連載「世界の介護と医療の情報を読む」にて
以下の文章を書きました。
脳死臓器移植や“臓器不足”をめぐる諸々の議論、終末期医療における “無益な治療”論や“死の自己決定権”議論など、「死を操作すること」について考える上で極めてショッキングで思わず絶句し、深く深く考え込んでしまった話題を2つ。
“可逆的脳死”の症例報告
臓器摘出の直前に反応がよみがえって脳死診断が覆り、摘出が見送られた米国の事例をCritical Care Medicineの6月号に掲載された論文“Reversible brain death after cardiopulmonary arrest and induced hypothermia,” (Webb, Adam C. MD; Samuels, Owen B. MD) が報告している。
患者は55歳の男性。心臓マヒから心肺停止状態に陥った。心肺蘇生で血流が回復したため、脳の保護のために低体温療法が行われた。しかし、体温を戻しても開眼や疼痛刺激への反応が見られず、6時間の間隔を置いた2度の判定により脳死と診断。家族が臓器提供に同意した。ところが臓器摘出のために手術室に移された患者は手術台に移される際に咳をした。調べてみると、咳反射だけでなく角膜反射、自発呼吸も回復していたため、臓器摘出は見送られた、という。
回復は一時的なもので予後に影響したわけではないが、著者らはこのケースを、「米国神経学会ガイドラインを遵守して行われた脳死診断が成人で覆った初めての症例」として報告。低体温療法を受けた患者において脳死の不可逆性を確定することは可能なのか、疑問を投げかける。そして、こうした患者の脳死診断には慎重を強く求め、あらたに確定検査を検討する必要と共に、体温を戻した後に脳死判定を行うまでの観察時間を設定する必要を説いている。
「ネットで安楽死のライブ中継」騒ぎ
7月28日、インターネットの英語圏は騒然となった。翌29日金曜日の夜、脳腫瘍でターミナルな状態にある62歳のロシア人男性がスイスのディグニタス(自殺幇助アドボケイト組織)で幇助を受けて自殺するのが、ネット上でライブ中継される、との情報が駆け巡ったのだ。カメラの前で医師が致死薬を注射するとの情報もあった。
ライブ映像が流されるのは、battlecam.com。船舶運輸や製瓶王国などの家業を継いで世界ランク45位の大富豪アルキ・デイヴィッド氏(43)が運営するリアリティ・ビデオ投稿サイトだ。
ディグニタスでの自殺シーンの映像ということなら、米国人ALS患者が毒物を飲んで自殺するシーンが、2008年あたりからテレビや映画で、英、豪、デンマークなどで繰り返し放映されている。英国では6月にも、ホテル王として有名な男性のディグニタス死の番組をBBCが作り、実際の自殺シーンを流したばかりだ。これには視聴者から激しい抗議が殺到し、一部議員らがBBC幹部に申し入れを行った。しかし、これまでの映像は全て録画だった。
デイヴィッド氏はメディアの取材に「最初は我が社のスタッフから頼まれて、この男性の医療費を支援してあげた。その後、症状が悪化し、奥さんから追加支援と引き換えにライブで自殺映像を流すことを提案された」。“独占放映権”に支払った金額は「6桁」だとも語り、「我がサイト独自の投票システムにより、この自殺場面の賛否について視聴者からの投票も同時進行で」とも。患者の男性は「おかげでディグニタスに行けることになった。自分の死後も家族が現在の家に住み続けられる。デイヴィッドさんに感謝している」。
ネットでは「自己決定だ」と支持する声も多く、「ライブ中継」中には15000人が当該映像サイトを訪問したという。しかし、その映像は予めギリシャで撮影されたビデオ、患者はディビッド氏が所有するヨットのキャプテン、患者の妻は家政婦が扮した演技だった。開始から間もなくデイヴィッド氏自身が登場して、自分のサイトのプロモーションのための作り話だったことを明かした。
去年、オックスフォード大学の生命倫理学者、ジュリアン・サヴレスキュが「どうせ治らないのなら」と言わんばかりに「臓器提供安楽死」を提唱(昨年8月号で紹介)した時は、いのちと尊厳に対する感覚の鈍磨、荒廃の極致だと受け止めた。まさか、その荒廃にさらに先があって、安楽死がこんなにも簡単に「金持ちの遊び」、「ほんのシャレ」のネタにされるなど、想像もできなかった。“可逆的脳死”報告にも、サヴレスキュなら「どうせ死ぬんだから摘出すればよい」と、慎重を呼び掛ける著者らに冷笑で応えるのではなかろうか。
私たち人類は、生命や死を操作する技術や理屈を次々に獲得し、一体どういう生き物になっていこうとしているのだろう……?
元エントリーはこちらに ↓
臓器摘出直前に“脳死”診断が覆ったケース(2011/7/25)
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