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前回のエントリー
蘇生拒否(DNR)を明示して通学する重症児Katieについてのニュースを紹介しましたが、

ここでは、その記事のコメント欄での論争について。

まず、目に付いた批判コメントの主なポイントは以下のようなあたり。

・この子が教室で死んだら他の子どもが心に傷を負いトラウマになる。

・死にかけている子どもを教師が助けないなんて、子どもたちが教師への信頼を損なう。

・教師や看護師に大変な負担を背負わせ、万が一の時には彼らにもトラウマになりかねない。

・教室は子どもたちが勉強するところ。ただでも忙しい教師にこれほどの負担を強いるのは子どもたちの勉学にマイナスだし、先生だって手が回らないだろう。

・周囲にそれほどの迷惑と危険を背負わせてまで自分たちの思いを優先させるのは身勝手である。どうしてもというなら私立の学校へ行かせるべき。

・自分のことばっかり言ってんじゃないよ。

・自分だったら死ぬ時には傍についていてやりたい。その時に親が傍にいられるには学校になどやらずに家においてやる、またはホスピスに行かせるべき。

・親の息抜きのために学校をベビーシッター代わりに使うな。

・こういう子は学校へきたって、どうせ何も学ぶことなどできないのに。

・この子が咳き込むたびに、他の子どもたちがどんな気持ちになると思っているのか?

“Ashley療法”論争の時にも同じことが起こったように、
記事の細部をきちんと読めば起こらないはずの基本的な事実誤認がここにもいくつかあって、
それが混乱を招き続けています。

1つには
Katieの通っている学校が養護学校であることが記事では少し分かりにくかったために
普通学級だと誤解した人たちが多かったこと。

もう1つには
DNR指示=「何もせず手をこまねいて死なせる」と単純に理解した人が多く、
記事には「他の生徒に見えないように保健室に移す」とちゃんと書いてあるのに、
自分で勝手なイメージを作り上げてしまう人たちの間で
「他の生徒の目の前で死なせる」
「先生たちは一切手を出すことを許されず、死ぬのをみんなで見守る」
といったDNRの“絵”が出来上がってしまったこと。

さらに
記事に「学校へ行けるほど調子が良い日には」という表現があるので、
親も調子が悪い日にまで学校へ行かせているわけではないのですが、
そうした微妙な細部はこういった論争ではどうしても無視されてしまうのでしょうか。
本当はそういう情報こそ真実に繋がる大事なディテールであったりするのに。

この点、ブログにはちゃんと笑顔のAshleyがいるのに
「意識もない植物状態の重症児」イメージができあがってしまっていたり、
親自身が「難しい決断じゃなかった」と何度も書いているのに
いつまでも「親はどんなに辛い思いで決断したことか」と筋違いの共感をする人があった
“Ashley療法”論争とまったく同じ構図です。

そして、やはり“Ashley療法”論争と同じく、
事実誤認の上に乗っかって繰り返されるのは
重症児のステレオタイプと
そのステレオタイプを基にした偏見・忌避。
2008.01.09 / Top↑
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