カナダ医師会ジャーナルCMAJのコメンタリーが
自殺幇助と緩和ケアの問題は人権という文脈で議論すべきだ、と。
現在、少なくとも70%が緩和ケアへのアクセスを欠いているし、
アクセスできる人の中でもケアにはばらつきがある。
Manitoba大学の法学部の助教授 Mary Shariffは
「自殺幇助合法化の前に、緩和ケアの平等が実現されなければならない。
そうでなければ、現実のリスクとして
肉体と精神の苦痛緩和を選ぶことが事実上できないために
幇助死を望む意思決定をする人が出る。
それは完全な同意ではない」
Shariff氏は
可能な限り最善の健康状態を楽しむ権利をうたった国連人権宣言の第12条を引き、
自殺幇助合法化の前にカナダの緩和ケアシステムが完全なものとならなければならない、と説き、
国民の税金で国民全員に平等に適切な緩和ケアを提供できないなら
自殺幇助合法化に向かうよりも、政治家はその事実を認め対処すべきだ、と結論。
Assisted Death, Palliative Care And Human Rights
MNT, February 1, 2011
これ、日本の障害者福祉についても高齢者福祉についても、
全く同じことが言えると思う。
年々、医療、福祉、支援の現場の運営状況が過酷になっていき、
ケアは劣悪になっていくばかり。
そちらの手当てはされるどころか、
まだ努力が足りないと尻がたたかれては
心あるプロたちが傷つき、燃え尽き、やる気を失っていく。
そのツケはみんなさらに劣悪なケアとなって
患者や障害児・者、高齢者、その家族たちに向かう。
このまま事態が進めば、
「ターミナルで耐えがたい苦痛があるから」ではなく
「こんな劣悪なケアしか受けられないことが肉体的・精神的に耐え難い苦痛だから」
死にたいと望む人がぞろぞろと出てくるに決まっている。
いや、たぶん今でも既にそういう人はいるはず・・・・・・。
そういう現実がある以上、
なにが「自己選択」だ「自己決定」だというのだろう。
現在、世界中で喧伝されている「死の自己決定権」が
医療費削減のための患者切捨て策の表看板に過ぎないなら
それは人権侵害のカムフラージュ以外のなんでもない――。
このコメンタリーが言外に指摘しているのは、それだと思う。
そして、「自己決定」が人権侵害のカムフラージュに使われるのは
それしかないところに追い詰めておいて、貧しい女性を代理母として利用し
「女性が自己決定でやること。それに、これはウィン・ウィンの条件」と言うのでも同じ。
いい加減、「自己決定」の化けの皮も、はげてきたと思うのですが・・・・・・?
自殺幇助と緩和ケアの問題は人権という文脈で議論すべきだ、と。
現在、少なくとも70%が緩和ケアへのアクセスを欠いているし、
アクセスできる人の中でもケアにはばらつきがある。
Manitoba大学の法学部の助教授 Mary Shariffは
「自殺幇助合法化の前に、緩和ケアの平等が実現されなければならない。
そうでなければ、現実のリスクとして
肉体と精神の苦痛緩和を選ぶことが事実上できないために
幇助死を望む意思決定をする人が出る。
それは完全な同意ではない」
Shariff氏は
可能な限り最善の健康状態を楽しむ権利をうたった国連人権宣言の第12条を引き、
自殺幇助合法化の前にカナダの緩和ケアシステムが完全なものとならなければならない、と説き、
国民の税金で国民全員に平等に適切な緩和ケアを提供できないなら
自殺幇助合法化に向かうよりも、政治家はその事実を認め対処すべきだ、と結論。
Assisted Death, Palliative Care And Human Rights
MNT, February 1, 2011
これ、日本の障害者福祉についても高齢者福祉についても、
全く同じことが言えると思う。
年々、医療、福祉、支援の現場の運営状況が過酷になっていき、
ケアは劣悪になっていくばかり。
そちらの手当てはされるどころか、
まだ努力が足りないと尻がたたかれては
心あるプロたちが傷つき、燃え尽き、やる気を失っていく。
そのツケはみんなさらに劣悪なケアとなって
患者や障害児・者、高齢者、その家族たちに向かう。
このまま事態が進めば、
「ターミナルで耐えがたい苦痛があるから」ではなく
「こんな劣悪なケアしか受けられないことが肉体的・精神的に耐え難い苦痛だから」
死にたいと望む人がぞろぞろと出てくるに決まっている。
いや、たぶん今でも既にそういう人はいるはず・・・・・・。
そういう現実がある以上、
なにが「自己選択」だ「自己決定」だというのだろう。
現在、世界中で喧伝されている「死の自己決定権」が
医療費削減のための患者切捨て策の表看板に過ぎないなら
それは人権侵害のカムフラージュ以外のなんでもない――。
このコメンタリーが言外に指摘しているのは、それだと思う。
そして、「自己決定」が人権侵害のカムフラージュに使われるのは
それしかないところに追い詰めておいて、貧しい女性を代理母として利用し
「女性が自己決定でやること。それに、これはウィン・ウィンの条件」と言うのでも同じ。
いい加減、「自己決定」の化けの皮も、はげてきたと思うのですが・・・・・・?
2011.02.06 / Top↑
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