香川智晶氏の「死ぬ権利 ――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回」について
7月12日に以下の4つのエントリーでまとめました。
Quinlan事件からAshley事件を考える 1
Quinlan事件からAshley事件を考える 2
Quinlan事件からAshley事件を考える 3
Quinlan事件からAshley事件を考える 4
この1の中の「プライバシー権」に関する部分で
大きな判決としてグリズウォルド事件(1965年)が言及されていました。
コネチカット州の家族計画同盟の会長と医師が
結婚しているカップルに避妊の情報提供をしたことが州法違反に問われて
州裁判所では1審、2審ともに有罪とされたものが
連邦裁判所で「プライバシーの権利」を理由に逆転無罪となった、という事件。
情報を他人から守るだけでなく、
個人の自由な選択に政府の介入を認めない権利として
プライバシー権を正式に確立した画期的な判決とされるもの。
避妊情報が、それほど大それた問題だということがピンとこなくて、
私にはこの事件についての記述がイマイチ、しっくり理解できなかったのですが、
たまたま、その直前に、
コンドームを渡していた学校が問題になっているニュースが目についており、
避妊情報が犯罪になるというのも
学校で生徒にコンドームを渡すのも、どちらも私には理解できず、
しかし、それが米国のプライバシー権や、
Gates財団と繋がりの深いPlanned Prenthood Leagueと関係しているとなると
Griswold事件をこのまま理解不能のまま放っておくわけにもいかない気分に。
そこで、ある方に伺ってみたところ、
さっそく英文と日本語の資料を送っていただきました。
まず、読んでみたのは日本語資料の方。
道徳とプライバシー(1) と (2)
坂本昌成
政経(古い字体)論叢 第23巻 第5,6号、1974年1月
廣島大学政経学会(古い字体)
なるほど、グリズウォルド事件は、
米国社会についての背景知識がなければ理解できない事件だということが、
よく分かりました。
今回の論文で分かったGriswold事件とその背景と、
それがソドミー法、中絶法や断種法といかに繋がっていくか
米国のプライバシー権が拡大されていく過程について、
以下2つのエントリーで。
① 米国の社会背景
カトリックの影響が強い19世紀米国社会の道徳観では
もともと避妊そのものに対するタブーが根強く、
妊娠によって傾向が害される恐れのある既婚女性のみを対象とするものだった。
20世紀半ばになって、やっと
避妊による母親・家族の肉体的、社会的、文化的な効用が認知されるようになり、
何らかの方法で避妊している既婚者は1910年の15%から
1935-1939年では66%に増加している。
コネチカット州では1879年に制定された避妊禁止規定が存続し
避妊に関する情報を与えたものには罰則が規定されていた。
(実際に執行されたことはない)
② Poe事件
1969年に、血液型不適合のため過去3回奇形児が生まれ、
いずれも、すぐに亡くしたPoe夫妻と、担当医Buxtonが
同規定は憲法違反であるとの訴えを連邦最高裁判所に対して起こした。
結果的に原告の訴えは却下されたが、この時の少数意見として、
当該州法は、適正手段によらず、
憲法修正14条の「自由」を夫婦から奪っていること
この自由の中にプライバシーが含まれ、
避妊器具当の使用を禁じることは家庭の最も深い聖域に官憲が侵入する危険性があること
の2つの理由によってコネチカットの当該州法を違憲とする説が出ている。
③ Griswold事件
CT州家族計画同盟(Planned Parenthood League)の理事であったEstelle Griswold医師と
C.L. Buxtonとが既婚者に避妊に関する医学上のアドバイスを与えたとして逮捕され
州裁判所で有罪となった。
Buxtonは上記Poe事件の原告の一人。
連邦最高裁で判決文を書いたのは
Poe判決で少数意見として違憲説を唱えたDouglas判事。
コネチカット州避妊禁止法は、
憲法修正1,3,5,9条によって形成される「プライバシーのゾーン」を侵す、と判断。
ゾーンとしてプライバシーを捉えるDouglasの見解は
一般に「半影論(penumbra theory)」と呼ばれ、
つまり、これらの修正条項のいずれかに明確に規定されているというのではなく、
それら条項が放射状に一定範囲をカバーしていると捉える場合に、
その中で規定されているもの、という考え方。
憲法上に明確に規定されてはいないが、
憲法の全体によって、なんとなく、そういう権利が認められている、という
かなり、いい加減な考え方でもあり、
したがって、例えば夫婦だけなのか、未成年は、など、
その内容、範囲、侵害基準などは明確ではないまま残された。
その後の判例によって、順次確認されていくことになる。
(次のエントリーに続きます)
7月12日に以下の4つのエントリーでまとめました。
Quinlan事件からAshley事件を考える 1
Quinlan事件からAshley事件を考える 2
Quinlan事件からAshley事件を考える 3
Quinlan事件からAshley事件を考える 4
この1の中の「プライバシー権」に関する部分で
大きな判決としてグリズウォルド事件(1965年)が言及されていました。
コネチカット州の家族計画同盟の会長と医師が
結婚しているカップルに避妊の情報提供をしたことが州法違反に問われて
州裁判所では1審、2審ともに有罪とされたものが
連邦裁判所で「プライバシーの権利」を理由に逆転無罪となった、という事件。
情報を他人から守るだけでなく、
個人の自由な選択に政府の介入を認めない権利として
プライバシー権を正式に確立した画期的な判決とされるもの。
避妊情報が、それほど大それた問題だということがピンとこなくて、
私にはこの事件についての記述がイマイチ、しっくり理解できなかったのですが、
たまたま、その直前に、
コンドームを渡していた学校が問題になっているニュースが目についており、
避妊情報が犯罪になるというのも
学校で生徒にコンドームを渡すのも、どちらも私には理解できず、
しかし、それが米国のプライバシー権や、
Gates財団と繋がりの深いPlanned Prenthood Leagueと関係しているとなると
Griswold事件をこのまま理解不能のまま放っておくわけにもいかない気分に。
そこで、ある方に伺ってみたところ、
さっそく英文と日本語の資料を送っていただきました。
まず、読んでみたのは日本語資料の方。
道徳とプライバシー(1) と (2)
坂本昌成
政経(古い字体)論叢 第23巻 第5,6号、1974年1月
廣島大学政経学会(古い字体)
なるほど、グリズウォルド事件は、
米国社会についての背景知識がなければ理解できない事件だということが、
よく分かりました。
今回の論文で分かったGriswold事件とその背景と、
それがソドミー法、中絶法や断種法といかに繋がっていくか
米国のプライバシー権が拡大されていく過程について、
以下2つのエントリーで。
① 米国の社会背景
カトリックの影響が強い19世紀米国社会の道徳観では
もともと避妊そのものに対するタブーが根強く、
妊娠によって傾向が害される恐れのある既婚女性のみを対象とするものだった。
20世紀半ばになって、やっと
避妊による母親・家族の肉体的、社会的、文化的な効用が認知されるようになり、
何らかの方法で避妊している既婚者は1910年の15%から
1935-1939年では66%に増加している。
コネチカット州では1879年に制定された避妊禁止規定が存続し
避妊に関する情報を与えたものには罰則が規定されていた。
(実際に執行されたことはない)
② Poe事件
1969年に、血液型不適合のため過去3回奇形児が生まれ、
いずれも、すぐに亡くしたPoe夫妻と、担当医Buxtonが
同規定は憲法違反であるとの訴えを連邦最高裁判所に対して起こした。
結果的に原告の訴えは却下されたが、この時の少数意見として、
当該州法は、適正手段によらず、
憲法修正14条の「自由」を夫婦から奪っていること
この自由の中にプライバシーが含まれ、
避妊器具当の使用を禁じることは家庭の最も深い聖域に官憲が侵入する危険性があること
の2つの理由によってコネチカットの当該州法を違憲とする説が出ている。
③ Griswold事件
CT州家族計画同盟(Planned Parenthood League)の理事であったEstelle Griswold医師と
C.L. Buxtonとが既婚者に避妊に関する医学上のアドバイスを与えたとして逮捕され
州裁判所で有罪となった。
Buxtonは上記Poe事件の原告の一人。
連邦最高裁で判決文を書いたのは
Poe判決で少数意見として違憲説を唱えたDouglas判事。
コネチカット州避妊禁止法は、
憲法修正1,3,5,9条によって形成される「プライバシーのゾーン」を侵す、と判断。
ゾーンとしてプライバシーを捉えるDouglasの見解は
一般に「半影論(penumbra theory)」と呼ばれ、
つまり、これらの修正条項のいずれかに明確に規定されているというのではなく、
それら条項が放射状に一定範囲をカバーしていると捉える場合に、
その中で規定されているもの、という考え方。
憲法上に明確に規定されてはいないが、
憲法の全体によって、なんとなく、そういう権利が認められている、という
かなり、いい加減な考え方でもあり、
したがって、例えば夫婦だけなのか、未成年は、など、
その内容、範囲、侵害基準などは明確ではないまま残された。
その後の判例によって、順次確認されていくことになる。
(次のエントリーに続きます)
2010.07.28 / Top↑
| Home |