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民主党の次期大統領候補を巡って
Hillary Clinton候補と熾烈な戦いを繰り広げているBarack Obara氏が26日の討論で
Terry Shiavo事件での議会による政治介入は間違っていた、
家族の選択に介入すべきではなかった
と発言したとのこと。

Obama regrets intervening to save Terri Schiavo
World Net Daily, February 27, 2008

法的手続きの問題として
政治介入が間違いだったという趣旨の発言のようだから
それについては「なるほど」とは思ったのですが、

この記事によると
去年4月の討論でもObama氏は
Terryさんの栄養と水分補給はもっと早く中止するよう自分は闘うべきだったと
述べていたとのこと。

私はObama氏について云々するほどの知識はないのですが、
この事件では
本人なら求めたはずだとの根拠で
夫が栄養と水分の補給の停止を求めたから
「尊厳死」問題と捉えられたし、
本人の意思がどうだったかという争点もあったのでしょうが、

同じことを病院が求めると「無益な治療」の問題になるのだろうと思われ、
その場合は本人の意思すら問題にならないわけですね。

健康な人間並みの水分補給でもって末期の患者さんの肺を水浸しにして
無用に苦しめて死なせているという話も以前よく聞いたので
そんなことをされたくないという意味では尊厳死を選びたいとは思うけれども、

でも、過剰ではなく適量の栄養と水分の補給まで「医療」や「治療」なのか
どうせ助からないから脱水と飢えで死なせるというのが本当に「自然死」なのか
という疑問は「尊厳死」についてもずうっとあって、

さらに「無益な治療」の話にいたっては、
シアトル子ども病院生命倫理カンファで「無益な治療」を提唱するFost講演など、
用語の巧妙な操作によって
社会的に「無益な命」と「有益な命」
「助けるコストに値しない命」と「助けるコストに値する命」の選別を
「治療の無益」に置き換えているだけだと聞こえてしまうし、

Fostは明らかに「どうせ助からないから」ではなくて
「どうせ助かってもQOLが低すぎるから」ということを根拠にしていたし、

そうかと思うとParis講演では
いつのまにやら乙武クンのような四肢欠損について安楽死が論じられていたり、

いろんなところで、
とてもご都合主義な微妙な「ずらし」が起こっているとしか思えない。

この「ずらし」が実は何よりも危険なのではないかと考えるのだけれど、
その一方で同じカンファで慎重論を唱える医師らもいたわけだから、

こうしたご都合主義の短絡は一部の医療倫理が先走っているものの
社会一般にはもっと抵抗感が根強いのだろうと想像していたもので、

いまや大人気に見えるObama候補が
そういう考えの持ち主であったということには
ちょっと「ん?」という感じも。
2008.03.02 / Top↑
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