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「死ぬ権利 ―― カレン・クインラン事件と生命倫理の転回」(香川智晶 勁草書房)を読んだ。

クインラン事件は
英語の勉強に熱心だった10代の終わりから20代にかけての事件なので
「事故で植物状態になった女性の親が呼吸器を外したいと裁判ですったもんだがあった。
最後には許可が下りたけど、いざ外したら、その人は自力呼吸ができて長いこと生きた」
という程度には記憶している、私の中でも比較的大きな出来事だった。

この本は、膨大な資料から、
複雑な事実関係と議論とを丁寧にわかりやすく組み立ててあって、
ちょっとしたドキュメンタリーのように面白く読んだ。

と同時に、世の中がある一定の方向に傾れ込んでいく時に
その時代の力動によるのか、もっと作為的なものなのかは別にして
その方向への動きを大きく誘導することになる事件での議論というものが
この事件でもAshley事件でも同種の欺瞞・マヤカシを含んでいることに
新鮮な驚きも感じつつ読んだ。

前半の内容はクインラン事件の内容と展開。
後半は、クインラン事件を分水嶺として範囲を拡大していく、その後の米国の
「死ぬ権利」議論と、生命倫理の役割についての整理。

どちらもまとめるつもりだったのですが、
読み終えて、いざ取り掛かってみたら、前半だけで力尽きてしまったので、
クインラン事件についてのみ、特にAshley事件との関連で興味のあることについて
以下4つのエントリーに分けて。

1. クインラン事件に関係する出来事や情報の整理
2. NJ州高裁
3. NJ州最高裁
4. 裁判後の「第2の物語」と、Ashley事件との類似点について

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1. クインラン事件に関係する出来事や情報の整理


【クインラン事件以前の関連の出来事】

1968年 脳死基準
    統一州法委員会によるモデル法「統一遺体贈与法:Uniform Anatomical Gift Act」

1970年 カンザス州で脳死を人の死とする州法。これを皮切りに相次ぐ。

「脳死基準がつくられたとき、移植研究の専門家たちは生命倫理による後押しを必要とした。
医学の専門家が登場しつつあった生命倫理に期待したのは、「臓器の収穫」に対する恐怖感を和らげ、
人々にハーバード基準を受け入れさせることだった。……そうしたところに、1975年、
クインラン事件が登場し、生命倫理学者にアドバイザーの役割が与えられることになったのである
(P.26)」と捉える学者も。

1971年 ヘストン事件 ニュージャージー
エホバの証人の輸血拒否
「死を選ぶ憲法上の権利はない」

カトリックの見解(ピウス12世)
通常/通常以上の区別。その区別が義務/義務でないものとの判断と重なる。

1972年 遷延性植物状態 コーネル大のフレッド・プラムと英ブライアン・ジェネットが提唱。


【プライバシー権】

プライバシー権についての概要は、本書に沿って
堀田義太郎氏と立岩真也氏がこちらにまとめておられます。

医療におけるプライバシー権については
「成人に達し、健全な精神をもつすべての人間は、
自分の身体に何がなされるべきかを決定する権利がある。
したがって患者の同意なしに手術をする主治医は暴行を侵すことになり、
その損害への責任を負う」(1914年カートゾ判事。後のIC法理の出発点の1つ)

家族の自律(family autonomy)
家族のメンバーに関わる基本的な意思決定を下す家族の権利’(the right of the family)

個人のプライバシー権と家族のプライバシー権については、
「ケアの絆 - 自律神話を超えて」のエントリーでちょっと考えました。

1965年 グリズウォルドvs コネチカット事件

CT州エステル・グリズウォルドはCT州家族計画同盟(Planned Parenthood League in CT)の会長。
結婚しているカップルに避妊の情報提供をしたことが州法違反に問われて、
同盟の医学部長と共に逮捕された。
州裁判所では1審、2審ともに有罪。
連邦最高裁で「プライバシーの権利」を理由に逆転無罪。

「プライバシーの権利をたんに情報を他人から守るだけでなく、
政府の介入から自由な個人を保護する活動領域を創り出すものとして初めて論じた」
画期的判決と、倫理学者。

1973年 テキサス州 ロー vs ウェイド判決

プライバシー権を妊娠第一期の中絶に適用。
プライバシー権は結婚、出産、家族関係や子どもの育て方にまで適用されるとの解釈。


【英米の安楽死議論】

1906年オハイオ州で安楽死法案(積極的安楽死を認めるもの)を皮切りに続くが未成立。
1930年代、英国でも議論が起こり始める。
1936年、英国議会に安楽死合法化法案。否決。35対14。
1938年 米国安楽死協会設立

事件以前に「死ぬ権利」と言う言葉を多用していた生命倫理学者ジョセフ・フレッチャーは
現代医学の進歩によって人間の誕生と死の場面に登場する「モンスター」の治療停止を
「死ぬ権利」の問題として提起し、安楽死を肯定していた。

同様の論法で1980年にヘムロック協会が設立される。
創設者はデレク・ハンフリー。


Hemlock SocietyはC&Cの前身
メディアによってFENの前身としているものもあるようですが
FENがHumphryの著書Final Exitをテキスト扱いしていることでもあり、
Humphry自身もどちらにも関わっているというのが本当のところではないでしょうか)

ちなみにDerek Humphry の著書は
Final Exit : The Practicalities of Self-Deliverance and Assisted Suicide for the Dying
Derek Humphry, 2002

日本でも翻訳が出ているようです。
「安楽死の方法(ファイナル・エグジット)」徳間書店から。

Amazon.comの内容説明には
「苦痛なく死ぬ権利を求めて。
本書はまさに人間最後の「至福」のありかを探る問題作である」と。

Derek Humphryのブログはこちらの、その名もAssisted-Suicide Blog
2010.07.13 / Top↑
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