2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
英国のKatie Thorpe事件を振り返って
ああ、あそこにも「障害児の母親」を巡るステレオタイプがあったなと思うのは

同じことを要求し主張したAshleyの父親に対しては
端的に今回の決定を巡っての批判がされたのに比べて、
Katieの母親Alisonに対する批判には「なんて酷い母親なんだ!」的な嫌悪感が混じっていたこと。

Alisonには確かに思慮の足りない言葉が多かったので、
部分的にはそうした発言が批判を招いた面もあるのですが、

それ以外にも彼女の言葉に滲んでいた「介護にはもうウンザリ」というホンネが
「母親の癖になんだ?」という反発に結びついたところもあったのでは?

娘の子宮を摘出したいと求めたことが非難されたというだけではなく、
Alisonが娘の介護負担を強い言葉でネガティブに表現して見せる姿が
世間の人たちが理想とする「障害児の母親」像から外れていたから
「それでも母親か」的な非難を浴びたのではないか、と。

(この点についてはFRIDAのブログに去年10月19日付で
Alisonを「ひどい母親」だと糾弾することについて
フェミニストの立場から考えようとする姿勢のポストがありました。)

母親であれ父親であれ
また、どんなに深い愛情があろうと、
Alisonのような過酷な介護生活を15年も送れば
「介護にはもうウンザリ」という気持ちになることくらい
生身の人間なら当たり前だろうと思うし、

Alisonが訴える介護負担の苦しさについては
もっと虚心に耳を傾けるべき問題だったとも思う。

それは他の障害児親子にとっても切実な問題なのだから、
それはそれとしてKatieの子宮摘出とは別の問題として整理して
きちんと受け止められなければならなかったはずなのに、

彼女の日常を詳細に取材したDaily Mailは逆に、
その過酷な介護負担を
「こんなに立派に頑張っている母親なんだからやらせてあげよう」
と子宮摘出の正当化に使ってしまった。

あのニュースを読んだ人たちも、その厳しい現実に驚いたはずなのに、
「ここまで頑張れる母親の愛情」に無責任に感動・賞賛して終わってしまった。

「障害児の親は何故ここまで過酷な生活を強いられているのか」と
社会のあり方、福祉制度のあり方に問題意識を向ける
ジャーナリストも新聞読者も
なぜあれほど少なかったのだろう??????

そこにあるのはやはり、
「己を捨てて障害のある子どものケアに尽くし抜く母親」というステレオタイプ、

すなわち裏返してみれば、
北海道の中学生行方不明の記事へのコメントと同じ、
「我が子が障害を持っていたら
どんな事情があろうとも
母親なら優しく明るくたくましくケアし続けるはず」との意識なのでは?

でも私には
個々の表現での思慮不足や言葉の選択は別として、
Katie Thorpeの事件で最も大きな声で響いていたのは
「障害児の母親だって生身の人間なのよ、頑張るには限界があるのよ」
というAlisonの悲鳴だった……という気がしてならない。
2008.03.04 / Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://spitzibara.blog.2nt.com/tb.php/1493-f46e4a0d