「『いのちの思想』を掘り起こす-生命倫理の再生に向けて」
安藤泰至編著 岩波書店
読んだ時に、
アカデミックな議論の内容については
正直まったくついていくことができなかったので、
こんなド素人が書評を書いていいんだろうか……と迷った。
でも、読みながら、言いたいことだけは喉元に群がり起こっていたので、
思い切って、そのこと(だけ?)を書かせてもらった。
生命倫理を問い直すのはアカデミックな世界の住民の特権じゃないはずだ……という思いを
そうか、私はAshley事件と出会ってからのリサーチと物思いの中でずっと抱えていたんだ……と、
この本を読んで気付かせてもらった。
生命倫理が脅かしているのが、私たちや私たちの家族の身体や命なのであれば、
生命倫理は、学者でも思想家でもない私たちによってこそ、問い直されるべきではないか。
この書評を書くことで、これまで言葉になっていなかった問題意識を
くっきりと言葉で捉えることができた。
振り返ってみたら、
拙著「アシュリー事件」でもOuelletteの新刊の紹介エントリーでも、
私が言いたかったことの1つは、このことだったような気がする。
気づいてみれば、学者でも思想家でもない私が厚かましくも
生命倫理をタイトルに謳ったブログをやり続けていることそのものが
最初からそういう問題意識だったことを物語っている。
はっきりと言葉で捉えることができた以上、
来年は、このことをしっかり考えてみよう、と念じつつ、
この書評を2011年の締めくくりのエントリーに――。
本書は5章構成で、「狭い意味での『生命倫理学者』ではない」が生命倫理のあたりで(も)仕事をしている学者が1章ずつ担当している。最初の4章では「いのちの思想」として、上原專祿(戦後の歴史学者)、田中美津(70年代ウーマン・リブの牽引者)、中川米造(医学哲学者)、岡村昭彦(報道写真家)という4人の人生の軌跡と思想とを紹介・考察し、最後の章は、生命倫理が日本にどのようにもたらされてきたか、開拓者たちの思想や背景を歴史的に概観する。
その問題意識とは、副題にあるように「生命倫理は再生されなければならない」というものだ。編著者の安藤泰至は「序にかえて」で早々に「生命倫理(学)は、医学や医療あるいは生命科学研究をめぐるシステムの一部として、それに付随するある種の『手続き』のようなものになり下がりつつ」あると指摘する。1章の終りでも、具体的な事例を挙げて生命倫理学や生命倫理学者の欺瞞性に鋭く切り込んでいる。それなら何故、生命倫理と直接の繋がりのない思想家をわざわざ引っ張り出して論じるといった迂遠なことをやらなければならないのだろう……? そんな怪訝な思いにかられる。
しかも2章では、幼時の性的虐待という原体験をもつ田中美津が、一歩も逃げずにその痛みを自分のものとして引き受け、女である「私という真実」をまるごと生きようとする生きざまに息を飲むうち、生命倫理そのものがいつか念頭から消え去ってしまう。
その後、常に弱者の側に立って近代医療を批判した「中川医療慨論」、世界を舞台に仕事をしながら差別と人権の問題にこだわり続けてバイオエシックスと出会った岡村へと、人物の生きた軌跡はまた生命倫理へと接近していく。読者には少しずつ、なぜ彼らを引っ張り出さなければならなかったのか、なぜそれらが平仮名で「いのちの思想」と呼ばれるのかが、おそらくは体感として腑に落ちていくだろう。そこに著者らの見事な仕掛けがある。
5章で印象的なのは、“輸入”された生命倫理を日本の文化風土から問い直そうとした森岡正博が、ウーマン・リブと障害者運動と出会い、日本では70年代から独自に生命倫理の議論が開始されていたことを発見する下りだ。日本の生命倫理はそこでぐるりと田中美津に繋がり戻され、その“原点”から現在のあり方を照らし返す。
読了後、4章から1章へと逆方向に読み返してみたいと思った。4人を逆にたどった、その先には、学者でも思想家でもない「私たち」がいるのではないか、という気がしたのだ。普遍的で大きな「いのち」と繋がりそこに包まれつつ、この抜き差しならない小さな「いのち」を生きる私の痛みと怒りと悲しみと、そこから生まれる祈り――。そんな私たち一人一人によってこそ、生命倫理は問い直され、再生を求められるべきではないのだろうか。
なぜならば編著者が書いているように、家族の「脳死」臓器提供をするか否かの「選択」を迫られる時に、その「『選択肢』が既に医療とそれをめぐるシステムによって制限され、狭められた形で提供されているにすぎないこと」が見えなくされているのは、他ならぬ私たちなのだから。
「介護保険情報」2011年12月号 P. 17
安藤泰至編著 岩波書店
読んだ時に、
アカデミックな議論の内容については
正直まったくついていくことができなかったので、
こんなド素人が書評を書いていいんだろうか……と迷った。
でも、読みながら、言いたいことだけは喉元に群がり起こっていたので、
思い切って、そのこと(だけ?)を書かせてもらった。
生命倫理を問い直すのはアカデミックな世界の住民の特権じゃないはずだ……という思いを
そうか、私はAshley事件と出会ってからのリサーチと物思いの中でずっと抱えていたんだ……と、
この本を読んで気付かせてもらった。
生命倫理が脅かしているのが、私たちや私たちの家族の身体や命なのであれば、
生命倫理は、学者でも思想家でもない私たちによってこそ、問い直されるべきではないか。
この書評を書くことで、これまで言葉になっていなかった問題意識を
くっきりと言葉で捉えることができた。
振り返ってみたら、
拙著「アシュリー事件」でもOuelletteの新刊の紹介エントリーでも、
私が言いたかったことの1つは、このことだったような気がする。
気づいてみれば、学者でも思想家でもない私が厚かましくも
生命倫理をタイトルに謳ったブログをやり続けていることそのものが
最初からそういう問題意識だったことを物語っている。
はっきりと言葉で捉えることができた以上、
来年は、このことをしっかり考えてみよう、と念じつつ、
この書評を2011年の締めくくりのエントリーに――。
本書は5章構成で、「狭い意味での『生命倫理学者』ではない」が生命倫理のあたりで(も)仕事をしている学者が1章ずつ担当している。最初の4章では「いのちの思想」として、上原專祿(戦後の歴史学者)、田中美津(70年代ウーマン・リブの牽引者)、中川米造(医学哲学者)、岡村昭彦(報道写真家)という4人の人生の軌跡と思想とを紹介・考察し、最後の章は、生命倫理が日本にどのようにもたらされてきたか、開拓者たちの思想や背景を歴史的に概観する。
その問題意識とは、副題にあるように「生命倫理は再生されなければならない」というものだ。編著者の安藤泰至は「序にかえて」で早々に「生命倫理(学)は、医学や医療あるいは生命科学研究をめぐるシステムの一部として、それに付随するある種の『手続き』のようなものになり下がりつつ」あると指摘する。1章の終りでも、具体的な事例を挙げて生命倫理学や生命倫理学者の欺瞞性に鋭く切り込んでいる。それなら何故、生命倫理と直接の繋がりのない思想家をわざわざ引っ張り出して論じるといった迂遠なことをやらなければならないのだろう……? そんな怪訝な思いにかられる。
しかも2章では、幼時の性的虐待という原体験をもつ田中美津が、一歩も逃げずにその痛みを自分のものとして引き受け、女である「私という真実」をまるごと生きようとする生きざまに息を飲むうち、生命倫理そのものがいつか念頭から消え去ってしまう。
その後、常に弱者の側に立って近代医療を批判した「中川医療慨論」、世界を舞台に仕事をしながら差別と人権の問題にこだわり続けてバイオエシックスと出会った岡村へと、人物の生きた軌跡はまた生命倫理へと接近していく。読者には少しずつ、なぜ彼らを引っ張り出さなければならなかったのか、なぜそれらが平仮名で「いのちの思想」と呼ばれるのかが、おそらくは体感として腑に落ちていくだろう。そこに著者らの見事な仕掛けがある。
5章で印象的なのは、“輸入”された生命倫理を日本の文化風土から問い直そうとした森岡正博が、ウーマン・リブと障害者運動と出会い、日本では70年代から独自に生命倫理の議論が開始されていたことを発見する下りだ。日本の生命倫理はそこでぐるりと田中美津に繋がり戻され、その“原点”から現在のあり方を照らし返す。
読了後、4章から1章へと逆方向に読み返してみたいと思った。4人を逆にたどった、その先には、学者でも思想家でもない「私たち」がいるのではないか、という気がしたのだ。普遍的で大きな「いのち」と繋がりそこに包まれつつ、この抜き差しならない小さな「いのち」を生きる私の痛みと怒りと悲しみと、そこから生まれる祈り――。そんな私たち一人一人によってこそ、生命倫理は問い直され、再生を求められるべきではないのだろうか。
なぜならば編著者が書いているように、家族の「脳死」臓器提供をするか否かの「選択」を迫られる時に、その「『選択肢』が既に医療とそれをめぐるシステムによって制限され、狭められた形で提供されているにすぎないこと」が見えなくされているのは、他ならぬ私たちなのだから。
「介護保険情報」2011年12月号 P. 17
2012.01.13 / Top↑
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