オーストラリアの生命倫理学者 Megan―Jane Johnstoneが
“Alzheimer’s disease, media representations and the politics of euthanasia: constructing risk and selling death in an aging society” という本を出し、
メディアによるアルツハイマー病の否定的なイメージ操作で
安楽死の対象としていこうとする「安楽死の政治」に警告を発している。
アルツハイマー病は
人口の高齢化に伴って世界中の医療システムにほぼ壊滅的な影響を与える
「今世紀最大の病気」として描かれてきた。
このような描き方は、
「生きながら死んでいるようなもの」「終わりのない葬式」「死んだ方がまし」などの表現と共に、
自分もかかるのでは、そういう姿になるのでは、と人々の恐怖を煽って、
アルツハイマー病を暗黙のうちに安楽死のターゲットとしている。
そうした立場は、アルツハイマー病を解決策の必要な問題とみなしており、
その解決策として予防的で思いやりある安楽死が考えられるようになってきている。
しかし、メディアと安楽死推進の立場の団体が持ち出してくるような
個々の患者のケースだけから問題を「選択の問題」へと単純化することは
世論を一方へ誘導することにしかならない、と。
安楽死は決して単純な選択の問題ではないし、
選択それ自体がもともと単純な問題でもない。
安楽死はきわめて複雑な現象。
アルツハイマー病も
メディアが盛んに流しているような個別のケースで適切に描けるような病気ではない。
Alzheimer’s and the euthanasia debate
BioEdge, May 25, 2013
アンジェリーナ・ジョリーが「予防的両側乳房切除」をブレークさせたところに、
今度はしぶる医師を説得して「予防的前立腺切除」を強行した
53歳の英国人男性のニュースもあった ↓
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10528
で、こういう科学とテクノで簡単に“プロアクティブな予防”文化が浸透していった先に
やってくる流行が「アルツハイマー病を予防するための思いやりに満ちた安楽死」……?
しかし、なんにせよ、
「安楽死のポリティックス」という表現は、どんぴしゃ。
【関連エントリー】
英国
英国著名哲学者、認知症患者に「死ぬ義務」(2008/9/29)
Pratchett氏の「自殺幇助委員会」提言にアルツハイマー病協会からコメント(2010/2/3)
オランダ
「IC出せない男児包皮切除はダメ」でも「IC出せない障害新生児も認知症患者も殺してOK」というオランダの医療倫理(2011/11/12)
ベルギー
ベルギーで「知的障害者、子どもと認知症患者にも安楽死を求める権利を」(2012/5/5)
ベルギー社会主義党「未成年と認知症患者にも安楽死を」(2012/12/22)
米国
「認知症末期患者のビデオを見せて延命治療拒否の決断を促そう」とMGHのお医者さんたち(2009/6/5)
09年のSacks vs Mitchell論争
「認知症患者の緩和ケア向上させ、痛みと不快に対応を」と老年医学専門医
「認知症はターミナルな病気」と、NIH資金の終末期認知症ケア研究
NYTもMitchell、Sacksの論文取り上げ認知症を「ターミナルな病気」(2009/10/21)
“Alzheimer’s disease, media representations and the politics of euthanasia: constructing risk and selling death in an aging society” という本を出し、
メディアによるアルツハイマー病の否定的なイメージ操作で
安楽死の対象としていこうとする「安楽死の政治」に警告を発している。
アルツハイマー病は
人口の高齢化に伴って世界中の医療システムにほぼ壊滅的な影響を与える
「今世紀最大の病気」として描かれてきた。
このような描き方は、
「生きながら死んでいるようなもの」「終わりのない葬式」「死んだ方がまし」などの表現と共に、
自分もかかるのでは、そういう姿になるのでは、と人々の恐怖を煽って、
アルツハイマー病を暗黙のうちに安楽死のターゲットとしている。
そうした立場は、アルツハイマー病を解決策の必要な問題とみなしており、
その解決策として予防的で思いやりある安楽死が考えられるようになってきている。
しかし、メディアと安楽死推進の立場の団体が持ち出してくるような
個々の患者のケースだけから問題を「選択の問題」へと単純化することは
世論を一方へ誘導することにしかならない、と。
安楽死は決して単純な選択の問題ではないし、
選択それ自体がもともと単純な問題でもない。
安楽死はきわめて複雑な現象。
アルツハイマー病も
メディアが盛んに流しているような個別のケースで適切に描けるような病気ではない。
Alzheimer’s and the euthanasia debate
BioEdge, May 25, 2013
アンジェリーナ・ジョリーが「予防的両側乳房切除」をブレークさせたところに、
今度はしぶる医師を説得して「予防的前立腺切除」を強行した
53歳の英国人男性のニュースもあった ↓
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/10528
で、こういう科学とテクノで簡単に“プロアクティブな予防”文化が浸透していった先に
やってくる流行が「アルツハイマー病を予防するための思いやりに満ちた安楽死」……?
しかし、なんにせよ、
「安楽死のポリティックス」という表現は、どんぴしゃ。
【関連エントリー】
英国
英国著名哲学者、認知症患者に「死ぬ義務」(2008/9/29)
Pratchett氏の「自殺幇助委員会」提言にアルツハイマー病協会からコメント(2010/2/3)
オランダ
「IC出せない男児包皮切除はダメ」でも「IC出せない障害新生児も認知症患者も殺してOK」というオランダの医療倫理(2011/11/12)
ベルギー
ベルギーで「知的障害者、子どもと認知症患者にも安楽死を求める権利を」(2012/5/5)
ベルギー社会主義党「未成年と認知症患者にも安楽死を」(2012/12/22)
米国
「認知症末期患者のビデオを見せて延命治療拒否の決断を促そう」とMGHのお医者さんたち(2009/6/5)
09年のSacks vs Mitchell論争
「認知症患者の緩和ケア向上させ、痛みと不快に対応を」と老年医学専門医
「認知症はターミナルな病気」と、NIH資金の終末期認知症ケア研究
NYTもMitchell、Sacksの論文取り上げ認知症を「ターミナルな病気」(2009/10/21)
2013.06.07 / Top↑
米国、モンタナ州の男性 Mark Templinさんは
2009年に悪性脳腫瘍で余命6カ月と医師に宣告された。
娘さんの一人が医師にどういう死に方になるかと問うと、
脳腫瘍が「カリフラワーのように」大きくなり、脳出血で死ぬ、との答えだった。
そこでTemplinさんは仕事を辞めて身辺を整理。
家の玄関には「蘇生不要」と大きな張り紙を出した。
家族は最後の誕生パーティを開き、
Templinさんは家族に葬式費用を渡した。
義理の息子に遺灰を入れるための木箱を手作りしてもらい、
いよいよホスピスへ。
途中、拳銃自殺することも考えたという。
ところが、ホスピスで容体は回復。
ホスピスを出て、さらに検査を受けてみると、
脳腫瘍なんかなくて、単なる脳卒中だったことが判明。
誤診で余命宣告をされた精神的苦痛に対して
裁判所は病院に59000ドルの支払いを命じた。
それから「最後の誕生会」の費用と、
予約していた葬式代の賠償も。
The man who didn’t die
BioEdge, May 25, 2013
現在、PAS違法化法案と合法化法案が議会に相次いで提出されている
モンタナ州での出来事だということの意味は大きい。
もしTemplinさんがOR, WA, VT州に住んでいて、
この診断書を根拠に、医師による自殺幇助を申請していたら、認められていたわけだから。
実際、WA州、シアトルのがんセンターSCCAの「尊厳死プログラム」で
余命6カ月とされて医師が致死薬を処方した患者24人のうち、
11人が6カ月を超えて生きた、というデータが出ている。
9人は半年を平均7.4週超えたところで致死薬を飲んで死んでおり、
飲まなかったら、どれだけ生きたかは不明。
最長は半年を18.9週(つまり4カ月)超えてから飲んでいる ↓
シアトルがんセンターの「自殺幇助プログラム」論文を読んでみた(2013/4/15)
改めて医師が「余命」を宣告することの難しさ、
その「余命宣告」がPASの根拠とされることの危うさを考えさせられる事件。
【関連エントリー】
「ガンで死が差し迫った段階を“診断”するツールは未だ存在しない」として、そこで起こる現象の整理を試みた調査(2013/5/22)
新城拓也医師「現時点では医師による終末期の判定は占いの域」(2013/2/23)
2009年に悪性脳腫瘍で余命6カ月と医師に宣告された。
娘さんの一人が医師にどういう死に方になるかと問うと、
脳腫瘍が「カリフラワーのように」大きくなり、脳出血で死ぬ、との答えだった。
そこでTemplinさんは仕事を辞めて身辺を整理。
家の玄関には「蘇生不要」と大きな張り紙を出した。
家族は最後の誕生パーティを開き、
Templinさんは家族に葬式費用を渡した。
義理の息子に遺灰を入れるための木箱を手作りしてもらい、
いよいよホスピスへ。
途中、拳銃自殺することも考えたという。
ところが、ホスピスで容体は回復。
ホスピスを出て、さらに検査を受けてみると、
脳腫瘍なんかなくて、単なる脳卒中だったことが判明。
誤診で余命宣告をされた精神的苦痛に対して
裁判所は病院に59000ドルの支払いを命じた。
それから「最後の誕生会」の費用と、
予約していた葬式代の賠償も。
The man who didn’t die
BioEdge, May 25, 2013
現在、PAS違法化法案と合法化法案が議会に相次いで提出されている
モンタナ州での出来事だということの意味は大きい。
もしTemplinさんがOR, WA, VT州に住んでいて、
この診断書を根拠に、医師による自殺幇助を申請していたら、認められていたわけだから。
実際、WA州、シアトルのがんセンターSCCAの「尊厳死プログラム」で
余命6カ月とされて医師が致死薬を処方した患者24人のうち、
11人が6カ月を超えて生きた、というデータが出ている。
9人は半年を平均7.4週超えたところで致死薬を飲んで死んでおり、
飲まなかったら、どれだけ生きたかは不明。
最長は半年を18.9週(つまり4カ月)超えてから飲んでいる ↓
シアトルがんセンターの「自殺幇助プログラム」論文を読んでみた(2013/4/15)
改めて医師が「余命」を宣告することの難しさ、
その「余命宣告」がPASの根拠とされることの危うさを考えさせられる事件。
【関連エントリー】
「ガンで死が差し迫った段階を“診断”するツールは未だ存在しない」として、そこで起こる現象の整理を試みた調査(2013/5/22)
新城拓也医師「現時点では医師による終末期の判定は占いの域」(2013/2/23)
2013.06.07 / Top↑
昨日の以下のエントリーで取り上げた論文について、
某MLで神戸の新城拓也医師からご解説をいただき、
いただいた情報をエントリー末尾に追記しました。
「ガンで死が差し迫った段階を“診断”するツールは未だ存在しない」として、そこで起こる現象の整理を試みた調査(2013/5/22)
新城先生は10年間ホスピスに勤務の後、
昨年8月に神戸に在宅ケアのしんじょうクリニックを開業された緩和ケア医。
ブログとツイッターは時々読ませていただいていたのですが、
この論文に関連して先生ご自身がリンクしてくださった
予後予測についてのお考えが書かれたものが以下の2本。
僕が、尊厳死法案に反対する理由(2012年8月29日)
http://drpolan.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-b8eb.html
今どきの在宅医療14 在宅医療の患者さんは長生き?「経験の檻」(2013年4月16日)
http://drpolan.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/14-ce20.html
私も昨日のエントリーの論文を読んだ時に
改めて「うへぇ」と思ったのは、
「死の直前7日間でも、そこで起こる様々な現象には
指標とするにはこんなにも科学的なエビデンスが示されておらず“診断”が難しいとしたら、
余命6カ月なんて、正確に予測できるわけがないのに……」だったのだけど、
新城医師は、上記8月のエントリーで、
昨日、尊厳死の法制化を認めない市民の会 に参加しました。かねてよりこの法案には不備が多いと感じていました。僕が法案に反対するのは、医師が患者が終末期と判断することに科学的根拠が乏しいという理由からです。
それに続いて、いつぞや「平穏死」推進の長尾和宏医師の
「いつが終末期かは患者が死んだ後に振り返ってからでなければ分からない」
という趣旨の発言と同様のことが書かれていて、
臨床医は自分が治療を行っている現在の時間においては
それが延命なのか過剰医療なのかは判断できない、と。
そして、
現時点ではまだ、医師による終末期の判定、すなわち予後の予測は占いの域を出ないというのが自分の臨床経験からの実感です。もしも、目の前の患者に対して、「終末期である」という診断を臨床医が下せるとしたら、命の線引きもうこの人は死んだと同然だ、生きている価値はないだろうという、一方的で個人的な価値観から判断しているに過ぎません。
ここで指摘されている感覚こそ、
末尾にリンクした長尾和宏医師が「植物状態ではない人」を「植物状態のような人」と称する時の
「どうせ」という感覚であり、
それは「平穏死」の対象者が長尾医師の著書でジワジワと広げられていっても、
この「どうせ」が無意識に共有されている限り、読者には気づかれないように、
とても危険なことなのでは……?
目の前の患者が終末期であるという、精度の高い、どこでも実施可能で、再現性のある診断技術が確立されないまま、この法案が適用されるのには、僕は反対です。
ここのところ、
昨日のエントリーで紹介した論文の考察でも、
最後に重要な課題として指摘されていた1つに、
「そんなツールは実現不可能なままになる可能性だってある」ということを考えさせられる。
また新城医師は、
今年4月16日のエントリーでは、
予後の予測はとても緩和ケアにとっては重要で、ケアの対応、今後起こりうることの想定も含めて、計画の目標の基礎になる。しかし、最近はこの予後の予測を繰 り返すことで違和感も感じている。それは予言者の様に患者さんの今後を占うことができるという、不遜のようなものが心に宿ることだと思う。
…(略)…実は、僕が在宅を始めて8ヶ月で発見した大きな見落としとは、言葉にすると小さな事に思えるけど、相手の力を信じることだ。
自分が今までの経験から見切った余命が全く当たらない。もうこれ以上は時間はないだろうと、苦痛なく穏やかに亡くなる様に治療を組み立てても、そこからなお 力をその身体に宿し、立ち上がり、笑顔で話しかけてくる患者さんを何人もみてしまった。
控えめに言うなら、今の僕には、患者さんの余命は分からない。医者には余命を的確に指摘することは出来ない、それが僕の経験からの真理である。
だから、在宅の患者さんは長生きで痛みもそれほど感じていないと主張し、
「経験の檻」に閉じこもる在宅医になり、そんな在宅礼讃で
在宅医療をイデオロギーにすることには加担したくない、との
新城医師の主張については、上記リンクから元エントリーへどうぞ。
そこに書かれていることは、昨日のエントリーで読んだ論文で
「理論と経験が相互に補完していることを考慮した理論構築が必要」とされていたことを、
一人の臨床家としての実践において誠実に模索していこうとする医師の努力の姿勢として
spitzibaraは読みました。
【関連エントリー】
「平穏死」提言への疑問 1(2013/2/11)
「平穏死」提言への疑問 2(2013/2/11)
「平穏死」提言への疑問 3(2013/2/11)
長尾和宏医師「平穏死」のダブル・スタンダード 1(2013/2/12)
長尾和宏医師「平穏死」のダブル・スタンダード 2(2013/2/12)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 1(2013/1/17)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 2(2013/1/17)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 3(2013/1/18)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 4(2013/1/28)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 5(2013/1/29)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 6:「新しい医療の文化」とは「重心医療の文化」だった!!(2013/2/5)
某MLで神戸の新城拓也医師からご解説をいただき、
いただいた情報をエントリー末尾に追記しました。
「ガンで死が差し迫った段階を“診断”するツールは未だ存在しない」として、そこで起こる現象の整理を試みた調査(2013/5/22)
新城先生は10年間ホスピスに勤務の後、
昨年8月に神戸に在宅ケアのしんじょうクリニックを開業された緩和ケア医。
ブログとツイッターは時々読ませていただいていたのですが、
この論文に関連して先生ご自身がリンクしてくださった
予後予測についてのお考えが書かれたものが以下の2本。
僕が、尊厳死法案に反対する理由(2012年8月29日)
http://drpolan.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-b8eb.html
今どきの在宅医療14 在宅医療の患者さんは長生き?「経験の檻」(2013年4月16日)
http://drpolan.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/14-ce20.html
私も昨日のエントリーの論文を読んだ時に
改めて「うへぇ」と思ったのは、
「死の直前7日間でも、そこで起こる様々な現象には
指標とするにはこんなにも科学的なエビデンスが示されておらず“診断”が難しいとしたら、
余命6カ月なんて、正確に予測できるわけがないのに……」だったのだけど、
新城医師は、上記8月のエントリーで、
昨日、尊厳死の法制化を認めない市民の会 に参加しました。かねてよりこの法案には不備が多いと感じていました。僕が法案に反対するのは、医師が患者が終末期と判断することに科学的根拠が乏しいという理由からです。
それに続いて、いつぞや「平穏死」推進の長尾和宏医師の
「いつが終末期かは患者が死んだ後に振り返ってからでなければ分からない」
という趣旨の発言と同様のことが書かれていて、
臨床医は自分が治療を行っている現在の時間においては
それが延命なのか過剰医療なのかは判断できない、と。
そして、
現時点ではまだ、医師による終末期の判定、すなわち予後の予測は占いの域を出ないというのが自分の臨床経験からの実感です。もしも、目の前の患者に対して、「終末期である」という診断を臨床医が下せるとしたら、命の線引きもうこの人は死んだと同然だ、生きている価値はないだろうという、一方的で個人的な価値観から判断しているに過ぎません。
ここで指摘されている感覚こそ、
末尾にリンクした長尾和宏医師が「植物状態ではない人」を「植物状態のような人」と称する時の
「どうせ」という感覚であり、
それは「平穏死」の対象者が長尾医師の著書でジワジワと広げられていっても、
この「どうせ」が無意識に共有されている限り、読者には気づかれないように、
とても危険なことなのでは……?
目の前の患者が終末期であるという、精度の高い、どこでも実施可能で、再現性のある診断技術が確立されないまま、この法案が適用されるのには、僕は反対です。
ここのところ、
昨日のエントリーで紹介した論文の考察でも、
最後に重要な課題として指摘されていた1つに、
「そんなツールは実現不可能なままになる可能性だってある」ということを考えさせられる。
また新城医師は、
今年4月16日のエントリーでは、
予後の予測はとても緩和ケアにとっては重要で、ケアの対応、今後起こりうることの想定も含めて、計画の目標の基礎になる。しかし、最近はこの予後の予測を繰 り返すことで違和感も感じている。それは予言者の様に患者さんの今後を占うことができるという、不遜のようなものが心に宿ることだと思う。
…(略)…実は、僕が在宅を始めて8ヶ月で発見した大きな見落としとは、言葉にすると小さな事に思えるけど、相手の力を信じることだ。
自分が今までの経験から見切った余命が全く当たらない。もうこれ以上は時間はないだろうと、苦痛なく穏やかに亡くなる様に治療を組み立てても、そこからなお 力をその身体に宿し、立ち上がり、笑顔で話しかけてくる患者さんを何人もみてしまった。
控えめに言うなら、今の僕には、患者さんの余命は分からない。医者には余命を的確に指摘することは出来ない、それが僕の経験からの真理である。
だから、在宅の患者さんは長生きで痛みもそれほど感じていないと主張し、
「経験の檻」に閉じこもる在宅医になり、そんな在宅礼讃で
在宅医療をイデオロギーにすることには加担したくない、との
新城医師の主張については、上記リンクから元エントリーへどうぞ。
そこに書かれていることは、昨日のエントリーで読んだ論文で
「理論と経験が相互に補完していることを考慮した理論構築が必要」とされていたことを、
一人の臨床家としての実践において誠実に模索していこうとする医師の努力の姿勢として
spitzibaraは読みました。
【関連エントリー】
「平穏死」提言への疑問 1(2013/2/11)
「平穏死」提言への疑問 2(2013/2/11)
「平穏死」提言への疑問 3(2013/2/11)
長尾和宏医師「平穏死」のダブル・スタンダード 1(2013/2/12)
長尾和宏医師「平穏死」のダブル・スタンダード 2(2013/2/12)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 1(2013/1/17)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 2(2013/1/17)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 3(2013/1/18)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 4(2013/1/28)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 5(2013/1/29)
『シリーズ生命倫理学 第4巻 終末期医療』メモ 6:「新しい医療の文化」とは「重心医療の文化」だった!!(2013/2/5)
2013.05.23 / Top↑
16日の補遺のトップに拾った論文を
kar*_*n28さんがゲット・シェアしてくださったので、読んでみた。
(ただ使用されているDelphiテクニックなるものがさっぱりわからず
メソッドの個所に書かれた詳細はパスしたため、理解できたのは概要のみです)
論文タイトルは
International palliative care experts’ view on phenomena indicating the last hours and days of life
Supportive Care in Cancer
June 2013, Volume 21, Issue 6, pp1509-1517
著者はスイス、ドイツ、NZ、イタリア、アルゼンチン、
英国、スウェーデン、スロベニア、オランダの研究者13人。
アブストラクトその他はこちら ↓
http://link.springer.com/article/10.1007%2Fs00520-012-1677-3
まず、この調査の背景として書かれていることの中に
興味深い指摘がいくつかあるので拾っておくと、
・がん患者への無益な治療がQOLを下げている問題が広く注目されるにつれて
死を予測するファクターに興味が集まってはいるものの、
……no valid tool has yet been developed to recognize the dying phase in a cancer disease trajectory.
がんの領域では、死のプロセスが始まった段階をそれと知るための有効なツールは今なお開発されていない。
・Palliative Prognostic Score(Pap)とPalliative Prognostic Indexは
終末期のがん患者の生存を正確に予測するための指標ではあるが、
死があと数日または数時間に差し迫った段階を知るためのツールではない。
・リヴァプール・ケア・パスウェイ(LCP)は
死が差し迫った患者へのLCPの適用基準の枠組みを示してはいるものの
その枠組みに厳密な科学的エビデンスがあるわけではない。
【関連エントリー】
“終末期”プロトコルの機会的適用で「さっさと脱水・死ぬまで鎮静」(英)(2009/9/10)
「NHSは終末期パスの機会的適用で高齢患者を殺している」と英国の大物医師(2012/6/24)
英国の終末期パスLCPの機会的適用問題 続報(2012/7/12)
LCPの機械的適用でNHSが調査に(2012/10/28)
・そこで、死が数日後、数時間後に差し迫った段階の患者に適切なケアを提供するためには、
…… tools to diagnose dying must be developed for clinical use.
臨床で死のプロセスが始まった段階を診断するためのツールが開発されなければならない。
として、
死が数日または数時間後に差し迫った段階を知るために
その段階で起きる現象について、専門家の間でのコンセンサスを元に整理することがこの調査の目的。
この調査では「死のプロセスが始まった段階(dying phase)」を「死の直前7日間」と定義。
調査では、
① 医療専門職、ボランティア、一般人252人へのアンケートで
194種の現象と気付きや観察を出してもらった。
② その中から専門家のコンセンサスが80%以上得られた58種の現象を抽出し、
9つのカテゴリーに分類した。
③ その58の現象を緩和ケアの専門家78人(医師、看護師と
心理・社会・スピリチュアル支援の専門家)が
患者が数時間/日以内に死亡することを臨床的に予測できるかという視点で
ランク付けし、50%以上が「非常に適している」とみなしたのは21の現象。
最終的に以下の7つのカテゴリーに整理した。
・呼吸状態(breathing)
・全身状態の悪化 (general deterioration)
・意識/認知状態 (consciousness/cognition)
・肌の状態 (skin)
・水分、食物その他の摂取状況 (intake of fluid, food, others)
・情緒の状態 (emotional state)
・その他 (non-observation/expressed opinions/others)
現象は各カテゴリーに3つずつ。
これらのカテゴリーに変化が見られることが
臨床家が死のプロセスが始まった段階を見極めるのに最も適した指標、と
調査からは結論されるが
アンケートの回答の中には
問いの文言の曖昧さや特定の現象を著わす文言への誤解から回答を拒否したものや
また含めるべき現象が漏れているとの指摘もあり、
緩和ケアの専門家のカンも決して無視できず、
理論と経験が相互に補完していることを考慮した理論構築が必要となるなど、
今後、臨床で使えるものとするためには、
これらの現象についてさらに研究し、明確にしていく必要がある。
この調査結果は、その端緒とすべきものである。
なお、この調査のいくつかの限界の他にも
以下の2点が重要な問題として指摘されている。
① 死のプロセスで起こることの段階や現象について共通の定義は存在しないが、
言い伝えられてきたことと実際に観察可能な現象があいまって
アプローチが今後さらに高度化されたとしても、
死が差し迫った段階を詳細に「診断」することは不可能なままに留まる可能性がある。
② 死のプロセスが正確に診断されるようになることが
実際に具体的なメリットをもたらすとのエビデンスは未だに示されていない。
一方、エビデンスが出てきているのは、
コミュニケーションを改善することの重要性である。
Clear and compassionate communication focused on the individual needs of patients and families can help to deliver high quality care at the end of life.
終末期の良質なケアを提供するためには、患者と家族個々のニーズを重視した明瞭で思いやりに満ちたコミュニケーションが必要である。
【23日追記】
某MLで神戸の緩和ケア医、新城拓也先生からご解説をいただきましたので、
エントリー段階ではよく分からないまま放置した点について、補足。
・この調査は、
EU 第7 のフレームワークプログラムによって融資された
OPCARE9と呼ばれる最近完了された3 年の国際的なプロジェクトの成果の一環。
・緩和医療については米国よりもヨーロッパで国際的な連携で研究が行われている。
・それ以上に最近成果を上げているのはオーストラリアの D. Currow教授のグループ。
Currowの研究についてはこちらに ↓
http://academic.research.microsoft.com/Author/18279212/david-christopher-currow
・Delphiテクニックとは、早く言えば多数決のこと。
話し合いの中でその問題を取り上げることの妥当性(relevanceのことだと推測)を
0―9のスコアで付けることによって、平均点が例えば7以上ならOK,
それ以下なら話しあうか、それ以上話しあっても合意できないとして却下する、
といった方法。
・この研究では Cycle3まであることから、
つまりは、そうして3回ふるいにかけた、という意味。
・この研究で面白い点として新城医師が挙げておられるのは
「医療職の直感、家族の直感を項目として検討したことです。
本人の予感も助けになることもあります」
kar*_*n28さんがゲット・シェアしてくださったので、読んでみた。
(ただ使用されているDelphiテクニックなるものがさっぱりわからず
メソッドの個所に書かれた詳細はパスしたため、理解できたのは概要のみです)
論文タイトルは
International palliative care experts’ view on phenomena indicating the last hours and days of life
Supportive Care in Cancer
June 2013, Volume 21, Issue 6, pp1509-1517
著者はスイス、ドイツ、NZ、イタリア、アルゼンチン、
英国、スウェーデン、スロベニア、オランダの研究者13人。
アブストラクトその他はこちら ↓
http://link.springer.com/article/10.1007%2Fs00520-012-1677-3
まず、この調査の背景として書かれていることの中に
興味深い指摘がいくつかあるので拾っておくと、
・がん患者への無益な治療がQOLを下げている問題が広く注目されるにつれて
死を予測するファクターに興味が集まってはいるものの、
……no valid tool has yet been developed to recognize the dying phase in a cancer disease trajectory.
がんの領域では、死のプロセスが始まった段階をそれと知るための有効なツールは今なお開発されていない。
・Palliative Prognostic Score(Pap)とPalliative Prognostic Indexは
終末期のがん患者の生存を正確に予測するための指標ではあるが、
死があと数日または数時間に差し迫った段階を知るためのツールではない。
・リヴァプール・ケア・パスウェイ(LCP)は
死が差し迫った患者へのLCPの適用基準の枠組みを示してはいるものの
その枠組みに厳密な科学的エビデンスがあるわけではない。
【関連エントリー】
“終末期”プロトコルの機会的適用で「さっさと脱水・死ぬまで鎮静」(英)(2009/9/10)
「NHSは終末期パスの機会的適用で高齢患者を殺している」と英国の大物医師(2012/6/24)
英国の終末期パスLCPの機会的適用問題 続報(2012/7/12)
LCPの機械的適用でNHSが調査に(2012/10/28)
・そこで、死が数日後、数時間後に差し迫った段階の患者に適切なケアを提供するためには、
…… tools to diagnose dying must be developed for clinical use.
臨床で死のプロセスが始まった段階を診断するためのツールが開発されなければならない。
として、
死が数日または数時間後に差し迫った段階を知るために
その段階で起きる現象について、専門家の間でのコンセンサスを元に整理することがこの調査の目的。
この調査では「死のプロセスが始まった段階(dying phase)」を「死の直前7日間」と定義。
調査では、
① 医療専門職、ボランティア、一般人252人へのアンケートで
194種の現象と気付きや観察を出してもらった。
② その中から専門家のコンセンサスが80%以上得られた58種の現象を抽出し、
9つのカテゴリーに分類した。
③ その58の現象を緩和ケアの専門家78人(医師、看護師と
心理・社会・スピリチュアル支援の専門家)が
患者が数時間/日以内に死亡することを臨床的に予測できるかという視点で
ランク付けし、50%以上が「非常に適している」とみなしたのは21の現象。
最終的に以下の7つのカテゴリーに整理した。
・呼吸状態(breathing)
・全身状態の悪化 (general deterioration)
・意識/認知状態 (consciousness/cognition)
・肌の状態 (skin)
・水分、食物その他の摂取状況 (intake of fluid, food, others)
・情緒の状態 (emotional state)
・その他 (non-observation/expressed opinions/others)
現象は各カテゴリーに3つずつ。
これらのカテゴリーに変化が見られることが
臨床家が死のプロセスが始まった段階を見極めるのに最も適した指標、と
調査からは結論されるが
アンケートの回答の中には
問いの文言の曖昧さや特定の現象を著わす文言への誤解から回答を拒否したものや
また含めるべき現象が漏れているとの指摘もあり、
緩和ケアの専門家のカンも決して無視できず、
理論と経験が相互に補完していることを考慮した理論構築が必要となるなど、
今後、臨床で使えるものとするためには、
これらの現象についてさらに研究し、明確にしていく必要がある。
この調査結果は、その端緒とすべきものである。
なお、この調査のいくつかの限界の他にも
以下の2点が重要な問題として指摘されている。
① 死のプロセスで起こることの段階や現象について共通の定義は存在しないが、
言い伝えられてきたことと実際に観察可能な現象があいまって
アプローチが今後さらに高度化されたとしても、
死が差し迫った段階を詳細に「診断」することは不可能なままに留まる可能性がある。
② 死のプロセスが正確に診断されるようになることが
実際に具体的なメリットをもたらすとのエビデンスは未だに示されていない。
一方、エビデンスが出てきているのは、
コミュニケーションを改善することの重要性である。
Clear and compassionate communication focused on the individual needs of patients and families can help to deliver high quality care at the end of life.
終末期の良質なケアを提供するためには、患者と家族個々のニーズを重視した明瞭で思いやりに満ちたコミュニケーションが必要である。
【23日追記】
某MLで神戸の緩和ケア医、新城拓也先生からご解説をいただきましたので、
エントリー段階ではよく分からないまま放置した点について、補足。
・この調査は、
EU 第7 のフレームワークプログラムによって融資された
OPCARE9と呼ばれる最近完了された3 年の国際的なプロジェクトの成果の一環。
・緩和医療については米国よりもヨーロッパで国際的な連携で研究が行われている。
・それ以上に最近成果を上げているのはオーストラリアの D. Currow教授のグループ。
Currowの研究についてはこちらに ↓
http://academic.research.microsoft.com/Author/18279212/david-christopher-currow
・Delphiテクニックとは、早く言えば多数決のこと。
話し合いの中でその問題を取り上げることの妥当性(relevanceのことだと推測)を
0―9のスコアで付けることによって、平均点が例えば7以上ならOK,
それ以下なら話しあうか、それ以上話しあっても合意できないとして却下する、
といった方法。
・この研究では Cycle3まであることから、
つまりは、そうして3回ふるいにかけた、という意味。
・この研究で面白い点として新城医師が挙げておられるのは
「医療職の直感、家族の直感を項目として検討したことです。
本人の予感も助けになることもあります」
2013.05.23 / Top↑
14日に自殺幇助合法化法案が議会を通過したVermont州で
Peter Schumlin知事が20日、法案に署名。
即日、施行となった。
(実際には保健局の制度導入の準備に数週間かかる)
名称は the End of Life Choices law。
「終末の選択法」。
同州の医療コミッショナーは
年間10から20の処方箋が出され、
その中のわずかな患者が実際に致死薬を使用するのでは、と。
Vermont is 4th state to legalize assisted suicide
Seattle Pi (AP), May 20, 2013
Seattle Post-intelligencer紙の記事の元記事はAP通信。
APはこの問題に限らず、偏向している印象があるのだけど、
この記事でも、米国でPAS合法化された「第4の州」として、
モンタナ州をカウントしている。
MT州は最高裁の判決は出たものの、
それをもって「合法化された」と解釈する推進派と
それだけでは合法化されたとは言えないと解釈する慎重派が
それぞれの立場への法の明確化を求めて議会でせめぎ合っている。
【VT州のPAS関連エントリー】
「自殺幇助は文化を変える、医療費削減とも結びつく」とVT州でW.・Smith講演(2011/1/17)
VT州、自殺幇助合法化せず、公費による皆保険制度創設へ(2011/5/10)
Vermont州の自殺幇助合法化法案が上院を通過(2013/5/12)
VT州の“尊厳死法”成立へ(2013/5/14)
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それぞれの立場への法の明確化を求めて議会でせめぎ合っている。
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