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有機的統合性に基づく脳死定義へのアラン・シューモンの批判といえば、
日本で臓器移植問題に興味のある人が思い出すのは小松美彦氏の「脳死・臓器移植の本当の話」(PHP新書)。

小松氏の「有機的統合性」概念批判の概要はこちらに ↓
有機的統合性は“脳死=人の死”の根拠にはなりえない?

そのAlan Shewmonの擁護論を、
Journal of Medicine and Philosophyの最新号で
E. Christian Bruggerという生命倫理学者が書いた。

長すぎて要約不能だとしてBioEdgeは結論のみ。

Cookの文章に沿ってなぞってみると、

生きている状態というのは
身体全体が有機的な統合体として生理的に機能できている状態であり、
その統合をつかさどっているのが脳であるとして
バーバード大学の脳死判定基準を認めた大統領生命倫理評議会の結論は、

その基準での脳死判定では脳死とされる状態でありながら
有機的統合体であり続ける症例を多数挙げて、
有機的統合性をつかさどるのは脳ではなく、
a property of the whole organism (生命体全体としての働き?)である、との
シューモンの疑念に論駁しきれていない、として、

Bruggerは
「脳死」は人の死ではなく一臓器の死に過ぎないのでは、と書き、

「これらの疑いが取り除かれるまで、慎重を期し、
脳死とされる人達を生きている者として扱うことが倫理的に妥当」と結論。

Questions hover over “brain death,” says US bioethicist
BioEdge, March 23, 2013
2013.03.29 / Top↑
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