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(前のエントリーの続きです)


そうした共感を持って読みつつ、
それではあまりに希望というものがないではないか……と
暗い気持ちに陥ってきたところで、

ふいに、以下の鮮やかな一節が登場する。

失禁した私から見える世界は、その多くが、私とは関わりを持たずに動く映画のようだ。街行く通行人、楽しげな街角、忙しい喧騒は、私からは遠く、スクリーンを隔てた一枚向こう側に見える。そのかわり、これまでは余りに当たり前すぎて協応構造でつながっていることすら無自覚だった地面や空気や太陽は、くっきりとまぶしくその姿をあらわし、私の体はそちらへと開かれていく。彼らは失禁しようがしまいが相変わらず、私を下から支え、息をすることを許し、上から照らす。
活気あふれる人の群れから離れていく疎外感や、排泄規範から脱線してしまった敗北感と同時に、力強憶そこに存在し続ける地面や空気や太陽や内臓へと開かれていく解放感の混合。
失禁には退廃的ともいえる恍惚がある。
(p.216)


鮮烈な感動に襲われて、
涙が出そうになった。

ああ、これは「歎異抄」だ……と、しみじみと思う ↓

サンデル教授から「私の歎異抄」それからEva Kittayへ(2010/11/25)


そこから著者が主張しているのは、

……私の経験を通して言えることは、失禁を「あってはならないもの」とみなしているうちは、いつ攻撃してくるか分からない便意とのの密室的関係に怯え続けなくてはならない、ということだ。むしろ失禁を「いつでも誰にでも起こりうるもの」と捉えて、失禁してもなんとかなるという見通しを周囲の人々と共有することによって、初めて便意との密室的な緊迫感から解放されるのである。
規範を共有するだけでなく、同時に「私たちは、気をつけていても規範を踏み外すことがあるね」という隙間の領域を共有することが、一人ひとりに自由をもたらすと言えるだろう。
(p.220)

私と他者とのほどきつつ拾い合うような関わりではなく、単体で切り離された私の運動のみを問題化して、正常な発達のシナリオをなぞらせるようなリハビリの過ちは、そのようなモノや人や自己身体を含めた、他者の存在を軽視したところにあると言えるだろう。

解放と凍結の反復が他者へと開かれたときに、そこに初めて新しいつながりと、私にとっての意味が立ち現れる。そして、他者とのつながりがほどけ、ていねいに結びなおし、またほどけ、という反復を積み重ねるごとに、関係はより細かく分節化され、深まっていく。それを私は発達と呼びたい。
(p.232-233)


「どうせ赤ちゃんのまま」と決めつけ正当化される”アシュリー療法”の論理を始め、
全てを個体要因に帰して、個体への操作で問題解決を図ろうとする
「科学とテクノの簡単解決バンザイ文化」は、

ここに描かれた「リハビリの過ち」を、なおも繰り返し、さらに拡大しようとしている。

「リハビリの夜」もまた、
そんな時代に、鋭くも深い響きで警告を発する書なのだった。


                ―――――――

この本の本題とは全く逸れるけど、
一つとても印象的だったのは、

著者にとって親の介助はやって当たり前で、むしろ
親のペースに合わせさせられたことは不当な記憶として残っているのに、
パートナーの介助は「やって当たり前」にならないよう意識的な努力がされていること。

そこのところの違いが面白いと思った。
何がその違いを生むのか、これからじっくり考えてみたい。


親の立場としても、
親に介助・介護されることを、
親に養われるのと同じく「やって当たり前」と子には感じていてほしいし、
そう感じさせる親でありたいとも思う。

それは著者のように自立生活を送れず
成人した後も親の介助・介護を受けざるを得ない人であっても、
子にとっては「やってもらって当たり前」と感じられるようであれかしと、
親の立場として願う。

ただ、それは親と子の間での話であって、
何歳になろうと子は親の介助・介護を当たり前と感じていてほしいと願うからといって、
その親子の介助・介護関係を社会の中に置いてみた時に、
社会までが「いつまでも親がやって当たり前」というのは、
ちょっと話が違うんじゃないのか、と。

やはり、子が親に養われるのを「当たり前」と考える年齢を過ぎたら、
親が子を介助・介護することも当たり前ではないと捉える社会が
「当たり前の社会」なんでは?


それから、親としての立場で、
ものすごく体験が重なったのが以下の一節。

同じ身体障害者といっても、千差万別である。その差異を無視されて、“正しい”自立生活へと同化させられるのでは、私をまなざすのがトレイナ―から先輩へと移行するだけで、あいかわらず≪まなざし/まなざされる関係≫に陥ることになる。
(p.153)


障害のある子どもの親になった時、
まず、専門家から「我が身を省みず何をもいとわず
専門家の指導通りの療育に邁進する親」という
「優秀な障害児の(母)親」規範を押し付けられた。

同時に世間サマからは
「どんなに苦しくとも我が身のことは構わず、
常に元気に明るく前向きに、子どものために超人的な自己犠牲で献身する」
「美しい障害児の(母)親」規範を押し付けられた。

そういうまなざしと、「私は私なんじゃわい」と闘い続けてきて、
娘がようやっと成人し、親もそろそろ老いのトバ口に立ったところで
最近、ふと気付くと、時に、

障害者運動や支援職の人たちから
「子どもの障害像や家族や地域の状況がどうであろうと、
我が子に“自立生活”をさせるか、それを目指して全力を尽くす」
「正しい障害者の親」規範を押し付けられている……のか……?
という気がすることに、戸惑っている。

まなざされ、一方的に評価の対象物にされていると
意識させられることへの違和感は、いずれも変わらない。
2012.02.14 / Top↑
「リハビリの夜」(熊谷晋一郎 医学書院)

ずっと気になっていた本をやっと読んだ。
たいそう面白かった。ちょっと新鮮な読書体験でもあった。

言葉ではなかなか伝えにくいこと、普通はおそらく小説の仕事とされていることを
著者は小説という形式を取らずに試みて、一定の成功を見ている、といったふうな。

脳性マヒ者で、車いすを使って生活している著者は
子どもの頃から自分で歩くとか走るという直接体験は持たないものの
周りにいる健常者が歩いたり走ったりする姿を詳細に観察して
それを疑似体験とすることによって、
あたかも自分自身が歩いたり走ったことがあるかのように、
それらの体験を自分の身体感覚として知っている、と
書いているのだけれど、

ちょうど、その逆の疑似体験へと、この本は読者をいざなう。

脳性マヒの身体で生きて世界を体験するということが、
その人にとってどういう感覚なのか、ちょっと体験させてもらえたような、
その感触がなんとなく少しだけ分かったような感じがしてくる。

そんなふうに自分の体験を描きつつ全体としては、
個体のあり方や機能と能力を「正常」を基準に捉え、
あくまで個体への働きかけで「正常」へと問題解決を図ろうとする
リハビリの眼差しそのものの不当さを浮き彫りにし、

そこにある、そのような身体と、そのような身体をもった人と、周囲との、
「ほどきつつ拾い合う関係」に目を向けた問題解決を、との主張。

いわば「一つの身体」とその周辺の日常という小さな射程での
「医療モデル」から「社会モデル」への移行の過程を丁寧に解き明かしていきつつ、
リハビリ医療に根深い「医学モデル」への、
これまでにはなかった深みと厚みのある批判の展開ともなっている。

いくつかのキーワードがあって、その中心は「敗北の官能」。

例えば、

課題訓練前に行われる体をほぐすためのストレッチと、課題訓練がうまくこなせなかったときに苛立ちとともに行われるストレッチとは、強引に身体に介入されるという意味では同じだが、前者に「ほどけと融和」があるのに対して、後者にあるのは「かたまりと恐怖」である。
トレイナ―の動きは、私の動きとはまったく無関係に遂行されていて、私の身体が発する怯えや痛みの信号はトレイナーによって拾われない。トレイナーは交渉することのできない他者、しかも強靭な腕力を持った他者として私の身体に腕力を振るうのだ。
私の身体はやがて、じわじわと敵に領地を奪われていくかのように、トレイナ―の力に屈していく。
まず腕が、足が、腰が、一つまた一つとトレイナ―の力に負け、ふにゃりと緊張が抜けていく。
しかしそこには、折りたたみナイフ現象の時のような快感はない。むしろ、腕や、足や、腰を、私の身体から切り離してトレイナ―という他者へ譲り渡すような感じだ。
(p.67)

・・・「自発的に」という言葉は、トレイニーが自らの自由意志に基づいて運動せよという含みをもっているのだが、同時にそこには自発性だけではなくて「私の指示に従え」というトレイナ―の命令も込められている。つまりトレイナ―は「自らすすんで私に従え」と言っていることになる。だから、そこで掲げられる「主体」というのは、トレイナ―の命令への「従属」とセットになっているのである。
(p.70)


読んでいると、なにやら「敗北の官能」とは
人格が未成熟な虐待的な親によって育てられ、ダブルバインドで縛られ、
自分の人格を無視されたまま相手の都合で玩弄された
ACの体験にも通じていくような気がする。

さらに、例えば以下なども、
障害児が医療から「まなざされる」という体験は
なんのことはない、被虐待体験そのものではないか……と、目からウロコ。

人は皆、成長のある段階で、実際の他者にまなざされながら規範を覚えていく。やがて規範をほぼ習得しおえるころになると、他者がいなくても自分で自分を監視するようになる。さらに規範が身体の一部の用に当たり前のものになれば、とりわけ自分や他者から注がれる監視の眼差しを意識しなくてもよくなり、いわば「心の欲するところに従いて矩を超えず」の状況になる。
これはつまり、自由意志に基づいて主体的に行動しているという感覚のままで、規範から逸脱しないという状態になれるということだ。…(略)…それは、他者の内部モデルを、みずからの内部モデルとして取り込んだ状態とも言えるだろう。
しかし規範を取り込むことに失敗した私は、眼差しや規範との同一化に至ることなく、自分を監視する不特定多数の他者や自分自身の眼差しをひりひりと感じ続けることになる。それは第一章で述べた、「健常者向け内部モデル」と「等身大の内部モデル」の両方が一致しない私の状況に対応している。
規範の取り込みに成功した身体は、内部モデルによる予測的な制御で動くから、しなやかでやわらかく、身体の緊張度が低い。いっぽう私のように取り込みに失敗した身体は、ただでさえこわばる体をより緊張させて動かすことになる。
(p.126-127)


周囲の評価が気になり、緊張が強く、
承認を求め続け頑張り続ける一方で、
どれだけ承認を得ても常に満たされることがなく
「もっと」求めざるを得ないのも、また、ACの特徴の一つ。

そして、医療を始めとする科学とテクノの価値意識が
利権を背景にした経済の要請を受けて、俄かに席巻していく世界が
管理・操作・コントロール志向を強め、幼稚な人間観の短絡思考で、
どんどんと虐待的な親のような場所になっていくことを考えると、

この本に描かれているリハビリの被害体験は
世界中であらゆる形で「弱者」の立場に置かれる人に広がっていきつつあると
考えてもいいのでは……という気がしてくる。

(次のエントリーに続く)
2012.02.14 / Top↑
昨日、今日と、また
ツイッターで「介護者の立場」で沢山つぶやいてしまったので、
以下に取りまとめ。

        ―――――――

「ケアの社会学」を読んでから、介護される者の権利と介護する者の権利には序列があるのか、そも「権利」が「優先順位」になじむのか、ということを考えて いる。それを考えていると、両者の権利がどこか被害者と加害者の権利みたいな2項対立の中に置かれてしまっているような気がしてくるのだけど

それぞれの権利やニーズを満たす責任を求める相手を、その2者関係の中に求めてしまう無意識が、そうした対立があるような錯覚を起こさせるのでは? 介護される者の権利やニーズを満たす責任は介護する者にのみ求めるべきではないし、

介護する者の権利やニーズを満たす責任も、その2者関係の外に求められるべきだという整理ができれば?

(ここへfiregardenさんから
「キテイさんの話はそういう整理ですよね」とのお返事をいただく。
この後、やり取りの中から介護者関連のspitzibara分のみ)

あー、結びついてなかったですが、そういえば・・・。と気づいて、ふっと思うんですけど、キテイさんが言っている「その人がおかあさんだから、おかあさんにも支援が必要」「みんなおかあさんの子だったんだから」の前に、「おかあさんは一人の人間」じゃダメなの?みたいな。

私のキテイさんの読み方が不十分だからかもしれないんですけど。70になっても80になっても我が子を家で介護し続けている親は「健康で文化的な生活」を送る権利を奪われている、というシンプルな事実は、どうして語られることがないのだろう、と。

おかあさんだから「おかあさん(介護者)の人権」の問題になってしまうけど、「おかあさんの人権」の問題はもともと「人の人権」の問題と何が違うのか、違わないはずじゃないのか、と。うぅ・・・まだ、うまく言えない。もうちょっと考えます。

介護者のニーズは二次的なものだというのが一度確認されてしまうと、生身の介護者の状態はうつろい変化するものだという当たり前の事実が見過ごされてしま いそうな気がする。自身が病や不自由を抱えても、それが「介護者の病」「不自由な介護者」の範疇に留まれば「2次的ニーズ」と扱われる、ような。

職場のストレスからうつ病になった人だと医師が診断書を書いて休職もあるけど、介護ストレスからうつ病になった介護者の、うつ病患者としてのニーズがとり あえず介護負担から離れて休むことにあるとしても、誰も「他に変わる人がいないから仕方がない」と考えて、それを疑わない。

そういう状態で自分でも「もうダメ」とはどうしても口にできず、そのホンネを周囲も察してあげることができないまま精神科受診だけでずるずる頑張っているうちに、自殺(未遂)にまでいってしまう人は実際にいる。子どもの殺害に至るプロセスにも、そういうことがあるんでは?

介護者の側から言えば、そして実際これは言いにくいことではあるけれど、「とにかくもう離して」と言うしかない心身の状況というのはある。介護される側へ の思いはあっても、それどころじゃなくなるほどに介護者の心身が擦り切れてしまう前に、程よく「小さなギブアップができる」支援があったら。

福岡で発達障害のある男の子が繊維筋痛症を患うお母さんに殺された事件の時に考えたことが「上手に小さなギブアップができる支援」だった。

上手に「小さなギブアップ」ができる支援(2008/10/1)
上手に「小さなギブアップ」ができる支援 2(2008/10/1)


それから、「小さなギブアップ」ではどうにもならない状況というものも現実問題としてある。親の老齢もその1。70になっても80になっても「小さなギブアップ」で頑張れというのは、80になっても90になっても「介護予防」励め、に近い。ならロボットスーツで?



【「ケアの社会学」関連エントリー】
上野千鶴子「ケアの社会学」を読む 1(2011/12/27)
上野千鶴子「ケアの社会学」を読む 2(2011/12/27)


【エヴァ・キテイ関連エントリー】
哲学者エヴァ・キティ氏、11月に来日(2010/10/12)
サンデル教授から「私の歎異抄」それからEva Kittayへ(2010/11/25)
ACからEva Kittayそして「障害児の介護者でもある親」における問題の連環(2010/12/1)


【キティ氏のAshley事件に関する発言エントリー】
Eva KittayとMichael Berube:障害のある子どもを持つ学者からのSigner批判(2010/10/13)
Eva Kittayの成長抑制論文(2010/11/7)
Eva Kittayさんに成長抑制WGのことを聞いた!(2010/11/12)
「成長抑制でパンドラの箱あいた」とEva Kittay氏(2010/11/28)
2012.02.07 / Top↑
そのころ、私はなぜかミュウが誘拐された夢を見ており、夢の中でパニックしてわめきまくっていたら、いきなり隣の布団から伸びてきた、ひやっこい手に顔面を襲撃されて飛び起きたり……しておりました。

前からずっと頭にぼんやりあったことが、何度も繰り返される自分の夢のパターンを改めて思い、それが「障害のある子どもを持つ親の原罪意識」という言葉に収束してきた気がする。ブログにそのうち。
 
             ・・・

「私は私らしい障害児の親でいい」という本を書いて数年後に、ミュウが文字を読んで理解することができる子だったら、私はこの本は書けなかったのだ、ということに気付いた。そのことの中に考えるべき大事なことがあるような気がする。

親が子どもとの関係における自分の苦しさを語る言葉は、語られた瞬間から、すべて、あのイヤラシイ「積み木崩し」になるのだ、と思う。それに対して何も言えない立場に子どもを置きざりにしたままの、強い者の身勝手な自己正当化。

同時に、介護者が介護者支援を訴えることの難しさの一つが、そういうことの中にあるような気もする。弱い側にいる者を傷つけるのが分かっているなら、そし てその相手を愛しているなら、強い側にいる者は自分の苦しみを語る言葉を飲み込むことを選ぶ。だから同じ立場の「内輪」でしか語られなくなる?

             ・・・


いろいろあるというのは多少は承知しているのですが、ただ、だから子どもへの支援や介護者支援の必要が否定されるということではないと思うんですよ。すごく不用意なものの言い方なんだろうとは思うんですけど、(つづく)

私としては、介護者支援が充実することによって親や家族が代弁しなくてもすむ方向というのも探れるのでは、ということを考えてみたいです。

             ・・・


ここの話題(家族は「当事者」に含めるべきではない、か)、上野先生のニーズが一次だとか二次だとかいうこととも関わってくると感じていて、言いたいこといっぱいあるんですけど、微妙な部分が多いので、整理できてからまた絡ませてください。

ありがとうございます。私は「ケアの社会学」まで考えたこともなくて、今のところ「障害については家族は『当事者』ではないけど、介護に関しては『当事者』に含めてほしい」。とはいえ、そこに足を下ろしかねてグルグルも。みなさんの議論から学びつつ考えたいです。

介護故に受診できない難しさとか、独立した患者として見ることの必要を言ってくださっているの、ありがたいです。心理的にも自分のことは後回しになります。昨日の奈良の82歳の母親も車椅子だったとか。

介護者がうつ病になったら、その人は「うつ病の介護者」ではなく「うつ病患者」としてその人自身が上野先生の言う一次ニーズの持ち主とみなされるべきでは、と私は思うのですが、うまく言えないので出直します。

              ・・・


この点(精神障害者の介護者がうつ病になった場合の主治医は本人と別であるべきか)は、やっぱりケースごとの判断じゃないかと思うのですが、ただし、そこでも、医療と福祉の両方の関係者に、介護される人とする人の間には時に非常に深刻な利益と権利の相克があるんだということをきちんと認識してもらうことは大切か、と。

それから介護される本人のニーズがきちんと満たされることも、大事な介護者支援策だと思います。介護者が病気やけがで一時的に介護できなくなったような緊急時も含めて。


              ・・・

もうちょっと整理できたら言いたいのは、それぞれ自分のニーズとか権利の保障を求めるべき相手は、介護される・する関係内の相互ではないはずだ、ということなんですけど……もうちょっと考えます。

ニーズもなんだけど、権利に優先順位……というのがずっと引っかかっている。



【関連エントリー】
障害のある子どもの子育ては潜在的な家族の問題を顕在化させる(2008/10/20)
ACからEva Kittay そして「障害児の介護者でもある親」における問題の連環(2010/12/1)
上野千鶴子「ケアの社会学」から考えたこと 1(2011/12/27)
上野千鶴子「ケアの社会学」から考えたこと 2(2011/12/27)



2012.01.16 / Top↑
1月9日

前に某シンポで、鷲田清一氏が「かつては町内で介護の支え合いがあった」みたいなことを言われ、春日キスヨ氏が「でも、その支え合いを負わされていたのは女だった」と突っ込んだら、鷲田氏が「でも介護は誰かがしなければならない」と言った。忘れられない。

介護を語り論じる多くの男性が内心、介護は自分以外の「誰か」がするものだと思って語り論じている。本当のところ、介護を論じさせてもらえるだけの「業 績」があるなら、それは子どもの主たる養育者であることも誰かの主たる介護者であることも免れてきた人である確率が高い。男性であれ女性であれ。

某シンポの開始前、パネラーの一人がもう一人に「母親が倒れてね。介護については専門家のつもりだったけど、自分のことになるとこんなに大変だとは思わなかったよ。家内がノイローゼ状態なんだ」と話していた。それでも、その人自身は飛行機でやって来てシンポで介護を論じる。その大変さについて。

・・・

ミュウのオムツ交換も着替えもトランスファーも歯磨きも寝がえりも、父と母の4つの手によって、まるで「2つの身体と4つの手を持った1人の人」のよう に、なめらかに流れていく。ミュウ自身の呼吸がその流れに沿って、3人の無言のリズムが刻まれていく。それが我が家の暮らしのリズム。

一人の人のように働く4本の手に身をゆだね呼吸を合わせつつ、ミュウも気が向くと腰を上げて協力したり(タイミングちゃんと計ってる)、シャツやオムツを 取って手わたしてくれる。気が向くと、渡すと見せて、あらぬ方に放り投げては喜ぶ。「こら、ミュウ」「ゲヒヒヒッ」日常のリズムが”ぴょん”。

3つの息と4つの手が一つに合わさって、我が家の日常が営まれていく。そうと意識されることもないほど、なめらかに。それに気付いたのは、そんなことを24年を超えて繰り返してきて、なぜか今日。

でもね。この上ないコーディネーションを見せてよく働く「2つの身体と4つの手」も、3つの身体のどこかに非日常が起こるとね……。それに、なぜだろう、 特にミュウの体調が良くない週末は、生活そのものも介護もいつも通りに流れたのに、4本の手を持つ人の身体の疲れがものすごく酷い。

 ・・・

私はそういうところに足を置き、そういうところからモノを見て、モノを考えようとする時、正直言って、「実践の倫理」がどっちに向いていようと知ったことじゃない、という思いはある。

 ・・・

介護を介したミュウと母親との密接なつながりの中には、ちょっと人目に触れるのを憚るようなやりとりの部分がある。ちょっと表現しづらくて誤解を招くとま ずいけど、たぶん夫婦のセックスのような何か、とてもプライベートで隠微なもの。性的なものがあるわけではなく、その親密さの性格が。

父親とミュウの間にもそれに似たものはあるような気がする。全面的に身をゆだねている者とゆだねられている者の親密さで起こることなのか、親子だからなの かは分からない。ただ全面的に身体をゆだねゆだねられることそのものに、なにか豊饒なものがある感じはある。危うさでもあるんだろうけど。



1月10日


昨夜、眠りに落ちる寸前に気になったんだけれど、ミュウの介護についての昨夜の一連のツイッター、ずっと在宅介護している人や一人で介護を担っている人には不快だったかもしれない。

介護に限らず、どの問題でもそうだと思うけど「いま現にそこで一番苦しんでいる人」の声は世の中には出回らない。そういう人には世の中に向かって声を上げ るだけの余裕なんかないから。そして世の中で一番大きな声を張り上げている人たちには、そういう人の存在への想像力も興味もない。
2012.01.16 / Top↑