そのことを全く失念したまま図書館へ行き、まったく別の本を探していたら、
棚のずいぶん下の方から誰かに呼ばれている感じがした。
で、なんとなく呼ばれるままに目をやったら、
そこにいたのが、この本だった。
「あらま、あんたってば、そんなところにいたの……」と驚き、
これはただの偶然ではあるまいと、さっそく借りて帰ったら、
やっぱり、なんとも素敵な本だった。
粘土でにゃにゅにょ 土が命のかたまりになった!
田中敬三著 岩波ジュニア新書
滋賀県の第二びわこ学園で
1979年から定年退職する2003年まで粘土室の主任を務めた田中敬三氏が、
びわこ学園の「園生さん」たち(と著者は当時の呼び方のまま書いている)が
粘土の世界で見せる素晴らしい笑顔や表情や変化をつづったもの。
それは例えば著者が以下のように総括する世界。
園生さんが好む硬さに粘土を練っておくのが私の仕事、また私は園生さんが好む「おもちゃ」の提供者にすぎません。造形という点からすれば、指導できない指導です。
園生さん一人ひとりに個性があって、表現方法にも個性があり、粘土でのあそび方や作品にもそれぞれの顔が出てくる。粘土は、その一人ひとりにうまく対処してくれたのです。
にゅるにゅる、ねちゃねちゃ、ぬるぬる、むにゅー。
「園生さんの粘土の世界は「な行」の世界やなぁ」
「だったら、「にゅにゅにょ」というのはどうや」
粘土活動の初めての記録冊子をつくる際、タイトルを考えていたら職員からそんなアイデアが出されました。粘土の世界は、「にゃにゅにょ」の世界。一人ひとりにあわせ、自在に変化する何ともおもしろい世界です。
(p.141-142)
それぞれに重い障害を持つ「園生さん」たち一人ひとりが、
どのようにして粘土と出会っていったか、
粘土とどのようにやりとりしながら、どんな作品を作り、
どんな表情を見せたか、丁寧につづられる文章を読み進んでいくと、
著者は作業療法士ではないけれど、
それでも生まれついての作業療法士だったんじゃないかなぁ、という気がしてくる。
なにしろ、この人は粘土室の初期から、
こんなことをさらりとやってしまう人なのだ。
……自発的に粘土にふれられない重度の障がいがある人には、反発力のある固い粘土はやはり受け入れがたいものでした。そこで私はクリームのようなキメの細かい粘土を用意しました。職員がこのつるつるの粘土で園生さんの手をなでます。これだと、重度の障がいをもつ園生さんも、手をひっこめることなく、心なしかうっとりして見えます。
次にこの粘土でお互いの手と手をくっつけ、引き離そうとしてみます。しかし、間に空気がなくすっかり密着してしまっていて、離そうにも離れません。このときの粘土は「接着剤」です。
手と手をくっつける時に空気が入っていれば、これを押すと、お互いの手の間から「オナラ」が出ます。プッという音、振動、空気の動く感触。重い障がいを持っている人でも、この思わぬ刺激をしっかり受け止めているようです。
(p.63,67)
そのため、目の見えない人も音や感触で粘土遊びに熱中する。
自閉傾向があり、服を何枚も頭からかぶって中から自分で締め上げて、
脱がそうとすると自傷行為に至る泰代さんの場合には、著者はまず
ひも状に伸ばした粘土を一本、頭の上に置く。そして、また一本。
本人が次を期待し始めるのを見ながら、次々に頭の上に載せていく。
「重さが心の安定をもたらしてくれるのだろうか」という著者の観察に、
私はかつて訳したことのある感覚統合のテキストの一節を思い出した。(ちなみにこれ)
75ページに粘土のひもを何本も頭から垂らした泰代さんの写真がある。
服から出した顔はくつろぎ、うっすらと微笑んでいる。目には、そこはかとなくチャメまで漂う。
この本には、こうした素晴らしい表情や笑顔の写真が沢山おりこまれている。
一人ひとりの体臭まで立ち上ってきそうなほど生き生きした写真ばかりだ。
撮影者は著者自身。
田中氏はその後、粘土室にもみ殻や麦や大豆をもちこんで、
感覚遊びをさらに発展させていく。これもまた、まさに作業療法の世界――。
以前、OTさんの世界を仕事でちょっと覗かせてもらった時に感じたのだけれど、
作業療法というのは医療の中では最も患者にも患者の生活にも近いところにいて、
いわゆる「専門家」の世界に懐疑だらけの「重症障害児の母親」をやってきた私には
ずいぶん魅力的な領域に思えたものの、
作業療法の世界の人たちを見ていると、
もともとOT的な感性なのか資質なのかを持っている人が
教育や研修によって身につけた知識やノウハウや技術を通じて
自分の感性や資質を開花させた時にものすごい力を発揮するOTに化ける反面、
基本的なOT的感性なのか資質なのかを全く欠いた人が
教育や研修によって知識やノウハウや技術を身につけると、
知識やノウハウや技術に縛られてPTみたいなOTにしかならない……のかな、と思ったことがある。
それはどこかで、学校の先生とか医療職とか支援全般とか、
人と関わり人とかやり取りを通じて相手に働きかけていく仕事に就く人に
共通して言えることのような気がしないでもないのだけど、
そして、それはバイバイのエントリーのコメントで
yaguchiさんが書いてくださった「人と人とが相互作用するダイナミズム」に
通じていくとも思うのだけど、
そういうことも含めて、田中敬三という人は生まれながらの作業療法士、
それも感覚統合的な感性や資質をたっぷり持った人なんじゃないかなぁ……と思う。
ウンチを触って遊ぶ人と一緒に粘土でつくったウンチで遊んでみたり、
紙をちぎるのが好きな人には粘土の紙をいくつもちぎってもらって
その積み重ねが「作品」になったり、
著者は一人ひとりの「その人」をしっかり「見る」こと「感じる」ことから
その人と粘土のやりとりのヒントを見つけ、そこから、その人の感覚や遊びを広げていく。
あくまでも自分は媒体となって――。
中でも「わっ、すごいっ」と思わされた一人が
硬直型の寝たきりで、自由に動かせるのは左足だけ……といった英史さん。
彼は寝たまま左足裏の感覚だけで粘土を少しずつ長く伸ばすことを根気よく模索し、
ついに3メートルにも及ぶ粘土の巨大なヘビを作ることに成功する。
また田中氏が、いくつもできた彼の3メートルの作品を焼くために、
独自に窯を研究・工夫し、信楽まで出掛けて窯を解体する作業をしてはレンガを集めて
2年もかけて窯を作ってしまうと来る。
なかなか、ここまでできるものじゃない。
こんなことは研修や努力でできることでもない。
さらに、こういう人が職員にいたからといって、
重心施設の一角に「粘土室」を作って専従の職員に据える……などという
思い切った人の使い方ができる施設が、そもそも、なかなかあるものじゃない。
(さらにこの先は、そんな現場の裁量が許されない時代になっていくんだろうなぁ、悲しいなぁ……)
びわこ学園といえば、
「重い障害を生きるということ」の高谷清氏が園長を勤めた施設。
この本に描かれているびわこ学園は、高谷氏の前任者の時代のようだけれど、
高谷氏の新書で重症児・者について読む人たちに、ぜひこの本を合わせ読んでもらって、
この本にたくさん掲載されている写真で
「園生さん」たちが粘土と取り組む姿と表情を一人でも多くの人に見てもらって
こんなにも生き生きとした姿を見せる人たちのことを
初めて見た人の多くが恐らくは「何も分からない」「何もできない」人たちだと
何の疑いもなく思いこんでしまうのだという事実について、
そして「こういう人が生きていて幸せなのか」「生きているのはかわいそうではないか」と
勝手に思いを巡らせてしまうのだという事実について、
改めて考えてみてもらえたら、と思う。
【関連エントリー】
高谷清著「重い障害を生きるということ」メモ 1
また、ミュウを始め、私が直接知っている重症児者の姿を
ありのままに描いてみようとする試みのエントリーは
「A事件・重症障害児を語る方に」の書庫にあります。
この書庫のエントリーを読んでくださる方の中には
ミュウの障害はそれほど重くないようにイメージされる方も、
ミュウよりもっと重症の人だっている、とそちらを問題にされる方もあるかもしれませんが、
ミュウは、
初めて見る人の多くが「何も分からない子」と思いこまれるであろう、
寝たきり全介助、言葉を持たない24歳です。
知らない人が見たら「何も分からない」「何もできない」と思われてしまう、
(もしかしたら医師の中にだってそう考えている人がいるかもしれない)ミュウが、
実際は、こういう人として日々を暮らしているのだということの意味を考えていただければ。
一つだけ、もしかしたら
アシュリーやミュウが重症身障害児・者の幅広いグラデーションの中では
むしろ「軽い」方に類するから、という面はあるかもしれないのだけれど、
重症障害児・者の「意識」について書かれていることの中に、
親としては、ちょっともどかしい気分になるところがある。
それは例えば、
20日のエントリーで、トリソミー13の子どもの意識状態について
倫理委からの問い合わせを受けた遺伝学の専門家の
「言葉を話したとか、親が『この子は分かっている』というのは聞くが、
それが事実かどうかは自分にはわからない」という応えを読んだ時に感じる、
隔たりと、もどかしさのようなもの。
もちろん著者はこの人のように「事実かどうか自分にはわからない」と突き放してはいないし、
著者なりの分かり方で誠実に分かろうとしている。
「どうせ何も分からない」「赤ちゃんと同じ」と決めつける人たちの対極にいるという意味では
高谷氏はもちろん私たち親と同じ側にいる。
それでも、私たち重症心身障害のある子どもを持った親が
「この子は分かっている。あなたや私と同じ分かり方ではないかもしれないけれど、
この子なりの分かり方で分かっている」という言い方をする時に、
親の言う「この子なりの分かり方」と、
著者のいう「内在意識」と「関係的存在」の間にある「分かり方」とには
なお隔たりがあるような気がする。
その隔たり感をなんとか言葉で捕まえたいと、あがいているうちに、
このエントリーを書くまでにずいぶん時間が経ってしまった。
今だにそれを説明する言葉を獲得できないことが、さらにもどかしい。
とりあえず、
その隔たりは、もしかしたら、
医療の中から生活を見ている人と、
生活の中に共にどっぷり浸かっている者の隔たりなのだろうか……と考えてみる。
実際に自分の身体でその子(人)を直接ケアすることを通じて、
あるいは一定の期間その子(人)と生活を共にすることによってしか、
つまりは頭や理屈ではなく自分の身体で納得するしか知りようのないこと……というものが
世の中にはある、ということなのかもしれない。
重症児・者の「わかっている」というのは、
そういう類いのことなのかもしれない。
そんなことをぐるぐるしながら、、
「重い障害を生きるということ」や「痴呆を生きるということ」で書いてもらえること、
「逝かない身体」でしか書けないこと……ということを考えている。
「説明できること」と「描くしかできないこと」……について。
その辺りのことは、
この本からもらった宿題として考え続けてみたい。
重い障害のある人、認知症の人の生を
「生きているのがかわいそう」だといい「自分がそうなったら死んだ方がマシ」と言っては
価値なきもの、「社会の負担」として切り捨てようとする包囲網が
じわじわと世界のあちこちから狭められてきている。
そして、それにつれて世の中が寛容や品性を失い
どんどん殺伐とした冷酷な場所になっていく。
包囲網が狭まる速度は、
このブログでニュースを拾ってみるだけでも日々加速していて、
ヤキモキ、ジリジリしてしまうほどだ。
この本を読んだ直後に、某所で高谷氏の言葉に触れた。
その一節に書かれていたのは「思想的対決が必要」――。
その対決では、専門家にしか言えないこともある。
当事者や家族にしか言えないことだってあるはずだ。
だから、
私も共に闘う。
私はここで、このブログで――。
そう心に念じ、武者震いした、
「重い障害を生きるということ」と真摯に向かい合おうとする医師との出会い――。
この本を読みながら重い障害のある子どもをもつ身として非常に強く感じるのは
「こんな医師もいたんだぁ……」という率直な驚き。この感想はミュウの父親も全く同じだという。
著者は若い頃に全障研に参加し、「医療に対する怨嗟の声」をたくさん聞かされたという。
そして、その中から学ぶうち、それらを「恨み節」ではなく
医療に対する「ラブコール」として受け止めるようになったとも書いている。
著者はそうした「ラブコール」から以下のような気付きを得ていく。
……障害のある人にとっては、医療というのは病気を治したり障害を軽くするために存在するのではなく、本人から生活を奪う存在になっているのではないか、ときには人権を侵害しているとの実感をもった。
(p.19)
医療は、発熱や下痢などの「症状」の「改善」をおこない、その原因である「病気」を「治療」する。しかし本人が生活するのに困っている脳性まひや自閉症などの「障害」について、あるいは障害がある人の「健康増進」「障害の改善」や「成長・発達の問題」については何もなし得ていない。実際には医療の専門家でない保育者や教師などによって「障害」の「改善」「軽減」、「健康」などの努力がなされている。その家族や保育者などの取り組みに対して医師が、「外出すると感染症に侵される」「健康を害する」「てんかん発作を誘発する」など「健康管理」の名目で生活を制限し、その結果「健康増進」が妨げられるということがおこっている。
(p.21)
まさに私自身を含めて多くの当事者や家族が医療に対して訴え続けてきたことだと思うし、次の下りも然り。
……医療は医師など医療従事者と患者(障害者・家族)とが向きあって「治療」がなされているが、これでは治す者と治される者の関係だけということになってしまう。そうではなく「病気」あるいは「障害」を対象にして、医療従事者と患者が横に並んで協力しながらとりくんでいくというのが医療のあり方ではないかと強く思った。
(p.24)
私も偶然、4月に全く同じ表現で同じことを書いている ↓
所長、保護者と対峙するのではなく横に並んで共に考えてください、という訴えを受け止めてくれる人と、私はいつまで出会うことができるのでしょうか。
所長室の灰皿(2011/4/20)
実際、この「所長室の灰皿」や冒頭にリンクした10月のエントリーなどでも書いたように、
私たち親子はそれなりに出会いに恵まれてきた方だと思うのだけど、それでも、
高谷氏が重い障害のある子ども達に向けるまなざしの深さには
夫婦ともに、はるかに「並みじゃない」ものを感じる。
それを最も痛感するのは
施設に入園したばかりの重い障害のある子ども達がいきなり親と引き離されて
わずかの間に体調を崩し、死んでしまうケースを紹介・考察する個所。
こういうケースがあることは私も娘の施設でも他の施設に見学に行った際にも聞いたことがある。
その教訓から、初めて親と離れて入所する際には徐々に慣れていけるように
親の宿泊施設を作ったという話も、よく聞く。
ただ、そうした際に、
子ども達がそういう状況で急死する理由について言われるのは
「親と同じだけの丁寧なケアが、その子についてまだ不慣れな施設ではできなかった」とか
「親の介助でないと食べようとしなかった」とか、せいぜい漠然と
「親といきなり離されたら、こういう子は不安定になるもの」という辺りのことだった。
そのことについて、ここまで深く考えてくれる人には出会ったことがない。
子どもたちは、どんなに恐怖があったことであろう。それまで家族と離れたことがなく、それがまったく理由がわからぬまま遠い場所に来て、突然恐ろしげな場所で一人ぼっちになり、わからない言葉を発する白い衣を着た人たち、変形した身体を横たえ奇妙な声を出す同室の子どもたち、あわただしい人の動きやさまざまな騒音、まったく異質の世界に放りだされて、どんなにか不安で、どんなにか恐怖があったことであろう。そのため緊張し、泣き喚き、体は変調をきたし、高熱を発し、食べ物を受けつけず、睡眠をとれなかった。精神の恐怖は肉体を急速に蝕み、ついにわずかな時間で生命を抹殺することになった。
人間の精神は、理由のわからない耐え難い不安と恐怖にさらされたとき、自らの身体を殺してしまうことによって、終息させることがあるという恐ろしくも尊い事実であった。
(中略)
……この子らは不安、恐怖とともに絶望の深淵に身をおいてしまったのだと思う。希望を失ったのだと思う。
(p.36-37)
もう1つ、例えば、
「重症児は音にびっくりして身体を緊張させたり不随意運動やけいれん発作が起きやすい」と
通常は理解されている(白状すると私もその程度で止まっていました)現象について、
著者が「恐怖」のための「叫び」が発作と間違われたケースを紹介した後で
周囲の状況を認識できない人に対しては、音であれ皮膚への接触であれ、最初は弱くおこない、さらに必要であれば徐々に強くするという配慮をしたい。この人たちは、身体的に自由が利かないし、ものごとの認識もできないのであり、「感覚」が外界の状態と本人の関係、結びつきのきわめて大きな部分を占める。しかも、「避ける、逃げる」ことができない状態で、外部からの刺激を受けることになる。
そのために、「驚き」「不安」や「恐怖」というだけでなく、生命体の存在そのものが脅かされ抹消されるという「本源的な恐怖」を感じるのではないかと思うのである。
(p.58)
何がすごいって、著者が子どもたちの「身になって」いること。
「こうした心身に重い障害のある人たちは、世界をどう感じているのか」を考察しようとして、
著者はもの言わぬ、多くの人に「何も分からない」と考えられている当人の「身になって」、
こんなにも細やかな想像力を深く、深く、働かせていく――。
これは、つくづく、すごいことだと思う。
ミュウを通じて出会ってきた「専門家」に私がずっと感じる壁の一つは
「専門家」は相手を「対象」としてしか見ない、ということ――。
「自分はこの人をどうアセスメントするか」「自分はこの人に何ができるか」と、
すべてが「専門家としての自分」からスタートして
相手を「専門家としての自分にとっての対象物」にしてしまう。
そして、そのことにまるで気付こうとしない。
もちろん専門家の仕事は相手を対象化しないと始まらないのだから、
対象化することがいけないと言うつもりはない。
でも、それに無自覚だと、それだけで終わってしまうから、
「本人にとってどうか」が欠落したままになって、
本人や家族は非常に困る。
相手を「対象」にして終わる「専門家」は
「医療」や「福祉」を起点にその範囲でだけモノを見て考え、
それよりもはるかに広い「生活」を見ようとしない。
当人や家族の「身体」や「機能」や「能力」を見て「人」を見ない。
だから「相手の身になってみる」という想像力が働かず、「共感」どころか
「ごく最低限の人としての配慮」すら欠いた無神経な言動で
当事者や家族を傷つけてしゃらりとしている。
当事者や家族の言動に対する判断・反応の基準が
「自分を認め称賛するか批判するか」「自分の仕事がやりやすいか、やりにくいか」になって、
そもそも「誰のための自分の仕事なのか」が忘れられていく。
そんな「専門家の限界」にずっと不満を感じてきただけに、
これほどまでに細やかな想像力で重い障害を持った子ども達の「身になって」
彼らにとって「世の中はどういうふうに感じられているのか」を掘り下げていく著者に、
え? こんな医師だって、いたの……? と、まず率直に驚くし、
子どもたちに向けられた、その深く温かいまなざしを通して
「感覚的存在」として、「身体的存在」として、
「意識」とは「反応」のことだとする医学の捉え方の限界から
その両者を区別するために「外在意識」と「内在意識」という独自の概念を導入して、
さらに、こころで関係を結び周囲と繋がった「関係的存在」として、
重い障害のある子ども達を考えていこうとする段階を経て洞察が深められ
「人間的存在」としての深みへと至る過程は圧巻。
年齢を重ねても「自己意識」は育っていないことが多いと考えられる。しかし、「意識」は育っていないかもしれないが、「自己」は育っている。
(p.99)
ある人びとは、この「自意識」こそが人間である証だという。だが人間形成の過程をかんがえてもそうではない。人間の「自意識」や「理性」といわれるものは、人間が「からだ」を使って、「協力」し、得たものを「分かちあう」ことによって「こころ」を豊かにし、「共感」する「こころ」を育ててきた。けっして突然「脳内」に「自意識」や「理性」がうまれたのではない。「協力・分配・共感」という基盤があってこそ「人間」が形成されてきたのである。
個々には「障害」のために「自意識」や「意識」が育たないこともあるであろう。ただ重い障害のある人との間で、人類が経験してきた「協力・分配」がなされ、「共感」することにこそ人間の特質があり、協力する人も、される人も人間として存在し、それぞれに人間的な「こころ」が成熟していくのであろう。
(P.102 注:高谷氏の「協力」については冒頭にリンクした10月のエントリーにも)
私がAshley事件との出会いから重症児の「意識」についてずっと考えてきたこと、
このブログで訴えてきたこと、というのも、まさに、こういうことだった。
私は例えば、以下のようなことを書いてきた。
「知能が低いから重症児は赤ん坊と同じ」とDiekema医師は言った。でも、それは、ゼッタイに違う、と思う。子どもはホルモンや体や知能だけで成長するわけじゃない。経験と、人との関わりによって成長するのだから。体と頭だけじゃない。心も成長するのだから。限りなく成長する可能性を秘めているのは、人の心なのだから。
ポニョ(2009/7/23)
認知は static ではない。発達も static ではない。人の心も決して static ではない。人が環境の中にあり、人との関わりの中にあり、そこに経験がある以上、人の心は成長し、成熟し続ける。認知も含めた総体として、人は成長し、成熟し続ける。障害があろうとなかろうと──。
「脳が不変だから子どもも不変」の思い込みで貫かれている……A療法の論理に関する重大な指摘(2009/12/16)
そういうことを振り返る時、
重症心身障害のある子どもたちを診てきた医師と、そういう子どもを持ちAshley事件と出会った母親とが
同じ時期に同じ問題意識からそれぞれ本を書いたのだということに、どこか必然みたいなものを感じる――。
次のエントリーに続きます。
高谷清著 岩波新書
高谷氏は京大付属病院、大津赤十字病院などを経て
1984~1997年、重心施設、第一びわこ学園園長を務めた医師。
現在も同学園の非常勤医師。
当ブログで高谷氏について書いたエントリーはこちら ↓
子と親と医師との「協力」で起こすことのできる“奇跡”:ボイタ法の想い出(2011/10/8)
ものすごく不遜なモノの言い方であることは承知しており、本当に恐縮なのだけれど、
私はいつでも「まっすぐ」しかない社会的バカだから、そのまま書いてしまうと、
この本を手にとって帯の
「生きているのがかわいそう」なのか? という2行を見た瞬間に、
まるで天啓に打たれるみたいな衝撃と共に、
この高名な重心医療を専門にする医師が書いた本と
名もない一人の母親である私が書いた「アシュリー事件」とが
同じ時期に刊行されたということに、ほとんど運命的な繋がりを信じてしまった。
それには、ちょっとした伏線がある。
拙著「アシュリー事件」をきっかけにした、あるいきさつから、
私はこの新書を手にする直前に高谷氏の論文を読んだ。
全国保険医団体連合会の雑誌の7月号に掲載になった
“「パーソン論」は、「人格」を有さないとする「生命」の抹殺を求める”。
そこでは、
シンガー、エンゲルハート、トゥーリー、トゥルオグについて解説されたのちに
パーソン論の「反応」や「自意識」「理性」に対して
「いのち」「からだ」「こころ」と「脳」が考察され、
「「いのち」は、「脳」ではなく「からだ」と「こころ」に宿る」と書かれている。
さらに「生きていて「かわいそう」か」という問いを立てて
「生きている喜びがある」状態を実現していくことが直接関わる人と社会の役割、
「人間社会の在りようではないかと思うのである」と結論した後に、
直接重症児・者と接している者がこうした議論に反論し、
人格・人権・生命を守っていく取り組みを進めると同時に、
重症者のことや彼らを支える仕事の内容や役割・意義を、
分かりやすく世の中に発信していくべきだ、と訴えて締めくくられている。
今の時代に英語圏の生命倫理で起こっていることに対する認識。
英語圏で起こることに牽引されて世の中が向かっていこうとしている方向に対する危機感。
反論しなければ、それと同時に、反論のためにも、ほとんど知られていない重症児・者の姿を
直接知る者として、世の中に向けて表現し伝えなければ……という、問題意識――。
同じ認識、同じ危機感、同じ問題意識を共有し、
高谷氏は重心医療に携わってきた医師の視点から、
私は親として、またアシュリー事件と英語圏の生命倫理を追いかけてきたライターの視点から、
同じ時期に同じテーマ・メッセージ性の本を書いたのだ……と、
それは、新書を手にする前からの強い予感だった。
そこで、まだ本を開く前に帯の「「生きているのがかわいそう」なのか?」を見た瞬間、
その予感がずばりと適中したと、ほとんど宿命的なものに打たれた感じがした……というわけ。
著者は新書の中でパーソン論には一切言及していないし、
全体に見れば、もう少し緩やかに広く一般に向けて書かれている印象の本だ。
そういう印象から言えば、読みながら私の頭に連想されたのは
故・小澤勲氏の「痴呆を生きるということ」(岩波新書)と
川口有美子氏の「逝かない身体」(医学書院)の2冊だった。
小澤勲氏の「痴呆を生きるということ」についてはこちらのエントリーで言及、引用 ↓
Spitzibaraからパーソン論へのクレーム(2009/8/23)
川口有美子氏の「逝かない身体」についてはこちらのエントリーで言及・引用 ↓
Cameron党首、自殺幇助合法化に反対を表明(2010/4/9)
でも、やっぱり、「重い障害を生きるということ」は、7月の論文の文脈において、
「重症者のことや彼らを支える仕事の内容や役割・意義を、分かりやすく世の中に発信していく」
ことを意識して書かれた本なのだと思う。
帯にある「生きているのがかわいそう」という言葉は
本書「はじめに」によると「外国のグループの見学」で出た言葉とその意味だし、
101ページには、ごくさりげなく
「ある人びとは、この『自意識』こそが人間である証だという」との1文がある。
もちろん他の章でも考えさせられたり学んだことは多々あるけれど、
そんなわけで私にとってこの本の核心は第1章と第2章の2つ。
Ashley療法論争での「どうせ赤ちゃんと同じ」、「どうせ何も分からない」という
重症児へのステレオタイプな決め付けへの反論としても、
なんとも心強い味方を得た気分で、盛大に手を叩きつつ読んだ。
だから、なによりも、まず、Ashley事件のようなことが起こったり、
パーソン論や功利主義が声高に説かれ、優生思想のよみがえりが懸念されるこの時代に、
この国で、重心医療の専門家によってこの本が書かれたことに、心から感謝――。
次のエントリーに続きます。
連載「世界の介護と医療の情報を読む 64」で
以下の文章を書きました。
障害者に交通アクセスを保障するパラ・トランジット(米国)
2006年12月13日に採択された国連障害者人権条約は、障害者差別を解消するために締約国に「合理的配慮」の提供を保障するよう求めている。具体的にはどういう範囲が「合理的」なのだろうという漠然とした疑問が、私にはずっとあった。米国のパラ・トランジット制度を取り上げたワシントン・ポスト記事”Frustrating, dangerous Metro problem for the disabled”(8月7日)を読み、そこに「合理的配慮」の一つの鮮やかな形があるように感じたので、簡単に調べてみた。
米国では1973年のリハビリテーション法により、連邦政府の助成金を受けた活動や事業では、障害のために固定ルートを走る公共交通機関を利用できない人に、小さな車両での柔軟な移送サービスを提供することが義務付けられた。その後1990年の障害者法が平等な交通アクセス保障を障害者の権利として明確化し、沿線から1.2㎞の範囲で移送手段を提供するよう、すべての交通機関に義務付けた。財政的には財源付与のない、地方への委任事業(unfunded mandate)。
ワシントンD.C.地域で地下鉄とバスを運行するメトロによるパラ・トランジット制度、メトロ・アクセスの場合、メトロから米国最大手のパラ・トランジット民間企業MV トランスポーテーションに業務委託され(7年半の契約で委託費は5億4000万ドル)、MV社がさらに下請け10社を使い、運転手800人で実施。毎日7000人以上が一人一人個別に、または小型バスを乗り合わせる形で送迎サービスを利用している。
メトロ・アクセスの利用案内サイトを覗いてみると、前もって予約し、駐車スペースや建物までの距離や経路など一定の条件を満たせば、自宅ドアから目的地建物のドアまで”door to door”サービスを利用することができる。ドアと車両間の介助(視覚障害者のガイド、車イスを押す)は運転手が行い、重さ20キロ程度までで1往復なら荷物も運んでくれる。条件を満たさない場合は“corner to corner”サービスとなり、最寄りの街角で乗り降りする。運行時間は月曜から木曜までは朝5時から夜中の0時まで。金曜日と土曜日は翌日の朝3時まで。地下鉄やバスが運行している時間ならパラ・トランジットもOKなのだ。
実際には予約しても来てくれなかったり目的地と違う場所で下ろされたり、乗り合わせた人の経路によって思いがけない時間がかかったりと、信頼性には難もあるようだ。しかし地下鉄やバスだと3ドルか4ドルで済むところに、一人当たり40ドルもかけて柔軟なアクセス保証が行われていること自体に、駅にエレベーターやスロープが完備されたことを素朴に喜んできた日本の私は仰天してしまう。パラ・トランジットが米国では20年も前から配慮の合理性と実現可能性の範囲内だったのだという事実に――。
もっとも、この世界的不況のご時世にポスト紙がとりあげているのは、高齢化と障害者人口の増加に加えて、メディケアの給付抑制策で移動サービスがカットされるなどし、今後パラ・トランジット利用者の増加が予想されるためだ。今年度の事業予算は既に1億370万ドル。記事はメトロによる持続可能性の模索を紹介している。
まず、それまで一律片道3ドルだった料金に距離と時間制(上限7ドル)を導入。次に利用可能な人にはなるべく地下鉄やバスを使ってもらえるよう安全な乗り方の講習会を始めた。また駅構内のエレベーターの故障(これが結構多い)に備えて、障害のある人たち向けに代替え輸送専用バスも用意した。メトロ・アクセス車両の運行状況や駅エレベーターの故障状況をメールで通知する新サービスも始めた。
メトロではもともと高齢者や障害者にも利用しやすい改善策の導入に向けて毎月アクセス諮問委員会を開催しており、当事者やアドボケイトは誰でも参加することができる。その他にもバス・地下鉄部門、メトロ・アクセス部門の小委員会があり、それぞれの開催予定や議事録はすべてウェブ上で公開されている。障害のある人が委員会に参加したい場合には、予め連絡すれば送迎サービスがある。
もちろん障害がある人の転落事故、死亡事故は実際に起きており、まだまだ地下鉄は障害者が安心して利用できるものになっていないというのが記事の主旨でもある。サービスの不確実性、運転手の過酷な労働環境など、メトロ・アクセスにも改善の余地は沢山あるようだ。しかし、全米に普及したパラ・トランジット制度にも、持続可能性を高めるため地下鉄とバスのアクセスを向上させようとのメトロの努力の方向性にも、つくづく痛感させられるのは「合理的配慮」と「可能な限り」という2つの文言のへだたり、その異和である。
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メトロやバスに乗れない障害者には個別シャトルで平等なアクセスを保障(ワシントンD.C.)(2011/8/8)