ある方から、この本のことを教えてもらった数日後、
そのことを全く失念したまま図書館へ行き、まったく別の本を探していたら、
棚のずいぶん下の方から誰かに呼ばれている感じがした。
で、なんとなく呼ばれるままに目をやったら、
そこにいたのが、この本だった。
「あらま、あんたってば、そんなところにいたの……」と驚き、
これはただの偶然ではあるまいと、さっそく借りて帰ったら、
やっぱり、なんとも素敵な本だった。
粘土でにゃにゅにょ 土が命のかたまりになった!
田中敬三著 岩波ジュニア新書
滋賀県の第二びわこ学園で
1979年から定年退職する2003年まで粘土室の主任を務めた田中敬三氏が、
びわこ学園の「園生さん」たち(と著者は当時の呼び方のまま書いている)が
粘土の世界で見せる素晴らしい笑顔や表情や変化をつづったもの。
それは例えば著者が以下のように総括する世界。
それぞれに重い障害を持つ「園生さん」たち一人ひとりが、
どのようにして粘土と出会っていったか、
粘土とどのようにやりとりしながら、どんな作品を作り、
どんな表情を見せたか、丁寧につづられる文章を読み進んでいくと、
著者は作業療法士ではないけれど、
それでも生まれついての作業療法士だったんじゃないかなぁ、という気がしてくる。
なにしろ、この人は粘土室の初期から、
こんなことをさらりとやってしまう人なのだ。
そのため、目の見えない人も音や感触で粘土遊びに熱中する。
自閉傾向があり、服を何枚も頭からかぶって中から自分で締め上げて、
脱がそうとすると自傷行為に至る泰代さんの場合には、著者はまず
ひも状に伸ばした粘土を一本、頭の上に置く。そして、また一本。
本人が次を期待し始めるのを見ながら、次々に頭の上に載せていく。
「重さが心の安定をもたらしてくれるのだろうか」という著者の観察に、
私はかつて訳したことのある感覚統合のテキストの一節を思い出した。(ちなみにこれ)
75ページに粘土のひもを何本も頭から垂らした泰代さんの写真がある。
服から出した顔はくつろぎ、うっすらと微笑んでいる。目には、そこはかとなくチャメまで漂う。
この本には、こうした素晴らしい表情や笑顔の写真が沢山おりこまれている。
一人ひとりの体臭まで立ち上ってきそうなほど生き生きした写真ばかりだ。
撮影者は著者自身。
田中氏はその後、粘土室にもみ殻や麦や大豆をもちこんで、
感覚遊びをさらに発展させていく。これもまた、まさに作業療法の世界――。
以前、OTさんの世界を仕事でちょっと覗かせてもらった時に感じたのだけれど、
作業療法というのは医療の中では最も患者にも患者の生活にも近いところにいて、
いわゆる「専門家」の世界に懐疑だらけの「重症障害児の母親」をやってきた私には
ずいぶん魅力的な領域に思えたものの、
作業療法の世界の人たちを見ていると、
もともとOT的な感性なのか資質なのかを持っている人が
教育や研修によって身につけた知識やノウハウや技術を通じて
自分の感性や資質を開花させた時にものすごい力を発揮するOTに化ける反面、
基本的なOT的感性なのか資質なのかを全く欠いた人が
教育や研修によって知識やノウハウや技術を身につけると、
知識やノウハウや技術に縛られてPTみたいなOTにしかならない……のかな、と思ったことがある。
それはどこかで、学校の先生とか医療職とか支援全般とか、
人と関わり人とかやり取りを通じて相手に働きかけていく仕事に就く人に
共通して言えることのような気がしないでもないのだけど、
そして、それはバイバイのエントリーのコメントで
yaguchiさんが書いてくださった「人と人とが相互作用するダイナミズム」に
通じていくとも思うのだけど、
そういうことも含めて、田中敬三という人は生まれながらの作業療法士、
それも感覚統合的な感性や資質をたっぷり持った人なんじゃないかなぁ……と思う。
ウンチを触って遊ぶ人と一緒に粘土でつくったウンチで遊んでみたり、
紙をちぎるのが好きな人には粘土の紙をいくつもちぎってもらって
その積み重ねが「作品」になったり、
著者は一人ひとりの「その人」をしっかり「見る」こと「感じる」ことから
その人と粘土のやりとりのヒントを見つけ、そこから、その人の感覚や遊びを広げていく。
あくまでも自分は媒体となって――。
中でも「わっ、すごいっ」と思わされた一人が
硬直型の寝たきりで、自由に動かせるのは左足だけ……といった英史さん。
彼は寝たまま左足裏の感覚だけで粘土を少しずつ長く伸ばすことを根気よく模索し、
ついに3メートルにも及ぶ粘土の巨大なヘビを作ることに成功する。
また田中氏が、いくつもできた彼の3メートルの作品を焼くために、
独自に窯を研究・工夫し、信楽まで出掛けて窯を解体する作業をしてはレンガを集めて
2年もかけて窯を作ってしまうと来る。
なかなか、ここまでできるものじゃない。
こんなことは研修や努力でできることでもない。
さらに、こういう人が職員にいたからといって、
重心施設の一角に「粘土室」を作って専従の職員に据える……などという
思い切った人の使い方ができる施設が、そもそも、なかなかあるものじゃない。
(さらにこの先は、そんな現場の裁量が許されない時代になっていくんだろうなぁ、悲しいなぁ……)
びわこ学園といえば、
「重い障害を生きるということ」の高谷清氏が園長を勤めた施設。
この本に描かれているびわこ学園は、高谷氏の前任者の時代のようだけれど、
高谷氏の新書で重症児・者について読む人たちに、ぜひこの本を合わせ読んでもらって、
この本にたくさん掲載されている写真で
「園生さん」たちが粘土と取り組む姿と表情を一人でも多くの人に見てもらって
こんなにも生き生きとした姿を見せる人たちのことを
初めて見た人の多くが恐らくは「何も分からない」「何もできない」人たちだと
何の疑いもなく思いこんでしまうのだという事実について、
そして「こういう人が生きていて幸せなのか」「生きているのはかわいそうではないか」と
勝手に思いを巡らせてしまうのだという事実について、
改めて考えてみてもらえたら、と思う。
【関連エントリー】
高谷清著「重い障害を生きるということ」メモ 1
また、ミュウを始め、私が直接知っている重症児者の姿を
ありのままに描いてみようとする試みのエントリーは
「A事件・重症障害児を語る方に」の書庫にあります。
この書庫のエントリーを読んでくださる方の中には
ミュウの障害はそれほど重くないようにイメージされる方も、
ミュウよりもっと重症の人だっている、とそちらを問題にされる方もあるかもしれませんが、
ミュウは、
初めて見る人の多くが「何も分からない子」と思いこまれるであろう、
寝たきり全介助、言葉を持たない24歳です。
知らない人が見たら「何も分からない」「何もできない」と思われてしまう、
(もしかしたら医師の中にだってそう考えている人がいるかもしれない)ミュウが、
実際は、こういう人として日々を暮らしているのだということの意味を考えていただければ。
そのことを全く失念したまま図書館へ行き、まったく別の本を探していたら、
棚のずいぶん下の方から誰かに呼ばれている感じがした。
で、なんとなく呼ばれるままに目をやったら、
そこにいたのが、この本だった。
「あらま、あんたってば、そんなところにいたの……」と驚き、
これはただの偶然ではあるまいと、さっそく借りて帰ったら、
やっぱり、なんとも素敵な本だった。
粘土でにゃにゅにょ 土が命のかたまりになった!
田中敬三著 岩波ジュニア新書
滋賀県の第二びわこ学園で
1979年から定年退職する2003年まで粘土室の主任を務めた田中敬三氏が、
びわこ学園の「園生さん」たち(と著者は当時の呼び方のまま書いている)が
粘土の世界で見せる素晴らしい笑顔や表情や変化をつづったもの。
それは例えば著者が以下のように総括する世界。
園生さんが好む硬さに粘土を練っておくのが私の仕事、また私は園生さんが好む「おもちゃ」の提供者にすぎません。造形という点からすれば、指導できない指導です。
園生さん一人ひとりに個性があって、表現方法にも個性があり、粘土でのあそび方や作品にもそれぞれの顔が出てくる。粘土は、その一人ひとりにうまく対処してくれたのです。
にゅるにゅる、ねちゃねちゃ、ぬるぬる、むにゅー。
「園生さんの粘土の世界は「な行」の世界やなぁ」
「だったら、「にゅにゅにょ」というのはどうや」
粘土活動の初めての記録冊子をつくる際、タイトルを考えていたら職員からそんなアイデアが出されました。粘土の世界は、「にゃにゅにょ」の世界。一人ひとりにあわせ、自在に変化する何ともおもしろい世界です。
(p.141-142)
それぞれに重い障害を持つ「園生さん」たち一人ひとりが、
どのようにして粘土と出会っていったか、
粘土とどのようにやりとりしながら、どんな作品を作り、
どんな表情を見せたか、丁寧につづられる文章を読み進んでいくと、
著者は作業療法士ではないけれど、
それでも生まれついての作業療法士だったんじゃないかなぁ、という気がしてくる。
なにしろ、この人は粘土室の初期から、
こんなことをさらりとやってしまう人なのだ。
……自発的に粘土にふれられない重度の障がいがある人には、反発力のある固い粘土はやはり受け入れがたいものでした。そこで私はクリームのようなキメの細かい粘土を用意しました。職員がこのつるつるの粘土で園生さんの手をなでます。これだと、重度の障がいをもつ園生さんも、手をひっこめることなく、心なしかうっとりして見えます。
次にこの粘土でお互いの手と手をくっつけ、引き離そうとしてみます。しかし、間に空気がなくすっかり密着してしまっていて、離そうにも離れません。このときの粘土は「接着剤」です。
手と手をくっつける時に空気が入っていれば、これを押すと、お互いの手の間から「オナラ」が出ます。プッという音、振動、空気の動く感触。重い障がいを持っている人でも、この思わぬ刺激をしっかり受け止めているようです。
(p.63,67)
そのため、目の見えない人も音や感触で粘土遊びに熱中する。
自閉傾向があり、服を何枚も頭からかぶって中から自分で締め上げて、
脱がそうとすると自傷行為に至る泰代さんの場合には、著者はまず
ひも状に伸ばした粘土を一本、頭の上に置く。そして、また一本。
本人が次を期待し始めるのを見ながら、次々に頭の上に載せていく。
「重さが心の安定をもたらしてくれるのだろうか」という著者の観察に、
私はかつて訳したことのある感覚統合のテキストの一節を思い出した。(ちなみにこれ)
75ページに粘土のひもを何本も頭から垂らした泰代さんの写真がある。
服から出した顔はくつろぎ、うっすらと微笑んでいる。目には、そこはかとなくチャメまで漂う。
この本には、こうした素晴らしい表情や笑顔の写真が沢山おりこまれている。
一人ひとりの体臭まで立ち上ってきそうなほど生き生きした写真ばかりだ。
撮影者は著者自身。
田中氏はその後、粘土室にもみ殻や麦や大豆をもちこんで、
感覚遊びをさらに発展させていく。これもまた、まさに作業療法の世界――。
以前、OTさんの世界を仕事でちょっと覗かせてもらった時に感じたのだけれど、
作業療法というのは医療の中では最も患者にも患者の生活にも近いところにいて、
いわゆる「専門家」の世界に懐疑だらけの「重症障害児の母親」をやってきた私には
ずいぶん魅力的な領域に思えたものの、
作業療法の世界の人たちを見ていると、
もともとOT的な感性なのか資質なのかを持っている人が
教育や研修によって身につけた知識やノウハウや技術を通じて
自分の感性や資質を開花させた時にものすごい力を発揮するOTに化ける反面、
基本的なOT的感性なのか資質なのかを全く欠いた人が
教育や研修によって知識やノウハウや技術を身につけると、
知識やノウハウや技術に縛られてPTみたいなOTにしかならない……のかな、と思ったことがある。
それはどこかで、学校の先生とか医療職とか支援全般とか、
人と関わり人とかやり取りを通じて相手に働きかけていく仕事に就く人に
共通して言えることのような気がしないでもないのだけど、
そして、それはバイバイのエントリーのコメントで
yaguchiさんが書いてくださった「人と人とが相互作用するダイナミズム」に
通じていくとも思うのだけど、
そういうことも含めて、田中敬三という人は生まれながらの作業療法士、
それも感覚統合的な感性や資質をたっぷり持った人なんじゃないかなぁ……と思う。
ウンチを触って遊ぶ人と一緒に粘土でつくったウンチで遊んでみたり、
紙をちぎるのが好きな人には粘土の紙をいくつもちぎってもらって
その積み重ねが「作品」になったり、
著者は一人ひとりの「その人」をしっかり「見る」こと「感じる」ことから
その人と粘土のやりとりのヒントを見つけ、そこから、その人の感覚や遊びを広げていく。
あくまでも自分は媒体となって――。
中でも「わっ、すごいっ」と思わされた一人が
硬直型の寝たきりで、自由に動かせるのは左足だけ……といった英史さん。
彼は寝たまま左足裏の感覚だけで粘土を少しずつ長く伸ばすことを根気よく模索し、
ついに3メートルにも及ぶ粘土の巨大なヘビを作ることに成功する。
また田中氏が、いくつもできた彼の3メートルの作品を焼くために、
独自に窯を研究・工夫し、信楽まで出掛けて窯を解体する作業をしてはレンガを集めて
2年もかけて窯を作ってしまうと来る。
なかなか、ここまでできるものじゃない。
こんなことは研修や努力でできることでもない。
さらに、こういう人が職員にいたからといって、
重心施設の一角に「粘土室」を作って専従の職員に据える……などという
思い切った人の使い方ができる施設が、そもそも、なかなかあるものじゃない。
(さらにこの先は、そんな現場の裁量が許されない時代になっていくんだろうなぁ、悲しいなぁ……)
びわこ学園といえば、
「重い障害を生きるということ」の高谷清氏が園長を勤めた施設。
この本に描かれているびわこ学園は、高谷氏の前任者の時代のようだけれど、
高谷氏の新書で重症児・者について読む人たちに、ぜひこの本を合わせ読んでもらって、
この本にたくさん掲載されている写真で
「園生さん」たちが粘土と取り組む姿と表情を一人でも多くの人に見てもらって
こんなにも生き生きとした姿を見せる人たちのことを
初めて見た人の多くが恐らくは「何も分からない」「何もできない」人たちだと
何の疑いもなく思いこんでしまうのだという事実について、
そして「こういう人が生きていて幸せなのか」「生きているのはかわいそうではないか」と
勝手に思いを巡らせてしまうのだという事実について、
改めて考えてみてもらえたら、と思う。
【関連エントリー】
高谷清著「重い障害を生きるということ」メモ 1
また、ミュウを始め、私が直接知っている重症児者の姿を
ありのままに描いてみようとする試みのエントリーは
「A事件・重症障害児を語る方に」の書庫にあります。
この書庫のエントリーを読んでくださる方の中には
ミュウの障害はそれほど重くないようにイメージされる方も、
ミュウよりもっと重症の人だっている、とそちらを問題にされる方もあるかもしれませんが、
ミュウは、
初めて見る人の多くが「何も分からない子」と思いこまれるであろう、
寝たきり全介助、言葉を持たない24歳です。
知らない人が見たら「何も分からない」「何もできない」と思われてしまう、
(もしかしたら医師の中にだってそう考えている人がいるかもしれない)ミュウが、
実際は、こういう人として日々を暮らしているのだということの意味を考えていただければ。
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