2.クインラン事件 NJ州高裁 (1~4の2)
1975年4月NJ州のカレン・クインランさんが
交通事故で昏睡状態となり人工呼吸器を装着。
(4月末、ベトナム戦争ではサイゴン陥落)
9月、呼吸器をはずしてやりたいとする父親が
自分を後見人として認めるよう求め、訴訟。
州高裁で弁護士アームストロングは、まずは、
カレンが脳死であり、既に死んでいる以上、呼吸器を外しても殺人にはならないと
主張する戦略に出る。
この際の論争によって、脳死の医学定義が承認されたと考える学者も。
カレンは脳死ではなく遷延性植物状態であることは明らか。
そこでアームストロングは戦略を変更。
クインラン一家がカトリック教徒であることから
今度は教会の助言を得て「通常以上の手段」を終わらせるための代理決定を主張する。
(「通常/通常でない手段」については前のエントリーに)
本人が生前、癌の末期の叔母についての家族との話などで、
通常以上の手段で無益な延命をされたくないと語っていたことが語られ、
アームストロングはシュトランクvsシュトランク(1969)や
ハートvsブラウン(1972: 7歳10カ月の双子間での腎臓移植)の判例を引いて議論。
ともに、無能力者を巡る代理決定において
利益の比較考量によって臓器提供を正当化したもの。
カレンの昏睡は不可逆的で、
自立と身体的統合性の崩壊は既に避けがたく、死は単に遅らされているに過ぎないので、
呼吸器を外しても殺人には当たらない、との主張と同時に、
本人の意思と、家族のプライバシー権の主張へと。
しかし、実際には本人の意思はカレン自身のプライバシー権であり、
成人であるカレンに対して父親のプライバシー権がそのまま通用するわけではない。
そこでアームストロングはその2つのかけ離れた権利をつなげるマジックとして、
個人のプライバシー権を確立した2つの判例(シュトランク、ハート)には敢えて触れず、
家族のプライバシー権の問題として論じる戦略に加えて、
「特にプライバシー権を擁護するはずの補足的議論は
法理論の展開というよりも、人々の感情に訴えるものへとずれ込んでいく(p.103)」
「ここでも、
かけ離れた権利が結び付けられるというねじれによって、脳死問題の場合と同じように、
むしろクインラン事件が歴史的な分水嶺としての意味を獲得していくことになる(p.104)」
「『家族の愛と信仰と勇気』、それを拠り所にしてアームストロングは、
法的、医学的な問題に対処する姿勢を明らかにした。
法と医学に家族の愛を対置すること、問題をあくまでも私的な次元に引き戻しながら
論じることが原告側の方針だった。(p.107)」
これに対して検察側は、「法による裁きの場」と言う言葉を繰り返し、
「この法廷は愛の場ではありませんし、同情の場でもありません」
「カレンは死んでいない」、生きているという事実のみが重要であり、
回復の見込みの有無も関係がない、尊厳死も自己決定も宗教の自由も、問題のごまかしであり
「これは安楽死なのです」と説き、
事件を家族の問題に矮小化することは許されない、
「われわれがここで論じているのはこの不幸な若い女性とその家族の権利だけではなく、
無数の他の人々の権利でもあるのです」(p.109)と主張する。
(このあたりの擁護論の展開とそれに対する批判は、まさにAshley療法論争でも同じ。、
ついでに言えば、英国の家族による自殺幇助・慈悲殺合法化論の展開と批判のパターンにもそっくり)
原告側の証人として出てきたNY大学神経学教授 ジュリアス・コライン医師は
カレンの「精神年齢を示すことは可能か」と問われ、
精神年齢で捉えることの不適切を言おうとして
「無脳症のモンスター・奇形児 an encephalic monster」を例にあげた。
その事例は同医師の意図に反して、
カレンがモンスターであるとの印象と、そういう事態への不安を人々に与えた。
その後のクインラン事件が「現代医学の進歩が創り出すモンスターの恐怖」の象徴となった一因。
被告側の証言でもカレンを診察したダイヤモンド医師がカレンの状況を説明した後で
「……きつい胎児姿勢をなしていました。実際、胎児といった人間的な言葉で説明するには
あまりにもグロテスクでした」。(p.157)
(次のエントリーで出てきますが、最高裁の判決もカレンの状態について
「グロテスク」という文言を使っています)
1975年11月10日、ミューア判事は父親ジョセフ・クインランの請求を却下。
世論が既に父親への同情を集めていたこともあり批判が集中する。
専門職からは治療継続の判断を医療職にゆだねた、との批判も。
1975年4月NJ州のカレン・クインランさんが
交通事故で昏睡状態となり人工呼吸器を装着。
(4月末、ベトナム戦争ではサイゴン陥落)
9月、呼吸器をはずしてやりたいとする父親が
自分を後見人として認めるよう求め、訴訟。
州高裁で弁護士アームストロングは、まずは、
カレンが脳死であり、既に死んでいる以上、呼吸器を外しても殺人にはならないと
主張する戦略に出る。
この際の論争によって、脳死の医学定義が承認されたと考える学者も。
脳死はカレンの満たすことのない死の定義である。
しかし、そのことを示すために反復される詳細な議論は読む者に
原告側の主張に対するたんなる論駁以上の印象を残す。
脳死概念が、いまだそれを人の死とする法の成立していないニュージャージー州においても、
確かな法的地位を既に獲得しているという印象である。
しかし、実際には、事実は逆だというべきである。
そうして倦むことなく繰り返される議論が脳死概念の社会的需要そのものを創出するのである。
(P.66)
カレンは脳死ではなく遷延性植物状態であることは明らか。
そこでアームストロングは戦略を変更。
クインラン一家がカトリック教徒であることから
今度は教会の助言を得て「通常以上の手段」を終わらせるための代理決定を主張する。
(「通常/通常でない手段」については前のエントリーに)
本人が生前、癌の末期の叔母についての家族との話などで、
通常以上の手段で無益な延命をされたくないと語っていたことが語られ、
アームストロングはシュトランクvsシュトランク(1969)や
ハートvsブラウン(1972: 7歳10カ月の双子間での腎臓移植)の判例を引いて議論。
ともに、無能力者を巡る代理決定において
利益の比較考量によって臓器提供を正当化したもの。
カレンの昏睡は不可逆的で、
自立と身体的統合性の崩壊は既に避けがたく、死は単に遅らされているに過ぎないので、
呼吸器を外しても殺人には当たらない、との主張と同時に、
本人の意思と、家族のプライバシー権の主張へと。
しかし、実際には本人の意思はカレン自身のプライバシー権であり、
成人であるカレンに対して父親のプライバシー権がそのまま通用するわけではない。
そこでアームストロングはその2つのかけ離れた権利をつなげるマジックとして、
個人のプライバシー権を確立した2つの判例(シュトランク、ハート)には敢えて触れず、
家族のプライバシー権の問題として論じる戦略に加えて、
「特にプライバシー権を擁護するはずの補足的議論は
法理論の展開というよりも、人々の感情に訴えるものへとずれ込んでいく(p.103)」
「ここでも、
かけ離れた権利が結び付けられるというねじれによって、脳死問題の場合と同じように、
むしろクインラン事件が歴史的な分水嶺としての意味を獲得していくことになる(p.104)」
「『家族の愛と信仰と勇気』、それを拠り所にしてアームストロングは、
法的、医学的な問題に対処する姿勢を明らかにした。
法と医学に家族の愛を対置すること、問題をあくまでも私的な次元に引き戻しながら
論じることが原告側の方針だった。(p.107)」
これに対して検察側は、「法による裁きの場」と言う言葉を繰り返し、
「この法廷は愛の場ではありませんし、同情の場でもありません」
「カレンは死んでいない」、生きているという事実のみが重要であり、
回復の見込みの有無も関係がない、尊厳死も自己決定も宗教の自由も、問題のごまかしであり
「これは安楽死なのです」と説き、
事件を家族の問題に矮小化することは許されない、
「われわれがここで論じているのはこの不幸な若い女性とその家族の権利だけではなく、
無数の他の人々の権利でもあるのです」(p.109)と主張する。
(このあたりの擁護論の展開とそれに対する批判は、まさにAshley療法論争でも同じ。、
ついでに言えば、英国の家族による自殺幇助・慈悲殺合法化論の展開と批判のパターンにもそっくり)
原告側の証人として出てきたNY大学神経学教授 ジュリアス・コライン医師は
カレンの「精神年齢を示すことは可能か」と問われ、
精神年齢で捉えることの不適切を言おうとして
「無脳症のモンスター・奇形児 an encephalic monster」を例にあげた。
その事例は同医師の意図に反して、
カレンがモンスターであるとの印象と、そういう事態への不安を人々に与えた。
その後のクインラン事件が「現代医学の進歩が創り出すモンスターの恐怖」の象徴となった一因。
被告側の証言でもカレンを診察したダイヤモンド医師がカレンの状況を説明した後で
「……きつい胎児姿勢をなしていました。実際、胎児といった人間的な言葉で説明するには
あまりにもグロテスクでした」。(p.157)
(次のエントリーで出てきますが、最高裁の判決もカレンの状態について
「グロテスク」という文言を使っています)
1975年11月10日、ミューア判事は父親ジョセフ・クインランの請求を却下。
世論が既に父親への同情を集めていたこともあり批判が集中する。
専門職からは治療継続の判断を医療職にゆだねた、との批判も。
2010.07.13 / Top↑
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