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超重症児Katie Jonesの蘇生拒否の問題について
障害のある女性 Ms.CRIP CHICKが自分のブログで取り上げています。

ARE WE NOT WORTHY?
(私たちには何の価値もないの?)
December 16, 2007

主に2つの主張をしており、


①呼吸器やその他の生命維持装置はもともと電動車椅子や手話などと同じく
QOL向上のためにあるもののはずなのに、
息ができるようになるのはいいことのはずなのに、
呼吸器をつけられるのは悲惨なことと決め付けていいのか。
個人の自由は大切だけれど、こうした「死ぬ権利」には抵抗を感じる。

②社会は確かに変わっては来たけれど、
この記事に寄せられたコメントを読むと
まだまだ障害者に対する嫌悪感が社会に根強いことを思い知らされる。

  
2007年に障害者関連で起きた事件として
以下の名前を挙げています。

Christe Reimer
Ruben Navarro
Katie Thorpe
Ashley X

(Navarroは当ブログでも取り上げていますが、
臓器欲しさにどうせ障害者だからと医師が死を早めた疑いのある事件、

Christe Reimerはこのブログで知って検索してみたところ、
医療費が払えず、癌を病む障害のある妻を夫がビルから突き落として殺した事件。)


そして、Ms CRIP CHICK  は

現実に、障害者を憎む人たちが世の中にはいるってこと。
わざわざ知らせて悪いけど、
私たちは文字通りいなくなればいいと思われているのよ。
死んでくれれば、とね。


         ――――

①の指摘については、
これもまた難しい問題ですね。

親の気持ちとしては、
何度も呼吸が止まっては、またなんとか取り戻すという繰り返しの中で、
Katieが呼吸を取り戻してくれるたびに親は嬉しくても、
それは同時にKatieがまたその苦しみを繰りかえさなければならないことを意味するわけで、

それを思ったときに「少しでも長く生きていて欲しい」と願う自分の気持ちが
Katieを苦しめている親のエゴのようにも思えてくるのではないか、と。

そういうジレンマの中で
もう先があまり長くないのが現実なのであれば、
親のエゴで無用な苦しみを何度も味わわせたり長引かせるよりも、
娘を失わざるをえないという現実を親も受け入れて
静かに自然な死を迎えさせてやりたい、
もう苦しむことがないようにしてやりたい、と
親としても覚悟を決めたというのであれば
私は理解できるし、

だからこそ、
最後までなるべく自然で当たり前の生活をさせてやりたい
という気持ちも理解できると考えていたのですが、

CRIP CHICKさんの指摘を読んで、
これは「死ぬ権利」を親が子どもに代わって代理決定しているのだ
という理解で捉えなおしてみると、
確かに「親が子どものためを思って決めることだからOK」と
単純に考えていいのか……という疑問が浮かんでくるのも事実。

……胸中、ぐるぐる複雑。
2008.01.11 / Top↑
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