去年のちょうど今ごろ、
ミュウは生まれて初めてのぜんそく発作を起こして、
久しぶりに「今度こそダメかと思ったぁぁ」エピソードを更新した。
ディズニー・オン・アイスに行くことにしていたのだけれど、
酸素マスクにサチュレーション・モニター装着ではどうにもならない。
園に入所している方の中で誰か連れて行ってもらえる人があったら、差し上げてください、と、
スタッフにチケットを託すことにした。
ベッドのミュウは「えーっ!!」と、顔で盛大に抗議したけれど、
「この状態じゃぁ、どうしたって行かれまー。
今年は誰か行かれる人に行ってもろーて、ミュウは来年いこうや。
その代わり、来年は必ずいこうね」というと、
しぶしぶ「ハ」と納得した。
なので、今年は春にチラシを見た時に
すぐさま事務局に「車いす席を!」と勢い込んで電話して、
冷たく「チケットの売り出しはまだ先です」と返されるくらいに、
「今年は行くぞ!」気分満々だった。
無事にチケットを買い、
中休みには、おむつ交換のために
授乳室を使わせてもらえるよう段取りもちゃんとつけた。
そして、先週末にミュウが帰ってきた時に
「いよいよ来週じゃねー。去年いけんかった分、楽しもうぜぇ」と盛り上げたところだったんである。
で、つい3日前のこと――。
「突然、全身にじんましんが出て、顔までむくんでいるので点滴をしたい」と
療育園から電話がかかってきた。「本人はいたって元気なので、ご安心を」とのこと。
電話を受けた父親の談では、ドクターの声の背後で
テレビだかDVDだかに大騒ぎしている娘の歓声が響き渡っていたというから、
まぁ、さほど心配はしなかったけれど、
あっちゃ~。ディズニーがぁぁぁ……。
いやいや、まだ日にちはある。大丈夫。
イヤな予感は、そう考えて宥めた。
……で、今朝。
どうやら、まだ、じんましんは出たり引っ込んだりしているらしい。
むくみのために採血も大変だったという。そうか。まだむくんでいるか……。
帰省はドクターからOKが出そうだけれど、
ディズニーを、どうする……?
間の悪いことに、日曜日には台風の暴風圏に入るとの情報もある。大雨はまず間違いなし。
もしも諦めて、誰か園の入所者の方に行ってもらうとしたら、
明後日のこととて決断を急ぎ、行ける人を当たってもらわなければならない。
私の頭には、
去年のまさにこの時期のぜんそくで
酸欠となり白目を剥いた娘の姿がよみがえっている。
じんましんが収まりきっていない状態で連れて行き、
台風で予測不能な事態もあり得る中、万が一にもぜんそくでも起こしたら……。
やめよう。来年にしよう。
夫婦で話し合って、そう決めた。
園に電話をかけ、
誰か、行ける方があれば行ってもらってください、と当たってもらうよう依頼した。
「家族が連れて行ける人がなかったらチケットは捨てますから」と言ったら、
電話に出た園の幹部は「家族に聞いてみてダメなら、あとは、
こちらから連れて行ってあげるか、ですね」と応えてくれた。
その言葉が嬉しかった。
もしもスタッフが出てくれるのなら(ボランティアになるのかもしれないけど)
日頃あまり外出できない子どもさんを連れて行ってあげてもらえたら、と思った。
よかった。……と、電話を切って、しばし……。
この間ずっと、「なにか」重苦しいものが心に引っかかっていた。
意識の上にはなかなか上ってこないけど、心がザワついてしまう「なにか」――。
……!
ミュウだ!
去年は、命が危ぶまれる状況もあって毎日通っていた。
だから「ディズニー中止」を決めたのもミュウのベッドサイドでのことだった。
スタッフとその話をしながらミュウの抗議を受けて、その場で説明し、ミュウも納得した。
でも、さっき私たちは
ミュウには断りも相談もなく勝手に決めてしまった!!
いかん!!
「今からミュウのところへ話をしに行ってくる。
親が勝手に決めてしもーたけん」
夫にメールを入れ、急ぎパソコンをシャットダウン。
今日の仕事の予定なんぞ、くっそぉ。このさいチャラよ。
夫からも
「たしかに。じゃぁ、ミュウによろしく!」と即座の返信。
そだ。“病人部屋”でテレビを独占させてもらっているなら
「おかあさんといっしょ ファミリーコンサート」DVDの新しいのを持っていってやろう。
そそくさと着替えて、車に飛び乗る。
ちょうど、お昼前でもある。
どうせ行くなら、お昼ごはんに間に合って食べさせてやりたい。
なんだか急いで取り返さなければならない者があるみたいに気持ちがせいて、
コンビニで買ったおむすびをかじりながら園に急ぐ。
着いたら、
看護師さんの介助でもう8割がた食べ終えていたけれど、食欲は旺盛。
足はまだむくんでいるものの、顔のむくみも赤みも引いていた。
あー、えかったぁ。顔見たら安心したぁ~。
いきなり現れた母親に、ミュウは固まっている。
ふっふ、ええもの持ってきたでぇ。ジャーン。
DVDを取り出すと、ミュウはいっそう驚愕の表情で固まる。
(これが喜びの表情だというのは、慣れぬ人にはたいそう分かりにくい)
食事介助を代わって、2人になってから、
おもむろに本題を切り出してみる。
ミュウちゃん、明後日のディズニー、
すっごく残念じゃけど、またまた来年ってことにせん?
ちょっと、この状態じゃぁ、行かれんじゃろーじゃない。
ミュウは気抜けするほど素直に「ハ」と言った。
自分でもこりゃダメだと思っていたのかもしれない。
その代わり、来年こそ絶対に行こうな。「ハ」。
ゴハンの後、ベッドにくっついて寝ころび、
親の方はとっくに見飽きた「おかあさんといっしょ ファミリーコンサート」を見る。
昼下がりの療育園の詰め所奥の部屋は、
親子でそっとしておいてくださる皆さんの心遣いで、
立ち働く職員の方々の声や気配をうっすらと感じつつ、眠くてのどかな時空間。
時々まぶたが閉じそうになっているくせに、
誰かが新たに舞台に登場すると「わ、出たよ、おかあさん」と
イチイチ感動とともに振りむいて知らせてくれるミュウに付き合いながら、
私も時々うとうとする。
コンサートが終わった後、
本格的なお昼寝の体制を整えてやり、
「明日の晩、お父さんと迎えに来るけんね」。
眠気でぼお――としたミュウは、
それでもバイバイの腕を振り上げてみせた。
―――――
自分から求めたつもりは全然ないのに、
いつのまにか気が付いたら、障害者自立生活運動の人たちの世界の
真っただ中みたいなところに、迷い込んでしまっていた。
それ以来、私の頭の中はなんだかわけがわからないまま、
痛くてならないことだらけになった。
一体なんの祟りかと思うほどに
この人たちと出会ってから私は苦しくてならない。
この人たちは重心のことなんか何も知っていなくて分かっていなくて、
知らないし分からない人には自分は分かってないということが分からないのが常だから
そこのところが、なかなか分かってはもらえなくて、通じなくて、
重心の話をしているのに平気で身障の文脈で返されて、否定されて、
別にそんなこと言っていないのに単に運動を批判していると決めつけられて、
だから、この人たちの言うことは私にはイチイチ気にくわないことばっかりで、
その通じなさに一人で悶絶しては「もう知らんわっ!」と何度ブチ切れたか分からない。
でも、この人たちの言葉と出会わなかったら、
私はたぶん「いかん! 勝手に決めてしもた!」と気付くことはなかったと思う。
父親の方だって即座に「たしかに」と返すことはなかったと思う。
だから、今も気に食わないことはいっぱいあるんだけど、
だから、これからも「もう知らん!」と何度も思うのはゼッタイ間違いないのだけれど、
だから、もしかしたら、
自分の心身の安定を守るためにも、他人さまに迷惑をかけないためにも
そろそろ「さようなら」と言う方がよいのでは、という気がしてもいるのだけれど、
でも、出会えたことに、感謝している。
ミュウは生まれて初めてのぜんそく発作を起こして、
久しぶりに「今度こそダメかと思ったぁぁ」エピソードを更新した。
ディズニー・オン・アイスに行くことにしていたのだけれど、
酸素マスクにサチュレーション・モニター装着ではどうにもならない。
園に入所している方の中で誰か連れて行ってもらえる人があったら、差し上げてください、と、
スタッフにチケットを託すことにした。
ベッドのミュウは「えーっ!!」と、顔で盛大に抗議したけれど、
「この状態じゃぁ、どうしたって行かれまー。
今年は誰か行かれる人に行ってもろーて、ミュウは来年いこうや。
その代わり、来年は必ずいこうね」というと、
しぶしぶ「ハ」と納得した。
なので、今年は春にチラシを見た時に
すぐさま事務局に「車いす席を!」と勢い込んで電話して、
冷たく「チケットの売り出しはまだ先です」と返されるくらいに、
「今年は行くぞ!」気分満々だった。
無事にチケットを買い、
中休みには、おむつ交換のために
授乳室を使わせてもらえるよう段取りもちゃんとつけた。
そして、先週末にミュウが帰ってきた時に
「いよいよ来週じゃねー。去年いけんかった分、楽しもうぜぇ」と盛り上げたところだったんである。
で、つい3日前のこと――。
「突然、全身にじんましんが出て、顔までむくんでいるので点滴をしたい」と
療育園から電話がかかってきた。「本人はいたって元気なので、ご安心を」とのこと。
電話を受けた父親の談では、ドクターの声の背後で
テレビだかDVDだかに大騒ぎしている娘の歓声が響き渡っていたというから、
まぁ、さほど心配はしなかったけれど、
あっちゃ~。ディズニーがぁぁぁ……。
いやいや、まだ日にちはある。大丈夫。
イヤな予感は、そう考えて宥めた。
……で、今朝。
どうやら、まだ、じんましんは出たり引っ込んだりしているらしい。
むくみのために採血も大変だったという。そうか。まだむくんでいるか……。
帰省はドクターからOKが出そうだけれど、
ディズニーを、どうする……?
間の悪いことに、日曜日には台風の暴風圏に入るとの情報もある。大雨はまず間違いなし。
もしも諦めて、誰か園の入所者の方に行ってもらうとしたら、
明後日のこととて決断を急ぎ、行ける人を当たってもらわなければならない。
私の頭には、
去年のまさにこの時期のぜんそくで
酸欠となり白目を剥いた娘の姿がよみがえっている。
じんましんが収まりきっていない状態で連れて行き、
台風で予測不能な事態もあり得る中、万が一にもぜんそくでも起こしたら……。
やめよう。来年にしよう。
夫婦で話し合って、そう決めた。
園に電話をかけ、
誰か、行ける方があれば行ってもらってください、と当たってもらうよう依頼した。
「家族が連れて行ける人がなかったらチケットは捨てますから」と言ったら、
電話に出た園の幹部は「家族に聞いてみてダメなら、あとは、
こちらから連れて行ってあげるか、ですね」と応えてくれた。
その言葉が嬉しかった。
もしもスタッフが出てくれるのなら(ボランティアになるのかもしれないけど)
日頃あまり外出できない子どもさんを連れて行ってあげてもらえたら、と思った。
よかった。……と、電話を切って、しばし……。
この間ずっと、「なにか」重苦しいものが心に引っかかっていた。
意識の上にはなかなか上ってこないけど、心がザワついてしまう「なにか」――。
……!
ミュウだ!
去年は、命が危ぶまれる状況もあって毎日通っていた。
だから「ディズニー中止」を決めたのもミュウのベッドサイドでのことだった。
スタッフとその話をしながらミュウの抗議を受けて、その場で説明し、ミュウも納得した。
でも、さっき私たちは
ミュウには断りも相談もなく勝手に決めてしまった!!
いかん!!
「今からミュウのところへ話をしに行ってくる。
親が勝手に決めてしもーたけん」
夫にメールを入れ、急ぎパソコンをシャットダウン。
今日の仕事の予定なんぞ、くっそぉ。このさいチャラよ。
夫からも
「たしかに。じゃぁ、ミュウによろしく!」と即座の返信。
そだ。“病人部屋”でテレビを独占させてもらっているなら
「おかあさんといっしょ ファミリーコンサート」DVDの新しいのを持っていってやろう。
そそくさと着替えて、車に飛び乗る。
ちょうど、お昼前でもある。
どうせ行くなら、お昼ごはんに間に合って食べさせてやりたい。
なんだか急いで取り返さなければならない者があるみたいに気持ちがせいて、
コンビニで買ったおむすびをかじりながら園に急ぐ。
着いたら、
看護師さんの介助でもう8割がた食べ終えていたけれど、食欲は旺盛。
足はまだむくんでいるものの、顔のむくみも赤みも引いていた。
あー、えかったぁ。顔見たら安心したぁ~。
いきなり現れた母親に、ミュウは固まっている。
ふっふ、ええもの持ってきたでぇ。ジャーン。
DVDを取り出すと、ミュウはいっそう驚愕の表情で固まる。
(これが喜びの表情だというのは、慣れぬ人にはたいそう分かりにくい)
食事介助を代わって、2人になってから、
おもむろに本題を切り出してみる。
ミュウちゃん、明後日のディズニー、
すっごく残念じゃけど、またまた来年ってことにせん?
ちょっと、この状態じゃぁ、行かれんじゃろーじゃない。
ミュウは気抜けするほど素直に「ハ」と言った。
自分でもこりゃダメだと思っていたのかもしれない。
その代わり、来年こそ絶対に行こうな。「ハ」。
ゴハンの後、ベッドにくっついて寝ころび、
親の方はとっくに見飽きた「おかあさんといっしょ ファミリーコンサート」を見る。
昼下がりの療育園の詰め所奥の部屋は、
親子でそっとしておいてくださる皆さんの心遣いで、
立ち働く職員の方々の声や気配をうっすらと感じつつ、眠くてのどかな時空間。
時々まぶたが閉じそうになっているくせに、
誰かが新たに舞台に登場すると「わ、出たよ、おかあさん」と
イチイチ感動とともに振りむいて知らせてくれるミュウに付き合いながら、
私も時々うとうとする。
コンサートが終わった後、
本格的なお昼寝の体制を整えてやり、
「明日の晩、お父さんと迎えに来るけんね」。
眠気でぼお――としたミュウは、
それでもバイバイの腕を振り上げてみせた。
―――――
自分から求めたつもりは全然ないのに、
いつのまにか気が付いたら、障害者自立生活運動の人たちの世界の
真っただ中みたいなところに、迷い込んでしまっていた。
それ以来、私の頭の中はなんだかわけがわからないまま、
痛くてならないことだらけになった。
一体なんの祟りかと思うほどに
この人たちと出会ってから私は苦しくてならない。
この人たちは重心のことなんか何も知っていなくて分かっていなくて、
知らないし分からない人には自分は分かってないということが分からないのが常だから
そこのところが、なかなか分かってはもらえなくて、通じなくて、
重心の話をしているのに平気で身障の文脈で返されて、否定されて、
別にそんなこと言っていないのに単に運動を批判していると決めつけられて、
だから、この人たちの言うことは私にはイチイチ気にくわないことばっかりで、
その通じなさに一人で悶絶しては「もう知らんわっ!」と何度ブチ切れたか分からない。
でも、この人たちの言葉と出会わなかったら、
私はたぶん「いかん! 勝手に決めてしもた!」と気付くことはなかったと思う。
父親の方だって即座に「たしかに」と返すことはなかったと思う。
だから、今も気に食わないことはいっぱいあるんだけど、
だから、これからも「もう知らん!」と何度も思うのはゼッタイ間違いないのだけれど、
だから、もしかしたら、
自分の心身の安定を守るためにも、他人さまに迷惑をかけないためにも
そろそろ「さようなら」と言う方がよいのでは、という気がしてもいるのだけれど、
でも、出会えたことに、感謝している。
2012.09.29 / Top↑
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