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以下の昨日のエントリーに、
今朝Moritaさんからコメントをいただき、
そのコメントに誘発されてお返事を書いていたら、
頭のグルグルが止まらなくなったので、

【論文】研修医は<説得の儀式>や<希望つぶし>で誘導する(2013/5/6)

いま一つ、きちんと整理できていないのが申し訳ないのですが、
今の段階で考えたことのメモとして。

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おはようございます。いろいろありがとうございます。
いただいた引用から既に頭がグルグルし始めているのですが、
私はなんでもまず卑近な自分の体験を連想することから始まるので、
子どもの障害を知らされた直後の親の混乱した心理状態を思い浮かべました。

生まれた直後に「将来、障害が出ますよ」と言われても、
いったいどういう種類の、どの程度の障害になるかということは誰にもわからない。
だから、その先の「この子の人生はどうなるんだろう」とか
「私はちゃんと育てられるんだろうか」という問いにも、
いくら考えても、ちゃんと考えてみるための、とっかかりすら、どこにもない。

何もかもが未知で不透明で、ただ「たいへんなことになった」と。
確かなことなど誰にもわからない中で将来への不安と怯えばかりが膨らんでいく――。
それはただただ恐ろしい、暗い穴の中に一人でどんどん沈み込んでいくような気分だった。

だから、多くの親は
「この子は治る」と言ってくれる人を求めてドクター・ショッピングをしたり、
「奇跡の療法」にのめり込んだりする。その心理って、ある意味、
確かなものを求めてオウムにすがった信者と似ているかもしれない。

でも本当の意味で生きていくための希望って、
確かなもの、すがりつけるものを探しているうちは見つからなかった……と、
あの頃のいろんな親たちの姿を思い返して、思う。

確かなものなどどこにもない、先がどうなるかなんて誰にもわからない。
それを事実として受け入れられた時に、初めて、
その先が全く見通せない不安に耐えながら、
目の前の「今日ここにある現実」と向かい合い、
その現実を生きていくことができ始めた。

そして希望は、
そんなふうに毎日を自分の身体で生きてみることの中にしか
見いだせなかった、と思う。

「今ここにいる、この子」という目の前の現実と向かい合うことによって、
そこには障害があろうとなかろうと愛おしい我が子がいて、
その子のためにしてやれることが自分にあり、親子それぞれの笑顔や泣き顔があり、
日々の雑事にジタバタしながら共に暮らす生活の時間がある。

そんな日常を身体で生きることを通して、
幸不幸は障害の有無だけで短絡的に決められるものじゃないということを、
私たちは「身体で知って」いったのだと思う。そして、
「この子の障害は治らないのかもしれない」「寝たきりになるのだろうな」というふうに、
受け入れがたい現実が、不思議なことに、少しずつ受け入れられていった。
受け入れながら、共に生きていこう、と思えるようになっていった。

もちろん、そう思えるようになったからといって、
もう迷いがないとか不安がない、辛いことなどなくなった、というわけじゃない。
いつも悩ましいことを抱え、何度も深く傷つきながら、
それでも心の奥底に悲しみや傷を抱えたままでも、
日々を楽しく幸せに生きていくことはできる、と
私たちは少しずつ知っていった。

日々を幸せに生きていながら、ある時ほんのわずかなことを機に、
人の心は一瞬にして暗く閉ざされてしまうことがあるんだ、ということも知った。

子どもの障害を受容できたと思っては、
また何かが移り変わるたび、何かが起こるたびに、
新たな受容を迫られては苦しみ、ぐるぐると同じところを巡りながら、
少しずつ障害のある子どもの親として成長していった。

そうして、人が生きている日常も人の気持ちも、
単純な幸・不幸で割り切れるような単色ではなく、常にいろんな色が混じり合っていて、
色だけじゃなく微妙なグラデーションとシェードの間で常に移ろっているものなんだ、
ということを知った。

昨日の補遺で拾った中に、
英国の障害者運動の活動家が、自殺幇助合法化推進ロビー団体のトップに向けて書いた
公開書簡があって、その中で「あなたがやっていることは
未知なるものへの恐怖をかきたてるキャンペーンだ」
という意味の一節がとても印象的だった。

「未知なもの」「見通せないもの」「自分でコントロールできないもの」は怖い。
「分からない」まま生きるということは、不安定な足場の上に立っているのと同じで、
その不安定な感じは、誰にとっても、たまらなく恐ろしい。だから人は
その不安定さに耐えられなくて、確かなものを求めようとする。
不安定なものを排除してしまおうとする。

「治る」のでなければ、いっそ「終わりに」してもらえれば、
不安定なところに立ち続けている恐ろしさも終わる。
崖っぷちに立ち続ける恐ろしさに、自ら飛んでしまう人のように――。

その気持ちは、私も自分の中に抱えている
「どうせ」であり「いっそ」という自棄的な気分でもある。

でも、本当は一番怖いのは、その不安定さに魅入られて、
そこから目を離せなくなること、そこに立ちすくんで動けなくなってしまうことじゃないんだろうか。

障害の問題に限らず、人間が生きていることにまつわる問題は
「Aか否か」や「AかBか」とはっきり答えが出せるところにあるのではなく、
「AでもありBでもありCでもあるけれど、AのみでもBのみでもCのみでもないなかで、
どうするか」というところにあって、その問いの答えは、
曖昧で不安定で分からないことだらけであることの恐怖に耐えながら、
目の前の個々の現実と惑いつつ、取り乱しつつ、向かい合い続け、
その現実の一回性を自分の身体で生きることからしか
見つからないのではないか、と思う。

たぶん、希望も、強引に割り切ろうとすることからは見つけられなくて、
そんなふうに答えが簡単に見つからなくて、見苦しくグルグル・ジタバタしながら、
矛盾だらけの割り切れなさを生きることの中にしか
見つけられないのだろう、とも思う。

説明はできにくいのだけれど、
「割り切れなさ」というものが、実は「かけがえのなさ」というものと
とても密接につながり合っているんじゃないか、という気がする。

科学とテクノロジーが
何もかもを「分かるもの」「コントロール可能なもの」にしてくれそうな幻想に
多くの人が操られ始めている今の世の中だからこそ、逆に
未知なもの、不安定なもの、割り切れないものへの恐怖心が
より一層高まっていくのかもしれない。

「身体も命もいかようにも操作・コントロール可能なもの」という
“コントロール幻想”がはびこっていく今の世の中の、
最も大きな不幸の一つが、その幻想の反作用としての、
「分からないこと」「自分でコントロールできないもの」への許容度の低下と、
未知なものへの恐怖心の増悪なのかもしれない。

それが「どうせ治らないなら、いっそ」というような、
一方の極端から一気にもう一方の極端に簡単に振れてしまうような
短絡的なものの考え方を広げているんじゃないだろうか。

でも、たぶん人が生きるということは、
その両極端の間のどこかを見苦しく右往左往することでしかないんじゃないだろうか。
希望も生きることの豊かさも、その右往左往の中にしか見いだせないんじゃないんだろうか。

“コントロール幻想”の世界の救いのなさは
何もかもが整合して割り切れすぎていて、だからそこには
かけがえのないものがないこと――。

そこには人知を超えるものが存在しない。
人知を超えるものへの畏れがない――。

かけがえのないものがない、人知を超えるものがない、そこは
「祈りをなくした世界」なんじゃないだろうか。

そんな気がする。

だから、
人の世が向かう先にあまりに希望が見出せなくて、
「どうせ」「いっそ」と、今にも崖から飛んでしまいたい気分に駆られそうになっては、
なんとか踏みとどまろうと自分に言い聞かせつつ、

信仰というものを持たない私なりの精いっぱいの祈りを込めて、
こんなエントリーを書いてみる。
2013.05.08 / Top↑
3月28日、知事が法案に署名し、
ユタ州は死刑囚を含め、収監中に死亡した場合に囚人に臓器提供を認める
米国で最初の州となった。

既に同州では247人の囚人がドナー登録。

法案の提出者、下院議員(共和党)のSteve Eliasonは
2010年に臓器提供を望んだ殺人犯 Ronnie Leeの望みが却下されたことが
この法案提出のきっかけになった、と。

また記事には、
オレゴン州で死刑囚からの臓器提供合法化に向けてネットで啓発活動を続けている
死刑囚、Christian Longoの訴えについても言及されている。

Longoの訴えを巡る11年の論争については、こちらに ↓

「執行後に全身の臓器すべて提供させて」と、OR州の死刑囚(2011/3/6)
「囚人を臓器ドナーに」は実施面からも倫理面からもダメ、とCaplan論文(2011/10/14)


New Utah law allows organ donations from prisoners; nearly 250 sigh up
NBC News, April 13, 2013


実はカプランは上記の11年10月の論争と並行して、
以下のように、学者らに向けて中国の研究報告のボイコットを呼びかけた。

世界中の学者が、平然とスル―したのだけれど。

A・Caplanが、死刑囚の臓器に依存する中国の移植医療ボイコットを呼びかけ(前)(2011/10/12)
A・Caplanが、死刑囚の臓器に依存する中国の移植医療ボイコットを呼びかけ(後)(2011/10/12)
2013.04.30 / Top↑
プライバシーの点から名前や児童福祉管轄の自治体は明らかにされていないのだけれど、

海外から3人の赤ちゃんを養子にして育ててきた女性が、
4人目の赤ん坊を養子にしようとしてかなわなかった時に、
自身は健康上の理由から不妊術を受けていて産むことができないからといって、

インターネットを使って手に入れたドナー精子を使って
養子にした子どもの一人に妊娠するよう強要、
少女は14歳の時に流産したが、その後も何度も自己受精を強要し
16歳の時に子どもを産ませた、という
胸が悪くなるような英国の事件。

この女性は養子にした子どもたちを学校にやらず、
ホーム・スクリーニングと称して自宅に閉じこもりきりにさせており、
そのため、この少女には友人がいないばかりか、処女だったという。

その少女に母親は
自分が購入したドナー精子を自己受精するよう何度も強要。
女児が欲しいとして、酸性の液体で膣内を洗浄することまで強要していた。

「最初の精子ドナーは家までやってきた」と書かれているのがちょっと気になる。
それ以後の精子は、デンマークの精子バンク Cryos Internationalで購入されたもの。

少女は養子にしてもらった感謝の念からも拒むことができず、
また望み通りに子どもを産んであげれば、今以上に母親から愛されると思った、と。

事件の発覚は、
子どもが生まれた後、訪問した保健師らが
少女への母親の対応が常軌を逸していることに気付いたのがきっかけ。

この女性の子どもたちへの扱いに関しては児童福祉に通報されたことが数回あるものの、
判事はその介入が「基本的に通り一遍でしかなかったために」
重大な懸念があるとされることはなかった、と。

裁判は非公開で行われ、
現在、この母親は児童虐待の罪で5年の刑に服役中。

国際的な養子縁組の制度と、同様に国際的な生殖子の売買、
双方でのチェックの甘さという問題が改めて浮き彫りに。

Girl, 14, forced to become pregnant with donor sperm bought by mother
The Guardian, April 28, 2013
2013.04.30 / Top↑
East Anglia大学の認知症スクリーニングの専門家から、

今後、認知症患者の急増が見込まれることから
症状が出ていない内から認知症のスクリーニングを実施しようとの声が
英国でも上がっているが、

定期化すると、
未だ治療方法も見つかっていない中で無用な不安と混乱を招くだけで、
利益よりも害の方が大きい、と懸念の声。

「早期認知症」とは患者に症状が出る前の段階を言い、
診断は認知能力のテストと脳画像診断で行うが、
ちょっとした認知障害なら高齢者の3人に一人はあると答えるし
だからといって彼らの訴えが認知症の症状であることはほとんどない。

治療法もないのに、
症状がないうちから診断されてしまうと、
認知症というラベリングでスティグマを負い、
本人と家族の不安とストレスになるだけでなく、
職業や保険での差別にもつながりかねないし、
実際の病気が影響し始める以前からその人の人生はひっくり返ってしまう。

また医療費の面から言っても、
早期に診断される人を増やすことは無用なコスト増に繋がる。

だいたい、そんな時期から診断したって
本当に認知症になっているか、その人が生きているうちに症状が出るか、
そんな確率が明らかにできるわけでもない。

Routine Early Dementia Screening “A Disaster In Slow Motion”
MNT, April 18, 2013


なんか、これ、読んでいると、
認知症の早期発見スクリーニングに限らず、
遺伝子診断で、これこれの病気の確率がこれこれですよ、と
知らなくてもよいことを知ってしまうことにも通じるような気がする。


【関連エントリー】
一族そろって胃を全摘して癌予防(2007/7/24)
遺伝子診断、無用のストレスが身体に悪いだけ(2008/9/19)
Google創設者、パーキンソン病遺伝子を告白(2008/9/19)
「お子サマに最適なスポーツと最適な訓練方法を」と“DNA霊感商法”(2011/5/20)
2013.04.26 / Top↑
去年の11月の以下のエントリーで読んだWPの長文記事を、
訳あって、読み返してみていたところ、

製薬会社資金に信頼性を失っていく治験データ……Avanidaスキャンダル(2012/11/30)

そのWP記事に寄せられた
がん専門医の方からのコメントで、ものすごいことが書かれているのに気が付いた。

コメント全文がこちら ↓
全訳はちょっとキツイので、ざざっと。

Let me enlighten many of you as a cancer MD who has been in this field for 50 years. Bias and ego, along with greed, dominate my profession. In fact, my favorite quote is that the oldest profession has become the oldest profession.

Clinical research is funded by the drug companies 95% of the time. The physicians are paid for each patient enrolled. Physicians are invited to be part of speaker panels that tour the globe espousing the particular drug or device. All of this is paid for, of course. The journals are full of advertisements for drugs, along with the continued bombardment of TV ads for various drugs for the sick and ailing American public. That is without a doubt a form of brain washing --but that's the state of the world in the USA today. I cannot stop the flood of medical tabloids that are replete with advertisements.

The FDA panels that approve or reject drugs and/or devices are manned by individuals often on the payroll of the very same drug company seeking approval. From what I have experienced, there is huge bias in the way decisions are made by that panel. Due diligence is often not done by the panel since it is a part time job. Those on the panel are not asked to recuse themselves if there is a conflict of interest. In fact, nowadays the medical journals require you to state any conflicts of interest, including investments or payments related to the article you have published. If you "confess" the conflicts, then all is considered acceptable. The fact that Dr. ABC has stock in Glaxo, or is on the Speaker's Bureau for Aventis is only important in the declaration of the conflict. This is the closest thing to a confessional that I know--just admit your conflict of interest and all is OK.

How to find an honest man or woman. This is truly an odyssey of a biblical nature. But this pervades all of our culture and it is global in nature. We seem to not be able to get close to the truth. Our world is full of amazing technological advances, yet the basic issues of morality and ethics seem to disappear as the greed/ego aspects of our lives gather more "moss" due to the growing religion of consumerism. It's the Al Franken generation of Saturday Nite Live i.e., What's in it for me?

がん医療を50年やってきて、思うのは、
がん専門医の世界はバイアスとエゴと金銭欲に支配されているということ。

臨床実験は95%がた製薬会社の資金で行われており、
患者を一人参加させるたびに医師にはカネが入る仕組み。
薬や医療機器の販促講演に呼ばれれば世界中を旅して廻ってカネをもらう。
メディアは薬の広告攻撃を仕掛けて、まるで洗脳まがいだし、
医学雑誌も広告だらけだ。

薬を認可するFDAの委員会には、
当該製薬会社と金銭関係のある人物が入っていることが多いし、
私の経験からしても、そんな委員会にバイアスがないわけがない。
ディスクロージャーが義務付けられたといっても
金銭関係を「告白」すれば、それが免罪符になって終わり。

一体どこに正直な人間がいるのか、真実が一体どこにあるのか、
もはやほとんど宗教的な次元の話だ。
これが米国の文化であり、グローバルに広がっていくだろう。
素晴らしいテクノロジーの発達の一方で、道徳心や倫理感は消え失せて
消費主義という宗教のもと、金銭欲とエゴばかりがはびこっていく。


そういえば、日本のワクチン評価委員の製薬会社との金銭関係でも、
「ディスクローズしているのだから問題ない」というのが
厚労省の見解でしたっけね…… ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/66296856.html


ビッグ・ファーマ関連スキャンダルについては
もうウンザリするほどエントリーがあるので、リンク一覧は断念。

興味おありの方は
冒頭にリンクしたAvandiaスキャンダルの辺りから
リンクをたどってみてください。
2013.04.26 / Top↑