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Kevorkian医師の死去を受けて、
ターミナルな患者の痛苦を放っておけなくて自殺幇助合法化の議論に先鞭をつけた
心優しい不遇で孤独な戦士としてK医師を描く記事が、予想通りに多発している。

たとえば、以下のWP記事。こういうものは他にも多数。

‘Dr. Death’Jack Kevorkian dies at age 83
WP, June 4, 2011

また、4日のエントリーでも出てきたK医師の弁護士Morganrothの
もうちょっと詳しい発言があり、

死の12時間前に話した際には、同医師はまだ楽観的で苦痛も感じていなかったとのこと。
蘇生は一切いらないし状況によっては通常の医療すらいらない、と指示し、
自分の生がもはや生きるに値しないと感じる時が来たら
自分で命を断つというつもりでいた、と。

「自分が説いてきたことを実践する。それが彼の気持ちです」。

Morganroth:Kevorkian pondered his own suicide
The Detroit News, June 4, 2011


まだ楽観的で、苦痛も感じておらず、リハビリを始めようと話していた人が
つまり自分はまだ死なないと考えていた人が、
12時間後には死んでしまった……。

Kevorkian医師がそういう転帰をたどったのだとすれば、

それは「自分が説いてきたことを実践する」というよりも
やはり「人の生死は人知を超えたところにあり、
自分の説や実践や気持ちがどうであれ、
思うように自己決定できるものではない」ということに近い気もするけど、

一方、「K医師の犠牲者は必ずしもターミナルな状態ではなかった」との指摘が出ている。

まず、National Right to LifeのRobert Powell 医療倫理センターのディレクター、
Burke J. Balch, J.D.

「Jack Kevorkianが餌食にした犠牲者の多くは
ターミナルな病気などない障害者だった。
一人は高齢だったというだけだった。
少なくとも5件では、解剖の結果、病気はまったく見つからなかった」

「安楽死アドボケイトの中には
Kevorkianの奇怪なスタンスや戦略とは距離を置こうとする人もいたが、

彼の悲劇的な遺産があぶり出しているのは、
うつ病や障害に対して共感と人間的な対応で応じる代わりに
最終的な解決策として死が許容されてしまった時に
最も弱い者に及ぶ危険なのだ」

Jack Kevorkian Preyed On Individuals With Disabilities Without Terminal Illnesses
The MNT, June 4, 2011


また、こちらのNYTのコラムニストRoss Douthatも
同じことを書いており、

1997年の同医師の「診療行為(自殺幇助)」をDetroit Free Pressが調査したところ、
彼が幇助した自殺者のうち60%はターミナルな病状の人ではなかった。
解剖によって「なんら解剖学的病気のエビデンスがない」ケースもいくつかあった。

またK医師は自殺幇助した患者を死後に解剖しており、
彼にとっては人体実験でもあった、とも書いている。

Douthatも、
Kevorkianの信奉者やPAS合法化論者が
こうした事実から目をそむけていることを批判し、

死を自己決定することが権利だとして認められてしまったら
その対象者がターミナルな人に限らず、
すべり坂は現実に起こる、と主張。

Ludwig MinelliがスイスのDignitasで
Kevorkianをはるかに超えて1000人以上を自殺させて
なお罰せられていないことを指摘し、

我々は、そんな殺人者を野放しにしない国であることを誇ろう、と締めくくっている。

Dr. Kevorkian’s Victims
NYT, June 4, 2011
2011.06.06 / Top↑
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