いくつか、「よくぞ取り上げたね、勇気あるよ、アンタ」と、
肩でも叩きつつ盛大な賛辞を送りたい気分になる天晴なテーマの中で、
「お役所の世界」について書かれていることが結構面白かった。
ここで著者が「お役所の世界 Officialdom」と呼んでいるのは
私の個人的な感覚では「いわゆる“専門家”というもの」にも重なる。
(お医者さんが冷たくて無神経に思えるのは、
「医師だってOfficialdomの人だから」と著者は十数行を割いています)
なんせ、お役所とか専門家について書かれていることの概要を
これまた私自身の勝手な言葉でまとめてみると、
-----
お役所には期待できない。ぜんぜん、できない。
最初に介護者になった時には、
こんなサービスもあります、あんなサービスもありますって、
人の期待を煽るようなことばっかり聞かされて、本気にしちゃったけど、
ほんと、バカ見て終わった。
そんなもの、どこにもなかった。
みんなも、もう経験していると思うけど。
介護者になって、真っ先に学ぶのは、
「頼れる人なんかどこにもいない。自分はひとりだ」ってことだった。
ただでさえ家を空けられない介護者だというのに、
わざわざお役所まで行って、さんざっぱらワケの分からない書類に記入させられて
サインさせられて、それで何かになるのかと思ったら、なんにもならない。
申請したし受け付けてもらったけど、待てど暮らせどサービスも介護用具も
何にも届かない……って、みんな経験済みだよね。
レスパイトだって、制度上はできることになっているし、
介護者アセスを受ければ、あなたはレスパイトの適用になります、て話なのに
(英国の介護者アセスメントについてはこちらに)
なんで、実際はこんなに利用できないの?
やってるところが、まず、見つからないし、
見つかったら、いっぱいで何カ月待ちだったりもする。
あれはさ、
砂漠を歩き続けてヘトヘトの人に「もうちょっと行くとオアシスがあるよ」と言えば
そいつはさらに歩き続けるのと同じで、介護者にも「休める」という希望だけチラつかせて
心が折れそうな介護者に介護を続けさせる策略なんだ。きっと。
どこまでいってもオアシスなんか蜃気楼のままなのに。
だから、お役所は当てにならない。
あいつら、本当は支援するつもりなんて、ない。
本当は、少しでも予算を浮かしたくて、介護者や障害者をバカにして
心の中では「べぇー」なんてベロ出していたりするんだ、ぜったい……
と、つい考えたくなる気持ちは、ボクたち、みんなに、ある。
でも、本当にそうなのかな。ちょっと考えてみよう。
ボクたちが“子豚”の介護をできなくなったら困る人がいる。
もちろん一番辛い目に遭うのは“子豚”だけど、国だって困るはずだよ。
英国政府はボクたちに介護を続けてもらいたいと思っているはずだ。
そのための制度も予算も、一応用意してある。十分じゃないけどね。
介護者支援法もあるし、介護者にはアセスメントを受ける権利も保障されている。
申請すれば、介護者手当ももらえる。これまた手続きは面倒だけどね。
一人一人のお役所の人も、まぁ、いろいろな人がいるのは確かだけれど、
大半の人は、それなりに真面目に仕事と取り組んでいるんだと思う。
じゃぁ、なぜお役所はこんなに役立たずのくせに冷たく見えるのか?
ボクのとりあえずの説は、混沌説。
決して、個人的にボクたちがバカにされていたり、
見捨てられていたりするんじゃなくて、国としても地方自治体としても、
それなりに助けようとはしているんだけど、お役所も、とりあえず、いろんなものが足りない、
予算も人もノウハウも、いろんなものがね。システムは大きく複雑なのに。
それで、いろんなことがうまく流れなくて、混沌としてしまう。
誰かの悪意とか、怠慢ということじゃなくて。
そういうことなんじゃないかなぁ。
え? じゃぁ、どうすればいいかって?
うん。問題はそこだよね。
ボクとしては、諦めないこと、ブチ切れて終わったり投げやりにならないこと、をお薦め。
必要なモノやサービスは、必要なんだと、言い続けること。
どんな対応をされようと、どんなにアタマに来ようと、
大事なのは、あなたの自尊心ではなく、モノをゲットすること。そう念じてみて。
大事なのは、自尊心やプライドではなく、モノ・サービスをゲットして
“子豚”とあなたの生活を今よりも快適で楽しいものにすること。そう言い聞かせてみて。自分に。
易々とは傷つかない自分を保って交渉し続けるには
「自分は無職のケアラーに過ぎない」みたいな卑屈さとは縁を切り、
誰にも替わることのできない仕事をしている「私はケアラーです」と胸を張ろう。
そして、ケアラーとして”子豚”のために必要なものを調達する”プロ意識”でもって、
お役所の人と堂々と向かい合おう。
そして介護のプロフェッショナルとして「リフトがいる」、「レスパイトがいる」と求め続けるんだ。
何度でも、誰にでも、どこへいっても、「いる!」「いるんだぁ!」って、
言い続けてダメなら、叫ぶ。怒鳴る。時には机でも叩いてドラマチックに。
大事なのは、諦めずにしつこく求め続けること。
そうするとね、
不思議なことに、どこかで誰かがひょいと現れて道が開けたりする。
思いがけない別のところから救いの手が差し伸べられたりもする。
そんなことって、本当にあるんだよ。
だから、諦めないこと。
特にレスパイトは、絶対に、何が何でも、あきらめちゃダメだよ。
どこにも見つけられなくても、お役所がそっけなくても、
さらには“子豚”自身がイヤがって抵抗しても、
レスパイトだけは「やらない選択肢はない」。
これは介護の鉄則だと、しっかり覚えておこう。
いいかい。選択は2つしかないんだ。Break or you break.
ブレイク(休息)するか、あなたがブレイクする(壊れる)か――。
だから、いいね。
レスパイトだけは、ゼッタイに、何が何でも「いる」と求め続けるんだよ。
お役所にウンザリしたら、ほら、ボクの混沌説を思い出して。
肩でも叩きつつ盛大な賛辞を送りたい気分になる天晴なテーマの中で、
「お役所の世界」について書かれていることが結構面白かった。
ここで著者が「お役所の世界 Officialdom」と呼んでいるのは
私の個人的な感覚では「いわゆる“専門家”というもの」にも重なる。
(お医者さんが冷たくて無神経に思えるのは、
「医師だってOfficialdomの人だから」と著者は十数行を割いています)
なんせ、お役所とか専門家について書かれていることの概要を
これまた私自身の勝手な言葉でまとめてみると、
-----
お役所には期待できない。ぜんぜん、できない。
最初に介護者になった時には、
こんなサービスもあります、あんなサービスもありますって、
人の期待を煽るようなことばっかり聞かされて、本気にしちゃったけど、
ほんと、バカ見て終わった。
そんなもの、どこにもなかった。
みんなも、もう経験していると思うけど。
介護者になって、真っ先に学ぶのは、
「頼れる人なんかどこにもいない。自分はひとりだ」ってことだった。
ただでさえ家を空けられない介護者だというのに、
わざわざお役所まで行って、さんざっぱらワケの分からない書類に記入させられて
サインさせられて、それで何かになるのかと思ったら、なんにもならない。
申請したし受け付けてもらったけど、待てど暮らせどサービスも介護用具も
何にも届かない……って、みんな経験済みだよね。
レスパイトだって、制度上はできることになっているし、
介護者アセスを受ければ、あなたはレスパイトの適用になります、て話なのに
(英国の介護者アセスメントについてはこちらに)
なんで、実際はこんなに利用できないの?
やってるところが、まず、見つからないし、
見つかったら、いっぱいで何カ月待ちだったりもする。
あれはさ、
砂漠を歩き続けてヘトヘトの人に「もうちょっと行くとオアシスがあるよ」と言えば
そいつはさらに歩き続けるのと同じで、介護者にも「休める」という希望だけチラつかせて
心が折れそうな介護者に介護を続けさせる策略なんだ。きっと。
どこまでいってもオアシスなんか蜃気楼のままなのに。
だから、お役所は当てにならない。
あいつら、本当は支援するつもりなんて、ない。
本当は、少しでも予算を浮かしたくて、介護者や障害者をバカにして
心の中では「べぇー」なんてベロ出していたりするんだ、ぜったい……
と、つい考えたくなる気持ちは、ボクたち、みんなに、ある。
でも、本当にそうなのかな。ちょっと考えてみよう。
ボクたちが“子豚”の介護をできなくなったら困る人がいる。
もちろん一番辛い目に遭うのは“子豚”だけど、国だって困るはずだよ。
英国政府はボクたちに介護を続けてもらいたいと思っているはずだ。
そのための制度も予算も、一応用意してある。十分じゃないけどね。
介護者支援法もあるし、介護者にはアセスメントを受ける権利も保障されている。
申請すれば、介護者手当ももらえる。これまた手続きは面倒だけどね。
一人一人のお役所の人も、まぁ、いろいろな人がいるのは確かだけれど、
大半の人は、それなりに真面目に仕事と取り組んでいるんだと思う。
じゃぁ、なぜお役所はこんなに役立たずのくせに冷たく見えるのか?
ボクのとりあえずの説は、混沌説。
決して、個人的にボクたちがバカにされていたり、
見捨てられていたりするんじゃなくて、国としても地方自治体としても、
それなりに助けようとはしているんだけど、お役所も、とりあえず、いろんなものが足りない、
予算も人もノウハウも、いろんなものがね。システムは大きく複雑なのに。
それで、いろんなことがうまく流れなくて、混沌としてしまう。
誰かの悪意とか、怠慢ということじゃなくて。
そういうことなんじゃないかなぁ。
え? じゃぁ、どうすればいいかって?
うん。問題はそこだよね。
ボクとしては、諦めないこと、ブチ切れて終わったり投げやりにならないこと、をお薦め。
必要なモノやサービスは、必要なんだと、言い続けること。
どんな対応をされようと、どんなにアタマに来ようと、
大事なのは、あなたの自尊心ではなく、モノをゲットすること。そう念じてみて。
大事なのは、自尊心やプライドではなく、モノ・サービスをゲットして
“子豚”とあなたの生活を今よりも快適で楽しいものにすること。そう言い聞かせてみて。自分に。
易々とは傷つかない自分を保って交渉し続けるには
「自分は無職のケアラーに過ぎない」みたいな卑屈さとは縁を切り、
誰にも替わることのできない仕事をしている「私はケアラーです」と胸を張ろう。
そして、ケアラーとして”子豚”のために必要なものを調達する”プロ意識”でもって、
お役所の人と堂々と向かい合おう。
そして介護のプロフェッショナルとして「リフトがいる」、「レスパイトがいる」と求め続けるんだ。
何度でも、誰にでも、どこへいっても、「いる!」「いるんだぁ!」って、
言い続けてダメなら、叫ぶ。怒鳴る。時には机でも叩いてドラマチックに。
大事なのは、諦めずにしつこく求め続けること。
そうするとね、
不思議なことに、どこかで誰かがひょいと現れて道が開けたりする。
思いがけない別のところから救いの手が差し伸べられたりもする。
そんなことって、本当にあるんだよ。
だから、諦めないこと。
特にレスパイトは、絶対に、何が何でも、あきらめちゃダメだよ。
どこにも見つけられなくても、お役所がそっけなくても、
さらには“子豚”自身がイヤがって抵抗しても、
レスパイトだけは「やらない選択肢はない」。
これは介護の鉄則だと、しっかり覚えておこう。
いいかい。選択は2つしかないんだ。Break or you break.
ブレイク(休息)するか、あなたがブレイクする(壊れる)か――。
だから、いいね。
レスパイトだけは、ゼッタイに、何が何でも「いる」と求め続けるんだよ。
お役所にウンザリしたら、ほら、ボクの混沌説を思い出して。
2011.07.24 / Top↑
“身勝手な豚”たちが介護している相手は
当たり前ながら様々な病気や障害の持ち主で、年齢も性別も違って、多種多様。
高齢者だとか、様々な障害のある人だとか、障害児だとか、そのすべてに
失礼のないよう政治的に正しい表現を心がけるだけの技量も余裕もないので、と断って
著者は、介護される立場の人を“子豚”と総称する。
一応、著者なりのこじつけはあって、
Person I Give Love and Endless Therapy to (私が愛と際限ないセラピーを与える相手)の
それぞれの最初の1文字を繋げると、Piglet(子豚)になるとはいえ、
著者自身も、こんなのは苦し紛れのこじつけだというのは分かっている。
主役は介護者である“身勝手な豚”なのだから、
その人が介護している相手は一応みんな“子豚”ということにさせておいてね、というのが
まぁ、この本の中の、お約束というわけ。
イラストもふんだんに使われていて、そこでは
“身勝手な豚”のイニシャルSP入りのTシャツを着た大きな豚が
車イスに乗った“子豚”と一緒に描かれている。
最初の何章かで書かれていることを
これまた私自身の勝手な言葉で、以下に大まかにまとめてみると、
-----
介護者としての自分に嫌気がさしたり、そういう自分に罪悪感を覚えて
自分は何てイヤらしい“身勝手な豚”なんだろうと煩悶しているのは
あなただけじゃない。
身近な人の介護を背負ってしまった人間なら
誰だってそんな気持ちの中でぐるぐるしている。
決して、あなた一人じゃない。
だって、誰かが障害を負って介護が必要になったからといって
いきなり、心の準備も介護のノウハウもないまま、
ボク達は自分の人生を途中で放りだすしかなかったんだもの。
こっちにだって、やりたいことはいっぱいあったのに。
それに、プロの介護者なら給料はもちろん有給休暇があって、
8時間が終われば家に帰って休めるし「規定により、それはできません」とも言える。
雇用者がさせちゃいけないことが決まっている。彼らは法律で守られている。
だいたいプロの介護者なら最初に研修で教えてもらえる知識と技術を
ボクたちケアラーには誰もちゃんと教えてくれないのは、一体どういうわけなんだ?
プロの介護者に保障されている諸々を考えたら、
なんてフェアじゃない働き方をさせられているんだろうと、唖然としてしまうじゃないか。
それに加えて、介護生活てな、いつまで続くか分かりはしない。これは恐ろしいことだ。
やっと解放される頃には自分の人生はもう取り返しがつかない段階かも……。
そんな不安を考えたら、どうしても「自分は犠牲になってる」って感じ、あるよね。
それ、仕方ないでしょ。実際、たいていの介護者はそう感じるんだから。
だから、そう感じるあなたは“身勝手な豚”なのではなく、
本当は、ただの平均的なフツーの介護者――。
いったい何だって自分は毎日毎日こんなことをしているんだろう……って、
介護者はみんな、時にふと手を止めて考えこんでしまう。そして気持ちが沈むんだ。
なんで介護しているのかといえば、
まぁ、たいてい表向きは「愛情から」ということになってる。
でも実際には、お金とか親せきとの関係とか、義務感や責任感や、いろいろ絡んでいるし、
正直、いろいろそれぞれ複雑で「理由なんて分からない」のが本当のところだよね。
なにしろ放っておけないから、気が付いたら、こうなっていた……。
実際は、たいてい、そんなもんでしょ。
だから介護していると、あれこれと心の中にストレスがたまって悩ましいし、
どうにかならないかと考えるから、こんな本も手に取ってみたりするんだけど、
そういうあなたが今現在、放り出すことなく介護を続けているのも
どうにかならないかとヒントを求めて本を読んでみようとするのも、
本当のところ、愛がなかったらできないことなんだ。
だから、基本、やっぱり愛があるからやっていることなんだよ。
だからこそ、そんな介護者であるあなたは、本当は
もうちょっと“身勝手な豚”を心がけるくらいでちょうどいい。
ホンモノの“身勝手な豚”になりきれるような人だったら、
この本をここまで読み進んできたはずもないからね。
だからこそ、本当は介護しているあなた自身だって大切にケアされるべき人なんだ。
言っておくけど、これは介護のハウツー本じゃない。だから、
この本を読んだら(たぶん何をしたって)たちどころに、自己犠牲を払って尽くす介護者に生まれ変わる……
なんてことは金輪際、ない。
この本で、福祉制度を利用するための実用的ガイドや
日々の介護の具体的なノウハウが見つかるわけでもない。
ただ、介護者同士として、一緒にいろいろ考えてみない?
言っちゃ悪いけど、
障害があって介護が必要な人を尊重する介護のハウツウなら
世の中には掃いて捨てるほど出版されている。
この本が書いていることは、ただ一つ。
介護者のこと。介護者のため。それだけ。
つまり、この本のテーマは、あなた――。
あなたが“子豚”をケアするだけじゃなく、
あなた自身をもう一人の“子豚”としてケアするために、
あなたのことを一緒に考えましょう。
これはそういう本――。
当たり前ながら様々な病気や障害の持ち主で、年齢も性別も違って、多種多様。
高齢者だとか、様々な障害のある人だとか、障害児だとか、そのすべてに
失礼のないよう政治的に正しい表現を心がけるだけの技量も余裕もないので、と断って
著者は、介護される立場の人を“子豚”と総称する。
一応、著者なりのこじつけはあって、
Person I Give Love and Endless Therapy to (私が愛と際限ないセラピーを与える相手)の
それぞれの最初の1文字を繋げると、Piglet(子豚)になるとはいえ、
著者自身も、こんなのは苦し紛れのこじつけだというのは分かっている。
主役は介護者である“身勝手な豚”なのだから、
その人が介護している相手は一応みんな“子豚”ということにさせておいてね、というのが
まぁ、この本の中の、お約束というわけ。
イラストもふんだんに使われていて、そこでは
“身勝手な豚”のイニシャルSP入りのTシャツを着た大きな豚が
車イスに乗った“子豚”と一緒に描かれている。
最初の何章かで書かれていることを
これまた私自身の勝手な言葉で、以下に大まかにまとめてみると、
-----
介護者としての自分に嫌気がさしたり、そういう自分に罪悪感を覚えて
自分は何てイヤらしい“身勝手な豚”なんだろうと煩悶しているのは
あなただけじゃない。
身近な人の介護を背負ってしまった人間なら
誰だってそんな気持ちの中でぐるぐるしている。
決して、あなた一人じゃない。
だって、誰かが障害を負って介護が必要になったからといって
いきなり、心の準備も介護のノウハウもないまま、
ボク達は自分の人生を途中で放りだすしかなかったんだもの。
こっちにだって、やりたいことはいっぱいあったのに。
それに、プロの介護者なら給料はもちろん有給休暇があって、
8時間が終われば家に帰って休めるし「規定により、それはできません」とも言える。
雇用者がさせちゃいけないことが決まっている。彼らは法律で守られている。
だいたいプロの介護者なら最初に研修で教えてもらえる知識と技術を
ボクたちケアラーには誰もちゃんと教えてくれないのは、一体どういうわけなんだ?
プロの介護者に保障されている諸々を考えたら、
なんてフェアじゃない働き方をさせられているんだろうと、唖然としてしまうじゃないか。
それに加えて、介護生活てな、いつまで続くか分かりはしない。これは恐ろしいことだ。
やっと解放される頃には自分の人生はもう取り返しがつかない段階かも……。
そんな不安を考えたら、どうしても「自分は犠牲になってる」って感じ、あるよね。
それ、仕方ないでしょ。実際、たいていの介護者はそう感じるんだから。
だから、そう感じるあなたは“身勝手な豚”なのではなく、
本当は、ただの平均的なフツーの介護者――。
いったい何だって自分は毎日毎日こんなことをしているんだろう……って、
介護者はみんな、時にふと手を止めて考えこんでしまう。そして気持ちが沈むんだ。
なんで介護しているのかといえば、
まぁ、たいてい表向きは「愛情から」ということになってる。
でも実際には、お金とか親せきとの関係とか、義務感や責任感や、いろいろ絡んでいるし、
正直、いろいろそれぞれ複雑で「理由なんて分からない」のが本当のところだよね。
なにしろ放っておけないから、気が付いたら、こうなっていた……。
実際は、たいてい、そんなもんでしょ。
だから介護していると、あれこれと心の中にストレスがたまって悩ましいし、
どうにかならないかと考えるから、こんな本も手に取ってみたりするんだけど、
そういうあなたが今現在、放り出すことなく介護を続けているのも
どうにかならないかとヒントを求めて本を読んでみようとするのも、
本当のところ、愛がなかったらできないことなんだ。
だから、基本、やっぱり愛があるからやっていることなんだよ。
だからこそ、そんな介護者であるあなたは、本当は
もうちょっと“身勝手な豚”を心がけるくらいでちょうどいい。
ホンモノの“身勝手な豚”になりきれるような人だったら、
この本をここまで読み進んできたはずもないからね。
だからこそ、本当は介護しているあなた自身だって大切にケアされるべき人なんだ。
言っておくけど、これは介護のハウツー本じゃない。だから、
この本を読んだら(たぶん何をしたって)たちどころに、自己犠牲を払って尽くす介護者に生まれ変わる……
なんてことは金輪際、ない。
この本で、福祉制度を利用するための実用的ガイドや
日々の介護の具体的なノウハウが見つかるわけでもない。
ただ、介護者同士として、一緒にいろいろ考えてみない?
言っちゃ悪いけど、
障害があって介護が必要な人を尊重する介護のハウツウなら
世の中には掃いて捨てるほど出版されている。
この本が書いていることは、ただ一つ。
介護者のこと。介護者のため。それだけ。
つまり、この本のテーマは、あなた――。
あなたが“子豚”をケアするだけじゃなく、
あなた自身をもう一人の“子豚”としてケアするために、
あなたのことを一緒に考えましょう。
これはそういう本――。
2011.07.24 / Top↑
「介護保険情報」誌の連載8月号に掲載することになったため
仮訳そのものは9月まで一旦閉じさせていただいていますが、
今年の英国のケアラーズ・ウィーク(介護者週間)のテーマ
「介護者の本当の顔」について7月5日のエントリーで取り上げた際、
そこで、このテーマのココロを、なんとも見事な“身勝手な豚”の語りで
描いてみせてくれたのは、ハンチントン病の妻の介護をしているHugh Marriottさんでした。
そのエントリーを機に、Marriottさんが
「“身勝手な豚”の介護ガイド」というタイトルの本を出していることを知り、
さっそく取り寄せて読んでみました。
思った以上に厚かったけど、良い本でした。
良いとかどうとかいうよりも、なによりも、
こんなにも介護者のホンネを正直に書いてくれた人が今までいただろうか……。
表紙には、英国で一番老舗の介護者支援チャリティ
the Princess Royal Trust for Carers の幹部の推薦の言葉があり
「20年も前から欲しかった本。初めて介護者になった時に私はこの本を読みたかった」
なにしろ、
ちゃんと1つの章を割いて書かれているテーマの一部を挙げてみると、
お役所(専門家)の世界
セックス
介護者の身体
燃え尽き
自立のジレンマ
キタナイもの(主としてウンコ)
階段から突き落としてやりたい気持ち (誰をって、そりゃ自分が介護している相手を、です)
妻がハンチントン病を発病したと分かった時、
Marriott氏は経営していたPR会社をたたみ、家を売って帆船を買い、
2人で世界放浪の旅に出たと言います。
妻を介護しながらの旅も9年に及び、
とうとう妻の身体が航海に耐えられなくなってきた時、
2人は英国に戻り、本格的な介護生活を始めたとのこと。
なぜMarriott氏が自らを含めた介護者を“身勝手な豚”と称するのかについて、
本書を通じて書かれている、そのワケを、私自身の言葉で大まかに取りまとめてみると、
誰かを介護していると、
「もっとしてあげたい」ことと「でも現実には自分の苦しさでそこまでできない」現実との
板ばさみになって、自分はなんて酷い人間なんだろう、と罪悪感を覚える。
それに介護者としての役割だって最初から進んで引き受けたわけではなく
自分がこんなハメに陥るなんて想像したことすらなかった。
だから、どこかで「こんなはずじゃなかった」という思いがぬぐいきれないし、
本人のせいじゃないと分かっていても、こいつの障害さえなければ……と、
つい頭の中をつぶやきがよぎっていくこともある。
かつて人並みに働いて、それなりの収入を得ていた自分と
介護のために仕事をやめて無収入になり、家事労働みたいなことに明け暮れる今の自分を引き比べると、
なんだか「自分の人生も失敗に終わっちまった」観が強いし、自尊感情がどうしても下がってしまう。
前だって、そんなに大した人生だったわけでもないけど、
でも、自分の人生ですらない、結局は他者の人生だもんね、これって。
ただ、目の前の妻をつくづくと見やれば、
こいつだって思いがけない障害を負うことになり、
辛いのは自分よりも相手の方だと分かってもいるし
だから、また、
こんなにグズグズとネガな考えに囚われる自分は
なんて身勝手なイヤな人間なんだ、まるで豚みたいな奴だと嫌気がさしてしまう……
冒頭、読者に向かっても彼は、
「この本を手に取ったということは、
あなたも自分を“身勝手な豚”だと感じてるんだよね?」と語りかけ、
「でも実はそれは勘違い。だって、
本当に“身勝手な豚”なら、こんな本を手に取ったりしない」と。
仮訳そのものは9月まで一旦閉じさせていただいていますが、
今年の英国のケアラーズ・ウィーク(介護者週間)のテーマ
「介護者の本当の顔」について7月5日のエントリーで取り上げた際、
そこで、このテーマのココロを、なんとも見事な“身勝手な豚”の語りで
描いてみせてくれたのは、ハンチントン病の妻の介護をしているHugh Marriottさんでした。
そのエントリーを機に、Marriottさんが
「“身勝手な豚”の介護ガイド」というタイトルの本を出していることを知り、
さっそく取り寄せて読んでみました。
思った以上に厚かったけど、良い本でした。
良いとかどうとかいうよりも、なによりも、
こんなにも介護者のホンネを正直に書いてくれた人が今までいただろうか……。
表紙には、英国で一番老舗の介護者支援チャリティ
the Princess Royal Trust for Carers の幹部の推薦の言葉があり
「20年も前から欲しかった本。初めて介護者になった時に私はこの本を読みたかった」
なにしろ、
ちゃんと1つの章を割いて書かれているテーマの一部を挙げてみると、
お役所(専門家)の世界
セックス
介護者の身体
燃え尽き
自立のジレンマ
キタナイもの(主としてウンコ)
階段から突き落としてやりたい気持ち (誰をって、そりゃ自分が介護している相手を、です)
妻がハンチントン病を発病したと分かった時、
Marriott氏は経営していたPR会社をたたみ、家を売って帆船を買い、
2人で世界放浪の旅に出たと言います。
妻を介護しながらの旅も9年に及び、
とうとう妻の身体が航海に耐えられなくなってきた時、
2人は英国に戻り、本格的な介護生活を始めたとのこと。
なぜMarriott氏が自らを含めた介護者を“身勝手な豚”と称するのかについて、
本書を通じて書かれている、そのワケを、私自身の言葉で大まかに取りまとめてみると、
誰かを介護していると、
「もっとしてあげたい」ことと「でも現実には自分の苦しさでそこまでできない」現実との
板ばさみになって、自分はなんて酷い人間なんだろう、と罪悪感を覚える。
それに介護者としての役割だって最初から進んで引き受けたわけではなく
自分がこんなハメに陥るなんて想像したことすらなかった。
だから、どこかで「こんなはずじゃなかった」という思いがぬぐいきれないし、
本人のせいじゃないと分かっていても、こいつの障害さえなければ……と、
つい頭の中をつぶやきがよぎっていくこともある。
かつて人並みに働いて、それなりの収入を得ていた自分と
介護のために仕事をやめて無収入になり、家事労働みたいなことに明け暮れる今の自分を引き比べると、
なんだか「自分の人生も失敗に終わっちまった」観が強いし、自尊感情がどうしても下がってしまう。
前だって、そんなに大した人生だったわけでもないけど、
でも、自分の人生ですらない、結局は他者の人生だもんね、これって。
ただ、目の前の妻をつくづくと見やれば、
こいつだって思いがけない障害を負うことになり、
辛いのは自分よりも相手の方だと分かってもいるし
だから、また、
こんなにグズグズとネガな考えに囚われる自分は
なんて身勝手なイヤな人間なんだ、まるで豚みたいな奴だと嫌気がさしてしまう……
冒頭、読者に向かっても彼は、
「この本を手に取ったということは、
あなたも自分を“身勝手な豚”だと感じてるんだよね?」と語りかけ、
「でも実はそれは勘違い。だって、
本当に“身勝手な豚”なら、こんな本を手に取ったりしない」と。
2011.07.24 / Top↑
友人と久しぶりにランチでも食べにいこうという話になり
彼女の方が私よりも圧倒的に忙しいことは知っているので
「じゃぁ、場所と時間はお任せ」とメールを入れたら
とんでもない“町はずれ”を指定する電話がかかってきた。
意外なのは場所だけでなく、
その町はずれの「○○○で会おう」と言われたことで、
え? ○○○って……? あの店、まだあったの……?
まるで「奈良の“ドリームランド”がモロッコに場所を移してまだ営業している」と
いきなり誰かから聞かされた、みたいに、きょとん……としてしまう。
○○○は
私たちの思春期の終わり(もしくは20代の始め、なにしろ1970年代です)に
町に忽然と現れた、町で初めての、したがって唯一の、
本場! カリフォルニア・ピザ!! の店だった。
あの当時、ピザと言えば、このあたりでは、
今なら場末の喫茶店でしかお目にかかれない「ミックス・ピザ」のことだった。
そんな時代に、
ピザ職人(だったかどうかも今では定かではないが)の青い目・金髪のアメリカ人が
アシスタントとウェイターを兼ねた日本人のニイチャンと2人だけでやっている
小さな店のメニューは、ごくシンプルなピザが数種類と、あとは選べるトッピング――。
田舎の町では、ワクワクするほど本場!で、カリフォルニア!!で、
私たちは頻繁に○○○に出かけては、あつあつの焼きたてピザをモリモリと頬張った。
当時の私の定番は「マッシュルームとサラミのピザ」だった。
もちろん、そのうちには、ピザも大して珍しくもない食べ物になったし、
宅配店がどんどん出現したけど、○○○は何度か場所を変えながら繁盛し続けた。
何度目かに場所を変えた時に行ってみると、
アメリカ人が姿を消し(実際に青い目・金髪だったかも今では定かではない)
すっかりお馴染みの日本人のニイチャンが店主に昇格してピザを焼いていた。
主役だったアメリカ人がいなくなってみれば、
ニイチャンは結構グッド・ルッキングな優男だったし、
ピザの味だって別に落ちたりはしなかった。
とはいえ、私たちも、そろそろ
「ピザかぁ……蕎麦にする?」などと身体のニーズを感じる年齢に差し掛かり
○○○からは徐々に足が遠のいていった。
最後に○○○に行ったのは、たぶん、
米国留学中のルームメイト(日本人)が20年くらい前に遊びに来た時だったか?
その後、気が付いたら、いつのまにか、その場所から○○○はなくなっていて
あまり噂も聞かなくなったので(今にして思えば単にこっちが興味を失ったのだけど)、
だから、あたし、てっきり○○○はつぶれたんだとばかり思ってたよ……と言うと、
友人もそう思っていたけど、最近、
出産を控えて実家に戻っている娘(この子はミュウの翌日に生まれた)が連れて行ってくれて、
町はずれで健在だったことを知ったのだという。
ランチ時には女客でいっぱいだったよ、と言われて
内心「ピザかぁ……」と溜め息をつきつつ
「場所はお任せ」と言った手前、不服も言えずに出掛けてみたら、
前よりもはるかに アメリカン! カリフォルニアン! な内装の店は
以前は考えられないほどに広く、確かに女客がぎっしりで、
店内でも厨房でも沢山の店員さんがせわしなく立ち働いていた。
本当にアメリカのレストランみたいな匂いがすると思ったら、
カウンターにアメリカン・カントリーな顔つきのマフィンやパンが
無造作に並べられて甘い匂いを放っている。
私たちはピザの店でグラタン・セットを食べながら、
2時間ばかり、老親の介護をしている彼女の苦労話や
私が最近読んだ英国人の「“身勝手な豚”の介護ガイド」の話をし、
さらに追加注文したアイスクリームを
「これでまたコレステロールが……」と自虐を言い訳に、がっつり平らげながら、
同じ職場で働いた20代の頃の思い出話をしては笑いさんざめき、
気がつくと、店内には我々の他には1組しか残っていなかった。
その1組が席を立ったのを潮に我々も引き上げることにして、
レジでお金を払っていると、横手の厨房から「ありがとうございました」と声がした。
ふと、そちらに目を向けると、人気のなくなった薄暗い厨房に立っていたのは……
一瞬、それは“あのニイチャン”でありながら
同時に“あのニイチャン”ではない、奇妙な人……に見えた。
あるいは、”あのニイチャン”が
何故かジョーダンで「ヘタクソな変装」をして現れた……みたいに見えた。
それは例えば、
若い頃の三浦友和が初めて老け役を演じる姿を見た時のような、
ちょっと妙なインパクト……?
でも、もちろん、そこにいるのは、
ホンモノの白髪交じりの頭に、あちこちにホンモノの皺が刻まれて
ちょっとゆるみ、くたびれた、ホンモノの初老のおじさんなのだった。
気付いた瞬間、すぐさま、その下から、
20年以上前に最後に見た時に私たちと同じ30代だった、この人の顔が、
俄かに、思いがけない鮮明さで浮かび上がってきて、
あ、確かに私はこの人を知っている……と、奇妙な実感をもたらしてくれる。
白髪やシワを透かして見えてくるだけ、余計に懐かしい人として――。
実際、ほんの一瞬だけだけれど、
「うわぁ、元気だったぁ?」と駆け寄って肩の一つも叩きたいほどに
親しく懐かしいものが、胸を通り過ぎていった。
年齢相応に老いたその人に会釈だけして店を出ると、
バッグに財布をしまいながら友人が言った。
「ねぇ、あの人って、どこかで知り合いだったよね」
「あの人って、今の“あのニイチャン”のこと?」
店の中、厨房の辺りを指差して聞くと、
「うん。誰かの知り合いじゃなかったっけ?」
なんだ、この人も同じものを感じてたんだ……と思うと、
ちょっと、おかしかった。
ねぇ、たぶん、あの人は、“わたしたちの知り合い”なんじゃない?
同じ町の、同じ時代の空気を呼吸しながら、
それぞれに、いろんなことのあった人生を生きてきた、
私たちの若い頃からの“知り合い”なんだよ、きっと――。
なぜともなく、誰かから軽く励まされたような気分になって
これからまた老親の家に向かう友人の車に、笑顔で手を振った。
早くもお腹のあたりに胸やけの予感がうごき始めていた。
彼女の方が私よりも圧倒的に忙しいことは知っているので
「じゃぁ、場所と時間はお任せ」とメールを入れたら
とんでもない“町はずれ”を指定する電話がかかってきた。
意外なのは場所だけでなく、
その町はずれの「○○○で会おう」と言われたことで、
え? ○○○って……? あの店、まだあったの……?
まるで「奈良の“ドリームランド”がモロッコに場所を移してまだ営業している」と
いきなり誰かから聞かされた、みたいに、きょとん……としてしまう。
○○○は
私たちの思春期の終わり(もしくは20代の始め、なにしろ1970年代です)に
町に忽然と現れた、町で初めての、したがって唯一の、
本場! カリフォルニア・ピザ!! の店だった。
あの当時、ピザと言えば、このあたりでは、
今なら場末の喫茶店でしかお目にかかれない「ミックス・ピザ」のことだった。
そんな時代に、
ピザ職人(だったかどうかも今では定かではないが)の青い目・金髪のアメリカ人が
アシスタントとウェイターを兼ねた日本人のニイチャンと2人だけでやっている
小さな店のメニューは、ごくシンプルなピザが数種類と、あとは選べるトッピング――。
田舎の町では、ワクワクするほど本場!で、カリフォルニア!!で、
私たちは頻繁に○○○に出かけては、あつあつの焼きたてピザをモリモリと頬張った。
当時の私の定番は「マッシュルームとサラミのピザ」だった。
もちろん、そのうちには、ピザも大して珍しくもない食べ物になったし、
宅配店がどんどん出現したけど、○○○は何度か場所を変えながら繁盛し続けた。
何度目かに場所を変えた時に行ってみると、
アメリカ人が姿を消し(実際に青い目・金髪だったかも今では定かではない)
すっかりお馴染みの日本人のニイチャンが店主に昇格してピザを焼いていた。
主役だったアメリカ人がいなくなってみれば、
ニイチャンは結構グッド・ルッキングな優男だったし、
ピザの味だって別に落ちたりはしなかった。
とはいえ、私たちも、そろそろ
「ピザかぁ……蕎麦にする?」などと身体のニーズを感じる年齢に差し掛かり
○○○からは徐々に足が遠のいていった。
最後に○○○に行ったのは、たぶん、
米国留学中のルームメイト(日本人)が20年くらい前に遊びに来た時だったか?
その後、気が付いたら、いつのまにか、その場所から○○○はなくなっていて
あまり噂も聞かなくなったので(今にして思えば単にこっちが興味を失ったのだけど)、
だから、あたし、てっきり○○○はつぶれたんだとばかり思ってたよ……と言うと、
友人もそう思っていたけど、最近、
出産を控えて実家に戻っている娘(この子はミュウの翌日に生まれた)が連れて行ってくれて、
町はずれで健在だったことを知ったのだという。
ランチ時には女客でいっぱいだったよ、と言われて
内心「ピザかぁ……」と溜め息をつきつつ
「場所はお任せ」と言った手前、不服も言えずに出掛けてみたら、
前よりもはるかに アメリカン! カリフォルニアン! な内装の店は
以前は考えられないほどに広く、確かに女客がぎっしりで、
店内でも厨房でも沢山の店員さんがせわしなく立ち働いていた。
本当にアメリカのレストランみたいな匂いがすると思ったら、
カウンターにアメリカン・カントリーな顔つきのマフィンやパンが
無造作に並べられて甘い匂いを放っている。
私たちはピザの店でグラタン・セットを食べながら、
2時間ばかり、老親の介護をしている彼女の苦労話や
私が最近読んだ英国人の「“身勝手な豚”の介護ガイド」の話をし、
さらに追加注文したアイスクリームを
「これでまたコレステロールが……」と自虐を言い訳に、がっつり平らげながら、
同じ職場で働いた20代の頃の思い出話をしては笑いさんざめき、
気がつくと、店内には我々の他には1組しか残っていなかった。
その1組が席を立ったのを潮に我々も引き上げることにして、
レジでお金を払っていると、横手の厨房から「ありがとうございました」と声がした。
ふと、そちらに目を向けると、人気のなくなった薄暗い厨房に立っていたのは……
一瞬、それは“あのニイチャン”でありながら
同時に“あのニイチャン”ではない、奇妙な人……に見えた。
あるいは、”あのニイチャン”が
何故かジョーダンで「ヘタクソな変装」をして現れた……みたいに見えた。
それは例えば、
若い頃の三浦友和が初めて老け役を演じる姿を見た時のような、
ちょっと妙なインパクト……?
でも、もちろん、そこにいるのは、
ホンモノの白髪交じりの頭に、あちこちにホンモノの皺が刻まれて
ちょっとゆるみ、くたびれた、ホンモノの初老のおじさんなのだった。
気付いた瞬間、すぐさま、その下から、
20年以上前に最後に見た時に私たちと同じ30代だった、この人の顔が、
俄かに、思いがけない鮮明さで浮かび上がってきて、
あ、確かに私はこの人を知っている……と、奇妙な実感をもたらしてくれる。
白髪やシワを透かして見えてくるだけ、余計に懐かしい人として――。
実際、ほんの一瞬だけだけれど、
「うわぁ、元気だったぁ?」と駆け寄って肩の一つも叩きたいほどに
親しく懐かしいものが、胸を通り過ぎていった。
年齢相応に老いたその人に会釈だけして店を出ると、
バッグに財布をしまいながら友人が言った。
「ねぇ、あの人って、どこかで知り合いだったよね」
「あの人って、今の“あのニイチャン”のこと?」
店の中、厨房の辺りを指差して聞くと、
「うん。誰かの知り合いじゃなかったっけ?」
なんだ、この人も同じものを感じてたんだ……と思うと、
ちょっと、おかしかった。
ねぇ、たぶん、あの人は、“わたしたちの知り合い”なんじゃない?
同じ町の、同じ時代の空気を呼吸しながら、
それぞれに、いろんなことのあった人生を生きてきた、
私たちの若い頃からの“知り合い”なんだよ、きっと――。
なぜともなく、誰かから軽く励まされたような気分になって
これからまた老親の家に向かう友人の車に、笑顔で手を振った。
早くもお腹のあたりに胸やけの予感がうごき始めていた。
2011.07.19 / Top↑
今年も6月13日から19日、
英国では恒例の介護者週間 Carers Week が行われました。
今年は1700以上の地方組織がイベントを実施。
去年よりも30%も増えたとのこと。
関連の報道記事は期間中の補遺にいくつも拾っています。
私が初めて英国のCarers Weekのことをネットで調べてみた2007年には、
まだ地方紙が地元のケアラーの特集記事を書くくらいだった印象があるのですが、
今年はGuardianが特集記事を書き、BBCも特集番組を作っていて、
なんだか大きなイベントの成長したんだなぁ……と、感慨がありました。
(その間、特に毎年きっちり追いかけたわけではないので、無責任な感慨ですが)
それら補遺で拾った記事の中で、特に以下の表現が印象的に残りました。
finding hidden carers (隠れたケアラーを探し出す)
finding the true face of carers (ケアラーの隠れた顔を探し出す)
実は、前者は、もともと英国政府の全国介護者戦略にも
アウトリーチ型の支援の理念を巡って使われている表現。
そして後者は、ちょっと面白いことに
今年のCarers Weekのテーマが the True Face of Carers なのです。
このテーマ、なかなか深い……と思います。
Carers Weekのサイトには
ケアラーで、介護に関する著書があるHugh Marriottさんという人が
このテーマの理念を、軽妙でありながら心に響く文章で解説しています。
私自身が先日、ケアラー連盟のフォーラムでお話しさせていただいたことにも
そのまま通じていくような気がするので、以下に全訳してみました。
Mariottさんの著書はケアラーが豚のキャラクターに設定されているらしく、
この文章も、「なんでボクが?」という看板をもった豚が描かれ、
ケアラーである豚君の語りとして書かれています。
原文と、これを言っている豚くんのイラストは、以下のリンクにあります。
The True Face of Carers
Carers Week 2011
【7日追記:おことわり】
今朝までこのエントリーに置いていた豚クンの語り全文の仮訳は
「介護保険情報」誌8月号の連載で取り上げることにしたため、
いったん閉じさせていただきました。
8月号の掲載から1カ月経過した後、
掲載された改訂版を改めてエントリーにしたいと思います。
よろしくお願いいたします。
英国では恒例の介護者週間 Carers Week が行われました。
今年は1700以上の地方組織がイベントを実施。
去年よりも30%も増えたとのこと。
関連の報道記事は期間中の補遺にいくつも拾っています。
私が初めて英国のCarers Weekのことをネットで調べてみた2007年には、
まだ地方紙が地元のケアラーの特集記事を書くくらいだった印象があるのですが、
今年はGuardianが特集記事を書き、BBCも特集番組を作っていて、
なんだか大きなイベントの成長したんだなぁ……と、感慨がありました。
(その間、特に毎年きっちり追いかけたわけではないので、無責任な感慨ですが)
それら補遺で拾った記事の中で、特に以下の表現が印象的に残りました。
finding hidden carers (隠れたケアラーを探し出す)
finding the true face of carers (ケアラーの隠れた顔を探し出す)
実は、前者は、もともと英国政府の全国介護者戦略にも
アウトリーチ型の支援の理念を巡って使われている表現。
そして後者は、ちょっと面白いことに
今年のCarers Weekのテーマが the True Face of Carers なのです。
このテーマ、なかなか深い……と思います。
Carers Weekのサイトには
ケアラーで、介護に関する著書があるHugh Marriottさんという人が
このテーマの理念を、軽妙でありながら心に響く文章で解説しています。
私自身が先日、ケアラー連盟のフォーラムでお話しさせていただいたことにも
そのまま通じていくような気がするので、以下に全訳してみました。
Mariottさんの著書はケアラーが豚のキャラクターに設定されているらしく、
この文章も、「なんでボクが?」という看板をもった豚が描かれ、
ケアラーである豚君の語りとして書かれています。
原文と、これを言っている豚くんのイラストは、以下のリンクにあります。
The True Face of Carers
Carers Week 2011
【7日追記:おことわり】
今朝までこのエントリーに置いていた豚クンの語り全文の仮訳は
「介護保険情報」誌8月号の連載で取り上げることにしたため、
いったん閉じさせていただきました。
8月号の掲載から1カ月経過した後、
掲載された改訂版を改めてエントリーにしたいと思います。
よろしくお願いいたします。
2011.07.08 / Top↑