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3月12日のエントリー
「どんなに重い障害のある子どもでも、一定の年齢になったら親元から独立して、
それぞれにふさわしい支援を受けながら、それぞれの形で自立して暮らしていける社会」と、

「そのような社会に向けて、
子どもも親もステップを踏んで自然に親離れ、子離れができるような支援」について
書かせてもらいました。

こういう言葉で書いたのは初めてですが、
これまでいくつものエントリーで書いてきたことを、ここでまとめた、という面もあるので、
私自身の総括メモとしても、これを機にこれまでの関連エントリーを
一度、整理しておこうと思います。

なぜ親が一番の敵にならざるを得ないのか、
親が一番の敵にならなくてもすむ社会と、そのための支援のあり方について
自分なりにぐるぐるしてみた過程のようなエントリーたちです。


【Ashley事件との関連で介護について考えたこと】



【障害のある子どもの親のナラティブ(語り)として書いたこと】



【私が考えさせられた他の親・介護者のナラティブについて書いたこと】



【障害のある子どもの子育てや介護一般について考えたこと】



【こうあってほしいという支援の在り方について考えてみたこと】



【英国の介護者支援について書いたエントリー】



【その他の国の介護者支援について】

2010.03.15 / Top↑
病院が主張する呼吸器取り外しに抵抗して両親が訴訟を起こしていた
カナダの重症障害新生児Isaiah君のケース。

3月11日、両親はIsaiah君の状態について中立のセカンドオピニオンに関して
裁判所のヒアリングに出席することになっていたようなのですが、
キャンセルされ、両親がIsaiah君の呼吸器の取り外しを決断。

11日午後、Isaiah君は両親の腕に抱かれて息を引き取ったとのこと。

そのセカンドオピニオンとして
2月に彼を診察したのはVictoria General Hospital の新生児神経科のRichard Taylor医師。

手足を動かすことはできるし体重も増加しているが、
脳の反射はなく、自力呼吸は無理、とし
両親にIsaiah君のMRIを見せて、正常児のMRIと比べて見せた、とのこと。

「Isaiah君が回復することはない、体の動きは脊髄反射によるものと思われると
両親に話しました。
彼は生きている限り、呼吸器をつけたままでしょう。
回復することはないなら、生命維持装置はもはや適切ではないと意見の一致を見ました」



もちろんIsaisah君については具体的な詳細がわからなければ
なんとも言いようがないのだけれど、

病状が回復する望みがないなら、生命維持装置は外すのが適切――。

これが一人歩きして、いつのまにか「無益な治療」のスタンダードにでもなったら・・・・・・?
と考えると、背筋にいろんなものが走る。


2010.03.14 / Top↑
Angelaちゃんの子宮摘出が認められたことをうけ、
Queenslandの全ダウン症候群協会会長でリベラル派の州議会上院議、Sue Boyce氏が
検察に対して行動を求めた。

今回の家庭裁判所の決定を「21世紀に理解不能」
「障害のない11歳の少女から子宮が摘出されたら、全てのオーストラリア人があきれ返るはず。
障害があるからと扱いを変えることは完全に差別的で非人間的」と。

ただ、主任検事のMcClelland氏は
「子どもが重大な医療を受けることに
強い懸念を持つ人が地域にいることは認識しているが、
決定は子どもの最善の利益に沿って行われるもの。
必要な事項を考慮し子どもの最善の利益を検討する権限は
家庭裁判所が与えられている」として
介入には消極的。

1992年のMarion訴訟において
侵襲度の高い医療では裁判所の命令が必要で、
その際には家裁が子どもの最善の利益で、とした高裁の判断については、

しかし「最善の利益」はどうにでもなる、との批判も。

2002年に前・障害者差別コミッション Elizabeth Hastings氏は、この決定について
「法は身体の統合性に対する基本的人権を保護しそこなった」と。

A-G urged to act on sterilisation
The Australian, March 13, 2010


家裁が「最善の利益」で決めた、といったって、
主任検事さんには、あの判決文を読んでからにしてほしいわ。

「権限のある判事の私が、親と医師の言うとおりだと思ったから
それ以上の検討は無用。はい。判事として認めます」

それだけですよ。あの判決内容は。

それから、この事件の関連ニュースを何本か読んで、とても気になるのは、
障害のある子どもの要介護状態を表現する際にメディアが、いちいち
「食べさせてもらわなければならない」
「歩行器にストラップで固定してもらわなければならない」
「乗り移る際には誰かにサポートしてもらわなければならない」など
「・・・・・・してもらわなければならない」という表現を使うようになっていること。


2010.03.13 / Top↑
Ashley事件を知った時から、事件や周辺の諸々を追いかけながら考え続けているのだけど
複雑だったり微妙だったりして、なかなか言葉にならなくて、
これまで思い切って書く勇気が持てずにきたことがあります。
今でもまだ、誤解を受けずに伝わるように書ける自信があるわけではないのですが、

また新たにAngelaちゃんの子宮摘出が認められてしまったニュース
それなりに闘ってきたつもりだった3年間を振り返って悔し涙がこぼれてしまうわ、
ああ、もう、これは、どうにもできない勢いなんだ、止められないんだ……と
絶望しそうな気分にはなるわ……を経て、あの奇怪な判決文を読んだとたんに
今度は憤りで逆に頭が冴え返ってみたら、

じゃぁ、「この勢い」って、いったい何の勢いなんだ……? ということを考え始めて、
そしたら書いてみないではいられない気分になったので。

Ashley事件に象徴される、「この勢い」の一端にあるのは、
科学とテクノロジーで可能になった諸々を背景にして
大人が子どもに、親が子どもに及ぼす支配力の強まりと広がり。

遺伝子診断や救済者兄弟をはじめとするデザイナーベビーもそうだし、
障害新生児の治療拒否もそうだし、ロングフルバース訴訟とか、慈悲殺擁護論の高まりも
そこに含まれるのではないでしょうか。

そして、親から子への支配を科学とテクノによって強めていく方向へと
強力に世の中を変容させていこうとする、この、ものすごい勢いは、
「親の愛と献身」という、これまでも散々使い古されてきた神話を盾に、
ゴリ押しで突き進もうとしているかのように感じられます。

そういうことを今回のオーストラリアの事件で改めて考えると、私の思いが戻っていくのは、

07年のAshley事件が、なぜ私をこんなにも捉えて離さないのか。
なぜ、あの事件が私には、どうしても目をそむけて通れないほど、重く、大きいのか、という問題。

3年前Ashleyの身に起こったことを知り、衝撃を受け、身体を震わせて憤った、あの時に、
私自身が、障害のある子どもを持つ親として、ずっと目をそむけてきた事実と直面させられたのだと思う。

障害児・者と親(家族)との間には、本当は避けがたい利益の衝突があり、
実はそこにあるのが支配―被支配の関係だという事実と、です。

我が子を施設に入れることを選択した自分にAshleyの親を批判する資格があるのか、と
この3年間、Ashley事件と向き合う中で、私はずっと自問し続けてきました。

たまたま事件のウラに気付いたのが私で、それを実証してくれる人が他にいなかったから
他に何の武器も持たない私が、こういう形でやるしかなかっただけだし、
資格があろうとなかろうと、とにかく黙っていられなかっただけでもあるのだけれど、

施設に入れることを選択してしまった親がAshley事件を批判することの意味を
ずっと考え続けることによって、私は批判する資格を得ようとしていたような気がします。
このあたりのことは、まだ、うまく表現できません。また改めて言葉にしたいと思います。

ともあれ、そういう問題意識のあり方でAshley事件を追いかけてきた私が、今、Angela事件で
親から子への支配を強めようとする力がとめようもない勢いになろうとしていることを思う時、

障害学や障害者運動の人たちにお願いしたいと思うのは、こういう時だからこそ、
障害児・者と親の関係を「親は敵だ」といった対立関係で考えることを
いったん、外してみてもらえませんか、ということです。

うちの娘にとって自分は一番の敵なのだと、私は本当に、痛切に、そう思います。

施設に入れた決断だってそうだし、今だって、娘は自分があそこで暮らしたくて、施設にいるわけじゃない。
自分が帰りたいと思った時に家に帰ることを許されるわけでもない。

管理でガチガチの師長が許せなくて、施設中を大騒ぎにして闘って、
自分では「子どもたちの生活を守った」つもりだったこともあったけど、
いろんな意味で娘は結局、私の闘いの一番の被害者だったのかもしれない。

他人との暮らしで母親よりもよっぽど世知にたけたオトナになって
「もう、この子は一人で生きていけるよ」と言われるほど成長しているのに、
それでも「今の世の中に残して逝けるものだろうか……」と勝手に気をもんでいる私が
彼女の敵でなくて何だろう、と、心底、思う。

でも、それは「娘にとって私は一番の敵だという面は確かにある」ということであって、
「全面的に敵である」ということでも「敵でしかない」ということでもないと思うのです。

言い訳でしかないのかもしれないけど、
20年前の日本に、レスパイトサービスがあり、ヘルパーさんがいてくれたら、
私たち親子には、もしかしたら、別の暮らし方もあったのかもしれない、と思う。

全身を火の玉のようにした、すさまじい号泣に夜通しさらされて
汗だくになって、必死で抱き、あやし、ゆすり、夜中の町を車で走り続けて、
ろくに眠れないまま仕事に行く日が続いていた頃に、
もしも週に1晩だけでも娘を安心して預けられるところがあったら
私たち夫婦は、おそらく、その一晩の眠りを支えに、他の日を頑張り続けることができたような気がする。

寝込んでばかりいる幼児期の娘と一緒に狭い家に連日閉じ込められて、
ろくに手伝ってもくれない人たちから責められ続けて、
私の心がじわじわと病みつつあった娘の幼児期に、
もしも、誰かが家事だけでも手伝いに来てくれたら、
「私を助けにきてくれる人がいる」という、ただ、そのことだけで、
私にはものすごく大きな救いになったような気がする。
そしたら、私たち親子の生活にも他の形があり得たのかもしれない、と思うのです。

私には「親が一番の敵だ」という障害学や障害者運動の人たちの主張が、ものすごく痛い。

去年も、ある雑誌の記事の中で、施設に入れるのは家族が決めることだ、と訴える障害当事者の方が
「家族が一番の敵だ」いわれたのを読みました。

活字を目にした瞬間に、小さな矢でも受けたように本当に目に痛みが走るほど、痛いです。

それは、本当にそうだと思うし、逃げようがない真実だから痛いのだけれど、
同時に、「でも、それだけじゃない」と、その痛さの中から、どうしても言いたいこともある。

「親は施設に入れるから敵だ」という言葉の裏には、しかし、
親なら施設になど入れず、支援が十分なくたって、どんなに自分がボロボロになっても
介護するのが当たり前だろう、という無意識が隠れてはいないでしょうか。

障害を社会モデルで捉えるように、
親の様々な思いや行動もまた、社会モデルで捉えてもらうことはできないでしょうか。

「親は一番の敵だ」で親をなじって終わるのではなく、
「親が一番の敵にならざるを得ない社会」に共に目を向けてもらうことはできないでしょうか。

私は、Ashley療法に象徴されるような形で
親の支配を強化してこうとする「この勢い」に抗うためには
障害を挟んで親と子が対立関係から抜け出す意識的な努力が必要なのでは、と
まだうまく表現できませんが、この3年間で考えるようになりました。

Ashley事件では「ここまでする親の愛」vs「イデオロギー利用を狙って邪魔立てする障害者」という
対立の構図が意図的に描かれて、世論誘導に使われました。

「重症児は、自己主張できるような障害者とは違う」「親と障害者運動との断絶の大きさには唖然とする」
「障害者運動の活動家の方が親以上に子どものことを分かっているとでもいうのか」と
Diekema医師は繰り返しました。

確かに、親と子どもとの間には利益の対立と支配―被支配の関係があり、
障害がある子どもでは、その対立と支配の脅威は圧倒的に大きいと思います。

しかし、
利害の対立があり、支配―被支配の関係が避けがたいことを認識したうえで、
それでもなお、そこを乗り越えていくために、同じ側に立って、共に考える、ということも
可能なのではないでしょうか。

「この勢い」に対して「それは違う」と、
同じ側に立って、共に声を挙げていくことも可能なのではないでしょうか。

私がこの3年間で考えるようになったのは、「どんなに重度な障害がある子どもでも、
一定の年齢になったら親元から独立して、それぞれにふさわしい支援を受けながら、
それぞれの形で自立して暮らしていける社会」を共に求めていくことはできないだろうか、ということです。

AshleyやAngelaやウチの娘のような重症児・者や、
今、行き場がなくなってベッドふさぎのように言われ始めている超重症児も線引きすることなしに。
もちろん、なるべくなら、家族や友人のいる地域で。

そういう社会を目指す支援があれば、親も少しずつ子どもを抱きかばう腕を解いて
他人に託してみるという経験をすることができる。そして、
「ああ、それでも、この子は大丈夫なんだ」と発見するステップを
上手に踏んでいける社会であれば、親もいつまでも抱え込まなくて済む。
親が抱え込んだあげくに連れて死ぬしかないと思いつめる悲劇も減るのではないでしょうか。

「親が一番の敵」という対立の構図から、
「親が子の敵にならないでも済む社会」「子も親も自然に親離れ子離れができるような支援のあり方」という
新たな広がりのある地平へと、一歩を踏み出して、親とも一緒になって
差別や人権侵害と闘う障害学とか障害者運動というものが、

英米から科学とテクノと、その御用学問である生命倫理との包囲網が
こんなにも激しい勢いで狭められていく今の時代に抗うために、ありえたらいいなと、

障害のある我が子にとって自分が一番の敵だという面があることを自覚したからこそ、
むしろAshley療法を批判し、それを通して訴えたいことが山のようにある、
そういう私には、たぶん、正面からAshleyの親を批判する資格があるはずだと、
やっと思え始めている親の一人から、

今の段階では、まだ、こういう言葉でしか表現できない
「障害学や障害者運動の人たちにお願いしてみたいこと」でした。

【追記】
その後、関連エントリーをこちらにまとめました
障害のある子どもの子育て、介護一般、支援について、これまで書いてきたこと(2010/3/15)
2010.03.12 / Top↑
施行されてから12年のOregonの尊厳死法について
3つの重大な問題が統計を引いて指摘されています。

精神科の診察が必要な人がそのままスル―状態で自殺させられている。

2009年に同法で幇助自殺した人が59人だったことは
こちらのエントリーで紹介しましたが、この記事によると
その中の誰ひとりとして、精神科のアセスメントが必要だとされていない、
過去3年間で精神科のアセスメントに紹介されたのは
自殺希望者総数の1%に過ぎない、とのこと。

この点については去年、州保健局からも懸念が表明されており、
08年の志願者の25%がうつ状態だったことから考えると、
1%しかアセスメントを受けていないというのは問題が大きい。

ほとんどのケースにCompassion & Choiceが関与している。

12年間の総件数のうち、C&Cが関与したケースが78%もある。
08年だと、88%に関与。09年には97%、59件のうち57件に関与している。

限られた医師だけが致死薬を処方している。

2001年から2007年の7年間に1人もしくは複数の患者に
同法のもとで致死薬を処方した医師は109人。

Oregonで現役活動中の医師が約10000人なので、
わずか1%に過ぎない。

また、このままだと109人が271件の処方箋を書いた計算になるが
実際には271件のうち61%は01年から07年の7年間に起こっており、
その7年間の処方箋はたった20人の医師によって書かれている。



これは、つまり、
C&Cがせっせと死にたい人を探しては、
ぴたりと張り付いてゴールまで「支援」をし、

その「支援」では、
C&Cの息のかかった、ごく少数の医師が、
C&Cが連れてくる患者を受け入れて、せっせと処方箋を書いている……ということ。

精神科に紹介される人が少ないことの背景は、そういうことでしょう。

Brown首相の「合法化はやめておこう」という呼び掛けを
「OregonやWashingtonでちゃんと機能して弱者が守られているのに
同じことが英国人にできるとは信じないのか」と即座に叩いたDebbie Purdyさんは、
こういうのを知らないのでしょうか。

……あ、あの人は自分たち夫婦以外のことは目に入らないんだった。

……てか、彼女には、もう何年も前からC&Cがべったり張り付いてるさね。
2010.03.11 / Top↑