2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
08年にSteven Thorpe(当時17歳)は交通事故で意識不明となり、
事故の2日後に4人の専門医が脳死を宣告した。

医師らは家族に臓器提供を考えるよう求めたが
息子にはかすかながら生きている手ごたえが感じられるとして
両親は生命維持の停止を拒否し、セカンドオピニオンを求め続けた。

両親が相談したGPから依頼を受けた脳外科医が検査したところ
脳に活動が見られることを発見し、脳死との診断を覆した。

その検査結果を受けて担当医らも
鎮静剤で意識を落としてあったSteveの鎮静剤を減らしたところ、
2週間後にStevenは意識を回復した。

現在は、片腕が動かないことと目の片方が義眼であること以外は
完全に回復。

Stevenを脳死と診断し、臓器提供を提案した病院とNHSトラストは

「Stevenの脳外傷は極めて重症で、複数の頭部CTスキャンは
ほとんど不可逆な(almost irreversible)損傷を示していました。
脳にこれほど広範な外傷を負った患者が助かることは極めてまれです。
Stevenが回復した姿は我々にとっても喜びです」

The boy who came back from the dead: Experts said car crash teen was beyond hope. His parents disagreed
The Daily Mail, April 24, 2012


この記事を読んで疑問に思ったのは、

・事故の2日後に脳死と診断されていること。
・本人も言っているけれど、脳死と診断したのが複数の医師だということ。
・病院とNHSのコメントの「MRIではほとんど不可逆的」の「ほとんど」とは?
・病院とNHSのコメントからすると、CTだけで診断していたのでは?
・「鎮静剤で意識を落としてあった」患者について、CTだけで「どうせ意識はないし、戻らない」と?


なお、当ブログでこれまで拾っている回復事例は以下。

【米国:リリーさん】
植物状態から回復した女性(2007年の事件)

【米国:ダンラップさん】
脳死判定後に臓器摘出準備段階で意識を回復した米人男性のニュース(再掲)(2009/7/30)

【ベルギー:ホウベン?Houbenさん】
23年間“植物状態”とされた男性が「叫んでいたのに」(ベルギー)(2009/11/24)
「なぜロックトイン症候群が植物状態と誤診されてしまうのか」を語るリハ医(2009/11/25)

【日本:加藤さん】
「植物状態にもなれない」から生還した医師の症例は報告されるか?(2011/1/19)

【米国:ゴッシオウ? Gossiauxさん】
事故で視力を失った聴覚障害者が「指示に反応しない」からリハビリの対象外……というアセスメントの不思議(2011/2/6)

【オーストラリア:Cruzさん】
またも“脳死”からの回復事例(豪)(2011/5/13)

【米国:Sam Schmitさん】
アリゾナで、またも“脳死”からの回復例(2011/12/24)


【その他、関連エントリー】
「植物状態」5例に2例は誤診?(2008/9/15)
「脳死」概念は医学的には誤りだとNorman Fost(2009/6/8)
睡眠薬で植物状態から回復する事例が相次いでいる:脳細胞は「死んで」いない?(2011/8/31)

楳図かずおの脳死?漫画(2008/4/3)
重症障害児・者のコミュニケーションについて、整理すべきだと思うこと(2010/11/21)
2012.05.02 / Top↑
ピーター・シンガーの翻訳などがある功利主義の生命倫理学者、浅井篤氏が、
浅井研究室の門岡康弘氏、東京医療センターの尾藤誠司氏との共著で
以下の論文を発表。

門岡氏については、こちらに ⇒http://qq.kumanichi.com/medical/2009/04/post-236.php

尾藤氏が中心メンバーである
「もはやヒポクラテスではいられない」21世紀 新医師宣言プロジェクトの
HPはこちら ⇒http://www.ishisengen.net/

Can physicians’ judgment of futility be accepted by patients? A comparative survey of Japanese physicians and laypeople
Yasuhiro Kadooka, Atsushi Asai and Seiji Bito
BMC Medical Ethics 2012, 13:7 doi:10.1186/1472-6939-13-7
Published: 20 April 2012


この論文、タイトルは
「医師の無益性判断は患者に受け入れ可能か? 日本の医師と素人の比較研究」。

アンケート調査を、
様々な専門領域の医師に筆記により行い、80%の401人から回答を
また素人にはインターネットを通じて行い、1134人から回答を得たところ、

質問された治療の提供に対して素人の方が優位に肯定的であった。

無益性判断のファクターとして
医師は医療情報と患者のQOLを重視したのに対して、
素人はどちらかというと患者家族の希望と患者に与える心理的影響を重視。

いずれのグループでも
質歴無益性の判断の閾値には大きなばらつきが見られた。

医師の88.3%に無益な治療を提供した経験があった。

その理由は患者サイドとの意思疎通の問題と、
無益性またはこうした治療の中止に関するシステムの欠落であった。

アブストラクトの結論は

Laypeople are more supportive of providing potentially futile treatments than physicians. The difference is explained by the importance of medical information, the patient family's influence to decision-making and QOL of the patient. The threshold of qualitative futility is suggested to be arbitrary.

無益である可能性のある治療の提供について医師よりも素人の方がより肯定的である。この違いは、医療情報の重要性、患者家族の意思決定への影響、患者のQOLで説明される。質的無益性の閾値は恣意的なものであると考えられる。


なお、無益な治療ブログのPopeの以下のエントリーによると、

日本の医師と素人間の無益性判断のギャップは
カナダとアメリカの研究結果とだいたい同じではあるが、

医師が無益と判断された治療を提供する理由として
カナダと米国で挙げられている「訴訟回避のため」を上げた医師は17%と少ないことと、

「病状に関わらず命を救うためにはあらゆる手を尽くす義務がある」とか
「不可逆的意識不明状態にある患者も尊重し、
治療はためらわずに申し出なければならない」との
義務感を持っている医師が多いことが異なっている、と。


http://medicalfutility.blogspot.jp/2012/04/medical-futility-in-japan-vs-north.html
2012.05.02 / Top↑