この事件について、「医師が何か特別な思惑を持って親を誘導し、やらせたのではないか」という疑念を持っている人は、案外に多いのではないでしょうか。私がこのニュースを初めて知った時に頭に浮かべたのも、「誰か医療職が親の頭に種を蒔いたのではないか」との疑念でした。この件について話してみた相手から「それは、きっと医者がやりたかったのよ」という感想が出てきたこともあるし、論争の中でそういう懸念を書いた人も少なくありません。
実際、アイディアとして考えた場合に、子宮摘出だけなら、障害のある娘のケアをする親が冗談半分に口にするのを聞いたこともありますが、それに加えてホルモン療法と乳房芽の切除までを盛り込んで、セットでやってしまおうなどというアイディアが、そう簡単にある日だれかの頭に天啓のように降り来るというものとは思えません。だから、医師が何らかの思惑を持って親の頭に種を蒔いたのではないか、と考えても不思議はないように思われます。
しかし、実際に当事者の発言をつき合わせる作業をしてみると、そんな予見はどうやら見当違いだったようです。一部「まだある論文の“不思議” その3」と重複しますが、いわゆる“アシュリー療法”のアイディアが生まれて具体的な計画となるまでの経緯について、当事者の発言を追ってみます。
まず、両親のブログで、アイディアが出来たいきさつに触れられているのは以下の部分です。
アシュリーが6歳6ヶ月の2004年初頭、思春期初期の兆候が見えました。それに関連したアシュリーの医師との会話の中で、アシュリーの母親が既に早熟な思春期を加速させて大人になったときの身長と体重を最小限に抑えるというアイディアに思い至りました。シアトル子ども病院内分泌のダニエル・F・ガンサー小児科助教授の予約を取り、私たちの選択肢を相談しました。そして、成長抑制は大量エストロゲンで実現可能であることが分かりました。この療法は背が高い女の子が好まれなかった60年代と70年代に始まり、10代の少女に行われたものですが、不都合な副作用や長期の副作用はありませんでした。
どの医師かは不明だけれども、彼女の成長の早さについて「アシュリーの医師」と話している際に母親が相当細部に渡るアイディアを思いつき、小児内分泌の専門家であるガンサー医師の予約を取った、という流れ。上記では「私たちの選択肢」と訳してみましたが、元は our options とあるので、既にオプションとして選択肢がいくつかあったことになります。文脈からすると「骨端線の伸びを加速させて身長を抑制することを巡って、これはできるだろうか、あれはできるだろうかと自分たちで考えてできた」アイディアをガンサー医師にぶつけて、どうでしょう、と相談したのでしょう。それに対して、ガンサー医師が成長抑制はエストロゲン大量投与で可能だと答えた。その際に、この療法の歴史的背景とリスクについて話したということなのでしょうか。「リスクがないと知って安心した、そして計画を進める決断をした」とブログの他の箇所に書かれています。
当初、ここに書かれていることから、もしかしたらアシュリーの母親は医療関係者なのだろうか、という疑問が私の頭に浮かんだこともありました。父親は1月2日のロサンジェルス・タイムズの記事によるとソフトウエア会社の重役だとのことだから、医療関係者ではありません。論文では「両親ともに大学教育を受けた専門職」とありますが、アシュリーの母親についてはそれ以外には何も明かされていないので、医療職かどうかを確認する方法はありません。しかし、もしも医療職だったのだとしたら、最初から内分泌医にダイレクトに相談するようにも思われます。また、ブログもその場合は母親の方が書くのではないでしょうか。ブログの文章は常にweと夫婦を主語としていますが、書いたのは父親です。初期に何件かあったメディアの取材にも一貫して父親が対応しています。
もっとも、今のIT時代、特に医療関係者でなくとも、その気になればどんなテーマであれ、相当専門的な知識を探し出すことは不可能ではないだろうから、医療関係者でなければ思いつけないというものでもないのかもしれません。
論文の中では、
もっとも、今のIT時代、特に医療関係者でなくとも、その気になればどんなテーマであれ、相当専門的な知識を探し出すことは不可能ではないだろうから、医療関係者でなければ思いつけないというものでもないのかもしれません。
論文の中では、
両親と医師(無冠詞単数形)が長い間相談した末に、大量エストロゲンを使って成長を抑制し、治療前に子宮摘出術を行って思春期の一般的な長期的問題と、とりわけ治療の反作用を軽減するという計画ができた
とのみ書かれています。受動態で書かれているので、誰が計画を作ったのかは不明。しかし、両親が揃っていること、計画の細部が出来上がっていることを両親のブログの記述と付き合わせると、最初に母親だけが「アシュリーの医師」と話した場面ではなく、その後で、次のステップとして両親揃ってシアトル子ども病院のガンサー助教授を訪ねた場面だと思われます。
ブログでも論文でも、アイディアや計画が出来た場面について直接触れている箇所はこれ以外にはありません。しかし、そのことに直接触れてはいないものの、その他の発言には、この点に関連するものが見られます。
例えば、1月5日付けのThe Daily Mailの記事 ”Why we froze our little girl in time”で、取材に答えた父親の発言。アシュリーは困難な人生を割り振られたのだから、親として介護者として、せめてQOLくらいは最善にしてやりたかったのだとの思いを述べた後で、
このアイディアをいろいろ調べてみて、アシュリーの医師から可能だとの確認もあって、あとはできるだけ早くやってしまうことに集中しました。アシュリーの生涯にわたるメリットはリスク・ファクターよりも大きいというのが明白でしたから
ブログでもサマリー冒頭で
私たちはたくさん考えて、リサーチを行い、そして医師たちと協議した後にこの療法を行いました
この2つの発言で一貫している「考えて、調べ、そして医師らと協議した」という順番は、注目に値するのではないでしょうか。医師らと協議する前に、彼らは既に「考えて、調べ」ていたのです。そしてまた、「私たちは……この療法を行った」という主体性。
さらに、ブログの中で3回も繰り返されており、1月3日から5日にかけてのLATimes、英ガーディアン他との電話取材でも父親が強調していることとして、「この決断は多くの人が想像しているような困難なものではなかった」との主張があります。報道を受けて巻き起こった批判に対して1月7日にブログに新たに書き込んだ部分でも、「娘にこの療法を提供することは容易な決断だった」とまで言い切っています。ここには、何かゆるぎない自信すら感じられます。
すでに触れたように、乳房芽の切除については、両親がブログで「利点を詳しく説明することで医師らのreluctance を乗り越えた」と書いている通り、倫理委員会ではパワーポイントを使ってプレゼンテーションまで行っています。特に乳房芽の切除については尻込みしている医師らを説得するべく、おそらく写真やグラフなどの資料を駆使して、ブログの文章のように理路整然と熱弁をふるう父親の姿が目に浮かぶようです。
minxさんが詳細にまとめてくださった5月16日のシンポの報告によると、倫理委の委員長だったWoodrum医師は午前のシンポで「両親が説得力ある議論を出してくれたおかげで、私たちの仕事を代わりにやってくれた」と述べたとのこと。Dregerさんとminxさんが指摘するようにWoodrum医師の発言そのものは倫理委の委員長としてあまりに無責任、不謹慎ですらありますが、両親のプレゼンテーションの存在感が感じられる発言です。
それと対照的に、これまで見てきた医師らの発言から感じられるのは、あの論文に見られた姑息さ。後ろめたさ。一貫性のなさ。
アイディアと当初の計画についての主体は、最初から親だったのではないでしょうか。
さらに言えば、アイディアが思いつかれ、それがある程度リアルな“選択肢”になったのは、母親と「アシュリーの医師」との会話の前後の時期、父親が書いている「たくさん考え、リサーチをし」た頃のことと考えてもいいのではないでしょうか。その上で夫婦は「私たちの選択肢」を持ってガンサー医師のところに相談に行った。つまり、論文を執筆した2人の担当医は、当初は白紙状態で親のアイディアと直面した、というのが真相ではないでしょうか。「まだある論文の“不思議” オマケ」で触れたように、医師らも最初は困惑したものの、いろいろ話を聞いて親の真意を探るうちに「それは、案外いい知恵かも知れない」と考えるようになったということではないでしょうか。
もしも、当初の私のように、医師が親を誘導したような印象を残したまま、この問題を議論した方があったら、その思い込みは一度清算した方がいいかもしれません。
2007.06.01 / Top↑
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