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意思決定能力を欠いた人が終末期でもなく永続的な意識不明状態でもない場合の
後見人(guardian)による治療拒否に関する基準を
Pennsylvania上級裁判所が2月10日に示しました。

詳細をNot Dead Yet がブログでまとめています。


この記事によると、裁判所の判断の要点は次のとおり。

1.ある人物を裁判所が全権後見人(plenary guardian)に任命したとしても、病気の末期でもなく永続的な意識不明状態でもない意思決定能力のない人の治療を拒否する権限を与えるものではない。すなわち、後見人の任命はそれ自体として、このような決定をする権限を認めるものではない。

2.後見人は、病気の末期でもなく永続的な意識不明状態でもない意思決定能力のない人の生命維持治療を拒否するためには、裁判所からそれを代理人に許可する特別な命令を得なければならない。そのためには、その意思決定能力を持たない人にとって死が最善の利益であり、すなわちその状況下では延命が非人間的であることを、後見人は明白で説得力のあるエビデンスによって証明する「並々ならぬ責任(extraordinary burden)」を負っている。後見人はその意思決定能力のない人の診断、予後、苦痛その他について、具体的な医学的なエビデンスを提示しなければならない。可能であれば、治療の前または治療中に本人が望んだことについてのエビデンスも示さなければならない。その人の認知障害は基本的には考慮されるべきではない。


この基準が示された判例は
施設で暮らしている知的障害者D.L.H.を巡るもので、
経緯は大体次のようなケース。

D.L.H.が肺炎を起こして病院に入院。
この状態で特に終末期であったわけでも永続的な意識不明であったわけでもない。

呼吸を助けるべく人工呼吸器を装着しようとする病院側に対して
既に全権代理人(plenary guardian)に任命されていた両親が反対。

病院側が両親の求めを拒んで呼吸器を装着したため、
両親が裁判所に申し立てを行った。

その後、3週間の呼吸器装着でD.L.H.の肺炎は改善し、
自力呼吸が可能となった。


裁判所の意見書全文はこちら

親は全権後見人として、呼吸器を拒否する権利があると主張したようですが、
このような場合の治療拒否権限を後見人に無条件に認めない理由の1つとして
特に虐待(濫用)の可能性に言及されていることが目を引きます。

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読んで一番強く感じたのは
前に詳しく読み込んだイリノイ州のK.E.J.の不妊手術に関する裁判所の判断と
リーズニングが非常に似ているな……ということ。

イリノイでは不妊手術を巡る判断だったので、
不妊手術の是非と、さらに、その手段の是非との2段階になっていた点が
今回よりも複雑な論理展開になっていますが、
共通しているのは、

・後見人の代理決定の範囲を限定していること。

・障害者の尊厳・身体・生命を侵害する行為を求めている側の証明責任が大きいこと。
イリノイの意見書ではheavy burden of proof となっていました。今回のペンシルバニアではextraordinary burdenとされています。

・いずれの意見書でも 後見人の主張にいちいち clear and convincing evidence の提示が求められていること。

・本人意思の尊重。
イリノイでは「知的障害がなかった場合に本人が何を望んだか」「不妊手術を望んだとしても、どんな方法を望んだか」と2段階になっており、最善の利益の検討は本人意思が確認できない場合にのみ行われる、さらに次のステップと捉えられていました。今回の判断は意見書を読み込んでいないので、果たして「最善の利益」と「本人意思」のいずれが重視されているのかは、私には今の段階では判然としません。


その他、ちょっと気になる点としては
知的障害は考慮しないとされている部分の文脈が
イマイチよく分からないことと、

もう1つ、NDYの記事を読みながら思ったのは、
知的障害のある人の事前意思書が法的にどういう意味づけをされるのか、ということ。
巧妙な後見人なら、元気なうちに書かせておくくらいのことはしかねないような……。

やはり意見書そのものを読み込んでみなければ分からないことが多そうですが
障害者の尊厳と身体への重大な侵襲に関る医療を巡る裁判所の考え方に
1つの枠組みのようなものが示されつつあるのではないでしょうか。

だとしたら、
先日のシアトル子ども病院・成長抑制ワーキング・グループの
重症障害児への成長抑制の是非については裁判所の判断を仰ぐ必要はなく
病院内倫理委員会の検討で認めても良いとする結論は
私はやはり、とうてい受け入れられないものだと思う。

もとより当ブログの検証が示しているのが、ほかならぬ、
病院内倫理委には政治的社会的文脈による利益の衝突に対する脆弱性があること、
したがって倫理委員会がセーフガードとして十分とはいえないこと……なのだとしたら、

やはり自分で意思決定できない人の命や尊厳に関わる医療については
裁判所がセーフガードとして最後の砦であってもらいたい。



【イリノイのK.E.J.ケースに関するエントリー】

2009.02.17 / Top↑
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