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Massey 大学のコミュニケーション、ジャーナリズム、マーケティング学部の
主としてNZ人の宗教観に関する調査で
1000人にアンケートを行った中に
安楽死について問う項目が含まれており、
その結果7割が「苦痛を伴う不治の病があって、医師による幇助があれば」
自殺幇助を支持すると答えた、と。



う~ん、その「苦痛を伴う不治の病」というのは、
設問そのものが、一体どうなのよ……と思っていたら、

Family Life International New Zealand というところがやっている以下のブログで
やはり設問のあり方が鋭く突っ込まれていた。


Family Life International New Zealand のこの調査に対するプレスリリースはこちら

こちらのブログとリリースに引用されている上記調査の当該項目の文言とは、

ある人が苦痛を伴う不治の病にかかっていると仮定します。その患者が求めた場合に、医師がその人の命を終わらせることが、法律によって許されるべきだと思いますか?

続いて同じ人を仮定した質問です。その患者が求めた場合に、誰か医師以外の人、例えば親しい親族が、その人の命を終わらせる手伝いをすることが、法律によって許されるべきだと思いますか?

で、前者に対する回答の7割がYES、
後者に対するYESの回答は5割だった、とのこと。

このエントリーの著者であるBrendan Malone氏は
医療スタッフが十分な知識と技術と方法を持ってさえいれば
患者の痛みの98%は適切に管理できると専門家が指摘していることを考えると、
この質問はいずれも最初の部分が間違っている、と主張。

これらの質問は本来、以下のように問われるべきである、と。

もしも医師が、怠慢から、または痛みの治療がちゃんとあることを知らないために、
または必要な情報を調べないままに、患者の耐え難い痛みを放置した場合に、
患者が求めれば、その医師には致死薬の注射をすることが許されるべきでしょうか。

先日、当ブログで読んだ英国のMarkのケースと合わせ考えると、
これは本当に底の深いリアルな問題なんじゃないだろうか。

spitzibaraとしては、さらに
質問の「苦痛を伴う不治の病」という表現の
「苦痛」が身体的な苦痛に限定されていないこと
余命の限られたターミナルな状態であるという条件が入っていないこと
「病」を拡大解釈して障害まで含められた場合には
もともと障害は不治なのだから「不治の病」に当てはめられてしまうこと。

それによって、例えば
去年、事故で寝たきりになってDignitasで自殺した23歳のラグビー青年のケース
十分含まれてしまう可能性があることを指摘しておきたい。

「本人が求めれば」というのでは
一時的な精神状態による自殺希望である可能性や、
自分で意思決定する能力のない人へのセーフガードが含まれていないことも。


Ashley療法論争の際にもネットに
「重症児を家でケアする唯一の方法だとしたら、ホルモンによる成長抑制は許されるべきでしょうか」
というアンケートが登場したことがありました。

成長抑制は、断じて、家庭でのケアを可能とする「唯一の方法」ではないというのに
こんな質問に YESーNO で回答させるというのは問題を捻じ曲げる行為以外のなんでもない。

総じて、アンケート調査というのは、非常に複雑な問題を無責任に単純化してしまい、
その単純化によって問題が既に変質してしまっているのだから、
それをもってShakespeareのようにマジョリティは支持しているとか
だから自殺幇助は合法化すべきだとか、云々するのは
それ自体が危険なことなのではなかろうか。
2009.04.03 / Top↑
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