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9万人もが待っているというのに移植用の腎臓が足りず
09年に死亡提供で得られた腎臓はたったの10400個程度だった。
レシピエントを特定した生体間移植でも6300個程度。

現在、死亡提供者からの腎臓は
ネットワークを通じて待っている期間が長い順に移植が行われている。

多くの患者が待っている間に亡くなっていくことを思えば
これはフェアなやり方とも思えるが、

その一方で
年寄りが元気な腎臓をもらって腎臓の寿命よりも先に死んでしまったりすると、
その腎臓が若い患者に移植されていた方が、腎臓がもたらす利益は大きかったことになる。

若い患者は長生きするので、
質の悪い腎臓を移植されて、その腎臓が機能しなくなると、
また移植が必要となり、そこで貴重な腎臓が余分に使われてしまうことになる。

これらを勘案すると、
患者の予測寿命と、腎臓の機能の予測寿命をそれぞれ評価し、
機能の予測寿命が最も長い20%を最も若く最も健康な患者に回し、
残りの80%の腎臓をドナーの年齢よりもプラスマイナス15歳以内の患者に回す、
という割り当て方式ではどうだろうか。

年寄りには腎臓がもらえなくなりそうなシステムのように聞こえるかもしれないが、
今だって既に腎臓は少ないし、これから人口の高齢化が進むにつれて病人も増え、
さらに少なくなるのだから、合理的な選択肢ではあるのだ。

Transplants and Rationing
NYT, February 27, 2011


功利主義って、だから、つまりは、こういうことなんですねー。

”お犬様”ならぬ、”臓器さま”の世界――。


           ―――――

合理的な選択肢――。

Ashley父にとっても、これが黄金律だった。
その黄金律としての輝きを彼自身はツユほども疑うことがなかったから
いかに合理的な選択肢であるか理を尽くして説明すれば
人は合点し、敬服し手を叩き、ほめそやしてくれるものだと
ひたすら思い込んで彼はあのブログを書いた。

自分のブログが多くの人から非難された時、
彼はびっくり仰天し、なぜそんな“誤解”をされるのかが分からなかった。
だから「自分が書いたブログをちゃんと読んでくれ」と未だに繰り返している。
こんなに合理的な話はないでしょ。読めば、それくらいわかるはずだよ、と、
彼は合理的であることだけが価値だと今なお信じて、そう言い続けている。

この人、いつになったら分かるんだろう。

合理的であること以外の価値もあるということ、
人は合理だけで計れるものではないのだということを。



【”臓器不足”について書いたエントリー】
Kaylee事件から日本の「心臓が足りないぞ」分数を考えた(2009/4/15)
2011.03.01 / Top↑
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