨーロッパではベルギー、オランダ、ルクセンブルクは例外なのだということを忘れてはならない。


どういう実態が報告されているかについては、
これらの各段落で書かれていることを裏返してみればよい、ということですね。

厳密な条件下で医療職への法的保護の目的で限定的に合法化したにすぎない法律が
「安楽死の権利」を認めた法律と誤って扱われるようになっている――。

ウォッチドッグであるはずの委員会が
拡大解釈によって法の精神を逸脱し、本来の役割を放棄している――。

(ちらっと読んだところでは
委員会のメンバー構成そのものが安楽死推進の立場の人物で多く占められている、との指摘も)

事後監督のシステムでは闇の安楽死はなくせない――。

基準の再定義が必要なほど法の範囲を逸脱した安楽死の実態がある――。
2012.12.14 / Top↑
ベルギーの安楽死合法化から10年。この10年の同国の安楽死の実態についてEuropean Institute of Bioethicsから報告書。
http://www.ieb-eib.org/fr/pdf/dossier-euthanasia-in-belgium-10-years.pdf

BioEdgeのCookによると、上記報告書では法のセーフガードがきちんと機能していない実態が報告されている模様。:このBioEdge自体、まだ読めていませんが。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10339#comments

オランダからも2011年の安楽死の実態報告。こちらも同様らしいCookのトーン。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10334#comments

MT州のPAS合法化議論で、医師の誤診の危険性を指摘する患者の実体験。
http://www.ravallirepublic.com/news/opinion/mailbag/article_91d0a4cc-c434-5a41-9459-c808bf523634.html

ハワイ州医師会が自殺幇助合法化に反対。:ハワイも合法化に向けた圧力が高まっている州のひとつ。
http://www.civilbeat.com/voices/2012/12/05/17756-hawaii-medical-association-opposes-physician-assisted-suicide/

明日、カナダのラスーリ「無益な治療」訴訟で口頭弁論。
http://medicalfutility.blogspot.jp/2012/12/rasouli-case-to-be-heard-by-supreme.html

【ラスーリ事件関連エントリー】
「“治療停止”も“治療”だから同意は必要」とOntario上位裁判所(2011/5/17)
「患者に選択や同意させてて医療がやってられるか」Razouli裁判続報(2011/5/19)
カナダのRasouli事件、最高裁へ(2011/12/23)
Hassan Rasouliさん、「植物状態」から「最少意識状態」へ診断変わる(2012/4/26)


日本。20~40代は「はしか」「風しん」を 大人が受けたい新ワクチン 日経ヘルス
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0701K_X01C12A2000000/

日本。臓器作成「許されない」45% iPS細胞使い動物体内で。
http://www.47news.jp/CN/201212/CN2012120601001960.html

“ノーマル”で健康な人だって平均して400もの遺伝子上の欠陥がある。:この前の新型出生前遺伝子診断を巡るシンポでの日本ダウン症協会の玉井邦夫さんの「どんなDNAなら生まれてきていいのか」という発言を思い出す。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/253772.php

英国で、さらなる社会福祉カットを行わないと政府が持たない、と。:国家はもう破たんしているんだと何年も前に誰かから聞いたけど、その後、自分でいろいろ知るにつれ、本当にそうだと思う。1%に富が集中し、その1%がどんどん強欲ひとでなし化するグローバルな仕組みの中では、国ごとの財政危機は本当は既に国家レベルの政治や経済施策の問題ではなくなっているんだと思う。
http://www.guardian.co.uk/politics/2012/dec/06/welfare-cuts-public-sector-ifs

Meals on Wheelsという歴史の古い配食ボランティアによって高齢者の在宅生活が維持できる可能性がアップする、との指摘(米)。:08年ごろに、そのMeals on Wheelsが資金難に陥っているという記事を読んだ記憶がある。……あった。あまり良いエントリーではないけれど、⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/40905719.html
http://www.medicalnewstoday.com/releases/253590.php

英国で終身刑の人道性が議論になっている。
http://www.guardian.co.uk/law/2012/dec/05/whole-life-prison-sentence-human-rights
2012.12.14 / Top↑
カナダのバンクーバーで
米国のシャイボ事件と似たような構図の訴訟が起きているのだけれど、

抵抗している家族から
当ブログでも追いかけてきたAdrian Owen教授の被験者に、という希望が出て
Owen教授側も受け入れそうな気配。

妻から栄養と水分の停止を求められているのは57歳のKenny Ngさん。
2005年の9月に交通事故に会い、以来7年間ずっと植物状態だという。

(不可解なのは、記事の後半には「事故以来、最少意識状態」と書かれていること。
もしかして植物状態も最少意識状態も区別できない記者が書いているのか?)

医師らは事故直後から生命維持は中止するのが適切だと勧めたが
妻も当初は希望を捨てず、鍼灸師を雇ったり、
刺激するために町に連れ出してみたりしていたのだという。

が、そのうちに、そうした努力も無益だと考えるようになり、
経管栄養の中止を要望することに。

しかし、Ngさんの両親をはじめとする親族が
これに抵抗して訴訟を起こし、

妻はもはや本人の最善の利益を考えていないので
代理決定権者としてふさわしくなく、代理決定権をはく奪するよう申し立てた。

Ngさんはエンジニアで、ガソリン分析機器の販売会社を興して成功していた。

家族側は
妻の行動は2006年に330万ドルと言われたNgさんの資産を狙ったものだと非難し、

自力呼吸があり、頭も動かせば音声を発し、目も開けるNgさんは
「ちゃんと生きている (very much alive)」と主張。

Ngさんが見舞い客に反射的に(これは具体的にどういう意味なのか?)応じている
ビデオを法廷で見せた。

妻側は
家族はNgさんの現実の病状を受け入れられないだけだと批判し、

最近のAlbertaの無益な治療訴訟で
意識がなく回復の見込みもなく、侵襲的な治療が無益であると
医療職が全員一致で判断したなら生命維持は中止すべきだとの判断で
両親の生命維持続行の訴えが却下された女児の事件に触れて、

Ngさんの状況はそれとまったく同じなのに
家族は自分たちが諦めきれないだけでNgさんの尊厳を侵している、と主張。

それに対して家族側は、Ngさんを
植物状態の患者と脳スキャンを通じてコミュニケーションを図る研究をしている
Owen教授のチームの被験者にして、アセスメントしてほしい、と希望。

Owen教授側も、諸条件から考えて拒否する理由はない、と言っている。

この記事によると、
Owen教授は2010年には英国のケンブリッジにいたが、
その後2011年にウエスタン・オンタリオ大学が2000万ドルで招へい。

Family fights over fate of severely brain injured man
Wife wants tubes removed, family sees hope in recent breakthroughs
The Vancouver Sun, December 5, 2012



【Owen教授の研究に関するエントリー】
「植物状態」5例に2例は誤診?(2008/9/15)
植物状態の人と脳スキャンでコミュニケーションが可能になった……けど?(2010/2/4))
Hassan Rasouliさん、「植物状態」から「最少意識状態」へ診断変わる(2012/4/26)
Owen教授の研究で、12年以上「植物状態」だった患者に意識があることが判明(2012/11/13)


なお、記事の中で触れられている「最近のアルベルタの事件」とは
9月27日の補遺などで拾っているBaby Mの事件のことではないかと思う。

これは非常に気になる事件なのだけど、
まだ、ちゃんと読めていない。
2012.12.14 / Top↑
当ブログでも追いかけてきたOwen教授の研究成果で、カナダの「無益な治療」訴訟が面白いことになってきた。7年前の交通事故から植物状態のKenney NG(57)の経管栄養の停止を巡る訴訟で、親族がOwen博士のアセスメントを求めている。これは必ずやエントリーに。
http://medicalfutility.blogspot.jp/2012/12/in-re-kenny-ng-bc-court-asked-to-order.html

ミシガン州で、無益な治療に関する方針を病院ごとにディスクローズさせる州法ができた。
http://medicalfutility.blogspot.jp/2012/12/michigan-to-mandate-disclosure-of.html

アイルランドでMSの女性Marie Flemingさんが自殺幇助を巡って法の明確化をDPPに求める訴訟を起こしている。:カトリックの国だから余計に衝撃的なのかもしれないけれど、報道続々。英国では同じくMSのDebbie Purdyさんが起こした訴訟でDPPのガイドラインができた。
http://www.independent.ie/national-news/ms-victim-wants-dpp-to-explain-legal-position-on-assisted-suicide-3317491.html
http://www.independent.ie/national-news/courts/paralysed-woman-says-assisted-suicide-is-only-way-she-can-escape-horrible-death-3315954.html
http://www.irishexaminer.com/breakingnews/ireland/ojqlgbgbqlmh/
http://www.irishexaminer.com/breakingnews/ireland/lawyers-point-to-cruel-irony-as-woman-fights-assisted-suicide-law-576739.html
http://www.reuters.com/article/2012/12/04/ireland-euthanasia-idUSL5E8N4DKA20121204

米VT州知事が次期議会で自殺幇助合法化法案の提出を明言。
http://www.lifesitenews.com/news/vermont-governor-confident-assisted-suicide-will-pass-next-year/

議会に合法化法案が提出されたNJ州の世論調査で、過半数が賛成。
http://www.nj.com/politics/index.ssf/2012/12/nj_politics_roundup_assisted-s.html

MT州はPASを「合法化」したわけではない。:メディアはよく「米国ではOR、WA、MTで合法化されている」と書くけど、MTはバクスター訴訟で合憲判断が出たものの、合法化された訳ではないのに、という疑問を私もいつも感じている。
http://billingsgazette.com/news/opinion/mailbag/montana-has-not-legalized-assisted-suicide/article_758a6b1d-dc3d-5488-9750-a13b37d7d1ef.html

【モンタナ州自殺幇助議論関連エントリー】
裁判所が自殺幇助認めたものの、やってくれる医師がいない?(MT州)(2009/4/6)
合法とされたMT州で自殺幇助受けられず子宮がん患者が死亡(2009/6/18)
自殺幇助を州憲法で認められたプライバシー権とするか、2日からモンタナ最高裁(2009/9/1)
モンタナの裁判で「どうせ死ぬんだから殺すことにはならない」(2009/9/3)
モンタナ州最高裁、医師による自殺幇助は合法と判断(2010/1/2)
MT州最高裁の判決文をちょっとだけ読んでみた(2010/1/5)
合法化判決出ても医師ら自殺ほう助の手続きに慎重(2010/1/11)
モンタナの自殺幇助問題 続報(2010/1/1)
Montanaで最高裁判決後、少なくとも1人にPAS(2010/4/10)


恋人からのDVで失明した女性が家族に殺してほしいと頼むほどの絶望から生きる希望を取り戻すまで。:この人だって、ディグニタスに行けば死なせてもらえる時代というか世界。
http://www.guardian.co.uk/society/2012/dec/04/blinded-woman-wanted-to-die

BNJに発表された論文で、未熟児の生存率が上がっているとの調査結果。:このデータがどのように利用されていくのか……。例のシアトルこども病院などがやっている早産撲滅キャンペーンが気になる。
http://www.guardian.co.uk/society/2012/dec/05/survival-rates-premature-babies-rise

DSM―5でアスペルガーが自閉症に統合され、識字障害dyslexiaカテゴリーが拡大された。
http://www.guardian.co.uk/society/2012/dec/02/aspergers-syndrome-dropped-psychiatric-dsm

ビタミンDと女性の認知機能維持との関連性。:ビタミンD、スタチン、アスピリン……予防医学の三種の神器?
http://www.medicalnewstoday.com/releases/253481.php

NHSの病院のベッドが94%埋まって、危機状態。ケアの質が担保されるのは85%までだとか。:統廃合を進めてきたツケ? ⇒ 英国医療改革のポピュリズム(2009/1/9)
http://www.guardian.co.uk/society/2012/dec/03/hospital-beds-occupied-government-figures

NHS病院の看護の質があまりに酷い、と夫を亡くした議員からの告発。それを受け、キャメロン首相も事実として高齢者へのナースのケアの質の低さを認める。:この批判は2006年からずっと続いている。自分で食べられない高齢の入院患者は低栄養状態だという調査結果は何度も出ているし。例えば2年前にも ⇒ 清拭も食事もトイレ介助もなし……の英国NHSの病院ケア(2010/2/25) 最近は例のLCP問題もある。そういう医療の実態も英国でのPAS合法化議論には影響している、なんてことは?
http://www.guardian.co.uk/society/2012/dec/04/ann-clwyd-husband-died-hen
http://www.guardian.co.uk/society/2012/dec/05/cameron-nhs-nursing-ann-clwyd?CMP=EMCNEWEML1355

英国の社会保障費カットでホームレスが急増。特に子どものいる家庭で。この問題、「介護保険情報」の連載で書いたばかり ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65870139.html
http://www.guardian.co.uk/society/2012/dec/04/benefit-cuts-rise-homelessness

有害廃棄物を象牙海岸に投棄して多数の死傷者を出したTrafiguraに、ザンビアの法務大臣(関連企業の社主)への贈収賄疑惑。
http://www.guardian.co.uk/world/2012/dec/03/trafigura-zambia-bribery-allegations

【Trafigura事件関連エントリー】
象牙海岸の悲惨(2007/12/15)
「象牙海岸で先進国の有害ゴミによる死傷者多数」事件:続報(2008/10/24)
先進国の有害廃棄物でアフリカから3万人超える集団訴訟、最近はマフィアが核廃棄物を海に(2009/9/19)
アフリカに有害ごみ撒いた悪徳企業がメディアの“口封じ”狙うも、ネット・ユーザーに敗北(2009/10/14)


米国で開発されている自律ロボット兵器はリスクが大きすぎるので、開発を辞めるべきだ、とNoel Sharkeyという人が。:この話題はずっと前から時々追いかけているけど、本当に恐ろしい。誤ってターゲットにロックされてしまうと、何があっても絶対に殺されてしまう。エラーを修正する人間の速度はとてもじゃないけど精密ロボットの行動には追いつかない。この記事はちゃんと読んで戦慄したので、エントリーに書きたいけど余裕がないかもしれない。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2012/dec/03/mindless-killer-robots

【関連エントリー】
英国王立協会が脳科学の軍事応用に警告(2012/2/8)
2012.12.14 / Top↑
12月4日に行われた上院議会での
国連障害者権利条約の批准を巡る投票で、

反対 61 vs 賛成 38 。

共和党の前大統領候補で第二次世界大戦で負傷し車いす使用者であるBob Doleや、
ヴェトナム戦争で負傷したJohn McCain(共和党)なども批准を強く呼びかけたが、

同じく共和党の前大統領候補Rick Santorumなど極右のティ・パーティは
この条約は米国の主権と親の権利を侵す、と批准に反対していた。

Republicans block U.N. treaty to protect people with disabilities
REUTERS, December 4, 2012


投票前日に、NYTが社説で批准を呼び掛けていた ↓

Treaty Rights for the Disabled
NYT, December 3, 2012


【関連エントリー】
Obama大統領、今日、国連障害者権利条約に署名(2009/7/24)
2012.12.14 / Top↑
前のエントリーからの続きです。


④ 早稲田大学文化構想学部現代人間論系教授 村松聡さんのお話

・法的に問題がないということは必ずしも倫理的に問題がないということを意味しない。

・ドイツではリビング・ウィル法を通すのに10年も議論が続いた。
尊厳死法を日本で作ろうとするなら、まずインフォームドコンセントとか自律について
国民的な議論から始めることが必要では。

・自分の親が病院で亡くなる前に病院に通っては一生懸命に声をかけていると、
医師が「話しかけても犬とか猫程度の意識しかないですよ」と。
言葉の是非はともかく、他者への想像力があるかないかの問題が大きいのでは?


⑤ 日本ALS協会副会長の岡部宏生さんのお話
(ヘルパーの方が「あかさたな…」と読みあげることで一文字ずつ聞きとられた)

人工呼吸器をつけることについては迷いがあったし、
死ぬことも、つけて生きることも怖かったけれど、
つけて生きている姿を自分が見せることで人を勇気づけられるならと考えて選択した。

今でも怖いけれど、怖いと思えば思うほどに
今を大事に生きようと思うようになった。

自分は弱いので、死にたくなる時もある。
法律ができてしまうと、そういう時に意思表示してしまって、
取り返しのつかないことになるので、こういう法律は作らないでほしい。


⑥ 会場の学生さんの一人から出た質問

川口さんはお母さんを殺そうと思って子どもの寝顔を見て思いとどまった、
同じ思いや経験は障害児の親はみんなしているとおっしゃったけれど、
それならば逆に、尊厳死が法律で認められることによって、むしろ
家族がそうした苦悩から救われるという考え方もあるのでは?

これについては、
その後の川口さんと司会の岡部耕典さんの発言のすべてに
心がヒリヒリして胸が詰まるようで、あまり記憶していないのだけど、
その学生さんのゼミ担当教師であると同時に知的障害のある子どもを持つ親でもある岡部さんが
「本当に悩まないでいいのかな」と問い返されたことがとても印象的だった。


⑦ いきなりムチャ振りされたspitzibaraの悶々の発言

その岡部さんから、上記質問に重症者の親の立場からリアクションを求められて、
動転したまま語った(つもりの)ことは概ね以下。
(実際にそう聞こえたかどうかは、とりとめのない未整理な発言になったので???)

私にも川口さんと同じように
介護で限界を超えた時に娘を殺そうと思ったことがある。

また、娘が腸ねん転の手術を受けた時に、
「どうせ何も分からない重症児」と術後の痛み止めすら入れてもらえない、
とても差別的な医療でイチイチ娘が苦しめられるのを見て、
このまま嬲り殺しにされるなら、いっそ死なせてやってほしいと願ったし、
自分で病院から連れ出して一緒に死ぬことまで思いつめた。

でも、娘がその体験を生き延びてくれた時、
生きていてくれてよかったと嬉しかったし、
今25歳になってキャピキャピ暮らしている娘を見て
やはり生きていてくれることが嬉しい。

家族は殺したいのではなく、
殺す以外に生きられない状況に追い詰められるから殺すことを考える。

人の気持ちが、死にたいと思ったり生きていてよかったと揺らぐのは
障害のある人や家族だけじゃなく、誰にとっても生きているというのが本当はそういうことなんでは?

この時の体験は大きなトラウマを残しているので
いくつものエントリーで書いており、例えば以下など。

医療職の無知が障害者を殺す?(2008/4/23)
Markのケース:知的障害者への偏見による医療過失(2009/4/1)
Martinのケース:知的障害者への偏見による医療過失(2009/4/1)
「NHSは助かるはずの知的障害者を組織的差別で死なせている」とMencap(2012/1/3)

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3日間、多くの方のお話を聞き、多くの方と語り合って、
たくさんのことを考え、まだ頭の中が整理できていないけど、
今たちまち思うのは、

・過剰であれ不足であれ「良い医療が受けられないなら尊厳死の方がマシ」というのが
実際のところ、尊厳死に賛成という多くの人の本当の気持ちなのでは?

・では、本当は多くの人が願っているのは「死なせてもらうこと」ではなく
「過不足のない適切な医療を受けられること」なのでは?
それならば皆でそちらを考えるべきなのでは?

日本の尊厳死合法化議論を巡る4つの疑問

・今でも障害者や高齢者などの弱者は
スタンダードな医療すら十分に受けられていないという問題は
英米でももう何年も指摘され続けているし、最近いくつかの報告書でも報告されている。
(障害者については英国ではMencapから、米国ではNDRNから)

英語圏で進む「無益な治療」論では、そうした差別はむしろ強化されているし、
論理的に言っても患者の生死の自己決定権は無益な治療論とは両立しないのでは?

それならば「死なせる」議論の前に
まず「誰でもスタンダードの医療を受けられること」を保障してほしい。

・学生さんの質問を聞いて、
尊厳死について考えようにも直接体験がなければ
頭の中で、論理で考えようとしてしまうのかもしれない、と思った。

人間は論理だけで生きているわけではないのだけれど、
この問題が、村松先生の発言の「他者への想像力があるかどうか」にもつながるし、
また当ブログで繰り返し指摘してきた学者の「論理のパズル」の限界にもつながる気がする。

だからこそ、直接体験がなくて論理で考えるしかない人たちの中に、
今回この講演会に参加し、考えてみようとしたり、
敢えて発言・質問してみようとしてくれる人がいるなら、

そういう人たちにこそ論理で「論じる」のではなく、
直接体験や、そこにある論理では線を引くことも白黒も付けにくい複雑な思いなど
論理で論じたのでは取りこぼされてしまうところにあるものを
丁寧に「物語る」ことによって伝えていく努力が必要なのだろうな、
……といったことを改めて考えさせられた。


それから、余談だけど、
早稲田の講演会が終わった時に、とても嬉しいことがあった。

終了と同時に前の席に座っておられた見も知らない女性が振り向かれて、
「もしかして……」と私の名前を確認されたので、
「そうですけど、どうして分かったんですか?」と訊くと、

拙著『アシュリー事件』を読んでくださったとのこと。
それでこういう問題について知り考えなければならないと思って
この講演会を聞きに来たんです、と語ってくださった。

私が発言を求められた時に名前が出たので、
もしかしたらそうかなと思っていたとおっしゃって、
ブログ読んでくださっている、とも。

思いがけないことに、もう舞い上がりそうに嬉しかった。
(飛びついてってハグしたいのを、何とか思いとどまった)

お名前も聞かないまま、お別れしてしまったけれど、
この場を借りて、改めてお礼を。

こんな地味なブログでも、いろいろと叩かれたりメゲることがあり、
時には世の中が変わる速度の余りの速さ激しさに絶望してしまって、
わたしって何バカなことやっているんだろうと思ったり、
もうブログやめようかと思ったり、迷いばかりなのですが、

このブログの5年間をまとめた本を読んでくださった方が
それをきっかけに尊厳死を考える講演会に足を運んでくださったなんて、
こんなに嬉しいことはなかったです。

また私は滅多に東京になど出かけられない田舎暮らしなのに、
その数少ない機会に、同じ講演会に行き合わせることができたばかりか
隣同士に座り合わせていたという偶然もまた、無性に嬉しくて、

大きな大きな勇気をいただきました。

声をかけていただいて、
本当にありがとうございました。


3日間の間に本当に多くの方と出会いをいただいて、
また親しく語り会わせていただいて、実り多い幸せな時を過ごさせていただきました。

貴重な機会を下さったTIL事務局長の野口俊彦さん始め、
お世話になった関係者の皆さんに厚くお礼申しあげます。

みなさん、本当にありがとうございました。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
2012.12.14 / Top↑
3日ほど出掛けていました。
その間に日本における尊厳死法制化の問題を考える集まり2つを覗いて、
多くの方のお話を聞き、共に語り、また多くの方々と新たな出会いをいただきました。

深く考えさせられるお話が多かったので、
まだ頭の中はぐるぐるしていて整理して書けるところまでは行きついていないのですが、

いくつかお聞きしたお話の中で書きとめておきたいものを
私自身のメモとしても。

① 筋ジスの方のお話。

15年前に筋ジスになって、将来、呼吸器をつけるかどうかを考えた時に、
呼吸器をつけたら家族への負担が大きいし共倒れになってはいけないと思って、
母と兄に「つけないで」と頼んだ。

その後、酸欠状態になって意識不明となった時に医師が家族に言ったのは、
「呼吸器をつけても、植物状態だから二度と意識は戻りませんよ」だったそうだ。

それでも兄と母は「つけてください」と言ってくれて、
人工呼吸器をつけたら6時間後に意識が戻った。

自分は意識が戻ってみたら呼吸器をつけていた、ということになったけど、
もともと「つけないで」と家族に頼んだのは死を望んだのではなくて、
家族への負担になりたくないという思いで言ったことだった。

もしも15年前に、今準備されているような尊厳死法ができていたら、
私は今ここにいなかった。

今、呼ネットでは呼吸器をつけてからのサポートが大切だという運動をしている。


② 障害当事者の方が家族を亡くされた直接体験から投げかけられた疑問。

・家族として延命治療はどうするかと意思決定を求められても、
延命と救命は本当にきっちりと線引きができるものだろうか、と疑問だった。

・3ヶ月で転院を求められるという話はよく聞くが、
実際には入院から1カ月くらいから他を探せと言われて、
転院する時には「もうここへは戻ってこないように」とまで言い渡された。

・高齢者だから、もうこの辺りで積極的な治療はいいでしょう、みたいな
雰囲気が医療サイドにあるように感じた。

・そういう体験から、映画「終の信託」には納得できなかった。

この方の発言の趣旨は、御本人のブログにとても丁寧に書かれているので、
ぜひ、読んでください  ↓

救命と延命…「終(つい)の信託」考
ブログ「ポケット小僧の気まぐれダイアリー」(2012年11月25日)

大事なことがたくさん書かれているブログなので、
他のエントリーもこれから読ませていただこうと思っています。


③ 『逝かない身体』の川口有美子さんのお話

12月4日、早稲田大学でのこちらの講演会。

『逝かない身体』は読んでいるので、
その内容以外でのお話のポイントをいくつか。

・議連の「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」の
ポイントは医師の免責と自己決定。
実際に作ったのは日本尊厳死協会と厚労省医政局。
どうすれば良い看取りができるかを知らない人たちが作っている。

・現場の医師が疲れ切っていることと、医師が介護やケアに興味がないことから
医療の倫理感が崩れ、治せないなら楽に死なせてあげようという発想になってしまうが
社会資源をうまく利用し、良いケアをすれば良い生き方をして良い死に方はできる。
そのためにどうすればいいかは『逝かない身体』の最終章に書いてある。

・母がトータル・ロックトインになり自分も介護で疲れ果てた時に
母を殺そうと思ったことがあったが、当時3歳の息子の寝顔を見て思いとどまった。
殺せないなら、母が快になる語りかけをし続けようと思った。
孫がどうしたなど日常的な語りかけを続けていると、
それが母の顔色の変化となり肌の状態の変化となって表れてくることに気付いた。

人間は必ずしも能動的な存在でなければならないわけではないのでは、と考えるようになり、
欄の花を育てるように母をケアしようという家族の思いに繋がっていった。

・日本ではALSの患者で呼吸器をつける人の割合が他の国よりも高く、
他には2人ヘルパーの体制を整えているデンマークでも高いが、
それ以外の国ではALSを「恐ろしい病気」として描くキャンペーンを張っている。
病気がどう表現されるかによって、患者の選択は影響される。

例えば、
英国ALS協会によるキャンペーン・ビデオサラの物語。
カナダALS協会によるキャンペーン・ビデオHead and Shoulder。


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2012.12.14 / Top↑