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健康保険証カードが更新になったといって、
夫が新しくなった青色のカードを持って帰った。

家族3人分。

ウラ面ひっくり返して、びっくり。
なんとドナーカードになっている。

真っ先に感じたのは「無理やり選択を迫られている」感。

先の参議院の参考人意見陳述で
森岡正博氏が上げておられた「迷うことができるという自由」という言葉を思い出す。

意思表示そのものにコミットしたくない、という選択だってあるのに。

もちろん、書かずに放っておくという手はあるのかもしれないけど
今回の法改正議論でかなり警戒感が強くなっているから
私たち夫婦はそれぞれ「提供しません」にチェックし
個人情報保護シールを貼った。

これだって、こんな形で選択を迫られなかったら、
「しません!」とわざわざコミットすることなく、
曖昧なところに距離を置いて居座り続けたかもしれないのだけど、
こんな形で迫ってくることへの抗議を形にしたくなる、というか。

このシールは一度はがしたら、二度と貼れないと書いてある。

緊急搬送された患者の提供意思の有無が
救命治療に影響しないよう、ズルして覗き込めないように?

じゃぁ、もし万一、「やっぱり提供しようかな」と気持ちが変わった時には
新しい保険証カードを発行してもらって裏を書き直し、
改めてシールで隠す段取りになるんだろうか。

でも、逆に、いったん「提供します」にチェックして封印した人が
その後「提供しません」に気持ちを変えて、
煩雑な手続きをとるのを先延ばししている間に
思いがけなく脳死になってしまうことだって、ないわけじゃないだろうに。

ここでもやっぱり
「迷うことの自由」をこのドナーカードは侵していないか? と考える。

でも、そんなことをあれこれ考えつつ、
実は困惑のうちに、ずっと横目で睨んでいたのが娘のぶん。

重症重複障害のある娘は既に成人していますが、
自分の意思を自分で表明することができません。

この場合は、意思以前に、臓器を云々と説明しても、その内容が理解できません。
(これは彼女が一切何も理解できないということを意味するわけではありません)

誰かに「臓器を提供しますか」と質問されたら
気分によっては「ハ!」と答えてしまいかねません。
(これは彼女が日常的にYES-NOの問いにまったく答えられないことを意味するわけではありません)

親としては、
こんなに重い障害を持ち、
生れ落ちた瞬間から医療によって散々痛い目に合わされてきた、この子に、
これ以上の侵襲は受けさせたくない。

Ashley事件の時に、
やはり重症障害のある息子を持つカナダAlberta大のSobsey教授が
「金額が同じであっても、貧しい人から盗めば、
それは全財産を盗むことになるのだ」という言葉で
障害によって既に多くを奪われている子どもから
これ以上、人為的に奪っていくのはやめてくれ、と痛切な批判をしていましたが、

私たちにとって娘の臓器提供は、それと同じ痛みの感覚が強すぎて論外です。

そんな親の思いだけで考えれば、
いっそ親が、ちょん、と娘のカードの「提供しません」に代筆して
封印してしまおうかと、まず思った。

でも、Ashley事件以来、医療における親の決定権の危うさや
特に重症児にとって親は必ずしも最善の代弁者ではないことを
ずっと考えてきたのだから、それをするのは、やはり抵抗がある。

それに、この場合、親の代筆が果たして法的に有効なのかどうかも分からない。

(何人かが指摘しているのを読んだけど、このとき、
ドナーカードの筆跡鑑定の問題が本当にリアルな問題として感じられた)

父親が成年後見人になってはいるけど、
日本の成年後見人には医療における代理決定権は認められていないという話を
ずいぶん前に専門家の先生から聞いたような記憶もある。

小児の終末期医療の意思決定ガイドラインだと、
最終的には親の決断だとしても、「決定権」という確固としたものというよりも
もう少し日本らしく、

医療職と親とその他関係者のコンセンサスに向かうプロセス重視の感じがあるのだけど、
そのプロセスの中に、臓器提供の意思決定はどう織り込まれていく、またはいかないのだろうか。

親が生きていれば、その間は、まぁ、いい。
ドナーカードを白紙のままにしておいたって、
万が一の時には「ご家族のご意思」は明確にNOだと声を大にしてやれる。

でも親だって、その身にはいつ何があるか分からない。
親亡き後に、娘のドナーカードが白紙のまま、
万が一、この子が脳死状態になったとしたら、
いったい、それは、どういうことになるんだろう?

ちなみに現行法のガイドラインでは以下のようになっていました。

知的障害者等の意思表示については、一律にその意思表示を有効と取り扱わない運用は適当ではないが、これらの者の意思表示の取扱いについては、今後さらに検討すべきものであることから、主治医等が家族等に対して病状や治療方針の説明を行う中で、患者が知的障害者等であることが判明した場合においては、当面、法に基づく脳死判定は見合わせること。

今回の法改正で、この点がどうなるのか……。

自分で意思表示できない人から臓器を取ってはいけないことにするべきだと、
障害当事者は声を上げています。

それも、こんな形でドナーカードを持たせるのであれば、
知的障害者等であることのチェック項目を入れておいてくれなければ、と思う。

現行法の精神そのものと今後はまるで逆方向に向かうであろうことが
今回の改正議論でありありと感じられただけに
親としてもガードを上げ、固めざるを得ない。

何でもかんでも一緒くたにするなと言われればそうかもしれないのだけれど、
このブログで英語圏の医療における障害児・者への手ひどい扱いを見ていると、
日本の移植医療だけが、それらとかけ離れた感覚を貫き通すとも思えない。

娘が住む場所として世の中はどんどん信頼するに足りない、
警戒しなければならないものになっていくように感じられて、

どう扱っていいか分からない娘の健康保険証兼ドナーカードを眺めながら
森岡先生の「まるごと成長し、まるごと死んでいく権利」という言葉を思い返す。 

こんなにも我が身を守るすべを持ちあわせない娘が
そんな当たり前の権利をこんなふうに脅かされなければならない世の中──。

それって、一体どういう世の中なんだよっ。


           ――――――――――

実は、今回A案が通ったから保険証がこうなったのかと
疑心暗鬼になっていたのだけど、

どうも違っていたみたいで、

その辺りをきちんと健保連に問い合わせられた方のブログがあったので、
以下にリンク。(TBできなかったので)

2009.09.01 / Top↑
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