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80代前半のスイスの女性Alda Grossさんが、
医師による自殺幇助を希望したものの、何の病気もないために
致死薬を処方してくれる医師を見つけることができず、
このまま老いて弱っていくよりも死ぬことを選ぶ権利があると訴えていたケースで、

欧州人権裁判所は、
スイスの自殺幇助に関する法律は曖昧であり、
どのような場合に致死薬の処方が認められるのかについて明確化が必要、と判断。

EU court finds Swiss assisted suicide laws vague
AP, May 14, 2013



【関連エントリー】
相強制障害者の自殺希望に欧州人権裁判所「自殺する権利より、生きる権利」(2011/1/28)

欧州人権裁判所に「死の自己決定権」提訴(独)(2010/11/23)
欧州人権裁判所「ドイツ政府が自殺幇助希望を検討しなかったことは欧州人権条約違反(2012/7/30)
2013.05.14 / Top↑
オランダ政府が、入所型介護支援を最重度者に限定し、
約3万人のリストラを含め介護予算を40%カットして
介護提供責任を地方自治体に移し、
10億ユーロの支出削減を予定していることを受け、

オランダの地方自治体連合から、
それなら介護を必要とする人はまず家族と友人に助けを求めることを
義務付ける権限を地方自治体に与えよ、

さもなければ政府のナーシング・ホーム改革は不可能、と
副保健大臣に申し入れ。

Families must be forced to help elderly relatives, say councils
Dutch News.nl, May 14, 2013


頼るべき家族も友人もいなかったり、
家族や友人に介護を担うだけの余裕がなければ、

……そこは、ほら、オランダのことですゆえ……?
2013.05.14 / Top↑
標題の件について多くの記事が出ているものの、
ちゃんと読めていないのですが、

なんでもオレゴン州の尊厳死法と類似の法案でありながら、
オレゴンの尊厳死法の規制が全て盛り込まれておらず、
緩やかな内容になっているとか。

http://guardianlv.com/2013/05/assisted-suicide-may-soon-be-legal-in-vermont/
http://www.burlingtonfreepress.com/article/20130508/NEWS03/305080025/Senate-OKs-altered-end-life-bill


The Vermont Alliance for Ethical Healthcareから
10日付で反対声明が出ています。

この法案が通ったら、
セーフガードが不十分で、
医師による自殺幇助が法の枠組みの範囲で行われたかどうか
見極めることは不可能、と。

Statement from Vermont Alliance for Ethical Healthcare on “Unrestricted” Assisted Suicide Bill Being Considered by the Vermont Legislature
Dr. Mahoney: It is Oregon-style assisted suicide 2.0


The Vermont Alliance for Ethical Heathcareのサイトはこちら ⇒ http://www.vaeh.org/

VT州における終末期の倫理的な医療のあり方を推進し、
PASと安楽死の合法化に反対する趣旨の団体。

オレゴン州の尊厳死法関連のデータや情報を
取りまとめてアップしてあるようです。


               -----

ちなみに、英国関連でも、
3月に以下の情報を拾いましたが、

いよいよ提出されるようです。

Falconer議員、5月に自殺幇助合法化法案提出へ(英)(2013/3/2)
2013.05.14 / Top↑
またまた医師による自殺幇助(PAS)に、
新たなパターンが登場。

ペースメーカー、ICD(埋め込み型除細動機)、LVAD(左室補助装置)を埋め込んでいる患者さんが、
それらがまだ機能しているのにスイッチを切ってほしいと
医師に要望するケースが増えているんだとか。

フロリダ大学の法学者、Lars Noahが法学ジャーナルに論文を書き、
法的検討の必要を問題提起している。

医療倫理学者らはこうした装置の停止について、
その他の外からの医療介入で既に中止を認められているものと同じとみなしているが、

心臓補助装置の停止は、
生命維持処置を最初から拒否することと、
一旦始めた後になって中止を求めることを同じとみなすことそのものに、
重大な疑義を呈する問題である、として、

こうした形態の医師による死の幇助の合法性について
今なお曖昧なままになっている問題の数々に、法的な議論が必要、と。

Noahの論文アブストラクトはこちら ⇒http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=2250471

Legality of Deactivating Implanted Cardiac-Assist Devices
Medical Futility Blog, May 5, 2013
2013.05.08 / Top↑
ある方から、大変興味深い論文をお知らせいただきました。
(Mさん、ありがとうございました)

研修医は医療行為をすべきか悩み、誘導する - ポートフォリオ相談事例の質的分析から
副士元春、名郷直樹
日本プライマリ・ケア連合学会誌 2012, vol. 35, no. 3, p. 209-215


インターネットで全文が読めますが、アブストラクトは以下。

目的:後期研修医から相談された事例を分析することで,研修医が直面する臨床上の問題を分析・構造化し,ポートフォリオを用いた指導・評価のための方法論を模索する.

方法:ポートフォリオ作成支援のための個別面談でのやりとりを音声記録したものをデータとし,Steps for Coding and Theorization(SCAT)を一部改変した方法にて質的分析を行った.

結果:研修医は<医療行使主義>と<医療虚無主義>の両極端の間に立たされ迷う場面に遭遇する.その両極端に悩みながら,<説得の儀式>や<希望つぶし>といった,どちらかの極端に誘導するための方法を用いる傾向がみられる.

結論:ポートフォリオを介した研修医との面談から,臨床現場で起きている問題構造の一端を明らかにできた可能性がある.臨床上の決断の傾向を構造化することで,臨床現場での指導に役立つ可能性が示唆された


研修医の指導に「ポートフォリオ」?? と
まず基本的なところでspitzibaraと同じ疑問を持たれた方は、こちらへ ↓

研修医ポートフォリオ
http://www.igaku-portfolio.net/ken/ken.htm

ポートフォリオについて(砂川市立病院)
http://www.med.sunagawa.hokkaido.jp/training/clinical01/clinical17.html


この論文が言う<医療行使主義>とは、

「早くから介入しといたら」「気管切開を選んでもらう」「診断を下すっていうことが,医学的に何か,私ができることなんじゃないか」などのテキストデータに代表されるように,患者本人や家族の希望に関わらず,治療や診断行為などの医療的介入は行われることが前提であるという研修医の傾向が,抽出されたやりとりの中では頻繁に垣間見られた.…(中略)…そこで、どんな医療介入も行使されることが前提, という研修医の傾向を<医療行使主義>と言い換えた。

<医療虚無主義>とは

「してもしょうがない」「ここまでしなくても」「もしその場にいたら, おそらく「挿管しよう」って, 私は言わなかった」などのテキストデータに代表されるように, 患者本人や家族の希望に関わらず、治療や診断行為などのどんな医療介入も行われないことが前提であるという研修医の傾向が、一部のやり取りの中で垣間見られた。<医療行使主義>とは対極に位置づけられるこのような特徴的な現象は、解析には重要であると考えられたため、<医療虚無主義>と言い換えた。


その上で、以下のように概念化。

……研修医が記述に困難さを感じる局面では、<医療行使主義>と<医療虚無主義>の【両極端の間に立たされ迷う】という現象が見られていると概念化した。
 本来、治療方針の判断は最終的に決定されるべきことではあるが、患者本人や家族の意向なくしてあらかじめ方向性が示されていることは、研修医にとっては葛藤や不安感を軽減する作用が期待されているのだろう。


<説得の儀式>とは

……治療方針を協議するプロセスであるはずの家族カンファレンスの場面における相談では、在宅医療の準備をして退院、精査のため広報病院へ紹介など、研修医がすでに決められた方針へ積極的に誘導しようとする言動がうかがえた。……やりとりからは研修医が日常的に慣習化した手順として誘導していることが推察された。このような無意識に慣習化した現象をグループ化して<説得の儀式>と言い換えた。

<希望つぶし>とは

 また、患者や家族が治療や今後の予後に対して過度の期待を持っている事例における相談では、「人間の死亡率は100%」「ちょっと厳しい感じで言って」など、期待を諦めさせようとする言動が見られた。このような現象をグループ化して<希望つぶし>と言い換えた。


で、先ほど指摘された【両極端の間に立たされ迷う】場面に直面した研修医は、
<説得の儀式>や<希望つぶし>という【いずれかの極端に誘導するための方法】を
用いる傾向がある、と分析。

しかし、この論文のデータが非常に興味深いのは、一部の例外で、
患者に<振り回されてみよう>と【両極端の間に耐える】という行動へ至った事例があること。

それから、結論の以下の部分。

特に治療方針の決断については、倫理的な葛藤として取り扱われることがあるが、さらに視野を広げ、医師や医療従事者の行動全般を構造化することによって、医療現場で起きている問題を異なる次元で記述することができるのでは何かという可能性も示唆された。


これ、次元の違いというよりも、
「倫理的な葛藤」という哲学的な問いであるとされる問題の背景に
実際は潜んでいるものを解明することのような気がする。

「倫理的な葛藤」への答えを見つけようと試みられるのではなく、
医療職側の「葛藤や不安を軽減する」ために、
どちらか一方に誘導して決めてしまおうという心理が働いている、と。

この論文を読んで私が思い出したのは、
ワイルコーネル大の脳神経科医、Joseph J. Finsが
植物状態や最少意識状態の患者で、医師らが最悪の予後を予測して
家族に治療の中止を勧めがちなことについて言っていた、

「早いところさっぱり決着をつけてしまおうと、
分からないことが沢山あるのに無視してしまっているが、
そんなに早くから一律に悪い方に決めてしまうのは間違っている」という発言。

睡眠薬による「植物状態」からの「覚醒」続報(2011/12/7)
(このエントリーの中では上記の発言は訳していませんが、このNYT記事での発言)


Fins医師は、時間をかけて待ち、様子を見るべきだと言っているのだけれど、
希望とも絶望とも、どちらとも先が見えない状態で「待つ」のは苦しいこと。
それが、この論文の「耐える」という言葉によく表現されていると思う。

実際、この論文の言葉を使えば
日本の尊厳死・平穏死議論を含め、安楽死・自殺幇助議合法化議論は
<医療行使主義>を批判しつつ、包括的な<医療虚無主義>へと
短絡的に誘導しているという気がするし、

また日本の「平穏死」本の著者らによる誘導の方法が、まさに、
この論文の著者が絶妙なネーミングを与えているように
<希望つぶし>による、医師の権威に基づいた<説得の儀式>。

でも、仮に<医療行使主義>が行き過ぎているのだとしても、
それに対する問題解決の解は、決して、一気に<医療虚無主義>へと振れることじゃない、と思う。

解は、その両者のどちらでもないところで、
「早いところさっぱりと決着をつけてしまいたい」衝動に耐えて、踏みとどまり、
「さっぱりしない」悩ましさや重苦しさを引き受けつつ、
個々のケースの個別性の中で、関係者みんなが尊重されつつ
丁寧に考えて判断すること、なのでは?


【関連エントリー】
日本の尊厳死合法化議論を巡る4つの疑問(2010/10/28)
「平穏死」提言への疑問 1(2013/2/11)
2013.05.08 / Top↑