『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』
責任編集: 安藤泰至・高橋都
丸善出版 6090円
40名の編集委員と総勢約270名の執筆者による丸善の一大プロジェクト『シリーズ生命倫理学』(全20巻)の第4巻『終末期医療』が、昨年末に刊行された。編著者は安藤泰至(宗教学・死生学)と高橋都(内科学・精神腫瘍学)。
「終末期医療」と聞けば、即座に「過剰な延命治療」、その「差し控え」や「中止」、「胃ろうの是非」「リヴィング・ウィル」「尊厳死」、「平穏死」などのキーワードが浮かぶ人も多いだろう。それほど「いかに死ぬ(死なせる)べきか」は昨今すっかり国民的関心事になった。そんな時に世に放たれた(と敢えて表現したくなる)この一冊、挑戦的な書である。
読者はまず安藤による第1章「医療にとって『死』とはなにか?」で大きく揺さぶりをかけられるだろう。
そこで指摘されるのは、死を病院に囲い込む「死の医療化」への反省から生まれたホスピスやスピリチュアルケアですら「死や死にゆく人を巡るケアの医療化」に終わりかねない陥穽なのだ。それを避けるためには、「新しい医療の文化」が必要だと安藤は提案する。
第2章以下、14名の医療者や人文社会系研究者らが、それぞれ意思決定モデル、ホスピス、高齢者医療、小児科医療、植物状態患者ケア、スピリチュアルケア、グリーフケア、死の教育など多角的な視点から刺激的な考察を展開している。
印象的なのは、どの章も巷に流布する「終末期を巡る議論」への重い問い返しとなっていること。例えば、ホスピス看護師らは過剰な医療を望む家族に、素人の無知・無理解ではなく家族の辛さや無力感を読みとり、ケアへの参加を促すことを通じて家族をケアする姿勢を獲得していく。「終末期を生きる患者および家族」と捉える眼差しが温かい。植物状態患者に対する看護師らの捉え方は、関わりを深めるにつれ「何も分からない人」から「分かっている人」へと変わっていく。変わるのは医療職の方なのだ。
「自然な死」という言説の危うさも指摘される。「自然か技術か」の二項対立では、死にゆく自然なプロセスには「むしろ適正な医療技術の介入が必要」なことが看過されてしまう。
ホスピスにいると「テンションが下がる」と在宅に戻った患者のインタビューから浮き彫りになるのは、相矛盾した思いの間で揺らぎつつ終末期を生きる患者の生の複雑さと豊かさ。そして、そのような存在を「死にゆく人」と矮小化し、意思決定の問題を単に「周辺的な技術の問題へと切り詰めていく」医療の眼差しとの溝である。医療職による「洗練された管理システム」を通じた「よき死」への誘導の危険性が、そこに潜んでいる。
最後に、編著者らによる第12、13章は思い切った表現や指摘にまで踏み込んで、医療が目指すところを医療そのものが阻害するかのごとき「悪しき医療の文化」を容赦なくあぶり出す。そして患者や家族が人として尊重され、「見捨てられた」と感じることのない「新しい医療の文化」の創出に向け、多くの貴重な提言を行っている。
考えるべきは本当に「いかに死ぬ(死なせる)か」でしかないのか――。「尊厳死」や「平穏死」「自然死」を語ろうとする前に、この本を読み、もう一度しっかり考えたい。
「介護保険情報」2013年3月号 p.55
なお、この書評を書く前に、
いくつかの章ごとのメモを以下の6つのエントリーにしております。
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 1(2013/1/17)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 2(2013/1/17)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 3(2013/1/18)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 4(2013/1/28)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 5(2013/1/29)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 6:「新しい医療の文化」とは「重心医療の文化」だった!!(2013/2/5)
責任編集: 安藤泰至・高橋都
丸善出版 6090円
40名の編集委員と総勢約270名の執筆者による丸善の一大プロジェクト『シリーズ生命倫理学』(全20巻)の第4巻『終末期医療』が、昨年末に刊行された。編著者は安藤泰至(宗教学・死生学)と高橋都(内科学・精神腫瘍学)。
「終末期医療」と聞けば、即座に「過剰な延命治療」、その「差し控え」や「中止」、「胃ろうの是非」「リヴィング・ウィル」「尊厳死」、「平穏死」などのキーワードが浮かぶ人も多いだろう。それほど「いかに死ぬ(死なせる)べきか」は昨今すっかり国民的関心事になった。そんな時に世に放たれた(と敢えて表現したくなる)この一冊、挑戦的な書である。
読者はまず安藤による第1章「医療にとって『死』とはなにか?」で大きく揺さぶりをかけられるだろう。
そこで指摘されるのは、死を病院に囲い込む「死の医療化」への反省から生まれたホスピスやスピリチュアルケアですら「死や死にゆく人を巡るケアの医療化」に終わりかねない陥穽なのだ。それを避けるためには、「新しい医療の文化」が必要だと安藤は提案する。
第2章以下、14名の医療者や人文社会系研究者らが、それぞれ意思決定モデル、ホスピス、高齢者医療、小児科医療、植物状態患者ケア、スピリチュアルケア、グリーフケア、死の教育など多角的な視点から刺激的な考察を展開している。
印象的なのは、どの章も巷に流布する「終末期を巡る議論」への重い問い返しとなっていること。例えば、ホスピス看護師らは過剰な医療を望む家族に、素人の無知・無理解ではなく家族の辛さや無力感を読みとり、ケアへの参加を促すことを通じて家族をケアする姿勢を獲得していく。「終末期を生きる患者および家族」と捉える眼差しが温かい。植物状態患者に対する看護師らの捉え方は、関わりを深めるにつれ「何も分からない人」から「分かっている人」へと変わっていく。変わるのは医療職の方なのだ。
「自然な死」という言説の危うさも指摘される。「自然か技術か」の二項対立では、死にゆく自然なプロセスには「むしろ適正な医療技術の介入が必要」なことが看過されてしまう。
ホスピスにいると「テンションが下がる」と在宅に戻った患者のインタビューから浮き彫りになるのは、相矛盾した思いの間で揺らぎつつ終末期を生きる患者の生の複雑さと豊かさ。そして、そのような存在を「死にゆく人」と矮小化し、意思決定の問題を単に「周辺的な技術の問題へと切り詰めていく」医療の眼差しとの溝である。医療職による「洗練された管理システム」を通じた「よき死」への誘導の危険性が、そこに潜んでいる。
最後に、編著者らによる第12、13章は思い切った表現や指摘にまで踏み込んで、医療が目指すところを医療そのものが阻害するかのごとき「悪しき医療の文化」を容赦なくあぶり出す。そして患者や家族が人として尊重され、「見捨てられた」と感じることのない「新しい医療の文化」の創出に向け、多くの貴重な提言を行っている。
考えるべきは本当に「いかに死ぬ(死なせる)か」でしかないのか――。「尊厳死」や「平穏死」「自然死」を語ろうとする前に、この本を読み、もう一度しっかり考えたい。
「介護保険情報」2013年3月号 p.55
なお、この書評を書く前に、
いくつかの章ごとのメモを以下の6つのエントリーにしております。
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 1(2013/1/17)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 2(2013/1/17)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 3(2013/1/18)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 4(2013/1/28)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 5(2013/1/29)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 6:「新しい医療の文化」とは「重心医療の文化」だった!!(2013/2/5)
2013.04.07 / Top↑
| Home |