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米国の小児科や癌治療に関連した複数のジャーナルが連携した特集の中に、
それぞれ子どもを癌で亡くした親と、脳腫瘍で子どもを亡くした親への
終末期医療に関する調査が報告されており、
多くのメディアが取り上げています。

特に前者のDana-Farber癌研究所とボストン子供病院の緩和ケアのディレクター
Dr. Joanne Wolfeらの論文(Archives of Pediatrics & Adolescent Medicine)では
我が子の苦しむ姿を見るに忍びないので頼んだら
少ないながら一部の医師が「死を早め」てくれたという
親の証言が報告されている点が注目されているようです。

アブストラクトはこちら

調査は、1990年から1999年の間に癌で子どもを失った141人の親に、
子どもの終末期について聞いたもの。

19人(13%)が子どもの死を早めてほしいと頼むことを考えた、と言い、
9%は実際に、話題にしたことがあった。

また、34%が
振り返って、もしも我が子にコントロール不能な苦痛があったとしたら、
死を早めることを考えただろうと答えた。

肉体的な苦痛以外の苦痛に対しても死を早めることを考えたというものは
15%以下だった。

また、いくつかの癌末期の子どもの仮想事例について意見を聞いた質問では
集中的な痛みの管理に賛成した人が94%。
死を早めることに賛成した人が50%。

昏睡状態よりも、苦痛がある場合に
死を早めることを認める人が多かった。

また、介護負担を理由に死を早めることを考えると答えた親はいなかった。
一人だけ、医療費は考える材料かもしれない、と答えた。

少数ながら、実際に子どもの死を早めてほしいと医師に頼み、
医師がモルヒネの投与で応じてくれたと報告する親もあったが
著者らは医師が必ずしも慈悲殺を行っているとは考えていない。
痛みの緩和のためにモルヒネが増量されて、そのすぐ後に亡くなったので
親が要望通りにしてもらったと誤解したのではないか、と。

Wolfe医師らは、
子どもが苦しんむことは考えるだけでも痛ましいので、
親も医師も終末期については口に出さないようにしているが、
どういう選択肢があるかを知らされていない親が
いざという時に苦しませないためには死を早めることしか考えつけないのではないか、

もちろん痛みを完全に取ってあげますと確約はできないにしても、
あらかじめ苦痛についても集中的な症状管理の可能性についても知らせておくことで
患者にとっても家族にとっても、終末期の耐え難さを減らせるのではないか、と。


Parents say doctors hastened death for dying kids
AP (The Seattle Post-Intelligencer), March 1, 2010




S-PiのAP通信の記事にDiekema医師のコメントがあり、
この調査結果は驚くにあたらない、と述べています。

少数ですが、子どもの苦しみを終わりにしてやりたいという親の望みに
医師が応えてあげることはあると思います。

鎮静や痛みのコントロールのための薬には呼吸抑制の作用がありますから、
そういう薬を使うことも含めての話ですが。

たいていの医師は、呼吸を止めるほどの量を意図的に使うことはしませんが、
中には苦痛を緩和する過程で呼吸が止まったとしても
それに対しては介入しない方がいいと考える医師もいます。

なんと、興味深いのだろう……と思うのですが、
USNewsの記事のコメントは、Kansas Cityの
Children’s Mercy HospitalのJack Lantos医師。

つい先日Ashley事件の倫理委を
AJOBのコメンタリーで痛切批判し、
Fost医師とのネット討論でも「あの倫理委で何があったか誰にも分からない」
痛切批判してくれた、あの小児科生命倫理学者さん。

この問題でも、二人の捉え方には微妙な差があって、
Lantos医師の方は、「死を早めた」と表現されているものの内容は
通常、安楽死や自殺幇助と考えられているものとは違うのだ、ということを言います。

自殺幇助では命を終わらせる明確な目的を持って薬を使うのに対して、
この調査で「死を早めた」と語られているケースでは
子どもの苦痛の緩和を目的に使われた薬に
死を早める可能性が副作用としてあるということに過ぎない。

死を早めるというのは、安楽死とも自殺幇助とも違います。
それは微妙だけれど、重要な違いなのです。

この2人のコメントの微妙な違いもまた重要。
そして、その違いが、また、なんと興味深いことだろう。

Lantos医師は、医師の倫理観として、
親に頼まれて安楽死させることはあってはならないというところに明確に立っています。
だからこそ、苦痛緩和の結果として死が早められてしまうことと安楽死との微妙な差を
差として認識することの重要性を強調している。

それに対して、Diekema医師は
親に頼まれれば、消極的ながら、その親の気持ちに応えてあげる医師だって、
そりゃ、中にはいるでしょうね……と、事実上、言っているわけで、
苦痛緩和の結果と、目的としての安楽死に一線を引く必要を感じていないかのようだし、
一部の親の意向に沿う医師を容認しているとも受け取れるトーン。

なんて象徴的なのだろう。

私が懸念するのは、
調査した緩和ケア専門医であるWolfe医師らの意図や結論や主張とは
まったく別のところで、この結果(の一部だけ?)が独り歩きして、
Diekema医師の恩師であるFost医師などが押し進めている「無益な治療」論の
正当化に使われてしまうのではないか……。

「今でも障害児は中絶されているのだから
生まれてきた障害児を死なせたからと言って何が悪い?」というのが
Fost医師やPeter Singerらの、開き直り的「無益な治療論」の正当化理論。

そこから、
「今でも、ターミナルな小児がん患者は
苦しむのを見ていられない親の要望で死を早められているのだし、
そういう子どもたちの治療はもはや無益なのだから、安楽死させて、何が悪い?」
という論理への距離は、そう長くはない。

こちらの医療系のサイトなど、もう早速にも
死に至る癌の子どもに医師と親が安楽死を選択している」と
論文の内容とはずいぶん違うタイトルでこの件を報じているし、
論文の内容よりもDiekema医師のコメントが記事の中心になっている。


        ――――――

ちなみに、脳腫瘍で亡くなった子どもの親への調査では、
最期に近づくにつれ、神経障害が重症化することが特徴的で、
特に意思疎通ができなくなることが親にとって1つのターニングポイントだった、と。

また、親はそういう中でも希望を持ち子どもの回復力に期待を寄せつつ、
通常の生活を維持する努力を続けていた。

そのほか、親が共通して困難を感じていたのは、
家事、仕事、他の子どもの世話など、病気の子どものケア以外の責任とのやりくり。

また在宅での看取りを望んだ場合に、
十分なサポートが可能になる体制がないことも指摘されている。

こちらもまた、研究者らの意図は
問題のありかに気付き、対応を求めることにあるようなのだけれど、
意思疎通ができる・できないが親にとってのターニングポイントだったという部分などは、
やっぱり独り歩きするのでは……と、ちょっと不安も感じるところ。
2010.03.03 / Top↑
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