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(前のエントリーの続き)

① 実験動物として誰も殺されなくてもよい世界なら、

実験をやめることでできる。
そのかわり科学とテクノの進歩も止まる。
でも、それはそれでいい、そういう世界にしよう、それで種差別を回避しようと
主張することは論理的には可能。

(コンピューター上にマウスや人間のDNAを再現して、
それで動物実験を減らすという話も聞くけど、
それが実際に生体での実験と同じであるという保証もない。)

一方、誰かがどうしても実験のために死ななければならない世界を前提にして、
人間はなんら特別ではなく動物と違わないと決め種差別を禁じるとしたら、
マウスやチンパンジーの代わりに人間が実験に供されてもよいと認めることになる。

実際、植物状態の人を人間のブリーディング・タンクとして使おうと提案した倫理学者はいるし、
胚や中絶胎児は既に実験に供されている。

種差別を否定して人間も動物も一緒だとしたうえで、
知的機能や意識のあり方による序列を設けるという
シンガーやトランスヒューマニストの考え方でいけば、

(無知でスミマセン。私の知識はほとんどA事件つながりなので、
クーゼなんて人は名前すら知らず、センティエントがどうだこうだと言うのが大好きな
TH二ストさんたちの方がSingerに近い感じになってしまうので。)

頭の良いチンパンジーの“パンくん”や、その仲間を実験に使うよりも
脳死者、中絶胎児(なるべく生かして?)、障害新生児、
植物状態や最小意識状態の人、重症障害児・者、認知症患者の方を使いましょう、と
主張されることになる。

もともと人間のための研究を行うには人間で実験できるのが理想的なわけだし。
それだけ殺される動物も減る。

(で、すべての研究が人間のために行われるのは種差別ではない?)

シンガーは「脳死者を実験利用しよう」と、なぜ言わないんだろう?

(私はモノを知らないので、もし言っていたら、スミマセンが教えてください。)

この問題に限らないけど、
ある主張をもっともらしく見せるために
都合の悪いことは見えないままに止め置いて
都合のよいことだけを引っ張ってきてみせるという芸当を
たいていの人間よりもはるかに頭が切れて弁の立つ人間がやってみせれば、

たいていの人は、その人のペースに飲まれ、
ただ、相手がいうことについていってしまう。

すると、ないものは、それがないこと自体が見えにくくなって、

そこには、ないものがあるということも、
なぜ、それがないのか、ということも、気付かれないスル―状態になる。

(これは、Ashley事件で Diekema が散々使ったヤリクチ)

よく知りもしないことでも、権威をカサに着て堂々と語れば
世の中の人はたいてい、その人は知って言っているのだと思いこむのと同じように。

(長くてスミマセン。さらに次のエントリーに続きます。次で終わり)
2010.10.07 / Top↑
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