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前に英国医療改革のポピュリズムのエントリーで紹介した動きが
対象をもっと拡大していよいよ具体化するようです。

GPも警察も児童福祉も地方自治も
み~んなオンラインで国民から評価を受けることになるんだそうで。
(rating という言葉からすると「採点」も視野に入っているのかも?)

Brown首相が言うのには
公共サービスよりもネットのamazonとか eBayの方が
「透明性のスタンダードが高い」のはおかしいから、
上記のような公共サービスの質についても、
旅行者が利用したプランや宿泊施設についてネットに書き込んだ評価を
消費者が参考にできるような形を実現する、と。

医療においては患者に
教育と福祉については親に
政府はもっと権限を委譲して、
住民の声に沿った公共サービスを目指すべきだ、とも語っており、

医療での患者評価は夏から
児童福祉の親からの評価は来年からスタートの予定。



EBay-style feedback for services
The BBC, March 10, 2009


この記事の最後のほうに、教員の質を上げるための改革の話もちょっとだけ出てきていて、
その、ものすごく単純な能力至上主義がひっかかる。

たとえば非常に優秀な数学者というのは教師にならずに金融業界に入っていく、
そういう人を教育会に引っ張りこんで教師になってもらおう、という発想。

もちろん数学の才能が図抜けていて、なおかつ教師としての資質もある人が
そういう意欲を持っているのであれば、
ぜひとも教師になってもらえればと私も思うけれども、

特定の分野で秀でた才能があることは
必ずしもその分野の科目を教える教師として才能や資質があることと同じではないと思う。

この話、私には、この前日本で出てきた、
高校の英語の授業は英語でやれという話と重なってしまった。

あの話が出てきた時に、
英語教師のくせにろくにしゃべれない日本人教師を揶揄するような声が
出ていたけれど、

必ずしも流暢な英語を話せなくても、
わかりやすく英語を教える技量に優れた日本人教師はいっぱいいる。

英語の教師は「英語を使って仕事をする」ことのプロではなくて、
「英語を教える」ことのプロのはずだと私は思うし、

(あ、もちろん、使えないよりは使えた方が良いというのは否定しません。
 ただ、ネイティブ並みにしゃべれたりプロの通訳や翻訳者並みに駆使できることよりも
 日本語でわかりやすく教える能力のほうが教師には大事だし本筋だと思う、という話です。)

数学の才能が図抜けている人が
必ずしも数学を教える才能に恵まれているかどうか
教師としてふさわしいかどうかは別問題だと思うのだけど、

なにか、こう、
能力の上下だけではなく種類まで直線上のヒエラルキーとして並べられて、
上部のヒエラルキーの能力があれば
下部のヒエラルキーの能力は無条件に前提されてしまうような……。


だけどポピュリズムによる競争原理と直線的な能力至上主義による効率化で
本当に人は幸せになるんだろうか。
2009.03.13 / Top↑
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